二十七、誤解
「あのー、この街で出身地のことを訊ねるのも無粋かと思いますが……お姉さんって、南大陸の方ですかね?」
「ええ、そうよ」
「僕、以前そちらの方と親しくさせてもらってて、ある程度『ウェントス語』が分かるっていうか……」
皆まで言わずとも、意図は伝わったらしい。
慌ててそっぽを向き、ぴゅーぴゅーと謎の口笛を吹きだすお姉さん。何かをごまかそうという努力は伝わるものの、むしろ怪しさ五割増し。せっかく美人なのにちょっと残念な感じだ。
しかし、ずらりと並ぶアクセサリーのデザインは悪くない。気を取り直して僕は本題へと切り込んだ。
後ろ手に、とある『お宝』を握り締めつつ……。
「実は僕、お客さんじゃないんです。お姉さんに買って欲しいものがあって」
「あら、アタシに? 何かしら」
単純に興味を引かれたのか、もしくは都合の悪いネタから話題が移ったせいか、お姉さんは瞳をランランと輝かせて身を乗り出してくる。
鮮やかな緋色のワンピースの胸元からチラッと覗く谷間が目の保養……いや、目の毒ですありがとうございます。
「えーと、ちょっと言いにくいんですが、たぶんお姉さんなら喜んでくれるかなぁと……」
自分から話しかけたくせに、つい口ごもってしまう。ただでさえ見知らぬ女の人と話すのが苦手なのに、こうしてズイッと近寄られると……勝手に心臓がドキドキしてくる。
緊張をほぐすべく、僕は気になっていたアイテムをジッと見つめた。
それはお姉さんのワンピースの胸元で揺れている、可愛らしいネックレス。
繊細なシルバーチェーンの先に、きちんと磨かれたグリーンの天然石がハマっている。ワンピースの素材は普通の木綿なのに、そのネックレスが添えられただけで、どことなく上品な雰囲気を醸し出す。
そして今、僕が後ろ手に握りしめているのが――まさしく同じデザインのネックレス。泥棒のガキから、すれ違いざまにまんまと盗み返してやったというわけだ。
この『お宝』を、お姉さんはいくらで買い取ってくれるんだろう?
……というのはちょっとした冗談で。
これは本当に僕が買ってもいいと思っている。お姉さんにも似合っているけれど、緑の瞳の女の子にもピッタリだ。
普通に買うんじゃなく、お姉さんが欲しがっていた魔鉱石――麗蛇丸にくっついているアレと物々交換でもいいかもしれない。そういうやりとりも露店っぽくて面白いし。
そんなことを考えながら、僕は背中に回していた手をそろりと前へ出した。
するとお姉さんは、呆然自失といった面持ちで僕を見やって。
「まさか、キミが買って欲しいものって……」
「うん。銀貨一枚でどうかな?」
獲物が釣り針に食いついたと感じ、僕はにっこりと微笑んでみせた。
男神様スマイルに当てられたのか、それとも盗まれたお宝を取り戻せた喜びか、お姉さんの頬がぽわんと赤くなる。すかさず僕は畳みかける。
「あと僕、お姉さんが欲しがるような“イイモノ”持ってるんです。何なら物々交換でもいいけど、あまり人に見られたくないし、後で誰もいない静かなところに行きませんか?」
「ぶ、ぶつぶつ、こうかんって……ちょっとキミ、こっちへ来なさい!」
突然目の色を変えたお姉さんが、僕の腕をガシッと掴んだ。そのままありえない力で木陰へと引っ張って行く。
「ちょ、お姉さん、店番はッ?」
「いいのよ、どうせあそこに並んでるのは銅貨一枚くらいの石ころばっかりなんだから。それより問題はこの国よ。いくら魔物のせいで不景気だからって、まさかこんな可愛い子まで道を踏み外すなんて……ねぇキミ、どうせどこかの貴族のお坊ちゃんなんでしょう? それとも大商人の御曹司かしら?」
「は?」
「ああゴメンナサイ、別に詮索するつもりはないのよ。ただこういうことをしちゃいけないわ。いくらおうちが苦しいからって“身体を売ろう”だなんて……」
「あの、お姉さん?」
「そりゃお姉さんは、キミみたいな可愛い男の子が大好きよ? でもキミの身体には銀貨一枚以上の……ううん、お金には代えられない価値があると思うの。だからもっと大事にしなきゃ」
「お姉さん、いったい何を言っ」
「それにね、“物々交換”なんてもっと良くないわ。お姉さんの胸は、すごく大きくて魅力的に見えるかもしれないけれど、実はニセモノです」
キリッ。
と言い放ったお姉さんの胸元で、僕が目をつけていたネックレスがキラッと輝いた。ニセモノの谷間の前で。
……僕はこの残念なお姉さんのことが、ちょっと好きになってしまった。
◆
底抜けに明るい南エリアの繁華街にも、光と闇がある。その“闇”の部分にあたるのが、子どもによる犯罪の増加だ。
闇の道へと足を踏み入れるのは、主に親を亡くした孤児たち――冒険者の遺児。
本来なら神殿が孤児院の役目を果たすはずが、移民の子にはやはりハードルが高いのか、それとも住み慣れた場所を離れることを嫌うのか……彼らは街中にアジトをつくり、集団で暮らしているとのこと。
これらの情報は行き道の馬車で教えられた。「とにかくスリには気をつけろ」と。
僕はその話を聞いたとき、ズキンと胸が痛んだ。
難民や奴隷やネムス人への差別や……いろんな社会格差を見てきたけれど、やっぱり小さな子どもが虐げられているのはキツイ。
魔力があれば冒険者の道を選べる、とはいうものの、ここは激戦区である南エリア。Eランク程度の腕前では、その日の食いぶちを稼ぐこともままならない。
イイ年をした大人ですら『魔石狩り』に走るくらいだ。犯罪に手を染める子どもたちのことをけっして責められない。
だけど――
「イイ年をした大人であるお姉さんが、大事な『お宝』を取り戻してあげた恩人のことをそういう目で見るなんて、さすがにショックです」
「うう……ゴメンナサイ……」
「だいたい、僕はちゃんとネックレスを差し出していたのに、どうして気づかないんですか? お姉さんのパッチリした目は節穴ですか? その長いまつ毛に邪魔されて前が視えなかったんですか?」
「うう……」
「それに、大事な“秘密”はそう簡単に漏らしちゃいけません。そもそも嘘をつく必要もないと思います。少なくとも僕は、そういう部分で女性を判断したりしません」
キリッ。
と、言いたいことをキッチリ伝えて、お姉さんへのお小言モードを終了。
涙目になったお姉さんは、赤べこのようにペコペコと頭を下げる。年上のはずなのに、なんだか頼りない妹分って感じだ。
たぶん僕も隊長たちからこんな目で見られているんだろうなぁ……と思いつつ、僕は街路樹に頭をめり込ませたまま動かなくなったお姉さんを引きずって露店へ戻る。
ここを離れたのは五分ほどだったけれど、幸い盗まれた商品はなし。
というか、隣に店を広げていた骨董屋のオジサンがちゃんと見てくれていた。しかも三つも商品が売れている。お姉さんの決めた希望小売価格の半額、一つ銅貨五枚にて。
十五枚の銅貨を握り締めたお姉さんは、ほくほくの笑顔でこう告げた。
「さて、今日はもう店じまいにしよっかな!」
「えっ、まだ昼すぎですよ? 人通りもめちゃめちゃ多いし……」
「でもアタシの営業ノルマは一日三つだから」
「それ隣のオジサンが売ってくれた分でしょう。お姉さんは一個も売ってないですよね?」
「細かいこと気にしないの! どうせバカ兄貴は戻ってこないんだろうし、そもそもアタシは職人だしね。それに、キミも何か『オイシイ話』があるんでしょ?」
あっけらかんと言い放ち、広げていた絨毯をごろんと丸めてしまうお姉さん。そいつを小脇に抱え、「付いてきて」と賑やかな商店街を歩き出す。
僕は握り締めたままの『お宝ネックレス』を見つめ、ため息をひとつ。
お姉さんの性格は明らかに商売に向いていない。でもまあ、“職人”にお店を任せたお兄さんが悪いってことで。
「ほら、早くしないと置いてくよ?」
僕より少し背が低いお姉さんは、スキップするような軽い足取りで細い路地をすり抜けていく。
そうして十分ほど歩くと、街の色彩がガラリと変わった。
華やかな舞台の裏側――そこには灰色の工場街が広がっていた。
薄汚れた重厚な建物が密集し、トンカンと何かを叩く音や、激しい金属音、機織り機のガチャガチャいう音などが、あちこちから響き渡る。耳の感度を最低レベルに下げても充分うるさい。
だけど……それも悪くない。活気に満ちた『生きている街』の姿だと思える。
何より“魔術技師”の血が騒ぐ。僕もコツコツ何かを作る作業が好きだし、この街の人とは気が合うかもしれない。
ちょっとワクワクしながら歩いていると、お姉さんの足がぴたりと止まった。
「お待たせ! ここがアタシの“お城”です!」
工場街の外れにぽつんと佇む赤いレンガ造りの建物――鉛筆みたいに細長い三階建ての一軒家を指差して、お姉さんがえへんと胸を張る。
『世界一の宝飾品工房』
という看板に偽りは……若干ありそうだけど、それでも一国一城の主だなんて素晴らしい。
僕の中でお姉さんの株がちょっぴり上がった、ものの。
「お邪魔しまーす……うわ、すごい……!」
すごい……汚い!
コレは独身貴族が集う北門兵舎やら、『黒煙の地獄』と恐れられる北ギルドマスター室を遥かに凌駕する――
「ちょっと散らかってるけど、その辺に座って?」
「その辺って……」
困惑を隠せないまま、僕は工房内をぐるりと見渡した。
そもそも鉛筆ビルだし、全体のスペースは十畳くらいしかない。そのうちの七割が棚と作業台、残り三割には隕石っぽい謎の鉱物やら工具箱やら図面類のファイルやら……完全に足の踏み場がない。明らかに無駄なゴミっぽいものがないから片付けも不可能だ。
「あ、その平べったい石の上に足を乗せて、この作業台の上に腰かけてくれていいよ。ああ、座る前にナイフとか釘を退けておいて。もし何か刺さっても自己責任だからね」
「はぁ……」
指示されたポジションに落ちついた僕は、背中の荷袋を下ろして一息つく。
床を無視して天井の方だけを見れば、ちょっとお洒落な洋館という雰囲気だ。窓もカラフルなステンドガラスだし、何より天井からぶら下がるシャンデリアがレトロで可愛い。
「このシャンデリア、もしかしてお姉さんのお手製ですか?」
「もちろん。西の貴族様のお家に収めたこともあるのよ」
「へぇー、マジですごいですね……」
という会話をする間に、お姉さんは冷たいお茶を入れてくれた。魔石を使わず自分の魔力で。人差し指をくるんと回転させる仕草がいかにも魔法使いっぽい。
差し出された銅製のマグカップも可愛らしい。取っ手の部分が猫の尻尾みたいで。
「このカップも売り物なんですか?」
「うーん、残念ながら自己満足の試作品。本当はもう少し軽くしたいのよね。でもあまり薄くすると冷たいものがすぐ温くなっちゃうから……」
ぶつぶつと呟きながら、隣の作業台に腰かけるお姉さん。その瞳は真剣そのものというか、どっぷり職人モードだ。
僕もときどきこんな状態に陥るから、気持ちはよく分かるけれど。
「スミマセン、用件の方いいでしょうか。僕まだ買い物とか残ってるんで」
「あっ、ごめんね! それで例の『物々交換』……」
何かを思い出したのか、ぽわんを頬を染めるお姉さんの前で、僕はいそいそとローブを脱いだ。
そして取り出したのは――もちろん、最強の相棒こと麗蛇丸。
「あまり人に見られたくないって言ったのは、この剣のことなんです。大事な人に託されたものなんで……。それで、ここに魔石が入ってるんですがちょうど魔力が切れてて……あの、お姉さん?」
顎が外れんばかりに口を開け、銅像のように固まったお姉さんの前で、僕はひらひらと手を振った。半開きの瞳は全く反応しない。完全に意識が飛んでいる。
「えっと、もし体調が悪いなら、また日をあらためて」
と言って、麗蛇丸を腰に戻そうとすると。
ガシッ!
と、腕を掴まれた。ものすごい握力で。
「――ちょっと待って! なにこれ! なにこれ! アタシ初めて見たんだけど!」
僕の腕ごと噛みちぎらんばかりに食いついたお姉さんが、麗蛇丸の鞘から束までを舐めるように見つめる。
ぷるぷると小刻みに身体を震わせ、両目にぶわりと涙を浮かべながら五分近く麗蛇丸を凝視していたお姉さんは、半ば放心状態のままポツリと一言。
「そっか……キミはネムスの“竜使い”なのね」
……。
……。
……今何か、聞き捨てならないというか、誰かに聞かれたら非常にマズイ発言を耳にしたような。




