六十八、条件
「さあ、着いたよ。ここから先は普通に話をしても大丈夫だ」
花道の突き当たり、蔦の絡まる赤レンガのアーチを潜り抜けた瞬間、周囲の空気が変わった。
僕が羞恥に震えるさまを、笑いを噛み殺しながら見守っていたクロさんは、鍵代わりの魔石を取り出して結界の張られたその門を通過。背後の道がシャットアウトされると同時、繋いでいた手が離された。
ようやく緊張の解けた僕は、「ぷはぁぁぁぁー……」と人生最大級のため息を。
「どうだい? なかなか楽しかっただろ?」
「ええ、ある意味すごく勉強になりましたよ……話に聞くのと自分が経験するんじゃ大違いなんだなって」
まさにハーレムラノベによく出てくる、奴隷オークションにかけられた姫騎士の気分だった。こんな目にあったら「くっ、殺せ!」なんて台詞を吐きたくもなる。
心底げんなりしたものの、それ以上の毒は吐けない。
この道は、ノエルが歩いたかもしれない道。ここを通った人たちを『不幸』だと決めつけるのはさすがに失礼だ。
ここは聖都オリエンスに潜む闇の世界――娼館。
夜になれば結界の門は開かれ、男たちが一夜の夢を見にやってくる。
「さあ、行こうか。キミの弟分が首を長くして待ってる」
「はい」
僕のエスコート役から解放されたクロさんが、大きなストライドで颯爽と歩きだす。僕も眩い日差しに目を細めつつ後を追う。スカートの裾をガバッと持ち上げるという淑女らしからぬポーズで。
元は貴族の邸宅だったというだけあり、手入れされた庭は広く美しい。緑の芝生を縫うようにS字を描く小道の先には、瀟洒な洋館が佇んでいる。
本館は二階建てで、北の冒険者ギルドと同じくらいの大きさだ。
陽光を受けキラキラと輝く藍色の三角屋根に、花の文様が彫られた象牙色の外壁。厩舎などの建物が敷地外に設置されているのは、美観を損ねないようにという配慮だろう。
一見すると華やかな建物だが、やはり綺麗なバラには棘があるもの。
正面に見える赤い鉄扉は固く閉ざされ、そこからは肌が粟立つほど強力な結界の気配を感じる。
花道の先のアーチをくぐることはできても、あの扉を開くためには正式な『招待状』が必要なのだとクロさんは語った。いわゆる『一見さんお断り』ってヤツだ。
未知なる高級娼館のシステムに、ふむふむと相槌を打ちながらも、僕の中には一つの疑問が膨らんでいく。
さっきは上手く誤魔化されてしまったけれど、こんな場所へ自由に出入りできるクロさんという人物は、いったい……。
「あのー、さっき“女衒”という言葉を小耳にはさんだんですけど、クロさんのお仕事って……」
「俺は“何でも屋”だ。たまには女を売ることもある。ごく稀にな。めったにないけどな」
大事なことなのか三回ほど繰り返したクロさん。完璧な営業スマイルがなんだかアヤシイ。クロさんほどじゃないけれど、こっちだって読心術は得意なのだ。
僕はニコッと微笑み返しつつ、クロさんの“弱点”をグサッと。
「ちゃんと話してくれないと、今日のこと全部お姉さんにチクッちゃいますよ? お姉さんは何も知らないんですよね、クロさんが本当はすっごく強いこととか、若い女の子を売っ」
「あー、分かった分かった! ちゃんと話すから……この娼館のオーナーはキミもよく知ってる人だよ。俺はソイツの指示で、“心に傷を負った若い女”を集めてるってわけだ」
「あー……なるほどです」
どうやら僕の仮説は正しかったようだ。
クロさんと王子は、特別な主従関係を結んでいる。具体的には、心に傷を負った若い女性――精霊術師になりうる人物を集めている。
でも、それならどうしてノエルをあっさり手放したんだろう?
そう思って軽く探りを入れてみると、「自ら娼館に勤めたいとやってくるような“強い”女性はスルー」らしい。あくまで過酷な運命に翻弄され、水に浮かぶ木の葉のようにゆらゆらと流されている可憐な女性が望ましいとのこと。
僕はつい銀髪の精霊術師さんを思い出してしまう。まさに彼女がそんなキャラだった。
つまり王子もクロさんも分かっていないんだろう。精霊術師候補になるための本当の条件を。
まあその件は僕もまだ確証がないし、ひとまず黙っておこう……と考えた瞬間。
「おい、今何か隠し事をしようとしたな?」
クロさんの細い眼が、ナイフのようにギラリと光った。思わずドキッとしてしまった時点で僕の敗北は確定。
たぶんクロさんは、僕の“心音”を読み取っている。
他にも“強化”した五感を駆使して、僕の変化を細かくチェックしている。
そもそも『透明人間化』していた僕にも気づいたくらいだし、この先も半端な嘘は通じないだろう。
「はぁ……分かりました、言いますよ。ただこの話はまだ僕の仮説に過ぎないんで、他言無用ってことでお願いします。あと個人のプライバシーに関する情報も出せませんから」
「ああ、それで構わない」
「まず精霊って、基本的には“可哀想なヒト”が好きなんだと思います。でもそれは精霊が自主的に助けてあげてるだけで、本人には自覚がなかったりするんですよ」
「確かにそうだな……」
「その自覚のなさというか、鈍感さが問題なんです。死ぬほど辛い出来事があって、記憶が麻痺するほど傷ついている人が、逆に『強く』見えることってあるじゃないですか」
「ん、どういうことだ?」
「自分はいつ死んでもいいと思ってるから、無茶な行動ができるんですよ。例えば限界まで食事を減らしたり、簡単に誰かの身代わりになったり。その反面、自分のせいで誰かが傷ついたり、命が奪われることには耐えられない……その瞬間が『覚醒』に繋がるって感じですかね」
ゆっくりと、一つ一つ言葉を選んでいた僕の足は、いつの間にか止まっていた。
時間を気にしていたはずのクロさんも立ち止まり、真剣な面持ちで耳を傾けている。
僕は無意識に胸の中心へ手を触れる。“アリス”の指輪がある位置に。
街の人たちを守るために、たった一人で死の霧と対峙したアリス。そんなアリスを守り、限界まで“死”を遠ざけようとした守護精霊。
彼女の『強さ』を思うと、胸が締め付けられるように痛む。
そんな僕の感情にシンクロしたのか、クロさんも静かに目を伏せて。
「そうか、そういう見方もあるのか……つまり、誰かを守るために自分の身体を売ろうとする女は、誰よりも高潔な魂の持ち主であり、死を厭わないほど傷ついているということか……」
「はい、僕はそう思います。でも本当にこれは僕個人の感覚なんで……クロさんたちは、どういう条件で探しているんですか?」
湿っぽくなった空気を変えるべく、あえて明るい口調で話を振ってみると。
クロさんはさらりと告げた。
「一番分かりやすい条件は、性欲がないことかな」
……。
……。
……何だか今おかしな言葉を聴いたような気がする。
「え、えっと……“魔力”がないこと、ですか?」
「いや、性欲」
「食欲、でもなくて?」
「性欲」
「……」
「なに恥ずかしがってんだよ。キミにもあるだろ? 性欲」
……スミマセン、たぶんすごくあります。




