二十六、雑踏
その朝、隊長は夜勤明けなのにすごく忙しそうだった。
泣きじゃくる僕の頭をしばらく撫でてくれていたけれど「悪いな坊主、また夜にでもゆっくり話そう」と言ってバタバタと仕事へ戻ってしまった。
ほんのちょっとだけ浮かんだ不安――僕を犯人だと思って事情聴取しに来たんじゃないか、なんて考えは完全な杞憂だった。隊長は『東へ向かった光』のことには一言も触れず、むしろ「麗蛇丸の魔石、魔力切れてたぞ。新しい魔石用意しとけよ」とアドバイスさえくれた。
だだっ広い浴室で再びぼっちになった僕は、とりあえず冷水を作って顔をざぶざぶ洗った。なのに頬の熱がなかなか引かない。こんな風に人前で泣くなんて恥ずかし過ぎる。
「でも……なんか、スッキリしたかも……」
そういえば、アリスの膝枕で眠った後もこんな気分だった。それは昨日のことなのに、もう何日も経ったような気がする。
この世界へ来てから、一日の密度が濃くなったと思う。
身体強化の影響であまり睡眠をとらなくても良くなった、という理由もあるけれど、目に視えない“何か”に突き動かされているような……やっぱり僕は少し生き急いでいるのかもしれない。
「まあ、せっかくスッキリしたんだし、動けるうちに動かなきゃな」
隊長たちは「休んでいけ」と言ってくれたものの、まだ気力体力ともに充分。僕は穴だらけのチュニックを裁縫魔術で繕うと、ずっしり重たい荷袋を背負って兵舎を後にした。
北の商業エリアへと続く朝の街道――ここには『魔石狩り』が出る。
僕は周囲へ鋭いアンテナを立てながら進む。途中から妙にテンションが上がってきて、「不審な動きをするヤツらは全員フルボッコだぜ、ヒャッハー!」なんて思っていたけれど、そういうときに限って獲物は見つからないものだ。
代わりに引っかかったのは、善良な市民たちの怯えまくる姿。
街道沿いのごく小さな集落では、あちこちで奥さま方の井戸端会議が開かれ、ヒソヒソ声で語りあっている。
話題の中心は、当然昨夜の『事件』だ。
彼らにとって邪竜とはおとぎ話に出てくる存在であり、一匹目のときはまだ夢心地だった。実際空を飛んでいる姿を目撃したという点でショックは大きかったものの、すぐさま“女神の愛娘”とも呼ばれる精霊術師により討伐され、奇跡的に被害も出なかったということで、街は湧いていた。
それからわずか三日――ちょうど気が緩むタイミングで二匹目が現れたのは、まさに青天の霹靂。
しかも今回の出没時間は深夜だ。
暗闇の中、邪竜の大絶叫が響き渡るというホラー映画的な演出に、眠っていた子どもたちも泣いて飛び起きたらしい。僕はリリアちゃんのことがちょっと心配になった。
そして、もう一つ心配なことが……。
「――だから、正式な信徒になれば、精霊術師様に守っていただけるんですって!」
キンキン声でがなりたてるのは、ふくよかな中年女性だ。井戸端会議グループの中ではもっとも身なりがいい。
彼女の声に惹かれるように、隣近所からもわらわらと人が集まってくる。その一角は辻説法のステージになる。
「うちの旦那もね、以前は南ギルドの冒険者をしていたのよ。でもあの仕事は怪我が絶えないでしょう? 神殿で治癒していただいたとき、たまたま神官長様と顔見知りになって『神殿に仕えないか』って誘われてね。いきなり治癒術師になるのは難しいから、ひとまず警備兵として雇っていただいて――」
いかにも不安そうに、でもどこか自慢げに旦那の仕事っぷりを語る女性の言葉に、周囲を取り巻く奥さま方が一斉にため息をつく。
離れたところで盗み聞きしていた僕も、思わずため息。
「言ってることは素晴らしいけど、どうもウサンクサイんだよなぁ……」
例えば、警備兵になるのにも腕輪が必要だとか、大金を叩いてそれを購入したとか、本来女性は禁じられている腕輪の着用を特別に許されたとか、まだ魔力に目覚めていない子どもたちにも腕輪をつけさせているとか。
とにかく腕輪さえあれば、邪竜をはじめとしたあらゆる災厄から逃れられる――精霊術師様が守ってくれる。
……なんて、それこそおとぎ話みたいな話だ。とうてい信じられるわけがない。
そのうち聴衆からも、チクリと嫌味のこもった声が漏れはじめる。
「でもその腕輪、高いんでしょう? うちにはそんな余裕ないわ」
「それに魔力を吸い取られるっていうじゃない。魔術が使えなくなったら生活できないし……」
するとふくよかな奥さまは、ぷっくりした手を顔の前に掲げてみせた。特別に着用を許されたという銀の腕輪を見せつけるように。
「水は井戸へ汲みに行けばいいし、火は火打石で起こせばいいじゃない。昔のひとたちは皆そうしていたんだから。お金や魔力なんかより命の方が大事よ!」
文句を言いかけていた奥さま方がぐっと黙りこむ。静寂に合わせて、僕も盗聴スイッチをオフにした。
今はまだ『二回目』の襲撃。この先も不穏な出来事が続ければ、あの腕輪は少しずつ広まっていくことだろう。
別に彼らが間違っているとは思わない。心の平穏と引き換えにお金を払うのも、魔力に頼らず昔ながらの暮らしをするのも、全て個人の自由だ。
だけど……。
「アリスは、いったいどう思ってるんだろう?」
そんな噂が広まったら――アリスに失敗は許されない。
邪竜を「ただのトカゲ」認定したくらいだし、そう簡単にやられるとは思えないけれど、もし街への侵入を許して怪我人を出したりしたら『精霊術師様』の信用はがた落ちだ。
それ以前に、アリスは何も知らされていない気がする。神殿が『信徒増員キャンペーン』をしていることも、その神輿に担ぎあげられていることも。
もちろん純粋なアリスは、街の人たちを守れればそれで満足なんだろう……そう思うのに、どこか釈然としない。
「まあ僕が考えたってしょうがないし、こんな噂が流れてるってことを今夜隊長に報告してみよう」
気持ちを切り替えてサクサク歩き、僕は無事市街地へ到着。
開店したばかりの雑貨屋で、頭をすっぽり覆える旅人風のローブを購入し、南へ向かう辻馬車へ意気揚々と乗り込んだ。
◆
「うわー、スゴイ……!」
一昨日の夜、高い城壁の上から眺めた光景が、色鮮やかに塗り替えられていく。
あのときも、深夜なのにずいぶん明るいなとか、きっと昼間は人で賑わうんだろうなと思っていたけれど……いざ中へ飛び込んでみると、賑わうどころの話じゃない。凄まじい熱気だ。
身じろぎすらできないほどの、人、人、人。
道幅は広いものの、右側通行などのルールはなく、住民は己が行きたい場所へ進もうと全力でもがいている。まるで都心のスクランブル交差点のような混雑っぷりだ。
上から眺めた分にはもう少し小奇麗な印象だったけれど……高級店の並ぶエリアは、あくまで貴族様やリッチな商人が乗る馬車の終着点。辻馬車を利用するような庶民が降ろされる場所は、下町に決まっている。
特に目立つのは、移民の姿だ。
髪や肌の色がバラバラの異邦人たち――王都を経由して逃げてきた難民とは違う、主に商売をしにきた外国人は、この街の南にある『海洋都市クラルス』からやってくるらしい。
南国の人は奔放というイメージどおり、彼らは大人しい平民服なんて見向きもしない。原色をふんだんに使った派手なシャツやら、丈の短いワンピースやら、はたまた魔女のごとき漆黒のローブやらと、思い思いの格好をして道を歩いている。
それこそ南国さながらという熱気の中、少しでも酸素の多そうな場所へと移動していると。
「あ……黒髪の人がいる……」
ちょっとホッとした僕は、馬車に乗る前から被り続けていた鬱陶しいフードを背中に落とした。途端に喧騒が五割増しになる。
ちょうど昼時ということもあり、道行く人々はずらりと並ぶ飲食店の中へ吸い込まれていく。オープンテラスの店があったり、屋台で買ったものを道端で食べたりと、なかなか楽しそうだ。
「さすがに僕もお腹減ったな……馬車の中でクルミかじっただけだし」
露店へと意識を向けたとたん、視界に飛び込んでくるのはさまざまな言語の看板。
それぞれミミズがのたくったような文字だったり、角ばっていたり、象形文字っぽかったりするけれど、僕の目にはどれも同じように読める。
肉や魚、米や麺類、果物に焼き菓子……そのどれもが『世界一』と大風呂敷を広げているのが面白い。店主たちによる威勢のよい掛け声が、さらに食欲をそそる。
「よっしゃ! 目に付いたものを片っ端から買って、歩き食いルートだ――!」
荷袋の底に詰まっている金貨は出さず、ローブを買った残りの銀貨を使う。それでも銅貨のおつりがじゃらじゃら戻ってくるほど安い。
なにより――
「うう……美味しい……おにぎり美味しい……」
一年ぶりの炭水化物に、僕は涙を堪えることができなかった。おにぎりを皮切りに、焼きそば、ハンバーガー、肉まん……全部ヤバ美味い……。
露店のおっちゃんたちに残念なものを見るような目で眺められつつ、ジャンクフードに舌鼓を打ちまくる。体脂肪率を一気に押し上げ、割れていた腹筋がぽっこりするほど腹が膨れた僕は、腹ごなしも兼ねて皆へのお土産物色コースへ。
南エリアには、食べ物だけでなく雑貨や服などの露店も多い。
布を広げた露天商たちが、街路樹の木陰をみっちりと埋め尽くし、そこへ足を止める観光客がさらに道を狭め、その隙間を縫うように乗り合い馬車や巡礼者の集団が行き交い……。
「うん、カオスだな。こんなところにリリアちゃんが来たら、五分と経たずにはぐれて迷子になりそうだ」
だけど、それもまた魅力的だなと僕は思った。
北エリアの穏やかな街並みもいいけれど、こういう騒がしい街も悪くない。南ギルドが移民の冒険者で賑わうというのは、単に魔物のレベルが低めってだけじゃなく、この街の魅力のせいでもありそうだ。
アルボスの人たちも、力を蓄えて再び故郷に戻ろうと思うかもしれない。捨ててきた故郷とはいえ、その土地の文字や食材を目にすることは、彼らにとって希望の光になるはず。
しかし……光があれば必ず闇がある。
「――ちょっと、待ちなさいよ! 泥棒ッ!」
前方から響いた、若い女性の怒声。
そして僕の傍を、十歳にも満たない小汚いガキが駆け抜けていく。
小回りが利く体躯はこのストリートではかなり有利だ。僕がとっさに伸ばした手の先をすり抜け、あっさりと雑踏に紛れて消えてしまった。
「ああ、もう最低ッ!」
女性店主の叫び声に、通行人たちは同情の眼差しを向け……一秒後には、何事もなかったかのように歩き出す。
僕はその声の主のところへ向かってみた。
人込みをかき分けると、一畳分ほどの布が広げられたアクセサリーの露店があり、その奥に二十歳くらいの女性がへたり込んでいた。
この街では珍しい、耳飾りが見えるほどのショートカット。限りなく黒に近い焦茶色の髪と瞳、浅黒い肌という、エキゾチックな面立ちの美人さんだ。
「あの、お姉さん」
「もう信じらんないッ! このお店で売ってるものなんて、せいぜい銅貨一枚くらいの石ころばかりなのに、唯一本物の宝石使ってるの盗まれた……アタシの持つ技術を全部注ぎ込んだあのネックレスが……銀貨一枚分のお宝が……」
「お姉さん?」
「だいたい、あのバカ兄貴が店番アタシに押しつけてどっか遊びに行くから! このご時世、か弱い乙女が一人で宝石屋をやるなんて無茶に決まってるじゃない! しかもアタシは職人よ? こんなことするくらいなら、今すぐ洞窟もぐって“魔鉱石”探したいっつーのに、あのバカ兄貴ッ」
「お姉さん!」
三度目の正直。
ようやく目の前の“客”に目を止めたお姉さんは、慌てて取り繕ったような笑みを浮かべて。
「はぁい、いらっしゃいませぇー。ここに揃えるのは、全て本物の宝石を使ったアクセサリーばかり。どれも銀貨一枚以上の品だけど、特別価格の銅貨十枚でいいわよ。さあ、いかが?」
……大ウソだった。




