四十六、神殿(後)
特殊な業界というものには、その世界独自のルールがあったりする。
例えばお嬢様系の学校では「ごきげんよう」と挨拶したり、芸能界では夜なのに「おはようございます」と言ったり。
神殿にとってのそれは『用事があるとき以外、よけいな言葉を発しない』というものだ。だから人とすれ違うときなどは、無表情で会釈をするのみ。
僕は笑顔で「どうもー」と言いたくなるのをグッと抑えて、粛々とお辞儀をした。
「……」
「……」
約三秒ほどの痛い沈黙の後、白装束のオジサンはこっちを気にするそぶりも見せず、石造りの回廊をスタスタと歩き去る。
独りきりになった僕は、ふうーっとため息を吐いた。
何度か人と遭遇し、そのたびにこの会釈を繰り返しているものの、今のところ誰にもツッコまれることはない。
――今僕がいるのは、神殿の『外庭』エリアに建てられている下神殿だ。
この建物は、昼夜を問わず病人が担ぎ込まれる救急病院みたいなポジションで、常に人の出入りがありバタバタとしている。
ただし“病院エリア”の奥へ入ると、一気に別世界へ変わる。
闇と静寂に包まれるこのフロアは、死者の眠るエリア――いわゆる霊安室だ。だからさっきすれ違ったオジサンも、治癒術師ではなく『僧侶』にあたる。
僕が身にまとっている純白の法衣も、ちゃんとそういう仕様になっている。ずるずるしたデザインは一緒だけれど、頭にもすっぽり布を被る感じで。
この格好のポイントは、頭巾でしっかりと髪を隠すこと。
女神教にとって髪の毛はとても神聖なものだ。なんせ女神様のくれた『命の証』とまで言われているくらいだし。
つまり、死者に新たな髪を与えるのも女神の役目であり、ニンゲンごときが安易に髪を晒してはならない、とのこと。
正直この教義、黒髪の僕にとってはかなり都合がいい。さすがに黒目はごまかせないけれど、今は夜だし神殿の中は薄暗いし、伏し目がちに歩いていればなんとかなる。
「しかし、ナイスアイデアだよなぁ……僧侶のコスプレをして潜入する、だなんて」
このプランは、もちろん鷹の目チームの皆さんに教わったものだ。彼らは「万が一のとき神殿へ侵入できるように」と、このコスプレセットを常備していた。
ただし、彼らもその“万が一”が起きるとは思っていなかったフシがある。ちょっとしたアイデア披露みたいな感覚でその話をしたところ、僕が俄然乗り気になってしまったのでそうとう焦っていた。
まあ貴重な『魔術技師』が、隊長たちにナイショで単身神殿へ乗り込むというんだから、焦る気持ちも分かる。
僕は「むしろ魔術技師だから可能なんですよ」と言って説得し、コスプレセット一式をお借りした。
それから、神殿をぐるりと囲む塀の中でもっとも警備の薄い東サイドへ接近。高さ五メートルほどの石垣にロープを引っかけ、忍者のごとくするりと乗り越えると、素早くこの格好に着替えて荷物を木の上に隠した。
あとは誰に会っても『無言で会釈』を繰り返しながら、しゃなりしゃなりと歩くのみ。
問題はこの法衣のサイズが合ってないってことだ。兵士の中では比較的小柄な鷹の目チームメンバー用でも、僕にとってはデカすぎる。
裾を踏んで転んだりしないよう注意しつつ進んでいくと、上神殿へ続く渡り廊下にたどり着いた。不思議な文様が描かれた石柱がずらりと並ぶその通路は、いかにも「この先にラスボスがいます」という空気を醸し出す。
そこに一歩足を踏み入れた瞬間、ぶわりと肌が粟立った。
……精霊がいる。
と気づいたのは、雰囲気だけじゃなく空気の質までもが変わったから。
精霊により浄化された空気は、澄み切っていてとても心地よい――そう感じるのは、僕が余分な魔力を持たないせいらしい。普通の人がこの先へ進もうとすると、精霊に拒絶されて自然と足が止まってしまうとのこと。
僕は手首につけた『ニセモノの腕輪』を眺めつつ、渡り廊下を進んでいく。
この道を通れるのは本物の腕輪を身につけた信徒、もしくは魔力に目覚めていない小さな子どものみ。つまりこの場所で平気な顔をしていられるってだけで、今の僕は『ホンモノ』に見えるわけだ。
人影のない、完全なる静寂に包まれた通路をサクサク歩いていくと。
「ほぅ、この先が上神殿か……」
目の前に立ちはだかったのは、魔石が埋め込まれた高く重厚な石の壁。精霊術師や枢機卿など、重鎮たちのいる上神殿を護るための最後の砦だ。
壁をよじ登るためのロープは外へ置いてきてしまったし、ここは正攻法で行くしかない。
しかし扉の奥からは、明らかに門番らしき人物の気配がする。
僕はひとまずその場を退いた。石垣に沿って、玉砂利が敷かれた外庭をひたひたと忍び足で進む。
そしてちょうど北側の一角に、固く閉ざされた古い扉を発見。重たげな鉄扉の先には誰もいないし、きっとここは『開かずの扉』なんだろう。
錆びついて黒ずんだその扉へと伸ばした手は、緊張のせいか少し震えていた。
……この先は、僕にとって未知の領域だ。
兵士の皆さんが病人を装って潜入できるのは、あくまで下神殿まで。上神殿は全く攻略されていないため、情報はほとんどない。
とはいえ、少なくとも僕みたいな『僧侶見習いの少年』がうろつける場所じゃないってことは分かる。
つまり――最悪、人との戦闘になる。
「やっぱクルミをぶつけるのとは違うよなぁ……僕、人を殴るのって初めてなんだけど、大丈夫かなぁ」
もちろんクモ男になって天井に張り付いたり、ゴブリンダッシュで逃げられるかもしれないけれど、そう上手くはいかない気がする。
とにかく神殿という建物はガランとしていて広いのだ。天井も高いし、逃げ隠れする場所はあまりない。
もし戦うなら、僕の顔を覚えられないよう一撃で気絶させたい。ただ、魔物との戦闘時のようにやったらきっと相手を殺してしまう。
どのくらい手加減すればいいものか……と悩ましく思いつつも、僕はその扉を開いた。
正確には、鍵の部分を摘まんでバキッと壊した。さすがに素手でとはいかず、隠し持っていた魔石を使って。
――ぎぎぎぎぎぃぃぃ……。
と、いかにも恐ろしげな音を立てて扉が傾いていく。その中へ滑り込み、ホッと一息ついたとき。
「……神官長、今外部からの魔力を感知しました!」
「何ッ、どこだ!」
「閉鎖された北門からです!」
「間諜かもしれんな……すぐに傭兵部隊を向かわせろ!」
という殺伐とした会話を、ハイスペック耳がキャッチ。
途端に静寂は破られ、バタバタという乱れた足音がこっちへ近づいてくる。進路の途中であちこちに声がかけられ、その人数は雪だるま式に増えていく。
……うん、普通にヤバい。
どこか隠れるところがないかと周囲を見渡したものの、僕がいる場所は草の一本も生えていない、スッキリ綺麗な内庭。
敵は二百メートルほど先の上神殿及び、内庭の左右から同時に迫ってくる。
「まあせっかくここまで来たんだし、手ぶらで帰るのはモッタイナイよな」
もう一度扉をくぐって外へ逃げるという選択肢を却下した僕は、取り急ぎ人の少なそうな方向へ逃げてみた。今いるポジションからさらに右の方角へ。
……もしかしたら、その選択は僕が選んだものじゃなく、神様の導きだったのかもしれない。
まるで結婚式から逃げ出す花嫁みたいに、法衣の裾をぐいっと持ち上げ、白い石が敷き詰められた内庭をダッシュしていた僕は、ほどなくしてニンゲンの集団にぶち当たった。
遠目にも分かるほど鍛え上げられた武装集団――まさに少数精鋭といった表現がふさわしい、純白のサーコートを羽織った『騎士団』に。
僕は駆け抜けるスピードをニンゲンレベルに落とした。いかにも誰かに追われている善良な少年っぽい顔をして近づいていく。はぁはぁと息を切らせたりして。
すぐさま僕の存在に気付いた彼らは、「何者だッ!」と鋭い声をあげ、僕の方へと剣を掲げた。
磨き抜かれた鋭い長剣を目にし、僕は心の中にあった『手加減』の単語をデリート。
……見た限り、ヤツらの腕は隊長と同レベル。こっちが丸腰の少年だというのに一切気を緩めないあたり、むしろ隊長より上かもしれない。
下手な攻撃はかわされる。いや、たぶんかわしてくれるはず――
敵の力量を信じつつ、僕はその集団へ向かってひた走る。
ひとまず「追われてるんです、助けてください!」とか言ってみよう。その演技に騙されて匿ってくれたらベスト。疑いつつも見逃してくれたらベター。
戦闘になったとしても、死なずに済めばすぐに治癒術師が来てくれるだろう。普通の治癒術じゃ治らない怪我だとしても、アリスに頼めば問題なし。
と、頭の中で計算しつつ、よろよろとよろめくフリをしていた僕は……彼らの顔がクッキリ見える位置にて急停止。
「あ……」
ヤバい、コレめちゃめちゃヤバい!
若者を押しのけるみたいに先頭に立って、一番槍で斬りかかってやろうと鼻息を荒くしているあの“お爺さん”は――
「――待て、爺」
すわ敵襲かと闘志を燃やしていた武装集団を一言で抑えたのは、人垣の中央に佇んでいた若者。
僕は反射的に回れ右をしたものの、一瞬遅かった。
「よぅ! 珍しいところで会ったなぁ、坊」
くっきりとしたブルーの瞳を愉しげに細めながら僕へ手を振ったのは、薄闇の中でも輝きを失わない見事なまでの金髪を持つ、ホンモノの王子様だった。




