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リアリスフィア ~竜は孤高の花を望む~  作者: AQ(三田たたみ)


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五、天使

「グルルルルゥ……!」

 地響きを起こすほどの唸り声が、ゆっくりと近づいてくる。羽ばたき一つするたびに横殴りの強風が吹き荒れ、周囲の草木がなぎ倒される。

 体長は三十メートル以上あるだろうか。まるで軍用ヘリみたいな迫力……いや、そんなレベルじゃない。

 アイツは、本物の悪魔だ。

 恐ろしくも美しい深紅の瞳に見据えられ、ちっぽけな僕の身体は竦み上がる。魂ごと凍りつかされる。

 本気の怒りを引き出すほどの完全なターゲットリンクは、まさに自業自得。

 炎を操るトカゲ族はたいてい“水”が苦手だ。なのに僕は大量の水をヤツの上へぶちまけてしまった……。

 無意識に腰へ手を伸ばすも、相棒の剣はない。もしあったとしても結果は目に見えている。

 鱗への物理攻撃はたぶん通らない。太陽光をも撥ねつけるほど強固な鎧が、単なる物質を通すわけがない。

 当然逃げることもできない。あの翼で回り込まれるか、ファイヤーブレスで燃やされる。

 結界を張ったところで、尾を振るわれて中身ごとぶち壊される。僕が隠れるだけならいいけれど、ヤツの怒りの矛先が街へ向かってしまう。

 だったら、僕にできることは一つしかない。

 後ろ手に背中の荷袋へと触れる。ごつごつとした石の感触を得て、波立つ心を落ち着かせる。

 ……大丈夫、魔石はまだ残っている。あの矢が刺さったくらいだし、魔力を込めた攻撃なら充分通用する。

 でも、矢をつがえている余裕はない。

 魔力でつくった氷の矢を射れば――いや、水がない。堀の水は全部使ってしまった。空気中から発生させるには時間が足りない。

 どうする、どうすればいい……?

 答えが出せないまま立ち尽くす僕に、とうとうタイムリミットがやってきた。

 僕を冷たく見下ろしていた黒竜は、身動き一つしない“虫けら”の観察に飽きたのか、広げていた翼をスッと折り畳んだ。

 急降下する巨大な影。

 僕はただ瞠目することしかできない。乾いた喉が引きつり、悲鳴をあげることすらできない。

 呑まれる……いや、焼かれる!

 大きく裂けた口がぐわりと開かれ、その奥から燃え盛る炎の塊が放たれ――

「――結界ッ!」

 魔石を取り出す余裕はなかった。力をコントロールすることも、何かを“意図する”ことさえも。

 荷袋を腕の中に抱え込み、無我夢中で叫んだ刹那――僕の身体から放たれた青白い光の渦は、迫りくる小山のごとき巨躯を包み込んだ。

 ヤツが吐き出した、その炎ごと。

「グギャルルルァァァ――ッ!」

 壮絶なまでの叫び声も、もはや大地を揺るがすことはない。分厚い半透明の膜に撥ね返される。

 宙に浮かぶ球体は、灼熱の地獄と化していた。

 強烈な魔術酔いに見舞われた僕は、その場にへたり込む。視界は霞み、音は遠ざかり……思考は過去へ飛ばされる。

 旅の間、僕は毎日結界を作り続けてきた。

 その技術は日ごとに洗練され、『迷いの霧』でほぼ完成された。安眠を得るための快適な個室――光と空気以外を完全にシャットアウトする防御膜が作れるようになった。

 もちろんそれは“常識”の範囲内でのこと。

 これほど大量の魔石を一気に費やすなんて、想像すらしたことがない……いや、一度だけあった気がする。これだけあれば空を飛べるかもしれないって。

 僕もあの黒竜みたいに、優雅に空を……。

「あ……翼が、燃えてる……」

 ぼやけていた思考が、一瞬現実へ引き戻される。僕はとろんと落ちかけていた瞼を持ち上げ、空を見上げた。

 陽光を受けて煌めく球体の中で、黒い塊が暴れ狂っている。

 結界の膜を溶かせるとでも思ったのか、ファイヤーブレスを吐きまくっては、自らの生み出した炎に焼かれてもだえ苦しむ。

 あまりにも残酷なその光景が、今の僕には玩具のスノードームみたいに見えた。

 これは魔術酔いによる幻覚作用。

 正直、身体も脳みそも限界だった。このまま眠り込んでしまいたかった。

 なのに、何かが邪魔をする。弱者である僕の生存本能が「まだ終わっていない」と警告を放つ。

 身体が、勝手に動き出す。

 ただの石ころが詰まった荷袋を捨て、よろよろと立ち上がる。深呼吸で身体へ酸素を送り込む。

 しだいに酩酊感は薄れ、麻痺していた痛みが戻ってくる。万力で締められるような激しい頭痛が。

 でもまあ、これくらいなら耐えられる。

 問題は身体の方。まだ平衡感覚が狂っている気がする。手足の感覚も薄い。目も、耳も……。

 そうして僕が“メディカルチェック”をする間にも、空中に浮かんだ球体からは一筋、二筋と細い煙がたなびき始め、ミシミシという嫌な音が漏れて……ついには粉々に砕け散った。

 残されたのは、焼けただれた翼を懸命に広げる手負いの獣。

 羽ばたくことのできなくなった“トカゲ”が、僕の元へ堕ちてくる。

 神々しいまでの美しさはもうどこにもなかった。艶やかな漆黒の鱗はぐずぐずに溶け、ところどころ赤黒い肉がむき出しになっている。結界の表面を掻きむしったのだろう、屈強な足の爪は剥がれ落ち、そこから体液が滴り落ちる。魔力も尽きたのか、身体にまとわりついていた瘴気の靄も消えてしまった。

 まさに、満身創痍。

 それなのに、深紅の双眸は光を失っていない。むしろ残り僅かな命を燃やしつくすかのように赤々と煌めいている。

 ゾクリ、と背筋に悪寒が走った。

 ……あと一撃だ。単なる“トカゲ”なら、あと一撃あれば倒せる!

 僕はとっさに周囲を見渡す。何か武器になるものはないかと、迫りくる敵から視線を外す。

 一瞬の焦りが生み出した隙を、ヤツは見逃さなかった。

 そのまま地面へ降り立つかと思われた黒竜の下肢が、空中でうねった。

 ――振り抜かれた漆黒の尾。僕の背丈よりも太い、凶悪な鞭。

「……ッ!」

 反射的に両手を胸の前へと突き出し、そのまま圧力に逆らわず後方へと跳ねる。僕自身と黒竜、二つの力をまともに受けとめた僕の身体は、弾丸のように真横へふっ飛ぶ。

 直後、視界は暗転。

 背中から城壁へ叩きつけられた僕の身体が、そのままずるりと地へ落ちる。

「……かは……ッ」

 呻き声とともに吐き出される大量の血反吐。内臓が傷ついたことは明白だった。

 意識を失わなかったのは不幸中の幸い。僕は朦朧とする頭を振り、強烈な吐き気を堪えながら身を起こす。

 その際、地面についた手に激痛が走った。よく見ると手首がありえない方向に曲がっている。

 治癒する術はないと諦め、城壁に寄りかかりながら立ち上がる。僕が激突したくらいではビクともしないその石垣を、少し恨めしく思いながら。

 ……大丈夫。両手は逝ったし肋骨もヤバイ気がするけど、背骨が折れたわけじゃない。まだ戦える。

 ただ、もう武器を手にすることはできない。だから脚を使う。

 蹴りで魔物と戦ったことはないけれど、脚の強化は腕以上に進めたし、ヤツの鱗はもうボロボロだから多少のダメージは与えられるはず……。

 両腕をだらりと下げ、血反吐をはきながら立ち上がる僕の姿がよほど奇異に映ったんだろう。黒竜は苛立たしげな唸り声を漏らし、尾の先でトントンと地面を叩く。

 普通の獣より賢いからこその警戒。それが僕には貴重な休憩時間となる。

 しかし、それも長くは続かなかった。

 僕が三度目の深呼吸をしたとき、黒竜の鞭がしなった。ヒュンッという風切り音が遅れてやってくる。

 横一線に凪ぎ払われるその動きは、僕の予測通り。さっきみたいな不意打ちはもう食らわない。

 すうっと息を吐き、丹田に力を込めて、僕は迫りくる鞭を迎え撃つ。

 受け止めるんじゃなく――蹴り飛ばす!

「グギャウッ!」

「クッ……!」

 足首に激痛が走った。

 まるで鋼鉄の戦車を蹴り飛ばしたような感覚だった。せいぜい軽トラックくらいかと思ったのに、認識が甘かった。

 堪え切れずその場に片膝をつくや、息もつかせず飛んでくる第二の鞭。痛めていない方の脚を使って地面を蹴りあげ、宙へと逃れる。

 着地すると同時、今度は鋭い牙が頭上から襲い来る。炎じゃなく噛みつきだ。

 鱗に覆われていないこの場所は、たぶん黒竜の唯一の弱点。もし剣が使えれば絶好のチャンスだったのに……。

 心の中で舌打ちしながら、僕は横っ跳びで避ける。

 ガチン、と激しく打ち鳴らされる牙の音に、後から震えがやってくる。竜の牙といえば鏃にも使われる最高ランクの素材。あんなものに噛まれたらひとたまりもない。

 満身創痍だろうが――ヤツは強い。油断は死に直結する。

 黒竜の攻撃パターンは三つ。ファイヤーブレス、尾を使った打撃、噛みつき。

 もっとも破壊力のあるファイヤーブレスは来ない。こっちの魔石も尽きたけれど、向こうもすでに魔力切れだ。

 尾の攻撃と噛みつきも、威力はあるけれど軌道は読める。

 パワーでは勝てなくても、スピードはこちらが上。空を飛び慣れているせいで、ヤツの脚力はノーマルトカゲより劣る。これなら逃げ切れる。

 その認識が、少しずつ崩れていく……。

 極限まで追い詰められていた僕は、自分の変化に気づかなかった。

 魔術酔いの後遺症で失われた平衡感覚と、鈍った五感。折れた両手は熱を持ち、その熱がボディブローのように体力を奪う。

 対して、黒竜のスピードは衰えない。それにヤツは頭も回る。噛みつきより鞭の方が効率的だと分かったのか、連続で振り回し始める。

 一秒と間を置かず繰り出されるその鞭は、掠っただけで致命傷になりうるほど重い。それを紙一重のところで避ける。わずか五分足らずで百回以上の攻撃をかわす。

 まるで演舞のような攻防の終わりは、唐突に訪れた。

 僕の集中が、ぷつんと途切れてしまった。額から流れた汗が目に入ったせいで。

 どうしても避けられない――そう判断した僕は、さっきのように蹴りで抵抗することにした。

 ……これが、最後の反撃になるかもしれない。

 そんな予感とともに、痛めていない方の足を振り上げる。残された体力と気力を全てぶつけるように、振り抜く!

 ひりひりと焼けつくような焦燥感は、激突と同時に霧散した。

 痛みを全く感じない。むしろ、脆い。

 あまりの感触のなさに唖然とする中、空回りした力は行き場を失い……僕はその場に尻もちをついた。

「え……ッ?」

 そこには異様な光景が広がっていた。

 黒竜の尾が、千切れている。

 まさしく『トカゲの尻尾切り』。切れた先が体液を撒き散らしながら転がり、ぴくぴくと震える様を、僕は呆然と眺めた。

 その不意打ち――黒竜による捨て身の攻撃は、僕に致命的な隙を生むことになる。

「やばっ……」

 立ち上がろうとするも両手は使えない。片足は捻挫、もう片方の足は痺れてしまって動かない。

 とっさに背後を振り仰ぐ。思ったよりも近くに『第二の城壁』が迫っている。

 あそこまで行けば立ち上がれる――

「グギャガァァァ――!」

 地面を転がる僕よりも速く、全身から闘気の煙を立ち上らせた黒竜が、大地を蹴って飛びあがる。

 もちろん空高くへは行けない。鞭という武器もない。ただ生身の身体ひとつで――全身全霊で僕を押しつぶしにかかる。

 そのとき僕は一つの誤解に気づいた。

 黒竜の身体から立ち上る白煙は、闘気なんかじゃない。あれは僕が見慣れたもの……『浄化』の予兆だ。

 剥がれた鱗の隙間に差し込む陽光は、着実にヤツを蝕んでいたのだ。

 一方的にやられたと思ったけれど、どうやら僕はそれなりに良い勝負ができていたらしい。

 だけど、もう逃げ場は無い。

 あの腹へ蹴り入れて、もしヤツが死んだとしても、僕も生きてはいられない。巨体に押しつぶされて確実に死ぬ。

 ……まあ、しょうがないか。

 三度目の『死の覚悟』をしたとき……僕が思い浮かべたのは、優しい家族でも可愛い幼なじみでもなかった。

 それは見も知らぬ一人の少女。僕がこの世界で見つけた唯一の仲間。

「約束を守れなくて、ゴメン」

 呟きは声にはならなかった。もはや掠れた息でしかなかった。

 それでも、神様にはちゃんと聴こえたんだろうか?

 最後の抵抗を目論んでいた僕は、不思議な光景を視た。青空の中に一片の白い布が舞うのを。

 そして突然――天使が現れた。

 純白の法衣を纏い、緑の髪を風になびかせたその天使は、城壁の上からひらりと舞い降りて……僕を背に庇い、手にした黄金の杖を黒竜へと突きつけた。


「戻れ!

 樹を視よ!

 絶命から開花!

 精霊世界から壊滅せよ!

 身を切れども!」


 澄み切った音色が、死臭に満ちた戦場へ響きわたると同時――世界は眩い光に包まれた。

 それは紛うことなき、奇跡の光。

 杖から放たれた光の礫は、驚愕に震える黒竜の巨躯を包み込む。降り注ぐ陽光が、天使の『浄化』をサポートする。

 まるで溶鉱炉に放り込まれたみたいだった。ただれた鱗は完全に溶け崩れ、赤黒い肉や内臓がむき出しになり、どろりとした黒い液体になって蒸発し……最後は小さな紅い石だけが残った。

 そして、杖から溢れた光は僕の身体をも包み込んだ。

 醜く溶けていった黒竜とは明らかに違う。折れた手や、背中の打撲や、足の捻挫や……聖なる光は全ての傷を癒やしていく。

 僕は信じられない思いで立ち上がり、自分の手を見やる。強く握り締め、失われた力が戻ってきたことを確認する。

 今まで二度も奇跡に救われてきた。だから三度目の奇跡はもう起こらないと思っていた。

 まさか、こんなに小さな“女の子”が、僕を助けてくれるなんて――

「ふぅ……さすがに疲れちゃったわ。もうこれ以上精霊たちに無理なお願いはできないわね……」

 せっかくの綺麗な衣装は、彼女の身体には少し大きかったようだ。

 法衣の裾を土で汚した天使は、なにやらぶつぶつと独りごちながら、黄金の杖の先でパンパンと砂埃を払い……唐突にくるんと振り返った。

 約三メートルの距離を置いて、僕は天使と見つめ合う。

 城壁の上から飛び降りてくるときにはぼやけていた面立ちが、これでもかというくらいクッキリと視える。

 なんというか……めちゃめちゃ可愛い子だった。

 腰まで伸ばした豊かな緑の髪に、零れ落ちそうなほど大きな緑の瞳。雪のように白い肌。あどけなさを残した小さな鼻と、薄紅色の唇。

 そういえば、神殿に描かれた女神の傍にこんな感じの女の子がいた気がする。その子は背中から羽が生えた妖精だった。ちょっと生意気そうな猫目が可愛かった……。

 妖精よりはだいぶ大きな、でも僕より一回り小柄な彼女は、エメラルドの瞳をぱちくりと瞬きしながら僕を上目遣いに見つめてくる。

 穴があくほど、ジーッと。

 まるで時が止まったかのような、永遠にも思える数秒の後……彼女はさらりと告げた。

「さて、残すはもう一匹」

 ……。

 ……。

 今何かおかしなことを耳にした気がする。

 一匹、一匹……?

 うろたえまくる僕に対し、彼女はふわりと花が開くように微笑んで――


「聖都オリエンスを脅かす魔物よ――我が光の杖にて、成敗ッ!」

※ヒロインの詠唱にも、前々回のポエムと同じ仕掛けが隠されております。

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