三十八、断罪
僕が言うのもナンだけど、ノエルって子は本当に不器用だと思う。
そもそもノエルが男のフリをするようになったのは、父親に命じられたせいだ。
旅をする間はその方が都合良かったとしても、この街では女の子として生きた方が楽に決まっている。
もし女の子だとカミングアウトしていれば、部屋と仕事を用意されて何不自由なく暮らせたはずなのに、ノエルはそうしなかった。冒険者として生きようとした父親や、バジルたちをサポートをするために。
しかし、父親は亡くなり、拾ってくれたバジルたちの生活も苦しくなり……ノエルは苦渋の選択をした。
確かに娼館へ行けば、手っ取り早くお金を稼げる。僕自身もアクセ屋のお姉さんに『誤解』されたくらいだし、南ではそういう手段を取る子どもが増えているんだろう。
だけど、運命の神様はノエルの選択を撥ねつけた。
親切な『お客さん』に助けてもらって、普通の道へ戻されたはずが……ノエルはまたもや不器用なせいで損をする。
店番のお姉さんに事情をうまく説明できず、公衆の面前でスリ扱いされてしまった。さらに、せっかく手に入れたお宝も通りすがりの僕に奪われ、身内である家族にも「掟を破った」と誤解され……。
その後はさらに悲惨なルートを辿る。
「それからボクは、もう一度娼館に行ってみた……そしたら、入口のところに神殿の兵士がいた。あの人たち、娼館を追い出されたみたいで、すごくイライラしてた。それで、ボクにわざとぶつかってきて、『お金を盗られた』って騒いで……」
当時のことを思い出したのか、震えながら俯いてしまうノエル。
傍に寄り添うお姉さんの表情は、今までに見たこともないくらい硬い。涼やかな瞳は、不安と怒りが混ざったような暗い雨雲の色をしている。
きっと隊長からは「ノエルという名前の女の子を保護した」とだけ聞かされて、詳しい事情までは知らされていなかったんだろう。
それでも、野蛮な兵士たちに絡まれたノエルにいったい何が起きたのか……聡明なお姉さんには、すでに想像がついているようだ。
ピリピリとした空気の中、ノエルは真実を告げた。
「……ボクは、神殿の人からお金を盗んだ大罪人だから、『公開処刑』するって言われた。広場に連れて行かれて、街の人たちを集められて、手錠を嵌められて、背中を鞭で打たれた……」
「ノエルちゃんッ!」
落ち着いた大人の仮面を脱ぎ捨てたお姉さんが、ノエルをギュッと抱きしめようとして――寸前で躊躇する。今告げられたばかりの『背中の傷』を慮って。
そんなお姉さんの瞳を真っ直ぐに見つめながら、ノエルはゆっくりと立ち上がり……ずっと被っていたフードを落とした。
暗い雨雲の下でも、まるで陽光を浴びているかのようにキラキラと輝く亜麻色の髪を、堂々と見せつける。
「ノエルちゃん、その髪……!」
「ユウ兄……背中も、見てもらっていい?」
「ああ。隊長たちは許さんが、お姉さんなら許可しよう」
紳士な僕はさりげなく顔を背け、壁に貼られた世界地図をぼんやりと眺める。
ノエルがローブを脱いでチュニックをたくしあげる衣擦れの音や、お姉さんが大きく息を飲む音、そして全てを理解したといった深いため息を聴いた後、そろりと顔を戻すと。
「信じられない……まさかノエルちゃんが『女神の愛娘』だなんて……!」
わずか一分ほどの間に立場は逆転。泣きそうな顔をしているのはお姉さんの方だった。
それは悲しみの涙じゃなく、喜びの涙。震えるノエルの肩を支えていたお姉さんの手は、今や神様に祈るように胸の前で組まれている。
……この話はドーナツを買いに行く途中、ノエルと打ち合わせした『嘘』だ。
ノエルが精霊術師、もしくはそれに準ずる存在だってことは正直に伝える。ただ背中の傷もノエル自身が治したことにする。
さらにもう一つ、大事な打ち明け話を――と思ったところで、ドアの向こうからドタバタという乱雑な足音が聴こえてきた。
「マズイわ! あの脳筋親子に、ノエルちゃんの肌を見せるのは超危険!」
とろんと蕩けていたお姉さんの表情は一変。すかさずノエルにローブを羽織らせるや、ドアの脇に仁王立ちするという臨戦態勢へ。兄貴分である僕の出る幕はナシ。
それにしてもこのお姉さん、女の子にはこれほど優しいのに、男にはやたらと厳しいのはなぜだろう。やはりあの上司のせいだろうか……と、どうでもいいことを考えていると。
「――ドゥリャッ!」
「ぐはぁ……ッ」
ノックもされずに扉が開かれ、もつれ合いながら転がりこんできた二人のオッサン。
タッチの差で早かったのは、やはりこの建物を熟知した方。その手には二枚のカードキーが握られている。
「これで勝負は俺の勝ち、だなッ!」
「おま、オレの、結界中和剤、奪っ……」
「こっちはお前より二十も年食ってんだ、ハンデだよ、ハンデ!」
「ざけんな、てめぇ、オレを、殺す気か……ッ」
という暑苦しいやりとりの結果、快適だった室内の温度は一気に急上昇。
双子みたいにそっくりな顔をしたオッサンたちは、血と汗と埃にまみれた小汚い身体で、綺麗に磨かれた床の上へゴロン、と。
デカイ男二人が大の字で寝転ぶと、それだけで足の踏み場が無くなってしまう。もしここにシュレディンガーがいたら、ガタッと反応しているに違いない。
「……人が真面目な話をしているときに、いったい何をしているんです、貴方がたは」
豊かな胸の前で腕組みをし、氷の刃のごとき視線を足元へ落とすお姉さん。
隊長はビクッとするだけまだ可愛げがある。というか、夏によく出る黒い虫みたいにカサカサと壁際へ逃げ出すあたり、ちょっと情けない。
一方ギルマス氏は、さりげなくロングスカートの中を覗きこもうと体勢を変え――みぞおちに強烈なローキックを食らう。
いや、食らったフリをして大げさに痛がってみせる。サッカーの試合でよく見かけるパフォーマンスだ。相変わらずやることがえげつない。
「ユウ兄……」
「うん、ノエルはああいうダメな大人にならないようにな」
僕の隣のポジションへ戻ってきたノエルに教育的指導をしている間、斜め前では邪竜の炎のごときお姉さんの叱責が炸裂。
ギルマス氏がしっかり「ゴメンナサイ」した後、ミーティングは再開された。
二人掛けのソファの一方には僕とノエル、対面にはギルマス氏が腰かける。お姉さんはノエルを庇える位置で仁王立ち。敗者の隊長は床に座るというポジションにて。
「……で、そこのちみっこい坊主が、なんだって?」
開口一番そう告げたのは、この中でもっとも事情に疎いギルマス氏だった。
手にした葉巻の先で指し示した相手は、当然ノエルだ。
魔物レベルの魔力を持ち、炎の精霊をも従えるという恐ろしい眼光の持ち主にじろりと睨まれたノエルは、ぷるぷるしながら僕の背中へ半身を隠す。
「ギルマスさん、この子は……」
坊主じゃなくて女の子ですよ、というシンプルな説明は、お姉さんの冷徹な声に掻き消される。
「どうやら貴方の目は腐っているようですね。今すぐその目玉を取り出して洗っ――いえ、このままで構わないのかもしれません。あの子が『坊主』に見えるということは、貴方の異常な性的嗜好が治りかけている証。これはとても喜ばしいことですわ」
という毒舌が大きなヒントになった。
真相に気づいたギルマス氏は、ローテーブルに両手をつきグッと前のめりになる。
「おおっ? なんだなんだ、よく見りゃ可愛いらしいお嬢ちゃんじゃねーか。今はちみっこいが磨けば光る逸材だな。お嬢ちゃん、なんなら俺んちで家政婦でもし」
「――嫌ッ!」
……と、大人しいノエルが初めて声を荒げた。
鞭で打たれても悲鳴を上げなかったというのに、この拒絶反応……きっとギルマス氏の中に渦巻くヘンタイの血を察したんだろう。
可愛い女児に思いっきり嫌われてしょんぼりと肩を落とすギルマス氏に、「ざまぁ」とでも言いたげな微笑を浮かべたお姉さんは、スッと一歩前へ。
鋭い視線が向かった先には、隊長の姿が。
「先ほど彼女の口からおおまかな事情は伺いました。ただ不可解な点がいくつかあります。まずは彼女のように希有な存在が、市井の中に紛れていた点について見解をお訊きしたい――精霊術師について、枢機卿との『密談』を行った貴方に」
「……ッ!」
お姉さんの爆弾発言に、あぐらをかいた姿勢のままダルマのように固まる隊長。
そしてギルマス氏も、咥えかけていた葉巻をポロリ、と。
「……おいおい、なんでお嬢がそんなことを知ってるんだ。つーかてめぇ、そんな大事なことをなぜ俺に報告しなかった? そもそも『北エリアを守るべく共同戦線を張ろう』っつって頭を下げてきたのはてめぇの方だろーが!」
お姉さんとギルマス氏、二人から詰め寄られた隊長は慌てて正座になり弁明を。
「いやっ、それはオレが枢機卿殿から直々に頼まれた男と男の約束であり、『誰にも口にしてはならない』と誓っ」
「お前のそういうところがオレは嫌いなんだ。何が男と男の約束だ、うぜぇ」
「相手が敵であろうが、誰にでも良い顔をしようとする――そういうところが女性にモテない最大の理由です。頬の傷など関係ありません」
「グフッ……」
二人からの――特にお姉さんからの攻撃でヒットポイントをガリッと削られた隊長は、再び床の上に倒れ伏す。
しかし、そこに一人の救世主が現れた。
「――隊長さんは、関係ない」
大人たちの中で怯えることもなく、すっくと立ち上がるノエル。
先ほどギルマス氏にビシッと意見して一皮剥けたのか、今までと違うしっかりした口調で言い放つ。
「ボクはずっと、ただ魔力が無いだけの役立たずだった。精霊の声が聴こえたのは、昨日の夜が初めて」
「えっ、ノエル、そうなのか?」
思わず反応した僕に、ノエルはこくんと頷いてみせて。
「うん……ボクはたぶん、元々こんな力は無かった。ユウ兄に出会って、命を助けてもらったから、この力が生まれた」
「いや、ちょっと待て。確かに怪我したノエルを運んだのは僕だけど、そのせいで“力”が生まれたってのは、さすがに話が飛躍しすぎだろ」
「ううん、違う。この身体を助けてもらったのとは違う。ボクはあのとき、ユウ兄のすぐ後ろにいたの。ユウ兄の頭の上に」
「僕の頭の上?」
「そう。魂になって、ユウ兄の声をずっと聴いてた。『死ぬな』って言ってくれてる声――男神様の声を」
それはとても不思議な言葉だった。
魔術やら精霊やら、今までの常識とはかけ離れたファンタジックなルールには、すっかり慣れたはずだったのに。
邪竜のことを『神竜の亡霊』と教えられたときも、同じような感覚になった。アリスが半透明の姿で僕に会いに来たときも。
僕の目には映らない、何者かの糸に操られるかのように、ノエルは言葉を紡ぎ続ける。
「昨日、ボクはユウ兄に『身体と魂』の両方を助けられた。目が覚めたときは、ホントに嬉しかった。だけど、すごく怖かった。ユウ兄のことが……男神様のことが、すごく怖かった」
「怖いって、どうして……」
問いかけた声は、ひどく掠れていた。
そのときの僕は、自分を『男神様』と呼ばれたことも、この会話を一言も聴き逃すまいと耳を傾ける大人たちのことも、全て頭から飛んでいた。
ただノエルが放つ決定的な言葉を――断罪の言葉を待つことしかできなかった。
そして三秒後、悲しげに目を伏せたノエルは、ぽつりと呟いた。
「もしあのままボクが死んだら、ユウ兄は――あの兵士たちを全員殺すと思ったから」




