四十七、深淵
「封鎖されていた北門が破られた? そこから刺客が入り込んだ可能性がある? ふーん……でもその刺客とやらは魔力を持ってるんだろう? だったらこの“聖地”で動けるはずがないし、破った門からまた逃げ出したんじゃないか? 少なくとも俺は見てねぇなぁ……」
鬼気迫る表情の傭兵軍団――剣を掲げ鎧を身にまとう総勢百名もの大男に対し、何ら怯むことなくいけしゃあしゃあと述べる王子。
途中で「ふわーぁ……」とあくびを挟みこむ様は恐ろしくナチュラルで、とうてい演技とは思えない。
押しても引いても手ごたえのない“暖簾”のごとき昼行燈っぷりに気をそがれたのか、もしくは王子を取り巻くガチ騎士勢の放つ殺気に気圧されたのか、傭兵軍団のリーダーは「チッ」と舌打ちしてあっさりと踵を返した。
せっかく綺麗に敷かれた玉砂利を蹴散らしながら去りゆく姿は、まさに荒くれ者の親玉。
あんなヤツらが“聖地”と呼ばれる上神殿にまで入り込んでいるなんて、ちょっとビックリだ。あの手の『番犬』は、せいぜい外周をうろうろするくらいかと思っていたのに。
ただ、ヤツらは本物の腕輪を身につけているし、多少暴力的ではあっても信心深いタイプなんだろう。
それに比べて僕ときたら――
腕輪はニセモノだし、女神教のことは全く信じていないっていうかすでにクソだと思ってるし、彼らの宝物であるアリスの部屋へ潜入しようとしているし、あわよくばこっちに寝返らせようとか考えてるし、まさに穢れきった魔物だ。
そんな魔物の姿を隠すように立ちはだかってくれた七名の騎士様は、傭兵軍団の姿が消えるやいなや態度が豹変。ほとばしる殺気を一斉に僕へと向けてくる。
……まあ、そうなるのもしょうがない。
いくら弱者のフリをしていても、僕の実力は歩き方一つでバレる。
そもそも開かずの門を破ってここに入り込んでいる時点で、怪しいことこの上ない。王子による鶴の一声がなければ、とっくに身柄を拘束されているはず。
とにかくここは一人の紳士として、丁寧にお礼を言っておかなければ。
「どなたか存じませんが、ご親切にどうもありがとうございました」
深々とお辞儀をしてみたところ、周囲の騎士様の殺気がちょっとだけ和らいだ。
たぶん僕の言葉遣いがあまり刺客っぽくないというか、『貴族のお坊ちゃん』っぽいニュアンスになっているんだろう。チート翻訳機能よありがとう。
しかし、七人の騎士様の奥からズイッと前へ出てきた王子は、不思議そうに小首を傾げて。
「……で、お前さん、どうしてこんなところにいるんだ?」
「いったい何のことでしょう。ぼくは通りすがりの僧侶見習いですよ?」
「ふーん、通りすがりの僧侶見習い、ねぇ……」
「見ず知らずのぼくを匿ってくださったこの御恩は一生忘れません。皆さまに女神のご加護がありますように。ではこれにて失礼」
なにやら意味ありげな笑みを浮かべる王子を華麗にスルーし、僕はくるんと踵を返した。そして傭兵軍団が去ったのとは逆の方向へ歩きだす……はずが。
「あッ!」
ザシュッ!
……と、あたかも大剣が振り下ろされたかのような音を立てて、僕はこけた。
「うう、痛い……」
注意していたはずなのに、うっかり法衣の裾を踏んづけてしまった。やっぱり見栄を張らずに丈を詰めれば良かった。裁縫魔法を使えば五分で直せたのに……。
「おいおい、なにやってんだよ、坊」
思わず涙目になる僕に、大きく優しい手が差し伸べられた。
どこか生温かい感じの眼差しをした王子が、小柄な僕をひょいっと抱き起こし、法衣についた砂をぱんぱんと払ってくれる。
そして最後は、足元にハラリと落ちた純白の布を拾い上げて。
「ほら、この頭巾もちゃんと被っておけよ」
「あ、はい、ありがとうございます……」
僕は髪の毛が見えないよう、その布をぐるぐると頭に巻きつけた。
動揺のあまり手が震え、ターバン状というか洗濯物が乗っかった感じになったけれど、一応全部隠せたからOK。
身支度が整った後、僕はあらためて深々と頭を下げた。
「ありがとうございます、皆さまに女神のご加護が――あ」
バサッ!
……と、鋭い刃物で切り裂かれたかのような音を立てて、頭に乗せていた洗濯物が落ちた。
「うう……ッ」
「もういい、分かった分かった。お前さんは見ず知らずの僧侶見習いだ」
黒髪をわしわしと撫でながら、王子が生温いのを通り越して温かな目で僕を見やる。
初対面のときは二十歳くらいかと思っていたけれど、この溢れんばかりの父性からすると、もうちょっと年上なのかもしれない。
僕より三十センチ近く背が高い王子は、中腰になって僕と視線を合わせると、困ったような苦笑を浮かべて。
「……で、僧侶見習い殿がどうしてこんなところに入り込んだって?」
「僕、どうしても、大事な人に会いたくて……」
「そうかそうか、じゃあ今から俺が連れてってやるよ」
「――えっ、ホントに?」
「ああ、俺もソイツに会いに来たんだ。一緒に行こう」
「……はい、分かりました」
心がポッキリ折れた僕は、王子の提案に応じた。
騎士様たちは、複雑な面持ちをしつつも主に従う。横に並んで歩く僕と王子を取り囲むようにぐるりと円陣を作り、僕が何かしようものならいつでも飛びかからんと牙を研ぐ。
お目付役のお爺さん騎士は、僕の真後ろのポジションへ。
ふさふさした白い眉を限界まで寄せたお爺さんが、警戒というよりむしろ心配そうな表情に見えるのは、王子の身を案じているためか、それとも僕の頭の上でぐらぐらする洗濯物を気にしているのか。
「しかし、坊……じゃなくて僧侶見習い殿は、よくここまで入り込めたなぁ。その腕輪もニセモノだろ? 息苦しくないか?」
涼やかなブルーの瞳に、微かな苦痛を滲ませながら王子が問いかける。
さっき僕を抱き起こしてくれた手の先には、やはり銀の腕輪がハマっている。当然騎士様たちも全員そうだ。
完全に平気な顔をしているのは僕のみ。
ちょっと申し訳ないような気がしつつも、僕は素直に答えた。
「腕輪はニセモノですけど、全く息苦しくないです。むしろこの空気は清々しいくらいですね」
「へぇ、やはりそれは“例の力”のせいか?」
「はい、愛の力です」
「愛?」
「そうです、アリスへの愛が僕を突き動かしたんです」
「はぁ、なるほどな……お前さんはやっぱり本物なんだな」
「はい、本気です」
本当は二人きりで会いたかったけれど、王子との先約が入っていたならしょうがない。
なんせ建前上、王子はアリスと血の繋がった兄妹ってことになるんだし。いっそのこと「お義兄様」とでも呼ぶべきだろうか?
……なんてアホなことを考えてしまうくらい、王子への好感度は急上昇。
最初はすごく苦手だと思ってたのに、僕のことをちゃんと庇ってくれたし、なんだかんだ優しいし、それに抱き起こされたとき柑橘系の香水っぽい良い香りがしたし……。
芸術品のごとき絶世の美男子をチラチラと横目に見つつ、アリスへの愛を語っているうちに、僕らは無事上神殿へ到着。
巨大なゴーレムが口を開けたような正門には、番犬代わりの傭兵たちがずらりと並ぶ。そこでもあっさり顔パスで通された王子は、彼らの前を堂々と歩いていく。騎士様たちもしかり。
ただ、パリッとしたサーコート姿の集団の中、ずるずるした洗濯物スタイルの僕はやたらと目立つ。
一瞬「怪しいヤツめ、であえであえー!」とか叫ばれるんじゃないかと身構えたものの、特にそんなことはなかった。白と白で同系色だからよく見えなかったのか、それともやっかいな客人と関わりたくないせいか……たぶん後者な気がする。
そうして僕が、騎士様たちと同化しつつ進んでいくと。
「あれ?」
なんだか思っていたのと違う方向へ進んでいる。
というか、むしろ正反対だ。
ダンジョンのごとき入り組んだ上神殿を、勝手知ったる我が家のごとく歩いていた王子は、とある小部屋の先の階段をひたひたと下りていく。
怪訝に思いつつも、僕は付いていくことしかできない。むしろ研ぎ澄まされた直感が「この道で正解だ」と訴える。
しかし、一歩足を進めるごとに、不気味な気配は色濃くなっていく。
永遠に陽が当たることのない、ぽつぽつと篝火が焚かれた石造りの回廊は、湧き出た地下水のせいかじっとりと湿り気を帯びている。王子たちの履いたロングブーツの足音が、こだまのように響き渡る。
しだいに漂ってくる腐臭。これはカルディア洞窟で感じた臭いによく似ていた。
苔むした石段を降り切ると、現れたのは結界代わりとなる重厚な鉄扉。
そこには青白く陰気な顔をした兵士が二人佇んでいた。
彼らは王子の姿を認めるや、無言のままランタンを一つ差し出した。そしてスッと横に退くと、手にした杖――深紅の石が嵌めこまれたそれを扉へと突き付け、人の力ではとうてい開けられないその鉄扉を軽々とスライドさせる。
上神殿ではタブーとされる、精霊に嫌われるはずの“魔力”も、この地下エリアでは許されているらしい。
全員が扉をくぐると同時、重たげな音とともに閉ざされる退路。これで僕らは完全に閉じ込められたということになる。
そして。
「……ッ?」
妖しく揺らめくランタンの明かりの中、僕の耳は一つの音をキャッチした。鼓膜の上をナメクジが這いまわるような、とてつもなく不快な音を。
それは亡者たちの……いや、亡者のごとくやせ細った人々の放つ唸り声。
彼らは鉄球のついた足枷を嵌められ、頑丈な檻の中へ閉じ込められていた。その檻は横幅三メートルにも満たない通路の片側に、まるで長屋のように並んでいる。
つまり、この場所は――
「王子、ここって、もしかして……」
「まあ黙って付いてこい。けっして悪いようにはしない」
先頭に立っていた王子が、僕の頭をポンと叩いた。それだけで心がふっと軽くなる。
なのに、その手が離れるや不安は倍増する。暗い地下牢には、指先がかじかむほど冷たい空気が満ちているのに、手のひらから嫌な汗が湧き出てくる。
……そうだ、神殿の大事な宝であるアリスが地下牢に閉じ込められているわけがない。きっとこの先に天空へ向かう隠し通路があるんだ。そうに決まっている。
言い知れぬ不安を抱えたまま、ただ「悪いようにはしない」という王子の言葉だけを頼りに、陰鬱な空間を進む。
目をそむけたくなるような惨状が広がる地下牢の片隅で、僕はあの奴隷業者を見つけた。丸々と肥えていたはずが、たった三日ほどで別人のようにやつれている。
――この街が『罪人に優しい』なんて、嘘だ。
少なくとも、神殿に刃向かったヤツらに未来はない。
たとえそれが、何一つ罪を犯していない善良な市民であっても、疑わしければ全て『黒』になる。
僕は分かっていたはずなのに……王子や隊長やギルマス氏や、いろいろな人から忠告されていたはずなのに。
どうして僕は安易に頼ってしまったんだろう。
通りすがりの僕に優しくしてくれた、大切な“あの人”に――
「よぉ、生きてるか?」
どこまでも続く地獄への道の途中で、不意に立ち止まった王子。
僕はその先を見たくなかった。
檻の向こうに誰がいるのかは……彼女の荒い息遣いや、胸元で揺れる『宝石』の音で分かっていた。
「……アンタ誰よ。あいにく貴族に知り合いはいないわ。抵抗できない女を殴りたいだけなら余所へ行って」
「フン、それだけ憎まれ口を叩けるなら大丈夫だな」
容赦なく殴られ、顔を腫れあがらせながらも凛と背筋を伸ばして佇むその女性は――暗闇に溶けるような黒い肌をしていた。




