四十八、再会
王子がこの場所へ来ることは――アクセ屋のお姉さんを助けに来ることは、前もって地下牢の番人に告げられていたのだろう。
僕たちが到着した際、頑丈な牢の扉はすでに開かれていた。
ぽっかりと開いた鉄格子の向こう、大人が一人寝転がるのがやっとという細長いスペースの奥に、お姉さんがいた。
目を逸らしたくなる気持ちを堪え、僕はその姿をしっかりと見つめて……ふうっと安堵の息を漏らす。
殴られて腫れあがった左頬が痛々しいものの、他に大きな怪我はなさそうだ。
魔力封じの腕輪を除き、しなやかな手足に煩わしい鎖のようなものはない。堂々と仁王立ちしている。
緑の宝石がついたネックレスを身につけているくらいだ、当然服もちゃんと着ているし、靴も履いている。
この状態なら、逃げようと思えば逃げられる。
なのにお姉さんがここを動かなかったのは、こうして助けがくると分かっていたからなのか、それとも逃げても無駄だと察していたからか。
もしくは……。
「お前、ここへ来るまでにずいぶんと暴れたらしいな?」
からかい混じりの王子の問いかけに、お姉さんはグッと胸を張って。
「ええ、一発殴られたら百倍返しが我が家のルール。軽く十人は病院送りにしてやったわ。だからさっきも言ったけれど――抵抗できない女を殴りたいだけなら余所へ行ってちょうだい」
……狭い牢獄の中で敵を迎え撃つため、が正解。
手負いの獣とは違う、強者の笑みを浮かべたお姉さんが、敵を挑発するかのように微笑む。淡く揺らめくランタンの灯りの中、漆黒にも見える瞳に闘志の炎を燃やしながら。
さすがはBランクの冒険者。その立ち居振る舞いは僕から見ても隙が無い。
開け放たれた牢の扉は高さ一メートル半。大柄な男なら一度に一人しか入れない。もし王子が中へ入ろうとすれば、腰を屈めた瞬間お姉さんの強烈な蹴りが顔面を打ち砕くだろう。
当然王子の方もそれは分かっているのか、扉から数歩離れたままお姉さんの姿をしげしげと眺めて。
「お前の胸のソレ……良いな」
「――ッ、な、アンタ、どこ見てっ」
「まあ少し落ちつけ。俺はお前の敵じゃない。むしろ“客”だ」
「……客?」
「見てのとおり、俺は神殿の人間じゃあないんでね。別にお前さんの肌が黒かろうがどうでもいい。ただ俺はお前に売って欲しいものがあるだけだ」
「ッ、まさか、アンタが売って欲しいものって……」
お姉さんの目が大きく見開かれ、殴られていない右頬がみるみるうちに赤くなる。王子はそんなお姉さんのリアクションに頓着せず、具体的な『条件』を告げる。
「まずはここから出してやる。ついでにその顔の傷も治してやろう。怪我人を働かせるのは興がそがれるからな。もちろん仕事の対価も払」
「――嫌ッ!」
「嫌って、お前……」
「どんなにお金持ちで顔が良くてもお断り! アタシには分かるんだから! アンタ筋金入りのヘンタイでしょ!」
「おい、お前はいったい何を言っ」
「それにね、アンタは騙されてるんだわ! アタシの胸はすごく大きくて魅力的に見えるかもしれないけれど、実はニセモ」
「――ちょっと待ったぁぁぁッ!」
反射的に飛び出した僕の頭から、鬱陶しいターバンがぼたっと落ちる。
王子はもちろん、周囲の騎士様たちも反応できないほど素早く、僕は陰気な鉄格子の中へ飛び込んだ。
そして、驚愕に目を見開くお姉さんに向かって、以前も告げたことを繰り返す。
「落ちついてください。この方は『お姉さん自身を買いたい』とは一言も言ってません。見ていたのもその胸じゃなくてネックレスの方です」
「えっ、そんな……だってアイツ、うちのバカ兄貴と同じニオイが……」
「だってもヘチマもありません。イイ年をした大人であるお姉さんが、助けにきてくれた『恩人』のことをそういう目で見るなんて、さすがにショックです」
「うう……ゴメンナサイ……」
「だいたい、僕はこの方のすぐ隣にいたのに、どうして気づかないんですか? お姉さんのパッチリした目は節穴ですか? その長いまつ毛に邪魔されて前が視えなかったんですか?」
「うう……」
「それに、大事な“秘密”はそう簡単に漏らしちゃいけません。そもそも嘘をつく必要もないと思います。少なくとも僕は、そういう部分で女性を判断したりしません」
キリッ。
と、言いたいことをキッチリ伝えて、お姉さんへのお小言モードを終了。
涙目になったお姉さんは、赤べこのようにペコペコと頭を下げる。そして浮かんだ涙をごしごしと擦る。
擦っても擦っても涙は止まらなくて……いつしか大洪水になって溢れ出る。
泣き顔を見られまいと俯いてしまったお姉さんは、いつもより小さくて頼りなげで、まるで『幼い女の子』のように見えた。
その震える肩を、僕はそっと抱き寄せる。
それと同時、隠し持っていた魔石を使って簡易結界を生みだす。通路にいる王子たちに、僕らの声がハッキリ聞きとれなくなるような、薄くて透明な防音壁を。
「ううっ……ユウ君……ッ」
「本当にすみませんでした……僕が安易な行動を取ったせいで、こんなことに」
「違うの、ユウ君は、関係ない……アタシ、この肌のせいで、前から目をつけられてて」
しゃくりあげながらも、必死で首を横に振るお姉さん。あまりにもいじらしいその態度に、僕の目頭も熱くなる。
それからお姉さんは、僕の望む情報を伝えてくれた。
昨夜遅く、ネックレスを手に駆け込んできたバジルをきちんともてなしてくれたこと。
具体的には、風呂に入れてご飯を食べさせてウサギ四匹分の魔石を与えて、その日は工房に泊めてあげた。救いの神であるお兄さんと三人で、カードゲームをして過ごしたと。
しかし翌朝、外出しようとした矢先に神殿の兵士たちがやってきた。
額に大きなたんこぶを作ったその兵士から、「大罪人の仲間を匿っているだろう!」と難癖をつけられたお姉さんは、バジルをお兄さんに託して裏口から逃げさせ、自分は大暴れして注意を引くことにした、と……。
「今バジル君は、アタシの父親代わりでもある『職人ギルド』の親方の元にいるわ。バジル君の家族も、『商業ギルド』を通じて他の場所へ隠れてもらってる。こう見えてアタシたち兄妹、南の街じゃちょっとした権力があるのよ。だから心配しないで?」
涙でぐしゃぐしゃになった顔を持ちあげて、精一杯の笑顔を浮かべてみせるお姉さん。
震える身体を支えているのは僕の方なのに、心ごと包まれているような気分になる。
この人に頼って良かった、と本気で思えた。
だけど――
「お願いだから、もうこんな無茶しないでください」
そう呟いた僕の頬に、温かな雫がつうっと流れ落ちた。
……お姉さんの涙が安堵の涙だとしたら、これは懺悔の涙だ。
もし王子が先触れを出して、ヤツらの暴行を止めておいてくれなければ、本気で危うかったと思う。
きっとお姉さんは鎖に繋がれて、今の何倍も殴られて、下手したら命を奪われていたかもしれない……。
「バジルたちを助けてくれたことは感謝します。でもお姉さんに万が一のことがあったら、僕は……」
「大丈夫。この街の人って、女には特別優しいのよ。だから手錠も嵌められなかったし、こうしてピンピンしてるしね」
「でも僕、ここへ来るとき……お姉さんがここに居るって知ったとき、本当に辛かった……だって、僕のせいでお姉さんが……ッ」
「ううん、キミのせいじゃないよ!」
「お姉さんッ!」
「ユウ君!」
「――いいかげんにしろ」
感極まった僕らがひしっと抱き合おうとした瞬間、薄い防音結界の向こうから氷のように冷たい声が響き渡った。
鳩のごとくビクッとした僕は、慌てて結界を解除。タッチの差で王子が鉄格子をくぐる。
通路にいる騎士様たちは、おおむね僕らのことを微笑ましい感じで見守っている。特にお爺さん騎士はハンカチで目を押さえているし、きっと『感動の再会』的なドラマを見ている感覚なんだろう。
見るからにご立腹なのは、王子のみ。
チッと舌打ちしつつ「リア充爆発しろ」という俗っぽい言葉を呟くあたり、この人は意外と育ちが悪いというか、意外とモテないのかもしれない。
そんな失礼極まりない僕の感情が伝わったのか、王子は射殺すような鋭い眼差しを僕に向けて。
「おい、坊。“アリス”と愛を語り合うなら人のいないところでやれ」
「へっ?」
「なにこのヘンタイ! ちょーキモイ! なんでアタシが“生娘”だって分かったのっ?」
「ちょ、お姉さん、この方はッ」
暴走するお姉さんを止めに入る間もなく、背後から冷気を通り越した殺気が放たれる。
チラッとその発生源を見やると、胸の前で腕組みした王子がにこやかに微笑んでいた。
でもよく見ると眼が全く笑っていない。ちょー怖い……。
「ほぅ。お前の『上得意』に向かって二度もヘンタイ呼ばわりとは、なかなかいい度胸だな」
「えっ、上得意? アンタ……じゃなくて、貴方が?」
「ああ、我が家の応接間にはお前の作ったシャンデリアがぶら下がっている。最近うちに転がり込んできた“猫”がソイツを気に入ったようで、もう十部屋分ほど追加で注文しようと考えていたところだが、やはり別の業者に頼」
「――お待ちください、そこのステキな若旦那さまっ!」
くるん、と踵を返して牢を出た王子のサーコートの背中に、ぴょんと飛び付くお姉さん。スタスタと通路を戻っていく王子にぴったりくっついた様は、まさにコバンザメ。
一人牢の中に取り残された僕は……とりあえず、もう一度上を目指してみようと思った。




