三十九、暴露
――僕が、人を殺す。
まるで冗談みたいな話だった。ノエルがこんなにも悲しそうな瞳をしていなければ、「何言ってんだよ」と笑い飛ばしていたかもしれない。
でも、心のどこかで納得できる自分もいた。
ノエルが生きていたからこそ、僕は『神殿のヤツらをぶっ潰す』だなんて生温いことを言っていられた。あくまで『お灸をすえてやる』というレベルの話を。
もしあのままノエルが死んでいたら……僕はもっと苛烈な手段を取った気がする。
例えば人気のない深夜、ヤツらを拉致して東門の外へ放り出す。冒険者でさえうかつに足を踏み入れない、死の霧の傍へ。
弱肉強食という世界の中で、弱者の命を弄んではしゃいでいたヤツらには、おあつらえむきの舞台だ。
僕自身が手を汚すこともない。全ては魔物たちに任せればいい……。
なんてことを、僕は一瞬でイメージした。何のためらいもなくそれを実行する自分の姿がハッキリと視えた。
……たぶん僕の中には、魔物が潜んでいる。
ソイツはアリスが危惧したとおりの恐ろしい魔物だ。やろうと思えばこの街を丸ごと潰せるくらいの力がある。
そして、僕は引き金に指をかけ続けている。「この街を守りたい」とか「ニンゲンとは争いたくない」と表向きは平和主義なフリをしながら、裏ではずっと……。
「ユウ兄……」
「うん、ゴメン。ノエルの言うとおりだ」
ふうっと大きく息を吐き、自分の手のひらをジッと見つめる。
僕がこの手で守れる人の数は限られている――いや、僕が『守りたい』と思える人たちの種類は、すでに決まっている。
「……僕はそれほどできた人間じゃない。僕にとって大事な人だけが生き延びられたらそれでいいと思ってるんだ。冷たいかもしれないけど、他のヤツらがどうなろうが構わないって」
もちろん最初はそんなこと全く考えていなかった。とにかく誰でもいいから人と出会いたかったし、この街を守る覚悟で『黒竜』に立ち向かった。
だけど……ニンゲンは綺麗なばかりじゃないと気づいてしまった。悪人を守ってやる必要はないと。
――魔物以下のクズは切り捨てる。そして僕の大事な人を傷つけた相手に、容赦はしない。
そう考えて、手のひらを強く握り締めたとき。
「ユウ兄、ダメ」
握り拳にそっと添えられた、ノエルの小さな手。両手で包むように触れるその手の温もりが、頑なな僕の心を解きほぐしていく。
「ノエル……」
「ユウ兄はまちがってない。皆そうして生きてると思う。でも、ボクは嫌。ボクのせいで、誰かが死ぬのは嫌なの……!」
悲しげに潤んでいた瞳はついに決壊した。薄紅色の頬にはつうっと涙の雫が伝う。
零れ落ちた涙の意味は、混じりけのない純粋な想い。
……ノエルはあの兵士たちを恨んだりしていない。自分の命を弄ぼうとしたクズなのに、むしろヤツらの命を案じているんだ。
これほど純粋な心の持ち主が、精霊に好かれないわけがない。
「そういえば、前に王子が言ってたっけ。精霊術師が“覚醒”するための条件は、自分のせいで誰かの命が奪われそうになること、って……」
つまりノエルの意見は正しかった。
僕の勝手な正義感が――ヤツらに報復しようとしたことが、秘められたノエルの力を呼び覚ました、というわけだ。
だけど、僕にだって絶対に譲れないものがある。
「ゴメンな、ノエル……僕はもうノエルのことを本物の妹みたいに思ってるんだ。だからノエルに何かあったら冷静じゃいられない。ノエルが嫌がっても、きっと止まれない」
きっぱりと告げると、ノエルは長いまつ毛を震わせ、大粒の涙をポロポロと零した。
嗚咽を漏らすまいと声を押し殺すその姿は、僕の庇護欲をこれでもかというほどそそる。小さくて痩せっぽちなノエルはまるで捨て猫みたいだ。
拾った捨て猫を、中途半端に放り出すような真似はしたくない。せめてノエルが安心して暮らせる場所へ連れて行ってあげたい。
僕は覚悟を決めて告げようとした。「一緒に王都へ行こう」と。
エメラルドの瞳が、ふっと脳裏を過る。
神殿にコントロールされ、いいように利用されているアリスのことを、僕は解放してあげたいと思った。
でもたぶんアリスは僕に付いてきてはくれない。アリス自身、逃げたいなんて微塵も思っていないはずだ。
――この手で抱えられるのは一人だけ。今は危うい立場のノエルを選ぶのが最善の選択。
しかし、その決意はあっさり覆されることになる。
紡ぎかけた言葉は、顔を上げたノエルの強い眼差しに止められた。
それは何度鞭打たれてもけっして挫けなかった、誇り高い『冒険者』の顔で――
「ユウ兄の気持ちは、よく分かった……だったら、ボクは死なないことにする」
「えっ」
「精霊に、ボクを守って欲しいってお願いしてみる。ボクだけじゃなく、ユウ兄の大切な人たちも」
「ノエル……」
「ボクはもう二度と、ユウ兄を悲しませることはしない。だから心配しないで。ユウ兄は、ユウ兄のやりたいことをやって」
「……ッ!」
まるで雷に打たれたかのように、心が震えた。
ノエルは一方的に守ってあげなきゃいけない可哀想な女の子じゃなかった。それどころか、僕の背中を押してくれるほどのパワーの持ち主だった。
……どうやら僕は、いつの間にか驕りたかぶっていたみたいだ。
「うん、そうだね。この街のことはノエルたちに任せる。僕は僕のやりたいことをやるよ」
今はニンゲン同士のトラブルに関わってる場合じゃない。“縄張り争い”があるとしても当事者に任せておけばいい。
僕にはやるべきことがある。
まずはこの街に隠された『神竜の身体』を取り戻し、邪竜の魂を成仏させる。できれば死の霧への対策も考える。
街の人たちが安心できる環境になったら、王都へ行って『アリスの指輪』を家族へ届ける。
そして、その後は――
「そっか……帰らなきゃいけないのか」
「ユウ兄?」
「ああ、うん。今気づいたんだ。僕も意外と心配性だったんだなって」
心に吹き抜ける嵐のような寂寥感。それをごまかすべく、僕は無理やり微笑んでみせた。
本当に、心配する必要なんてない。
清らかな心を持つ『女神の愛娘』がいてくれるなら……彼女たちが人々を正しい場所へ導いてくれるとしたら、きっと大丈夫。
――たとえこの世界から、僕がいなくなったとしても。
◆
「……で、今の話はいったいどういうことだ? 隠し事があるなら全部白状しろや、なぁ坊主?」
高級そうな葉巻をブーツの先で踏みつぶしていることにも気付かず、ギルマス氏がこっちへズイッと迫ってきた。ぎょろっとした瞳の奥には、ふつふつと湧きあがる怒りの炎が視える。
さっきまで気丈に振る舞っていたノエルは「ぴゃっ」と鳴いて僕の背中に隠れてしまった。どうやらギルマス氏のことが本気で苦手なようだ。
彼も一応僕の『大事な人リスト』の中にギリギリ含まれるんだけど……まあこの人は絶対死ななそうだから大丈夫か。
「えっと、それじゃ僕の方から簡単に説明させてもらいます」
念のためお姉さんと隊長にアイコンタクトを取り、「任せる」と頷いてもらってから、僕は語り出した。なるべくギルマス氏を刺激しないよう、マイルドに加工した感じで。
それでも、その瞳の炎はメラメラと燃え盛るばかり。
ノエルの生い立ちと、男として生きてきたところまではまだ良かった。
しかし『娼館』のくだりでは口の端をひくひくと引きつらせ、額にピキッと青筋が浮かんだ。詳しい事情を知らなかった隊長も、ほぼ同じリアクション。
そして例の事件に触れたとき……案の定、堪忍袋の緒が切れた。
「――っざけんな! 今すぐヤツらを殺す! ぬっ殺す!」
ソファからガバッと立ち上がり、部屋を飛び出そうとするギルマス氏。
「待てよ、親父!」
真っ先に立ちはだかったのは隊長だ。
てっきり止めてくれるのかと思いきや、「オレも手伝うぜ!」と宿敵へサポートを申し出る。がっちり握手をする姿は非常に暑苦しい。
「貴方たち、少し落ちつきなさい」
脳筋親子の暴走を止めてくれたのは、やはり頼りになるお姉さん。目にもとまらぬ早業で二人の前に滑り込むや、固い木靴に包まれたつま先によるトゥキックをカンカンッと二連発。
「「グフッ……」」
とユニゾンでうめいて床へ膝をつくオッサンたち。ギルマス氏も今度ばかりは演技じゃないようだ。
二人が両手で押さえている場所は、いわゆる男の急所にあたる部分で……。
「汚いモノを見せちゃってごめんなさいね、ノエルちゃん。さあユウ君、続きをどうぞ」
ニコッ。
と微笑まれて、僕は思わずポッとなってしまった。
これはいわゆる『吊り橋効果』というものなんだろうか。お姉さん、強くてカッコ良くて素敵です……。
「じゃあ、ここから先は僕目線の話をしますね」
床にうずくまるオッサンたちの代わりに、僕らの正面のソファへ腰かけたお姉さんに向かって、僕はざっくりと語った。
ノエルが魂の状態で眺めていたという、決死の救出劇のことを。
「神殿の兵士たちは七人、舞台の周りには千人以上の市民が取り巻いてました。僕はノエルを強引に連れ去ろうと考えたんですが、そのときちょうど“物見やぐら”の上からノエルを心配する声が聴こえたんです。そこにいたのはノエルの兄貴分のバジルって男の子でした。それでバジルに『おとり』として騒いでもらって、ヤツらの注意を逸らしている隙にノエルを奪還した、というわけです」
お姉さんは何やら考え込むように「うーん」と唸る。
床の上であぐらを組み、神妙な面持ちで話を聴いていたギルマス氏と隊長は、やたらと熱い眼差しで「グッジョブ!」と親指を立ててくる。
その先のことは、すでにある程度伝わっているはずなので、さらりと触れるのみ。
「僕は『死ぬな』って声をかけながら、重傷のノエルを抱えて街を走りました。たぶんそのときの僕、めちゃめちゃ怒ってたと思います。その声にノエルの魂が反応して、精霊術師として覚醒した、ということです」
こうして振り返ってみると、まさに奇跡的なタイミングだったと思う。誰も傷つけることなく――ノエルの心を穢すことなく、ピンチを脱出できた。
というより、これは神様が仕組んだ『ノエル覚醒イベント』だった気がしないでもない。
イベントを無事クリアした結果、市民たちは神殿にこびへつらうことなく、安心して怪我や病気を治してもらえる『医者』を手に入れたってわけだ。
この結果を誰よりも喜んだのは、やはりギルマス氏で。
「いや、コイツはたまげた! 坊主が南へ行くっつったときは、ぶらっと観光でもしてくるのかと思ったが、まさかこんな展開になるとはなぁ。この先お嬢ちゃんには『治癒術師』としてひと肌脱いでもらうことになるわけか。神殿のヤツらとドンパチやってる北ギルドにとっちゃ非常にありがたい話だ。なあ、北の隊長殿?」
「ああ、だが神殿には気づかれないように細心の注意を払わねばならん。やはり坊主とノエル嬢の身柄は、北門の兵舎で匿って……」
と、具体的な話に進みかけたとき。
「――待ってちょうだい」
口を挟んだのは、僕の対面に腰掛けたお姉さん――裏のギルドマスター。
細い眉をキュッと寄せ、涼やかな瞳をギラつかせながら僕を凝視してくる。ビビッた僕は、慌ててノエルの背中に半身を隠す。
「な、なんでしょうか……?」
「今の話には不自然な点がいくつかあるわ。例えば千人もの人が集まる騒がしい広場で、物見やぐらの上の声を拾ったとか、いくら注意を逸らしたとはいえ、七人の兵士の目を盗んでノエルちゃんを連れ去ったとかね」
興奮していたギルマス氏も「なるほど、そりゃそうだ」と素に戻る。
僕は隊長をチラッと見やった。すかさず「分かってる」とでも言いたけな顔で頷いてくれる。
ここにきてようやく、僕の『秘密』を暴露する流れになった。
ノエルは“男神様”だなんて大げさな言い方をしたけれど、実際はそんなんじゃない。ただちょっと力が強いだけの――特殊な魔石の使い方をできるだけの魔術技師なんだ。
僕はお姉さんとギルマス氏、二人の顔を交互に見つめた後、おずおずと口を開いた。
「あのー、実は僕、ちょっとした特殊なキャラっていうか……」
「ふっ、皆まで言わずとも分かるわ」
自信に満ち溢れた声でそう断言し、お姉さんは優雅なしぐさで足を組みかえた。
そして、あたかも銃口を向けるかのように、人差し指をピシッと突きつけて。
「謎は全て解けたわ。怪しげな今朝の態度、持ち込まれたドーナツ、そして“物見やぐら”というキーワード……キミの正体は――怪人お菓子小僧ねッ!」
キリッ!
……と完璧なドヤ顔で告げたお姉さんのことが、やっぱり好きだなぁと僕は思った。




