六十二、解答
「あー、気持ちいいなぁ……タライでお湯をかぶるだけじゃ味わえないこの爽快感……やっぱり湯船に浸かるのって最高だよね、マルコさん?」
「ええ、そうですね。あとは等身大の鏡があれば完璧ですね」
混乱モードを脱出し、視野狭窄モードに入ったマルコさんが、美しい星空を見上げながら囁く。僕も視線をゆるりと持ち上げた。
時間はまだ夜明け前。今夜の月はやはり綺麗だ。
――かつてない強敵である“双頭の竜”を撃破した後、僕は周囲を散策して魔物の死骸をかき集めた。
マルコさんの『絶叫』には、電子レンジとか圧力鍋的な効果があるらしい。逃げる間もなくバタバタと倒れ伏した魔物の肉はとろけるように柔らかく、ちょっと引っ張るだけで骨ごとグズグズに溶けてしまう。
……ぶっちゃけ、ものすごくグロかった。
ただアクセ屋のお姉さんに洞窟で修行させられたおかげで、メンタルへのダメージはほとんどなく、僕はグロテスクな肉塊をサクサク運び、岩山の脇へピラミッドのように積み上げた。
そして、ヤツらの体液でデロデロになった身体をリフレッシュさせるべく、岩山のてっぺんに『霧の秘湯』を作った。いつもより一回り大きい、大人二人が一緒に入れるサイズのものを。
そこに今回の勝利の立役者であるマルコさんを誘い、タライ風呂とは一味違う“裸の付き合い”を行ってみたものの。
ほかほかと湯気の立つ四十二度のお湯に肩まで浸かっているというのに、マルコさんの顔色は青白いままだ。視線はゆらゆらと宙をさまよっていて、絶対に岩山の周囲を見ようとはしない。
その理由は、高くそびえ立つ肉塊ピラミッドのせいか、もしくは斜め後ろにボコッと開いたクレーターのせいか……。
「はー、気持ちいいけどちょっとのぼせてきたかなー。よっこいしょっと」
オッサンくさい掛け声とともに岩風呂の縁へ腰掛けた僕は、涼しい夜風を浴びながら、心ゆくまでその絶景を堪能する。
眼下に広がるのは、半球状のクレーター。巨大な蟻地獄といったイメージを与えるその穴の直径はおよそ二百メートル、深さは二十メートル。まさに隕石が落ちたレベルだ。
闇を色濃くまとう陰鬱な空間を彩るのは、あちこちからしゅうしゅうと湧き上がる瘴気の煙。たぶん地下の“竜脈”に亀裂でも入ったんだろう。
その様は活火山の噴火口のようで、恐ろしくもなかなか風情がある。周囲を漂う腐った臭いも、なんとなく硫黄っぽいし。
クレーターの底に鎮座する“隕石”は、もちろん邪竜だ。
激突の衝撃にもビクともしない漆黒の鱗を下に、中身を上へ向けて横たわっている。
首の付け根から尾の先まで二枚おろし状態にされた、まるで標本みたいにキレイな死骸を見下ろし、僕はほぅっと吐息を漏らした。
「やっぱ邪竜はそこらの魔物と違うよなぁ。普通の魔物は死んだら腐ってドロドロになっちゃうのに、肉は新鮮な赤色だし、内臓はつやつやしてるし、骨も真っ白だし」
「あーあーあー、ききたくありませーん!」
両耳を手のひらで押さえ、ぷるぷると首を横に振るマルコさん。
ちょっと声量が大きくなるだけで、僕らをぐるりと囲む灰色の霧がザーッと遠ざかる。
すると、取り残された魔物たちが月明かりの下に姿を晒す。ヤツらは赤い瞳に怯えを滲ませ、一目散に霧の中へと駆け戻る。
無様に逃げ惑う魔物の後ろ姿を見送りながら、僕は実感した。やはり敵は魔物じゃなく『死の霧』そのものなんだと。
――確かに『死の霧』はマルコさんの声を恐れて後退する。
ただし、消滅はしない。
マルコさんが黙ったとたん、遠ざかっていた霧がそろりとにじり寄ってくる。奪われた領土を取り戻そうと、形のない灰色の触手を伸ばす。
その霧に寄生しているのが魔物だ。霧の奥に目を凝らすと、無数の赤い瞳の輝きが視える。
ヤツらが狙っているのは、僕らの命じゃなく魔物の死骸。
特に柔らかく煮込まれた肉塊の放つ腐臭は、ヤツらの食欲をそそるらしい。その臭いを嗅ぎつけ、霧の奥からも続々と集まってくる気配がする。
当然こっちとしても、大事な獲物をみすみす横取りされるようなマネはしはない……というか、むしろこの展開は狙い通り。
僕の立てたプランは、こうだ。
マルコさんには、明け方までなるべく小声でしゃべり続けてもらう。“餌”である肉塊ピラミッドを霧に飲まれない程度に。
そうして魔物たちを僕らの傍まで引き寄せておいて――夜が明けたら『絶叫』で皆殺し。
だからマルコさんには、夜明けと同時にちょっと怖い思いをしていただくことに……。
チラッ。
「な、なんでしょう、男神さ……ユウさん。今貴方の視線からなにやら邪悪な波動を感じましたが」
「ううん、そんなことないよ。ところで一つ質問なんだけど、マルコさんがこの世で一番苦手なものって何?」
「なにやら誘導尋問のニオイがぷいーんと漂っておりますが……」
「ううん、そんなことないよ。僕はマルコさんの敬愛する『オガミサマ』のそっくりさんだよ? ただマルコさんを怖いものから守ってあげたいだけなのに、疑うなんてひどいなぁ」
ニコッ。
僕の浮かべた完璧なアルカイックスマイルに、マルコさんは恐る恐るといった感じで口を開いて。
「苦手なものはいろいろありますよ。例えば……北のギルドマスターとか」
「えっ、そうなの? でもあの人って顔は怖いけど、中身はすごく――」
「良い方、なんですよね……」
「いや、すごくヘンタイ。だからマルコさんの仲間だよ」
ニコッ。
僕の浮かべた完璧なアルカイックスマイルに、マルコさんはビクッと身を竦ませた。たぶん思い当たることがあるんだろう。
いったい何を妄想したのか、青白かった頬をポッと赤らめたマルコさんは、あさっての方向へ目線を逸らしたままぶつぶつと言い訳を始める。
「わ、私が言いたかったのはそういう意味ではありません。北のギルドマスターからは不思議な力を感じるのです。あの瞳で見つめられると、魂が視えない鎖に繋がれて抗えなくなるような……とにかく背筋が凍るほどの恐ろしい力です」
「へー、そういやノエルもギルマスさんのこと怖がってたなぁ。それって単にギルマスさんの“魔力”が強いから、ってわけじゃないよな。魔力だけなら隊長とか現役Sランクのお姉さんの方が強いんだし」
「はい、その『抗いがたい力』は、北の隊長殿やギルドの受付嬢からも感じます。ただ桁違いに強いのがギルドマスター殿なんです」
「そっか……確かにギルマスさんは、精霊術師でもないのに炎の精霊を操れるんだもんな。あの人は、精霊に何かを強制できるような特殊能力の持ち主なのかもしれない」
つまり、ギルマス氏に対して過度に怯えてしまう人物は、精霊に取り憑かれている可能性がある。
イコール『精霊術師』の資格あり、ということになるのかも……?
「なるほど、まだ確定するには証拠が足りないけど、試してみる価値はありそうだな」
例えば『魔物に対峙させても襲われないか?』とか、『死の霧に連れてくると霧が逃げるか?』とか、そんな物騒なやり方じゃ、無垢な子どもたちを泣かせてしまう。
でもこれなら一応スマートな判別方法と言えなくもない。髪や肌がキラキラ輝いたり、怪我を治せるって指標と併せれば信ぴょう性が高くなる。
「ひとまずこの街の住民で、Fランク且つ子作り経験のない男女を集めてギルマスさんと面談させ……いや、マズイな。下手に“アリス”を集めたらあの人のヘンタイが加速する。このやり方は、男だけにしておこう」
と、紳士な僕がベストな結論を導き出すと、マルコさんが軽く眉をひそめて。
「あのー……もしかしてユウさんは、新たな精霊術師を探すおつもりですか?」
「うん。貴重な精霊術師がポンポン見つかるとは思えないけど、一人でも二人でも増えてくれれば嬉しいなって。精霊術師が特別な血筋じゃなく、市井の中から生まれる可能性があるってことは分かったし、マルコさんのおかげで『死の霧』を追いやる方法も見つかったし」
ただ、いくら街を守るためとはいえ、あの霧の傍に近寄って一日中しゃべらせ続けるのは酷だ。協力してくれる精霊術師の数は多ければ多いほどいい。物見の塔の鷹の目チームみたいに、交代制で取り組んでもらえたら……。
――まあ、どうせ焼け石に水だろうけど。
というネガティブな結論は口に出さず、心の中にとどめておく。そして天をも貫くほど高く分厚い霧の壁を見やり、軽くため息を吐く。
死の霧を歩いて突破した僕には分かる。
あの壁はあまりにも大きい。いくら精霊の力を借りるとしても、ただ押し返すだけじゃ対症療法であり、結界を強化するのと変わらない。
だから霧そのものを――地下から湧き上がる瘴気を消滅させる方法を考えなきゃいけない。未だにどうしたらいいかまったく分からないけれど……。
――いや、違う。そうじゃない。
もうとっくに答えは出ているんだ。
やるべきことはただ一つ。この世界における『戦争』を止めること。
そして、理不尽に命を奪われた全ての生命に祈りを捧げること。
「なんて、な……」
軽い自嘲とともに、表示されたシンプルな解答をぐちゃぐちゃに掻きまわす。脳内でデリートキーを連打する。
いくら魔術技師という特別なポジションにいるとはいえ、それほど大それたことを僕がやるなんてありえない。バカバカしい、荒唐無稽な話だ。
だけど……どうしてもその解答が消えてくれない。まるで神様が「逃げることは許さない」と告げるみたいに。
それに、きっと陽花ならこう言うだろう。ムカつくのを通り越して呆れるくらいのドヤ顔で。
『ほらね、だから言ったでしょ? ユウ君のユウは“勇者”のユウだって!』
僕の背中をグイッと押すような、力強い幻聴。
その声に頷くように、僕は空へ向けていた視線を再び地上へと戻した。荷袋の中に隠したアリスの指輪を心に思い描いて。
――アリス、ごめん。僕はキミを裏切るかもしれない。
王都へ行き、アリスの家族へ指輪を渡して、元の世界へ帰る……万が一その願いが叶ったとしても、たぶん僕の心は晴れない。
ぬるま湯みたいなあの世界で、一人後悔しながら生きていくくらいなら、この世界で戦った方がマシだ。
たとえその姿が、他人には生き急いでいるように視えたとしても。
たとえ僕が、この世界で命を失ったとしても――
夜空にたなびく瘴気の煙を見つめながら、僕が深い思考に陥りかけたとき。
「新たな精霊術師を探す……その方法は、たぶん無理だと思います」
今までとは明らかに違う、暗く沈んだ声色。
ハッとして振り返ると、苦しげに唇を噛み締めるマルコさんの姿があった。「根拠もなくご意見を否定するようなことを言って、申し訳ありません」と呟いて、水面に映る歪な月へ向かい深く頭を下げる。
ふっと脳裏を過る、一つの映像。
それは今日のお昼すぎ、ギルドマスター室で見た光景だった。
マルコさんは今と同じ角度で俯いて、細い身体をソファーに埋めたまま激情を堪えるように震えていた……。
――今から、あの話の続きをされる。
そんな直感に思わず息を飲むのと同時、僕の目を見ないままマルコさんは告げた。「すべてをお話しします」と。




