五十四、犯人
僕のことを「オガミサマ」と呼んだのは、今までに二人。リリアちゃんとノエルだ。
三回目となればもう驚かない。
つまり、このヒゲモジャのオッサンは中央大陸の出身。敬虔な女神教信徒と見せかけておいて、実は男神様のこともこっそり信じているんだろう。
しかし、可愛い女の子にキラキラした目で見られるのと違って、ひょろっとした小汚いオッサンに涙目で見つめられたところで別に……うん、やっぱり恥ずかしい。
「あのー、ちょっと訊きたいことがあるんですけど」
照れ隠しでフードを被り直しつつ声をかけると、オッサンの目からダバッと涙が溢れた。
……ヤバイ、これは本気で勘違いしてる。
いつの間にか御者台から降りて地面に膝をついてるし、胸の前で組まれた手がいかにも恐れおののいているって感じでプルプル震えてるし。
「お、お、男神様が、わ、私に、お声を……ッ」
「あー、やっぱ後でいいです」
オッサンの気持ちが落ち着くまで、僕はバトルの後処理をすることにした。
地面に転がったままピクリとも動かない六人の若者に、腕輪をはめて魔術を使えなくした上で、手足を縛りあげ猿ぐつわをする。長剣は危ないからボキッと真っ二つに折って地面に埋め、馬車の幌を直し、ヤツらを荷台に放り込んで終了。
「さて、コイツらが意識を取り戻したらどうするべきか……」
泥汚れとフードで隠していたとはいえ、僕の顔を覚えていないとも限らない。やはり『口封じ』が手っ取り早いけれど、さすがに僕もそこまで非情にはなれないし。
というか、真っ先に口封じをするべき相手は――
チラッ。
怯える馬の脇で、一心不乱に“男神様”へ祈りを捧げるオッサンを見やると、タイミング良くバチッと目が合った。
するとオッサンは、悟りの境地に入ったようなピュアな目をして、ボソッと。
「どうぞ、私を殺してください……」
「――いやいや、ちょっと考えただけだから! ホントに殺したりしないから!」
「男神様の手で、罪深い私を裁いていただけるなら本望です……」
「そういうの良くないから! 安易に人に頼っちゃダメ!」
「では私、今から『死の霧』へ行ってまいります……」
「それ宣言されたら僕スルーできないし! 見殺しとか無理だし!」
と、激しいツッコミを続けるうちに、話はだんだんオッサンの身の上話へスライドしていく。
今から数年前、オッサンは戦禍から逃れるべく単身この街へやってきた。
当初は商売をしようとしていたものの、要領が悪くて上手く行かず断念。その後神殿にスカウトされるも、やはり要領の悪さのせいで『魔石狩りチーム』の管理者という危険な任務を負わされてしまった。
いかにも魔石を持っていそうな冒険者を探して馬車を走らせ、誰にも気づかれないように戦わせ、速やかに撤退するという、最低な汚れ仕事を。
「でも、どうして腕輪をつけたままなんです?」
僕が引っ掛かったのはソコだった。
そもそも、暴走しがちな若者たちを束ねるためには“力”が必要なはず。ヤツらは「いつも腕輪つけてて偉いですねー」なんて絶対思わないだろうし。むしろ小馬鹿にしそうだし。
するとオッサンは、ちょっと恥ずかしそうに俯きながら、ボソボソと呟いた。
「信徒たるもの、けっしてこの腕輪を外してはならないと言われたので……」
……うん、ピュアだ。この人すぐ騙されそう。
ちょっと親近感を覚えてしまった僕は、カウンセラーにでもなった気分で問いかける。
「でもそれじゃ、危ない目にあうでしょう?」
「まあ、そもそも私が運んでいる方たちが、一番危ないので……」
「ですよねー。爆弾を抱えて歩いてるようなもんですよね」
「ええ。私が見ていなければ、彼らは普通の市民からも搾取しようとしますし……」
ぼそぼそとしゃべるオッサンは、本当に残念すぎるほどイイヒトだった。
魔石狩りチームの担当になったのは、彼らを管理するんじゃなく監視するため。
具体的には、なるべく強そうな冒険者――彼らが絶対勝てないような強者の元へ運び、周囲へ被害を出さないように目を光らせつつ、わざと任務を失敗させるように導く。
ターゲットに『強者』を選ぶことは神殿からの指示どおりであり、オッサンが責められることはない。神殿側もより高品質な魔石を持っていそうな相手を襲わせたいんだし。
ただ任務が失敗し続けると、実行役である若者たちには当然フラストレーションが溜まる。
そんなとき、オッサンが何をするかというと。
「もちろん、私を殴らせてやります。殺されない程度に」
「……痛くないッスか?」
「痛いですが、大丈夫です。私はこう見えて“治癒術師”でもありまして……傷はすべて自力で治せるのですよ」
少しだけ誇らしげにそう告げて、腕輪をスリスリと撫でるオッサン。それを支給されたときよりだいぶ痩せてしまったのか、腕輪の大きさはぶかぶかだ。
そして自他ともに認める要領の悪さは伊達じゃない。スリスリッと撫でたとき、指先がひっかかって。
――スポッ!
「あっ!」
「あ……」
手首からすっぽ抜けて、僕の足元へコロコロと転がってくる腕輪。
それを拾おうと慌てて飛んできたオッサンの俊敏な動きは、まさかのゴブリンレベル!
「す、すみませんッ! 私ごときが男神様の手をわずらわせるなど言語道断です、やはり今すぐ『死の霧』へ向かうべきなんです、生きててごめんなさい!」
「待った! なんか今の動きすごく素早いっていうか強そうなんですけど、冒険者をやったことはないんですか?」
「いえ、お恥ずかしい話ですが、私は生まれつき気が小さくて……」
「あー、なんか分かります」
「それに、お恥ずかしながら私、南ギルドで“戦力外通告”を受けてしまい……」
「戦力外通告……?」
「なにより、あんなにも可愛らしい生き物を殺めるくらいなら、この身体を食べさせてあげた方がマシですし……」
「は?」
「実は私も何度かトライしてみたのですが、どうしても上手く行かなかったんです。不思議と魔物の方が私を避けてしまうんですよね……そりゃあ私なんかの肉は美味しくないでしょうしね」
ハハハ……と力なく笑いながら、もじゃもじゃの顎ヒゲを撫でるオッサン。
僕は腕輪を握りしめたまま、彼の姿をガン見する。
チリチリした天然パーマの髪は、伸び放題で背中まで届くほど。今は焦茶色に見えるけれど、シャンプーすればもう少し明るい色に変わる気がする。
浅黒い肌も、洗えばゴボウの皮みたいにつるんと剥けてしまうんだろう。それにもじゃもじゃのヒゲを剃れば、意外と若いかもしれない。
身長百八十センチのひょろっとした身体は、一見すると貧弱そのもの。ただその下には鋼のごとき筋肉があると分かる。
なにより気になるのは、腕輪を外した瞬間からずっと、オッサンの羽織っているローブの裾がハタハタとはためいていることだ。
風もないのに。風もないのに。
さすがにあのぺったりしたドレッドもどきの髪を持ち上げるのは難しいのか、オッサンの足元から巻き上がるつむじ風も苦戦している。
でもなんとなく分かる。さっきの『ゴブリンダッシュ』は、この風が後押ししたせいだって。
……。
……。
「えーと、今さらながら、つかぬことをお訊きしますが」
「なんでしょう、男神様?」
男神様、という呼び方を改めさせるような余裕はなかった。僕は前回の教訓を思い出しつつ、慎重に尋ねる。
「あのー、実は男装してる女性だったり、とか?」
「ハハッ、それは面白い冗談ですね。私はどう見ても男ですよ。なんでしたら今すぐこの服を脱いでも構いませんし、その後私を殺めていただいても」
「いえ結構です! ではもう一つ質問を……子どもの作り方って、知ってます?」
「ハハッ、それも面白い冗談ですね。私はこう見えてもう二十歳を越えてるんですよ。知らないわけがないじゃないですか」
「ですよねー」
「ただ、実際そのような行為を行ったことはありませんが……」
「ですよねー……」
「……」
「……」
――ヤバイ、地雷を踏んでしまった!
この人はもしかしたら、僕がこの街でバッタリ出会いまくっている『あの存在』かもしれないのに!
……いやいや、冷静になれ、僕!
だってあの存在になれるのは『穢れなき乙女』だけなんだ、この人は違うんだ!
魔物ことを「可愛い」とか言っちゃうあたり、心が乙女っぽい気がしないでもないけど!
そうだ、ギルマス氏だって炎の精霊を使役してたし、Fランクの件も何か誤解があったのかもだし、もう一回北ギルドで確認してもらおう!
「と、とにかく一旦この場所を離れましょう! 朝日ちょー眩しいし、人に見つかっちゃいましゅし!」
僕は動揺を隠せないまま、オッサンもといゴブリン系モジャモジャ青年に背を向けて、馬車の荷台へ乗り込もうとした。
すると、疾風の後押しを受けたモジャ青年が僕の前へワープ!
しゃんと背筋を伸ばし、両手を横へ広げて僕をその場へ止めながら、どこか一皮剥けたように微笑んで。
「馬車はこの場所に置いていきましょう。ついでに彼らも置いていきます」
「え、置いていくって」
「ああ、男神様はこちらをご覧にならないでください。今から少々手荒な“治療”をしますから……えいっ! とりゃ!」
バキッ!
グシャッ!
可愛い魔物にはけっしてできないだろう凄惨な行為をサクッと実行した青年は、ローブのポケットから取り出した藁半紙にさらさらと文章を書いた。
いわゆる犯行声明となるメッセージを。
「この紙を置いておけば大丈夫です。もちろん私や男神様が疑われる可能性もありますが、彼らはあまり頭が良くないのできっと騙されてくれますよ。さあ行きましょう、男神様!」
「あ、はい」
僕は馬車の幌に挟み込まれたその紙を見て、いろいろと納得した。
結局悪いのは、全部僕なんだってことを。
『無垢な乙女を傷つけし者、女神の導きにより二度と“男”に戻れぬよう裁きを下す。もっとも罪深き者は、死の霧へ沈める。――お菓子小僧』




