三十五、発覚
「いいか、ノエル。今から会う人は北門の隊長さんだ。ちょっと顔は怖いけどすごくイイ人だから、ちゃんと挨拶するようにな」
「ん……」
まだ眠たそうに目を瞬かせるノエルの手を引き、僕は北の繁華街から兵舎へ続く道を歩いていた。夕方の乗り合い馬車で北へ戻ってきた、という体を装って。
隊長にはあまり嘘をつきたくないけれど、さすがに重傷の怪我をサクッと治したとは言いにくい。その点をノエルに念押ししておく。
「さっき治したノエルの傷は、あくまで『古傷』ってことにさせてもらう。今日神殿の兵士に襲われてたのは別の子で、僕らはその子を助けて逃げてきた……って感じで、口裏合わせるのよろしくな」
「ん、分かった……ユウ兄、あの明るいところが兵舎?」
「そう、あの明るいところ……って、アレ?」
ノエルが指差した先を見やると、なぜか異常なまでに明るい。ランタンとは違う、燃え盛る炎の明かりだ。
兵舎の前でキャンプファイヤーでもやっているのか、それとも火事にでもなったのか……と不安を覚えつつ近寄ると、そこには何本もの松明を掲げた兵士の皆さんと、心配そうにうろうろする隊長の姿が。
「――おお、坊主! 無事に戻ってきたか! あまりにも帰りが遅いから、ちょうど今“捜索隊”を結成したところだったぞ!」
目の下に濃いクマをつくった隊長がダッシュで駆け寄り、僕の頭をわしわしと撫でる。駆り出された兵士の皆さんはホッとため息を吐く。
きっと“護衛”をやらされたときもこんな感じだったんだろう。うちの隊長が心配性で、どーもスミマセン……。
と、すっかり隊長の家族目線になって頭を下げたとき。
「ん? このちみっこいのは何だ?」
熊のようにゴツイ手が、僕の背後へにゅっと伸ばされた。そこに隠れていたのは当然ノエルなのだが。
「……あぅ……」
ノエルは亀のように首を縮こませながら、僕の腕にギュッとしがみついた。単なる人見知りというレベルじゃなく、本気で怯えているようだ。
その理由はすぐに察した。
今から仕事へ向かう隊長たちは、鈍い銀色の軽鎧姿。そのシルエットはノエルに鞭打った神殿の兵士を彷彿とさせる。
僕はノエルを庇うように、さりげなく立ち位置を変えた。
「すみません、ちょっとした事情がありまして、南でこの子を保護してきたんです。今日は疲れてるので休ませてやっていいですか? また朝になったらちゃんとご説明します」
「分かった。坊主も昨日から寝てないんだろう? 仕事明けに来るから風呂に入ってゆっくり休んでてくれ。風呂は貸し切りにしてやるから、すぐに入れよ。二人分の着替えも用意させとくからな」
熟練の兵士の勘を働かせたのか、隊長は怯えるノエルから一歩引いてくれた。そして背後に並んだ兵士たちに向き直るや、
「お前らは今から『死の霧』の捜索だ! 今夜こそあの小さくてすばしっこい“謎の魔物”を捕まえるぞ!」
と言って、意気揚々と去っていった。
……スミマセン、いくら探しても犯人は見つからないと思います。灯台もと暗しです。
罪悪感に苛まれつつ捜索隊の皆さんを見送っていると、すぐ後ろから蚊の鳴くような声が。
「ユウ兄……ごめんなさい……」
「ん、どうした?」
「挨拶、できなかった……」
僕のチュニックの裾を掴んだまま、ぽつりと呟くノエル。捨て犬みたいに頼りなげな瞳を見るだけで、なんだか胸がキュンとなる。
「隊長は優しいから大丈夫だよ。とにかく今日は休もう。僕と一緒の部屋でもいいか?」
「ん……」
それから玄関前で僕を待ち構えていたシュレディンガーをなでなでし、以前泊まらせてもらった空き部屋へ。
先に風呂へ入って着替えを……と思っていたはずが、ドアを閉めて荷袋を下ろすと同時、耐えがたい疲労感に襲われた。
温かい『抱き枕』と一緒にベッドへと倒れ込んだ僕は、朝まで泥のように眠った。
◆
「くぅー、気持ちいい! やっぱり朝風呂は最高だなぁ……って、ノエル、どーした?」
頭からザパァンッとお湯を被った僕は、広い浴室の隅っこでぷるぷる震えているノエルを発見。手招きして傍へ呼びよせる。
早朝の大浴場にはまだ誰もいない。お互い下半身にタオルを巻いただけの『裸の付き合い』だ。
知り合って間もないけれど、僕にとってノエルは立派な弟分。昨夜は一緒の布団で寝たくらいだし、別に馴れ馴れしすぎるってこともないだろう。
なのに、なぜかノエルは怯えている。
脱衣場では、傷だらけの身体のことでちょっと驚かせてしまったけれど、「もう痛くないから大丈夫」と何度も言って宥めたし、他には怖いことなんて無いはずなのに。
「ノエル? 早く湯浴みしないと風邪引くぞ?」
「ユウ兄、あの……ボク……」
胸の前で両手を合わせ、なぜかもじもじするノエル。
そして、薔薇の花弁のごとき唇から、衝撃の告白が!
「ボク、お風呂入るのって、生まれて初めてで……」
「――ッ?」
まさか、と思ってまじまじとノエルの身体を見ると……そこには立派な“ゴブリン”がいた。ほわっとした湯気のエフェクトやら、天使のような面立ちを除いたとしても、確実にゴブリン。
そういえば、昨夜隊長が「今すぐ風呂に入れ」としつこく言っていたなと思い出す。ハイスペックな嗅覚がまたもや機能不全に陥っていたようだ。
恥ずかしそうに前髪をいじるノエルに、僕は訊ねた。ある意味答えの分かっている問いかけを。
「えっと、風呂に入ったことが無いって、今まではどうしてたんだ?」
「雨が降ったときに、外で身体を擦ったり……だから、そんなに汚くはない、と思う」
「そうか……」
ヤバイ、泣ける。
僕はノエルを隣に座らせ、風呂の入り方を教えてやった。何度掬ってもキレイなお湯が出るスーパータライの仕組みと、手桶の使い方と、石けんの泡立て方を。
それでも遠慮ぎみに、ぱちゃぱちゃとしかお湯をかけないノエル。見ていられなくなった僕は、ノエルの『トリミング』に着手した。
じたばた暴れるノエルに「怖くないよー」と囁きかけつつ、頭のてっぺんから足の先へ向かってワシャワシャと洗い出す。
ノエルの肌に触れたとたん石けんの泡が真っ黒になり、代わりに肌の方はみるみるうちに白くなる。あたかもゴボウの皮をピーラーで剥くように。
「うーん、やっぱりこの肌の色は日焼けじゃなかったか……お前かなり色白だったんだな。それに髪だって、レンガ色じゃなくてもっとキレイな色だ。こういうの亜麻色っていうのかな? 細くてサラサラだし、なんかキラキラ光って……あれ……?」
背中の傷跡を除いたノエルの上半身を完璧に磨き上げたとき、僕はとある違和感に気づいた。
鶏がらみたいに骨ばった身体は、抱き上げたときの印象通り。
なのに、サラサラの髪がまとわりついたうなじから胸にかけてのラインだけ、妙に肉付きが良いというか、他の部分が骨っぽいのにそこだけがノーマルというか。
……チラッ。
真下を見やると、ノエルの腰に巻いたタオルが濡れてぴったりと肌に張り付いていて、その部分に浮かび上がるべき物体が見当たらない、ような……。
「あのー、ノエルさん。つかぬことをおききしますが」
「ん……?」
「お前って、バジルの“弟分”だよな?」
「うん……」
「妹だったら“妹分”になるよな?」
「ううん……うちの兄弟は、全員男だよ」
「そっか、そりゃそうだよな、ハハッ!」
「だからボク、ずっと隠してた……」
「へっ?」
「拾ってもらったとき、『男』だと思われてたから……皆と一緒に、川で水浴びしたりしないように、気をつけてた……」
「そっか……」
「ん……」
小さく頷いたノエルの頬がうっすらとピンクに染まる。それはお湯で温まったせいか、それとも大事な『秘密』を打ち明けたせいか。
あまりにも儚げな、ガラス細工のようなその横顔を見つめながら――僕はゆっくりと後ずさる。他の部分には絶対目を向けないよう細心の注意を払いつつ。
……ノエルの人生は、きっと苦労の連続だったことだろう。
十二歳の女の子が、男所帯の中で性別を偽って生きて行くのは大変だ。家族と引き離すのは心苦しかったけれど、むしろこれで良かったのかもしれない。
これからは女の子として生きていけるように、全力でサポートしよう。まずは可愛い服を買ってあげて、あとは髪を結ったり、甘いお菓子を食べさせてあげたり……。
「ん、ユウ兄……?」
「――こっちを向いてはいけません。あと十秒そのままの姿勢で!」
男装の美少女と一緒にお風呂なんて、あくまでご都合主義なラノベの話だ。だから速やかに現実へ戻らねばならない。
僕はけっしてラノベの主人公などでは――
「あっ!」
「ユウ兄……ッ?」
気づけば僕の身体は、泡だらけの床でつるん、と。
そして、慌てて立ち上がったノエルの腰からタオルがハラリ、と……。
……。
……。
……どうやら僕は、ラノベの主人公だったようです。




