二十九、洞窟
聖都オリエンスの南門を出るとすぐ、簡素な立て看板がある。
『海洋都市クラルス:南へ、カルディア洞窟:東へ』
旅人や商人は、真っ直ぐに南下する石畳の道を選ぶ。そして冒険者は、草地を足で踏みならした結果自然と生まれた土の道を行く。
ぽかぽかと温かな日差しが降り注ぐ中、僕はカルディア洞窟へと向かっていた。新たな魔石を埋め込んだ麗蛇丸を携え、パーティメンバーとなったアクセサリー屋のお姉さんに先導されて。
……しかし、いったいなぜ僕はこんなことをしてるんだろう。
朝の時点では完全に観光気分だったというのに、オカシイ。まだお土産はアリス用のネックレスしか買ってない。
今から“冒険”するとなると、街へ戻れるのは夕方近くになるし、買い物の続きをしたら夜になってしまう。
「しょうがない、帰りは馬車を使わず走っていこう。ゴブリンダッシュなら北門まで三十分とかからないし。万が一誰かに目撃されてもいいように、なるべくキモくない感じで……」
と、極小サイズの独り言を呟きつつ、今後のスケジュールを組み直していると。
「――さて、ここで一つ問題です。洞窟っていうのは、冒険者になりたての初心者が必ず行くところなの。なぜだか分かる?」
鼻歌交じりに先を歩いていたお姉さんが、くるんと踵を返した。
お姉さんのスタイルも、気さくな露天商から冒険者風にチェンジ。腰には短剣を差したベルトを巻き、背中には大きな荷袋を背負っている。緋色のワンピースの上に羽織った、ポンチョっぽい短めのマントがふわりと風に揺れる。
もっとも目立つのは、胸元でキラリと輝く丸い石――冒険者の証。
お姉さんお手製のシルバーチェーンに結ばれた、南ギルドのマークが入った魔鉱石の色は、深紅に近い赤。
なんとお姉さんは、南ギルドでは数少ない『Bランク』の冒険者だった!
一方Fランクの僕は、当然アレをチュニックの下に隠したまま……。
憧れと嫉妬の混ざった視線をお姉さんの胸元へ向けつつ、僕はクイズに答える。
「初心者が洞窟に行く理由……弱い魔物しかいないから、ですか?」
「もぅ、ちゃんと考えてよ。ていうかキミ、さっきからアタシの胸ばっかり見てるし……」
ぽわんと頬を染め、ぶつぶつと小声で呟きはじめるお姉さん。
僕は「ソコは全く見てません」と言おうとしてやめた。暗い“ナイショ話”を終えて明るさを取り戻したばかりなのに、また涙目にさせてしまう。
……こうして楽しそうに笑うお姉さんの姿は、とうていネムス人には見えない。
薄暗い屋内では漆黒に見えた瞳も、軽くウエーブがかかったショートの髪も、明るい光の下ではちゃんと焦茶色に見える。浅黒い肌だって健康的で爽やかだ。
いくらネムスに近い出身だからって、お姉さんが迫害されるいわれは何一つない。この街を好きだと言って、守りたいと願うのは、住民としてごく当たり前のこと。
僕は、そんなお姉さんの気持ちに応えたいと思った。
もし僕が本物のネムス人なら、「竜殺しの罰だ」とでも言って冷たく放置するのかもしれない。
でも僕はネムス人じゃないし、偏った思想は一切ない。目の前に困っている人がいて、自分に助ける力があるなら、それを実行するだけだ。
お姉さんも、僕のことを『竜使い』認定はしたものの、ネムス人ではないとジャッジした。
その理由は――僕がこの世界のことをあまりにも知らなすぎるから。
鎖国状態のネムスから逃げてきた、という仮説にも当てはまらない。なんせ横長に広いこの世界を、西の端から東の端まで旅してきたとは思えない無知っぷりだし、『地図に載らない小さな島国出身』という設定の方がよほどしっくりくる。
そして『人の過去を詮索してはいけない』というこの街のルールも、僕にとって都合が良かった。
最初はお姉さんも、突然変異的に生まれた『竜使い』に興味津々だったけれど、僕が黙秘権を発動したのでしぶしぶ諦めてくれた。
その代わりに「この世界のことをいろいろ教えてあげるから、一緒に洞窟へ行かない? 神竜剣で戦っているところを見てみたいし」と誘ってくれたわけだが。
「分からない? ではヒントを出しましょう。今は昼間です。なのに冒険ができます。……どう?」
「ああ、そっか。洞窟の中は真っ暗なんですね。だから昼でも魔物が出るんだ。その方がリスクが少ない」
「そういうこと。もし魔物を倒しきれなくても、洞窟の外へ逃げればいいから楽なのよ。ただ魔石を入手するには、死体を外へ運ぶっていう手間がかかるんだけどね」
「なるほど、『死の霧』と同じ仕組みですね」
「そうそう、『死の霧』と同じ……って、ちょっと待って! なにそれ! なにそれ! なんでキミそんなこと知ってんにょ!」
興奮のあまり語尾を噛みながら、お姉さんが僕に突進してくる。すかさず僕はバックステップで回避。
「ううっ……速い。捕まえられない……さすが魔物と間違えられるだけのことはあるわッ」
「そこは『さすが邪竜と戦っただけのことはある』って言ってください。あと『死の霧』のことは、中へ入ったから知ってるだけです」
「中へ入っただけって、簡単に言うけど……あの霧は人にはとうてい耐えられない、濃厚な瘴気の霧よ? アタシも一度興味本位で近づいたことがあったけれど、すぐに気分が悪くなって倒れかけたわ」
「……えっと、あの霧ってそんなヤバイものなんですか?」
「当たり前でしょう! どうしてキミは平気なの? 竜使いってそういうものなの? それとも本当は魔物なの? 女の子の胸が大好きなヘンタイなの?」
「う……その質問はノーコメントで。あと最後の一個はオカシイです」
と、愉快なトークを繰り広げている間に、しっとりした土の道は終わり、ざらつく砂混じりの乾いた道になった。『霧』の影響が強まるせいか、東へ行くほど草木が生えない荒野へと変わる。
そうして小一時間ほど歩いた後、僕らは目的地に到着。
「うわ……なんか、スゴイ……!」
その場所は、あたかも巨大な竜が口を開けたような、ひどく陰鬱な雰囲気だった。
小高い丘の中腹に突如現れる、岩肌をくりぬいた漆黒の穴。直径は三メートルほどで、入口には崩落を防ぐための石垣が組まれている。深さなどの全貌は計り知れない。
耳を澄ませば、人の怒声や金属音が微かに伝わってくる。手に汗握るような“死線”の気配が……。
ちょっとビクビクする僕を置き去りに、お姉さんはスタスタと進んでいく。
乾いた砂の道は、洞窟の手前で石が敷き詰められた古道へと変わった。
踏みしめた硬い石畳の感触は、一番初めの『罪人の街』と近い。この洞窟にはそうとう長い歴史がありそうだ。
世界遺産を見にきた観光客みたいにきょろきょろしていると、突然お姉さんが叫んだ。
「こんにちはー! 今から地下三階目指しますんで、よろしくお願いしまーす!」
明るい挨拶に手を挙げて応えたのは、入口の両脇で仁王立ちするオジサン二名。軽鎧を身にまとい、腕には南ギルドの腕章をつけている。
彼らは冒険デビューする初心者のために、装備のチェックや心構えなどのアドバイスをしているらしい。あとは怪我人が出たときに街への搬出を手伝ったり。
つまり、一見ひ弱なお坊ちゃんである僕は、彼らのアンテナにばっちり引っかかってしまうわけで……。
「おい嬢ちゃん、この坊主、冒険者登録は――」
「ああ、気にしないで。この子は冒険者じゃなくてただの“荷物持ち”だから。もちろん戦闘には一切参加させないわ。Bランクのアタシが付いてるから大丈夫!」
ニコッ。
と微笑んだお姉さんの胸の谷間、もしくは赤色の魔鉱石をチラリと見やったオジサンは、僕のことをすんなり通してくれた。「気をつけろよ」と心配そうに声をかけて。
これは事前の打ち合わせ通り。
何かと秘密主義な僕も、この件だけは――僕がFランクだってことだけはお姉さんに隠せなかった。灰色の魔鉱石を見せた瞬間「ぷはっ!」と噴かれたけれど、まあ背に腹は代えられない。
いくら初心者ウェルカムといっても、この洞窟はEランク以上の冒険者しか入れない特別な場所。やはり持つべきものは権力者の仲間だ。コバンザメ最強。
「じゃあ、行くわよ!」
「はい!」
お姉さんのポンチョにぺたっと張りついて、ドキドキしつついざ洞窟へ潜入!
……したものの。
「この中、意外と明るいんですね……それに人工的すぎるっていうか、魔物が出てくる気配もないし」
外から差し込む陽光が、僕らの影を細く長く浮かび上がらせる。小さな囁きが岩肌へぶつかり、音の波となって奥へと流れていく。
古の時を刻む石畳の道は、洞窟の中へも続いていた。障害のない平らな道を僕らはゆっくりと進む。
「地下一階はこんな感じよ。大昔、この街に『王都』が造られた頃には、お墓代わりに使われていたみたい。何代目かの王様がものすごい巨漢で、その棺桶を置いたら床が抜けて、その先に大穴が開いたって話。まあ都市伝説みたいなものだけれどね。キミの魔物ネタと一緒で」
「……最後の一言が余計ですが、なんとなく分かりました」
そのまま薄暗い道を真っ直ぐ歩いた突き当たりには、イメージ通りの丸い穴が開いていた。そこから斜め下へ組まれた石段を踏み、漆黒の闇の中へ降りていく。
すると――空気が変わった。
体感温度は一気に二十度近くダウン。まるで冷蔵庫に閉じ込められたみたいだ。キンと冷えた空気が全身に沁み渡り、僕は羽織ったローブの襟元をかき合せた。
「寒いですね。それに、暗い……」
「ちょと待ってね、今魔術で明かりを出すわ」
暗闇に目を凝らすと、お姉さんが長い睫毛を伏せ、人差し指にそっと口付けている姿が見えた。ギルマス氏のように呪文は呟かない。たぶん心の中で何かを唱えているんだろう。
柔らかな唇から細い指先が離れた刹那――ぽっ、と明るい灯がともった。ちょうどランタンを点けたような、柔らかな暖色の光だ。
「うわ、スゴイ……これどのくらい持つんですか?」
「地下三階まで往復するくらいなら余裕よ。もちろん魔物が出たら一旦消すことになるけれど」
「あ、その必要はありません。僕が戦います」
「頼もしいなぁ。うちのバカ兄貴とは大違い。アイツは絶対こう言うのよ。『じゃあオレは遠くから応援する係な』って。しかも本当に逃げやがるの。サイテーでしょ」
……うん、確かにサイテーだ。
という素直な感想は言わず、さらりと話題を逸らす。
「そういえばお兄さんは、今どちらへ?」
「知らないわ。イイ年した大人のくせに、いつもふらふらしてるんだから。きっと娼館にでも入り浸って……ううん、なんでもない。キミに聴かせるような話じゃなかったわね」
……いえ、大丈夫です。むしろお兄様に詳しい話をお聞きしたいくらいで。
なんて紳士らしからぬことを考えているうちに、さほど広くない地下二階フロアの突き当たりへ。
「この先は魔物の数が増えてくるから気をつけて。先行してる冒険者パーティがある程度駆除してくれてるはずだけど、朝一番でここへ来てる彼らとは時間差があるし、すでに『亡霊化』してる可能性もあるから」
「……ッ、はい」
僕は気合いを入れ直し、ローブの奥にある麗蛇丸に手を伸ばす。
お姉さんが僕に教えてくれたこと――実際に見せてくれようとしたことが、魔物の『亡霊化』。
地下三階へと繋がる、苔むしてぬめった石段を慎重に降りると同時、そのときが訪れた。
「アレは――」
ごつごつした地面の上に、黒っぽいモノが転がっている。
それは僕にとっては虫けら以下の存在であり、この世界で最弱の魔物である、巨大ネズミ。
頭から腹までを真っ二つに割られ、岩壁へと脳漿を撒き散らしたソレが、ゆらゆらとした瘴気の靄をまといながら蠢いている。確かに死んでいるはずなのに。
この『亡霊化』という現象、夜に獲物を狩り翌朝に浄化させるというルーチンワークの中では気づけなかった。
――魔物は魂を浄化させない限り、何度でも蘇る。
しかもその姿はより醜悪に、気性は凶暴に、そして身体の色はより“黒”へと近づいていく。
引きちぎられた黄土色の胴体が、見えない糸で引きずられるようにずるずると床を這う。潰れたネズミの顔面がぐるんと動く。暗い眼窩にまだ深紅の瞳はない。そして心臓の位置に『魔石』もない。
代わりに黒っぽい結晶が見える。
周囲の瘴気を吸い込みながらじわじわと形作られていく漆黒の石が、いつしか強力な磁石となって、千切れた破片を呼び寄せる。
僕は息を吸うのも忘れて、おぞましいその光景に見入っていた。
魔物を倒すことには慣れたけれど、こういうのはキツイ。ゾンビ系の映画は昔から苦手だった。できるなら今すぐこの死骸を抱えて太陽の下へ飛び出したい。キラキラした飴玉みたいな魔石が恋しい。
……と考えているのは僕の方だけで。
「もう少しかかりそうね。あと十秒くらいかな? がんばれネズミさん、もうちょっとよ! 五、四、三、二、一……うりゃ!」
「グピャッ!」
「よしゃ、魔鉱石いただきッ!」
顔面から内臓までぐちゃぐちゃのゾンビネズミに素手を突っ込んだお姉さんが、満面の笑みを浮かべて僕に近寄ってくる。
さっき唇へ触れていた――温かな光を生みだした指先に、どろっとした何かをこびりつかせて。
……その光景は、ちょっとだけ僕のトラウマになった。




