三十一、暴力
「えー、本当に帰っちゃうの? せっかくだからうちに泊まっていこうよ!」
太陽の光を浴び、腐肉がキレイさっぱり落ちてニンゲンに戻ったお姉さんは……やっぱり可愛かった。ツンと唇を尖らせ、捨て犬みたいな顔で僕を見つめてくる。
ここはまだ南門のすぐ傍で、周囲にはたくさんの人がいるというのに――そのうちの数名が「若い人たちはいいわねぇ」なんて囁きながらこっちをチラチラ見ているというのに、こんなにも直球の『お誘い』を受けるなんて、めちゃめちゃ嬉し恥ずかしい。
……まあその中身は、リリアちゃんと同レベルなんだけど。
「一緒にご飯食べて、夜までおしゃべりしようよ。うちのバカ兄貴も帰ってくるしさ。そしたら三人でカードゲームしよ? 絶対楽しいよ?」
「僕もそうしたいのはやまやまなんですが、今日はどうしても帰らなきゃいけないんです。これから北門の兵士さんと会う予定があるんで」
荷袋の中のスマホを思い出し、僕は軽いため息を吐く。もし電話があれば隊長にドタキャンの連絡が入れられるのに、と。
この世界で急ぎの連絡をするときは、早馬による手紙を使うのがメイン。緊急時は伝書鳩を飛ばすらしい。それってものすごく不便だ。
魔石を使えば、電話みたいな装置を作れる気がする。例えば一つの魔石を半分に砕いて、それを持つ相手と映像や音声を共有できるようにするとか……。
ただ僕の適当なアイデアで、この世界の常識を壊してしまうのは良くない。ひとまず隊長に相談してみよう。
と、僕が魔術技師モードに入っている間、お姉さんはしょんぼりと肩を落としていた。今日一日ですっかり懐かれてしまったらしい。
いや、懐いたのは僕の方かもしれない。気づけば僕はキッパリと告げていた。
「また来ます、近いうちに」
「いつ?」
「約束はできないんですが、時間に余裕ができたらすぐにでも」
「分かった。アタシはいつもあの場所で露店やってるから、こっちに来るときは絶対寄ってね!」
「了解です。……っと、そうだ、コレあげます。洞窟の案内料ってことで」
僕はローブのポケットに入れておいた、四つ分の魔石のカケラを取りだした。さっき倒したウサギの魔石だ。
お姉さんはそれを見るや、ぶるぶると首を横に振って。
「えっ、いいよ。それじゃアタシが儲けすぎちゃう。ネックレスも買ってもらったのに」
「でもコレは、元々お姉さんが狩るはずの獲物だったんですよ。なのに僕が『一刀両断』できなかったせいで……」
……。
……。
……ヤバイ、自ら地雷を踏んでしまった。
涙目になりかけるのをグッと堪え、その魔石をお姉さんの手にギュッと押し付ける。僕はウサギなんて倒さなかった。倒さなかった。
そんな僕の態度がツボにはまったのか、お姉さんは「ぷはっ!」と吹き出して。
「分かったわ。それじゃこの魔石はギルドで換金しておくから、今度うちに来たとき何か美味しいものでも食べようね」
「あ、嬉しいです……ていうか、お姉さんは魔石ってあまり使わないんですか?」
「うん。どっちかというと魔鉱石の方が嬉しいかなぁ。だって生活するだけなら自分の魔力で充分だし。魔物の魔力を使うのって、やっぱりちょっと抵抗あるじゃない? お手洗いの水を出すくらいならいいけど、お風呂とか洗濯とか絶対無理だし……」
と、女の子らしい潔癖なコメントを寄こされるも、僕にはその線引きが全く分からない。
ゾンビを素手でぐちゃぐちゃにするのは平気なくせに、なぜ魔物の魔石がダメなのか……。
「でも、魔力を使い切れば『魔鉱石』になりますよね? それでもダメですか?」
「うーん。そう言われるとその通りなんだけど、やっぱり新品の魔鉱石とは違う気がするの。こっちの魔力が伝わりにくいっていうか、魔物の魔力に汚染されてるって感じで。もちろん、そんなの気にしないって無頓着な人もいるけどね」
ふわっとした曖昧な説明を聞いて、僕はこう解釈した。
魔力の入っていない魔鉱石は単なる器でしかない。それを空のペットボトルに例えるとしよう。
新品のペットボトルはキレイだから、普通に飲み水用として使える。でもそのペットボトルに最初泥水が入っていたとしたら、その後いくらすすいでも飲み水用には使いたくない……お姉さんにとってはそんな感覚なのかもしれない。
「ってことは、ネックレスの分で物々交換した魔鉱石も使えないかも……たぶん元は魔物の魔石だったと思うし。やっぱり僕、ネックレス代をちゃんと払っ」
「――アレは別格! あの剣に浄化された魔鉱石なんて、恐れ多くて使えるわけないわ! 我が家の家宝にします!」
「そ、そッスか」
どうやらお姉さんにとってはお得なトレードだったらしい。また麗蛇丸が魔力切れしたら、その石はお姉さんにプレゼントすることにしよう。
……と、立ち話をしているうちに空は夕暮れのオレンジに染まり、僕は名残惜しくもお姉さんと別れた。
握手の代わりに、お姉さんがずっと堪えていたというわがまま――僕の頭をなでなでさせてあげて。
◆
「よし、今度は別の道を通ってみよう。ゴブリンダッシュは日が暮れてからでいいし、まだ時間に余裕はあるからなっ」
恒例の独り言でぼっちの寂しさをごまかしつつ、僕は夕暮れの賑やかな街を歩く。
馬車を降りてからここまでの道のりは、完璧にマッピング済みだ。
この世界に来てから僕は道に迷わなくなった。研ぎ澄まされた視力のおかげか、視界に映る景色はすぐさま脳内にインプットされ、小さな目印が着々とデータベース化されていく。
しかし、お土産にちょうど良さそうなお菓子屋さんはなかなか見つからない。
「できれば個包装された焼き菓子が欲しいけど、下町には売ってないよなぁ……もうちょっと場所を移動してみるか」
僕はぶらぶらとウィンドウショッピングをしながら、西の方角へ向かった。一昨日の夜、城壁の上から見えた華やかなセレブストリートを目指して。
その途中、何度か白装束の女神教信徒とすれ違った。
特に絡まれることはなかったものの、彼らは僕の黒髪を見て一様に眉をひそめた。夏によく出る黒い虫を見るような目をして。
正直、あまりイイ気分はしない。
「でもこっちは何も悪いことなんてしてないんだ。堂々と胸を張って歩けばいい」
……と、思っていたはずが。
三十分後、僕はローブのフードをすっぽり被り、人目を気にしながらコソコソと歩いていた。限界まで首を縮こめて猫背になる“ゴブリン歩き”で。
「うう……なんか僕、肩身が狭すぎるっていうか、かなり場違いなんですけどッ」
辿り着いたセレブストリートは……本当にセレブしかいなかった。
花の模様が描かれた塵一つない石畳の道を通るのは、揃いも揃ってゴージャスな馬車ばかり。てくてく歩いているのは僕一人。
どうやら本物のセレブというものは、お店のドアから店内までの十メートルほどしか歩かないらしい。いわゆる『箸より重いモノを持ったことがない』ってヤツだ。
しかも彼らは、白馬に乗った立派な護衛たちを引き連れている。
この街へ初めて来たとき、木陰から観察してカッコイイと思っていた騎士様たちは、僕を見つけるや「すわ刺客か!」と剣を抜きかける。すかさず僕はゴブリンダッシュで逃亡。
そうして逃げ回るうちに、なにやら甘く香ばしい匂いが漂ってきたのは、まさに『手土産の神様』の導きだろう。
ピカピカに磨かれたガラスのショーケースがあるお菓子屋さんへ、僕は迷わず飛び込んだ。
店員さんたちにギョッとした顔をされたものの、幸い店内に他の客がいなかったこと、そして見かけによらず小金持ちな僕が、
「焼き菓子百個ください。予算は金貨三枚分くらいで」
とセレブな呪文を唱えたため、彼らは一気に低姿勢へ。僕は予定通り個包装の焼き菓子を手に入れることができた。陽花の大好物、バターたっぷりサクサクの厚焼きガレットを。
「まずは北ギルドのお姉さんたちとリリアちゃんに好きなだけあげて、残ったら兵舎に持っていこう。アリスの分も少し取っておこうかな……」
あの駄菓子っぽいドーナツでもそうとう喜んでくれたのに、こんなセレブ菓子を食べたらいったいどんなリアクションをされることか。
リリアちゃんあたりは「お兄ちゃん大好き!」とか言って、抱きついてくれたりして……。
なんて妄想しつつ、軽快な足取りでセレブストリートを歩く。
僕を守ってくれる最強の装備は、オシャレさと防御力を兼ね備えた厚手の紙袋。
行き道には刺客扱いされたはずが、この紙袋を持っているというだけで『貴族の小間使い』っぽく見られて普通にスルーされる。フードを落として黒髪を見せつけたところで、特にイヤな顔をされることもない。
やはり『ネムス人嫌い』は女神教特有のものだと分かり、ちょっとホッとする。
「さて、帰りのルートはどうしようかな。最短距離を突っ切るには神殿が邪魔だし、東寄りの馬車道を通るか、もしくは西のゴーストタウンを通るか……」
神殿は街の中央にある、小高い丘の上に建っている。
隣接する隣の小山――元は王城だった部分までも占有地としたのは、そこに大事なお姫様である精霊術師を住まわせるため、との噂だ。
『また会いにくるわ。ううん……今度はユウが遊びにきて?』
ふっと胸に蘇るアリスの台詞。僕は薄闇に向かってため息を吐いた。
……あの場所へ正々堂々と乗り込むためには、どうすればいいんだろう?
ネックレスとお菓子を手渡すなら、なるべく早いうちがいいと思うのに、具体的な方法がさっぱり思い浮かばない。
だけど。
「きっと、すぐに会えるよな……“誰かさん”の導きで」
見上げた空にはもう月が昇っていた。一秒ごとにオレンジの光は薄れ、暗い闇が忍び寄る。僕はいつでも走りだせるように再びフードを被った。
そして人の通る道からさりげなくフェイドアウトしていく、はずが。
「……ん、なんだ?」
さほど離れていない場所から、大きなどよめきが湧きあがった。僕が降り立った馬車の停留所と、お菓子屋さんとの中間くらいの位置から。
なぜか、強い胸騒ぎがした。
ドクドクと不穏な音を立てる鼓動。「早く行け!」と僕を急きたてるかのように、背後から強い風が吹く。
細い路地へ飛び込んだ僕は、その場所へ向かって全力ダッシュ。何人かに目撃されたところで、残像としか映らないほどのスピードで街を駆け抜ける。
そうして辿り着いたのは、南門と北門を結ぶ線の上にある大きな広場だった。一番目の『罪人の街』で見かけたような、古くからある市民たちの憩いの場。
芝生から立ち上る爽やかな草の香り。街路樹の下に置かれた切り株のベンチ。中央には噴水があり、その脇には旅芸人の一座が立つ小さなステージがある。逆側には、街の風景を眺めるための物見やぐらが。
本来であれば、買い物に疲れた観光客や、愛を語り合う恋人たちが集うはずのスペースは……血の匂いに満ちていた。
「スミマセン、通してくださいッ!」
千人を超えるだろう人垣を、僕は強引に押し分けていく。
そうしてステージの最前列へ辿り着いたとき――僕は今までの人生でサイアクな光景を目の当たりにした。
「……なんだよ、コレ……」
血生臭い舞台の主役は、一人の子どもだった。
年は十歳くらいだろうか。ボサボサの赤髪と棒きれみたいな手足をしたその子どもは、逃げられないよう手錠を嵌められ、四つん這いにさせられた上で、背中に鞭を受けている。簡素な布の服はズタズタに引き裂かれ、そこから鮮血が滴り落ちる。
鞭を振り下ろすのは兵士らしき中年の男だ。軽鎧に身を包んでいるものの、鍛え上げた身体とは言い難い、たるんだ腹を晒している。
その兵士の背後には、似たような背格好の男たちが数名。全員が薄汚い髭を生やし、笑いを堪えるかのように口元をひくつかせながら、凄惨なその行為を黙認する。
そして生贄になった子どもは、震えながら耐えていた。
涙を堪え、悲鳴を噛み殺し、一方的な暴力に屈するまいと必死で顔を上げて。
……その子の姿に、僕は見覚えがあった。




