四十、探偵
僕のことを『お菓子小僧』だとズバリ言い当てて、上機嫌だったお姉さん。
しかし、犯人である僕が涙ながらに詳細を自白し始めると、その表情は一変。
「そうなの、そういうことだったのね……つまりユウ君は、王室御用達であり聖都オリエンスの至宝とも言われる『テラ・メエリタ』の焼き菓子を、“私のために”百個も購入してくれた……それを神殿の兵士の目をくらませるために惜しげもなくばら撒いた、と……フフフ……」
本当に、食べ物の恨みは恐ろしい。
というか、お姉さんは食べ物が絡むと性格が豹変するらしい。
「――ギルドマスター、今から私、神殿へ行ってまいります」
「お嬢、ちょっと待て、ひとまず落ち着けッ」
「止めても無駄ですわ。この街で唯一の『Sランク』である私ならば、ヤツらを根こそぎ潰すなど造作も無いこと。そうして己の行いを悔い改めさせるのですよ、地獄の底でね……」
ゴゴゴゴゴ……という効果音が聴こえそうな勢いで扉へ向かうお姉さん。
ギルマス氏が立ちふさがるも、残像すら見えない驚異的な速さのトゥキックにより撃沈。
北の守護神である隊長は、夏によく出る黒い虫のごとくカサカサと壁際へ逃げてしまった。
「――お姉さん、待って!」
そこで立ち上がったのは、なんとノエルだ。
精霊術師ならではの、慈愛に満ちた言葉でお姉さんの暴走を止めてくれるのか、と思いきや。
「ボクも行く……お菓子の恨み、晴らす……!」
……ノエルよ、おまえもか。
よく見れば、テーブルの上のドーナツはすでに空っぽだ。しかもその半分を食べたのがノエル。
昨日の夜はクルミ三粒でお腹いっぱいと言っていたはずなのに……これが『甘い物は別腹』というやつか。
僕はずきずきと痛むこめかみを押さえながら、怒れる二人の乙女をなだめるベストな呪文を唱えた。
「あのー、僕また買ってきますから」
ピタリ。
がっちりと握手をし、今にも外へ飛び出そうとしていた二人は強制停止。そして首から上だけをくるんとこっちへ向けて。
「ユウ君、本当?」
「ユウ兄、いつ?」
ほぼ同じリアクションながら、ノエルの問いかけの方がシビアだった。やはり苦労人は違う。
「日程はまだ決めてないけど、次に南へ行くとき寄ってくるから。まあ僕が直接お店へ行くのはマズイから、知り合いにおつかいを頼むことになるかな」
思い浮かべたのは、アクセ屋のお姉さんだ。
西地区の貴族にシャンデリアを売ったことがあると言っていたし、お菓子をおすそ分けすると言えば喜んで引き受けてくれるだろう。「お菓子小僧!」と爆笑されそうだけど、まあいい。
とにかく、今話すべきテーマはそれじゃなくて。
「えっと、確かに僕は『お菓子小僧』なんですけど、最初に言いたかったのは……」
つい言い淀んでしまう僕の気持ちを察したのか、隊長がきっぱりと告げた。
「坊主は、魔術技師なんだ」
「――魔術技師だとッ? そいつは本当か!」
真っ先に反応したのはギルマス氏だ。ノエルが精霊術師だと知ったときと同じ、いやそれ以上の熱量で食いついてくる。
すると隊長は、世界地図の貼られた壁にもたれかかり、波がかった前髪を乱暴に掻き上げながら不敵に微笑んで。
「ああ、気づいたのはこのオレだ。坊主自身は今一つピンと来てないようだが間違いない。広場からノエル嬢を連れ出すことができたのも、坊主がその力を使ったせいだろう」
「そうか、そうだったのか……俺はてっきり“ネムス人”だってことを白状するのかとばかり……いや、もしそれが本当ならとんでもないことだぞ。根拠はあるのか? ただ人よりちょっとばかし賢いってだけじゃねぇのか?」
「もちろんオレも最初は疑ったさ。だが実際に魔石を使って奇妙な魔道具を造りやがった。とにかく坊主のやることはめちゃくちゃだ。常識ってものが全くないし、話は意味不明だし、挙動不審になるし……このへんも全て魔術技師の特徴だな」
キリッ。
と、自信満々に語る隊長。なんだか、僕の悪口っぽく聴こえるのは気のせいだろうか。
「それに、坊主の行動は最初からおかしかった。うちの新米兵士も警戒したくらいだからな。なんせ邪竜が出た翌日の朝に徒歩でふらっと現れて、昼過ぎまで木陰からジーッとこっちを見てたんだ。それこそ『怪人』じゃないかと疑われていた」
……そうですか、あそこに隠れてたのバレてたんですか。
「そういやあの直後、坊主は精霊術師を一人覚醒させてたよな。あん時はいきなり堀へ飛び込みやがるし、空を飛んでも動じねーし、あのヘンタイ王子に噛みつくし、やたら仕立ての良い服を泥だらけにしたまま街へ行こうとするし、夜中にいきなり城壁の上を一周するって言い出すし、翌朝には武器も持たずに街道へ向かうし、ただの尖った石を武器だって言い張るし、その後あの木箱が……」
最初は「魔術技師をオレが見つけたんだぜ、ドヤァ!」みたいなテンションだったはずが、いつの間にか自分の手のひらをジッと見つめだす隊長。
もしかしたら隊長の目の下のクマの原因は、邪竜と僕の半々くらいかもしれない。いや、隊長たちは目下『謎のすばしっこい魔物』捜索中だし、心労の大半が僕のせいってことになる。
そんな隊長のテンションが移ったのか、ギルマス氏とお姉さんも顔を見合わせながらぶつぶつと呟きだす。
「うちのギルドでも、いきなり五ヶ国語を……」
「それに“アリス”を探すって……」
「人に魔力があることを知らないとか……」
「Fランクで鼻血……」
「――スンマセン、もう勘弁してください!」
と本気で土下座しかけたとき、一人置いてけぼり状態だったノエルが、僕の上着の裾をツンッと引っ張って。
「ユウ兄、魔術技師ってなに?」
ナイス助け舟!
僕は隊長にバトンを渡し、魔術技師のことを解説してもらう。最初は小首を傾げていたノエルも、例のスーパータライを開発した人のことだと言われて、ようやく納得できたらしい。
ピュアなノエルが「すごいすごい!」と瞳を輝かせたため、隊長たちのテンションはV字回復。
すかさず僕の傍へにじり寄ったギルマス氏が、老獪というか、どこかやらしい感じの笑みを浮かべて。
「なぁ坊主、こうして知り合ったのも女神様のお導きってヤツだ。この北ギルドのために一肌脱いじゃくれねぇか?」
「いいですよ。僕にできることなら」
「おおっ、そーかそーか! だがこっちには魔術技師に『できること』の範囲がさっぱり分からねえ。坊主の方でアイデアを出して欲しいんだが」
「はい」
「例えば――邪竜に対抗するために、坊主ならどうする?」
その瞬間、室内の空気が一気に引き締まった。もちろん僕自身の心も。
ここにいる全員がちゃんと理解している。魔術技師という大きな力を手にしたとき、立ち向かう相手はニンゲンじゃないと。
僕は以前から考えていたアイデアを伝えてみた。物見の塔から『空中結界』を生み出すことや、鳩に代わって遠距離間の連絡ができる道具のことを。
もちろん、その二つのプランを聞いただけで、皆はポカーン状態だったのだが。
「でもこれじゃ、根本的な問題解決には繋がらないんです。邪竜は何度倒しても復活する……しかも倒すたびにヤツは強くなっていく」
もし二匹の邪竜の力が組み合わさったら、僕にも対抗できるか分からない。
空を飛び、炎を吐かない邪竜。
球状結界の檻に閉じ込めたところで、時間が経てば壊されてしまう。麗蛇丸の“一刀両断”はどんな条件で発動するのか今のところ未知数だ。
「ひとまずアリ……コホン、この街の精霊術師と組めば、邪竜を撃退することは可能だと思います。ただ一刻も早く、邪竜が発生する原因を見つけなきゃいけない。あとは『死の霧』の浸食を抑える方法を探そうと思ってます。それが僕の『やるべきこと』です」
キリッ。
と言い放ったとき、大人たちは全員フリーズしていた。ノエルだけが「ユウ兄、カッコイイ!」と褒めてくれる。
一応伝える内容には気を使ったつもりだ。
アクセ屋のお姉さんから聞いた話――ネムスの竜使いの件は言わなかった。あと、この街のどこかに『神竜の身体』が持ち込まれたことも不確定だから黙っておいたし。
別に大したことは言ってないはずなのに、皆はなぜそんなに驚いているんだろう?
と、常識にやや欠けるところがあるという魔術技師の僕が、首を傾げたとき。
「――いや、コイツはたまげた!」
フリーズ状態を脱出したギルマス氏が、興奮しきりといった面持ちで僕の頭をぐしゃっと撫でた。
「坊主はこの街の救世主かもしれんぞ! なあ、北の隊長殿?」
「ああ、その通りだ。そもそも神殿がおかしくなり始めたのはここ一年くらいの話で、全ては『死の霧』への恐怖心から信徒が増えたのが発端。その原因を解決できるとなれば、状況はひっくり返る」
「よし、こうなったら坊主をここへ住まわせよう。それで手持ちの魔石を丸ごと預けて……」
と、具体的な話に進みかけたとき。
「――待ってちょうだい」
口を挟んだのは、僕の対面に腰掛けたお姉さん――裏のギルドマスター。
氷のごとき鋭い視線を向けられるのは、『お菓子小僧』のときに次いで二度目。僕はまたもやノエルの背中に半身を隠す。
「な、なんでしょうか……?」
「今の話には不自然な点がいくつかあるわ。例えばキミがこの街に現れたのは、一匹目の邪竜が倒された翌日。なのに二匹目の邪竜と比較するような言い方をしていたわね。あと二匹目が倒されたのは――倒されたかどうかも確認できていないけれど、その姿が目撃されたのは『死の霧』の傍よ。キミには邪竜の姿が視えたとでも言うのかしら?」
「ううっ……」
お姉さんの名探偵っぷり、パネェ。
あっという間に追い詰められた犯人の僕が「それは魔術技師の企業秘密です」と黙秘権を発動しようとしたところ。
魂までも射抜くような鋭い眼差しが、ふっと和らいだ。
そしてお姉さんは、母性愛を感じさせるような柔らかな口調で、囁いた。
「……分かってるわよ。どうせ全部『魔術技師だから』って言うんでしょう? ただね、キミは何もかもを背負いすぎだわ。このずうずうしいことこの上ないオッサンたちに骨の髄までしゃぶらせる必要はないのよ? キミにはこの街を守ることじゃなく、他に大事な目的があるんでしょう?」
「えっ……」
「自分で言ったのにもう忘れちゃったの? 『アリス』の家族を探すことよ」
その瞬間、きゅるんと音を立てて記憶が巻き戻った。
確かに前回この場所に来たとき、僕はその話をした。ネムス人と勘違いされて余計な争いの種になったらマズイし、指輪の件を片付けてさっさとこの街を離れよう、と。
しかし、今や状況は大きく変わった。
僕は髪を染めたり、こそこそ隠れたりしないことにした。それに僕がこの街にいようがいまいが、神殿との対立は避けられないし。
何より『アリス』の家族はこの街にいないことが判明した。だから僕は王都へ行こうと思って……あれ?
「あのー、隊長。なんかヘンじゃないですか? もしノエルが本当に精霊術師だとしたら、『例の条件』が崩れますよ?」
率直な疑問をぶつけると、隊長も神妙な面持ちで頷いて。
「ちょうど今、オレも考えていたところだ。ノエル嬢が例の条件を満たすのか……事と次第によっちゃ、この国にとっての大問題に発展するかもしれん。さっきの話には出て来なかったが、ノエル嬢の母親は……」
「――嫌ッ!」
ノエルが発した強い拒絶の声に、全員が固まった。
このメンバーに対して心を開いたかのように見えたノエルが、今は両手で耳を押さえて小さく震えている。
またもや『捨て猫』に戻ってしまったノエルの背中を撫でながら、僕はできるかぎり優しい声色で告げた。
「何か事情があるんだな……だったら言わなくていい。ノエルが話せそうになったらでいいから」
「ん……」
「ただ、一つだけ教えてくれないか? ノエルはこの国の『王都』に行ったことがある?」
僕の胸にしがみついたノエルが、ぷるぷると首を横に振る。遠巻きに見守っていた隊長も、深いため息を吐く。
「坊主の言うとおり、例の条件は崩れたかもしれん。この国の王族が――少なくとも国王や皇太子が王都を出ることはない。あのヘンタイ王子は例外中の例外だ」
「ってことは、ノエルの力は普通の精霊術とは違うのかもしれませんね。あとは先祖返りとか、突然変異とか」
ネムスとは何の関わりもない僕が『竜使い』と呼ばれたくらいだし、そういう不思議なことは充分起こりうる……と考えたとき。
「――待ってちょうだい」
本日三度目になるお姉さんの制止。氷のごとき冷ややかな眼差しは、僕とは正反対の方向へ。
ロックオンされた隊長は慌てて逃げ……られなかった。
隊長の前へ瞬間移動したお姉さんが、魔物の牙のごとく研がれた爪を獲物の首筋へと押しつける。ちょうど頸動脈の位置へ。
「そういえば、最初の質問の答えを聞いていなかったわね。貴方、クソ神殿のクソ枢機卿と密談をしたっていうじゃない……何を話したか、今すぐ吐きなさい?」
……この瞬間、聖都オリエンスで最強の人物が決まった。




