四十一、頂上
麗しい笑みを浮かべながら『自白』を迫るお姉さん。男と男の約束を守らんと、歯を食いしばって耐える隊長。どこか遠い目をしながら「諦めろ」と呟くギルマス氏。
殺伐とした空気をぶち壊したのは、ノエルの苦しげな呟きだった。
「ユウ兄……」
「ノエルッ? どうした、大丈夫か?」
「気持ち、悪い……」
僕の腕に縋りついていたノエルが、そのままくたりと胸へもたれかかってくる。血の気を失った青白い顔をして。
「――ノエルちゃん!」
獲物をコーナーへ追い詰めていたお姉さんが、慌てて僕の元へ。ノエルの額や手首に手を当てた後、
「疲れが出たのかもしれません。ギルドの女子寮で休ませましょう。もし体調が戻らなければ、今日はそのまま私の自宅で預かります。いいですね?」
と有無を言わさぬ口調で告げ、ノエルの細い身体を軽々と抱き上げて部屋を出ていった。
男三人になったギルドマスター室は……重苦しい沈黙に包まれる。
命拾いしたはずの隊長が、もっとも苦々しい顔をしている。意図したわけではなかったにしろ、自分の『失言』がノエルを追い詰めたと感じているんだろう。
ノエルたちが消えた扉の前に佇み、手のひらをジッと見つめつづける隊長。背後へ近寄ったギルマス氏が、その肩をポンと叩いて。
「まあお嬢ちゃんのことは気にすんな。曲がりなりにも精霊術師なら、自力でどうにかすんだろ」
「ああ、そうだな……」
「それより気にした方がいいのはお前自身のことだ。うちのお嬢が戻ってくる前に、とっとと吐くもの吐いて逃げた方がいい」
「うっ……」
「あれでもお嬢は、ちみっこいのがいたからセーブしてたんだ。タガが外れたお嬢はヤベェぞ。ヘタすりゃお前の下半身が一生使い物にならなくな」
「――分かった、言う! 言うから!」
男と男の約束は、ついに破れた。
隊長は例の話をギルマス氏に暴露する。精霊術師とは国王の子どもであり、女神の末裔である、と。
偉大なる国王様&女神様ラブ……といった感じで、クソ真面目な顔をして語った隊長。
しかしギルマス氏はなぜかいやらしい笑みを浮かべて。
「そいつが本当の話なら、国王ってのはオイシイ仕事だなぁ。俺も王族に生まれりゃ良かったぜ」
「はぁ?」
「だってよ、女神様を崇めるこの世界じゃ一夫一婦制は当たり前だが、国王だけは『精霊術師を作る』って名目で、いろんな女とヤリまくれるってことだろ? 最高じゃねーか」
「なっ、おま、バカなこと言うな!」
「その精霊術師たちがいるっつー大神殿は、ハーレムだな、ハーレム。そう思わねぇか、坊主?」
「えっ、僕ですか? うーん……そうですね、確かにハーレムですね」
その手の物語に毒されていた僕はすんなりと肯定。視界の隅では隊長が「坊主よ、お前もか」という顔をする。
ギルマス氏はブーツの踵を鳴らしながらデスクへ歩み寄り、葉巻を一本取り出して。
「国民の模範になるべき国王様がハーレムを作ってるなんて、間違いなく醜聞だ。だからヤツは――枢機卿は秘密にしたがった、ってのが真相だろうな」
「そ、そんな……」
「もちろん、今この街にいる精霊術師は本物のお姫様かもしれねぇ。だがお前だってノエル嬢を見りゃ分かんだろ? 『精霊術師』が生まれる条件は、たぶんもっと別のところにある。お前はヤツに騙されてたんだよ」
ニヤリ。
と口の端を持ち上げて笑ったギルマス氏は、渋いオッサン面もあいまって完璧な名探偵状態。
そして、枢機卿に騙されていたクソ真面目な隊長は。
「オレ、もう帰って寝るぽ」
……ぽ、と語尾が付いたのは、チート翻訳機能の誤作動だろうか。
しょんぼりと肩を落として部屋を去る隊長。そして扉が閉まった瞬間、腹を抱えて爆笑するギルマス氏。
たぶんこの嫌がらせは愛情の裏返しなんだろう。頬の傷もしかり。
◆
雨上がりの曇り空へ、純白の鳩が飛んで行く。
その姿が小さな白い点になり視界から消えるのを、僕はギルマス氏とともに見守った。
「けっこう速いですね、鳩」
「意外と使えるだろ? だからこの国じゃ他の通信方法が発達しなかった。だが、もし魔術技師がいれば……いや、そいつは無い物ねだりってやつだな」
ギルマス氏が自嘲する間にも、鳩が到着した先からはバタバタという慌ただしい音が響いてくる。届けられた『指令』に戸惑っているんだろう。
現在僕がいるのは、物見の塔のふもとだ。
隊長と入れ替わりで戻ってきたお姉さんから、ノエルがぐっすり眠り込んでしまったという報告を聞いて、僕はひとまず退散することにした。
リリアちゃんたちと会うのは夕方だし、それまでどうしようかと考えていると、ギルマス氏が「一緒に塔へ行くか?」と誘ってくれたので、僕はそのプランに飛び付いた。
「しかし、すごい高さですねぇ」
先端を眺めようとすると、首のつけねが痛くなるほどだ。城壁の外からでもよく目立った物見の塔は、まさに天をも貫かんばかりの迫力。
神殿を作るのに大トカゲの魔石を十個分使うとしたら、物見の塔は百個分くらいだろうか。
緻密に計算されて切りだされた同じサイズの石を、百メートルもの高さまでぴっちりと組み上げてある。ちょっとでもズレたらぐらっと傾いて、ジェンガみたいに崩れてしまうだろう。
魔石の力で固定してあるとはいえ、この上へ昇ることにちょっと不安を覚えつつ、僕は塔の中へ。
直径五メートルほどの灰色の円柱の内側には、どこまでも続く長い螺旋階段があった。
てっぺんの見張り台には、常時待機している兵士が三名。
その階段を毎日登り降りする兵士の皆さんは、門番と違って小柄な人が多いようで、軽快な足取りで降りてくる。
無事地上に降り立った彼らは、ギルマス氏の「心配するな」という一声に頷き、素直に塔を出た。
そこでようやく僕は、頭にかぶっていたローブのフードを外す。
昨日買ったローブはノエルに取られたので、行きがけにもう一着買った。というか、ギルマスさんにプレゼントしてもらった。
食堂で遅めのランチをゴチになり、その会計を済ませてもらっているとき「戻ってくるのが遅いなぁ」と思ったら、プレゼントの包みを用意されていた……この人がモテる理由がよく分かった。
「っていうか、ギルマスさんって実は偉い人だったんですね。ここの兵士さんは直接の部下じゃないんでしょう?」
「まあこの塔の目的は『死の霧』の監視だからな。北門のヤツらは城壁にへばりついて動かねぇし、結局は北ギルドの冒険者に頼るしかない。それにさっきの三人は元冒険者だから、余計俺には頭が上がらんってわけだ。稼げねぇときはちょくちょく飯をおごってやってたしな。あと怪我したときは看病してやったし」
「なるほど……それもモテる秘訣……」
と感心しきりで頷いていると、ギルマス氏は僕の背中をバシッと叩いて。
「じゃ、行ってこい。俺はここで待っててやるから、なるべく早めに戻って来いよ」
「あ、ギルマスさんも塔の外に出ててください。僕が戻るまで、けっしてこの扉を開けてはいけませんよ」
「……チッ、分かったよ」
という、鶴の恩返し的なやり取りをした後、いざ塔の攻略へ!
RPGの塔というと、ダンジョンと同じく罠が張り巡らされている危険なフィールドだ。でもこの塔はひたすらぐるぐる上るだけだし、ちょっと温い。
ゴブリンダッシュすれば楽勝だけれど、念のため壁や階段をチェックしながら進む。接着や結界の綻びがあれば軽く修復しつつ。
「それにしても、この塔はそうとうな年代物だな……一番目の『罪人の街』と同じくらいか。やっぱ人の手が入らないと、建物はボロくなるよなぁ」
毎日兵士が掃いているのか、塵一つない石段を眺めながら、僕は遠い古の時代へと思いを馳せる。
この塔が建てられた頃、世界はまだ平和だったのかもしれない。
城壁、神殿、そして物見の塔……それらを造ったのはたぶん魔術技師だ。比較的新しい北ギルドの結界とは明らかに違う。魔石の使い方に無駄がない。
その魔術技師が『ネムス人』なのかは分からないけれど……。
「神竜を殺すなんて、バカなことをしたもんだよな……まあ神竜の身体がそれほどスゴイってことなんだろうけど」
腰に差した麗蛇丸に触れながら、僕はぼんやりと考える。
賢者と名高いネムス人たちは、長い間西の果ての大陸に閉じこもっているという。この国が昔ながらの建物を使い、鳩を飛ばしている間に、独自の文化を発展させているんだろうか。
「いつか、行ってみたいな……」
と独りごちたとき、僕は頂上へ到着。天井板の一部が鉄扉になっていたため、そこをグッと持ち上げる。
四角く切り取られた空の色は、少しだけ明るさを取り戻していた。
……そうだ、この塔の上から西の方角を見てみよう。僕の視力なら世界の果てまでも見渡せるかもしれない。
「なんて、な。さすがに無理だよなー。ハハッ」
「何が無理なの?」
「うわッ!」
突然頭上からにゅっと現れた人の頭。
とっさに三メートルほど後方へ飛び退いた僕は、螺旋階段の縁に躓いてそのまま下へ転げ落ちそうになる。
「……ッ、やばい、超マヌケな死に方するとこだった……」
「ふふっ、キミって毎回同じことを言うのね」
天井板の向こうから、クスクスと楽しそうに笑いながら僕を見下ろしてきたのは――神出鬼没すぎていつか僕を殺しかねない、無邪気な天使だった。




