二十五、傷跡
それはまさに、包丁の実演販売みたいな感覚だった。
硬い人参から軟らかいトマトまで、刃を押し付けるだけでスパッと切れるあの感じ……。
「ヤバイ、これ気持ち良すぎる!」
地竜を倒した後も、次から次へとひっきりなしに現れる魔物たち。霧の外で待ち構えていた僕は、そいつらを斬って斬って斬りまくる。
それでも麗蛇丸は刃こぼれひとつ起こさない。青白い輝きをまとったまま涼しげに佇んでいる。「俺、最強の魔剣ですが何か?」とでも言いたげに見えるのは、僕の気のせいじゃないはずだ。
……悔しいけれど認めざるを得ない。僕自身の力なんてこの剣の足元にも及ばないと。
「――くそッ、魔剣には負けん!」
さらなる肉体強化を心に誓いつつ、僕は腕を振るうスピードを上げ続けた。
気づけば東の空はうっすらと白み始め……山のように積み重なった魔物の死骸は、眩い光に包まれて跡形もなく消えていった。
残されたのは、お宝の山。
「フフフフフ……」
と、不気味な笑い声を漏らしつつ、僕はできたてほやほやの魔石を荷袋へ詰めていく。ぺしゃんこだった袋がどんどん膨らみ、最後はずっしりと重たくなった。
失った魔石貯金――五割回復!
特に素晴らしいのが地竜の魔石だ。とにかく大きさがハンパない。ソフトボールくらいのそれを両手で握り締め、太陽へとかざしてみる。
「おお、美しい……例えるならば、真夏の夜空にキラリと輝くリンゴ飴のごとき色合い……!」
溢れんばかりの濃厚な魔力は、手にした者の心を狂わせる。
僕も眺めているだけでヨダレが垂れそうになるというか、本気で舐めたくなってしまった。でも元が巨大トカゲだってことを思い出してなんとか自重。
「――そうだ、これを使えば『空中結界』が造れるかも!」
邪竜の到来を真っ先に察知するのは、物見の塔に勤める兵士たちだ。できれば彼らが自由にスイッチを入れられるような装置を開発したい。ワンタッチで傘が開くように結界が生まれるものを。
それを置き土産にできれば、僕の方に思い残すことはない。安心して王都へ旅立てる。
「まずはこの魔力に耐えうる土台が欲しいな。普通の石垣に埋め込んだらすぐ壊れちゃうだろうし、それこそ竜の鱗くらい硬いものがあれば……」
と、魔術技師っぽいことを呟きつつ、僕はウキウキとした足取りで『霧の秘湯』へ向かった。
このリンゴ飴を舐め……いや眺めながら、鼻歌混じりにひとっ風呂浴びて、汗臭くなった服を洗濯して乾かして、身も心もサッパリしてから帰ろうと。
しかしその計画はあっさり頓挫する。
「……ん? なんか街の方が騒がしいな」
振り向けば、閉鎖された東門の手前にニンゲンの集団がいた。その人数は三十名ほど。兵士と冒険者が入り混じっているようで、隊列はぐちゃっと乱れている。
不審に思い、ハイスペック耳を駆動させてみると――
「確かにあの場所だ! 『死の霧』から現れた邪竜の姿を、オレはハッキリと見たんだ! 恐ろしくてすぐに逃げだしちまったが、間違いねぇ!」
「ふむ……今は何も見えんな。邪竜は霧の中へ戻ったんじゃないか?」
「それではあの“咆哮”の意味が分からない。物見の塔からも報告があったんだ。邪竜が雄叫びをあげる直前に、東へ向かって一筋の光が走ったと」
「光か……やはり精霊術師の奇跡だろうか」
「分からん。神殿は前回と同じく“だんまり”だからな……まあとにかく現地へ行ってみよう。何か手掛かりがあるかもしれない」
……マズイ。この展開は非常にマズイ。
犯行現場にはまだ物証がたんまり残っている。例えばこの世界では珍しいスニーカーの靴跡とか、または僕の頭から抜け落ちた黒髪とか……。
とにかく、あのメンバーの中に隊長がいるのが一番ヤバい!
隊長も『東へ向かった光』が、愛用していた魔剣のものだってことは感づいているはず。僕がソロプレイ中だってことも知ってるし、もしかしたらすでに僕を疑ってるのかも……。
と、ぐるぐる考える間にも、ザクザクという力強い足音が近づいてくる。視力の良いヤツなら僕の姿を確認できるくらいの距離に……。
僕は魔石を握りしめ、叫んだ。
「――竜巻、僕の足跡を吹き飛ばせ! 砂粒、泥になって僕を覆え!」
こんなときは、逃げるが勝ち!
小型の竜巻がザザザーッと地面を大掃除する中、僕は超前傾姿勢でゴブリンダッシュ!
「あッ、怪しい影が!」という捜索隊の叫びに必死で耳を塞ぎながら、霧の壁に沿って北へと一直線に突っ走り、王都へ向かう馬車道へぶつかる手前でストップ。ちょうど小川があったので、ザブンと飛び込んで泥汚れを洗い流す。
そして……濡れ鼠のまま石畳の道をとぼとぼ歩いて帰宅。
帰りがけに近くの雑木林へ寄り、クルミに似た木の実をたっぷり収穫した。この街は罪人ウェルカムだし、荷物チェックは行われないと分かっていたけれど、万が一荷袋の中を検められてもいいようにカモフラージュで。
RPGみたいに『アイテムボックス』の機能があったら楽なのになぁと思いつつ、北門に到着すると――そこは予想以上に物々しい雰囲気に包まれていた。
「ボーズ、無事だったか!」
真っ先に声をかけてくれたのは、顔なじみの若い門番さん。隊長から僕の保護を依頼されたのか、他の冒険者には鉢合わせしないようこっそり門を通してくれた。
昨夜の状況を尋ねられ、「角ウサギを追いかけていたら、恐ろしい魔物の声がしたから遠くへ逃げた。その途中で川に落ちた」と告げると「大変だったな」と言って兵舎まで送ってくれた。優しげな笑顔で「ゆっくり風呂に入って空き部屋で休むように」と……。
……。
……。
……罪悪感、パネェ。
玄関先で出迎えてくれたシュレディンガーをひとしきり撫でながら『一人反省会』を行った後、僕はスーパータライの待つ大浴場へ。
ほかほかのお湯をばしゃっと被ると、ようやく気分が落ち着いてくる。
「ふぅ……さっきはヤバかったけど、なんとかごまかせた気がする……」
それにしても、かなり危ない橋を渡ってしまった。
リンゴ飴に気を取られていたのが不幸中の幸い。一分でも早くあの場所を離れていたら、証拠隠滅はできなかった。
「あとは『東へ向かった光』のことを、隊長にごまかさなきゃな」
はぁ、とため息が漏れてしまう。やっぱり嘘をつくのはツライ。
僕がゴブリンだってことを、いつか告白できる日がくるといいけれど……と儚い夢を描きつつ、汚れた身体をせっせと磨き上げる。
こびりついた泥やら、川に生えていた藻やらを石けんできっちり洗い流し、ついでに下着とチュニックを洗濯する。
そのとき僕は気づいた。門番さん御用達である厚手のチュニックに、ところどころ穴が開いている。鋭い刃物で切り裂かれたような跡が。
「ああ、そういえば地竜にやられたんだっけ……」
僕は浴室の壁面に取り付けられた鏡を見やった。頬に走る一筋の傷は、カッコイイというよりちょっと痛々しい。
「魔石で治すと怪しまれるから放っとこう。どうせ薄皮一枚切れただけだし、明日にはかさぶたになるだろ」
もしかしたら若い門番さんが僕を気遣ってくれたのも、コレのせいかもしれない。ウサギの角で突かれたと勘違いされたのかも。
「まあ、実際“ウサギの傷”も残ってるけどさ。あんときは痛かったなぁ」
僕は洗濯物を放置し、鏡へと近づいた。
あまり研磨されていない曇った鏡越しにもハッキリ分かるほど、深く刻まれた全身の古傷。そして腕や肩や脚など、あちこちに残る鮮明な赤いライン。
これらの傷は僕にとって大事な勲章だ。
なにより自慢できるのは――割れまくったこの腹筋! 体脂肪率は推定八パーセント!
「うん、これぞ“闘う漢の肉体”って感じだよなッ」
と、鏡の前でボディビルダーっぽい決めポーズを取ったとき。
「――おい、坊主が戻ってきたってのは本当か!」
玄関から響いてきた怒鳴り声はまさしく隊長のもの。そのままドタバタという乱暴な足音がこっちへ迫ってくる。
ヤバイ、まだ服着てない……。
いや別に見られても構わないけど、やっぱこういうのって百パーセント自己満足っていうか、僕他人に自分の身体見せつけて愉しむ趣味とかないし!
焦りながらもタオルを腰に巻きつけ、大事な部分だけを隠した直後。
「坊主、風呂入ってんのか? 開けるぞ!」
「ちょ、待ってくださいッ、僕まだ裸で」
「ハハッ、元気そうじゃねぇか! つーか何を気にしてんだ、女じゃあるまいし」
そう言って隊長は、鍵の付いていない浴室の扉をガラッと開け放ち――
「あ……」
そう呟いて、ピキッと固まった。
もし僕が男装している女の子だったら――その手の小説だったらこの状況はいわゆる『ラッキースケベ』的な萌えるシーンだと思うけれど、実際はそんなこと全然なくて、むしろ百パーセント萎えシチュ……。
なんとなく申し訳ない気分になって、僕がしょんぼりうなだれていると。
「まいったな……オレは坊主のことを、本当に見くびっていたらしい」
大きく息を吐いた隊長は、切れ長の眼を軽く潤ませながら近づいてきた。そして僕の顔ジッと覗き込んで。
「この傷は痛くないか?」
節くれだった指先が、無遠慮に頬へと触れる。僕は小さく頷いた。
そこにある真新しい傷のことは、すでに報告されていたのかもしれない。あと左手首にある『大ネズミの洗礼』は、チュニックの袖口から覗いていたことだろう。
だけどそれ以外の傷は、きっと隊長にとっても想定外。
何も言わなくても、これらの傷は雄弁に語っていた。僕がこの世界でどんな生き方をしてきたのかを。
「今まで子ども扱いして悪かった。お前は立派な“冒険者”だったんだな」
「隊長……」
「お前がどこから来たのかは知らないが、一人きりで長い旅をしてきたんだよな。よくこの街まで辿りついた。頑張ったな」
それは僕がずっと考えないようにしてきた――だけど、いつか誰かに言って欲しかった言葉で。
温かい声と大きな手のひらを感じながら……僕は生まれて初めて、人前で泣いた。




