二十四、剣士
ぼっちは寂しい、と街中では思っていても、やはり暗闇の中では一人が落ちつく。
静寂を破るのは、ときおり吹き抜ける砂混じりの風音と、乾いた大地を踏みしめる靴音。そこへ思うままの独り言を重ねて流す。
「お姫様、か……そんなの関係ねぇ、よなッ!」
足元に転がっていた石を、僕は思い切り蹴飛ばした。
それは単なるストレス解消の行為だったけれど、なぜか遠くで「ピギャッ!」という悲鳴を生んだ。駆け寄ってみれば、角の生えた大ウサギが腹を撃ち抜かれて死んでいる。
「……巻き添えにしちゃってゴメン。お前の魔石は有意義に使ってやるから」
呟いたその声は、青白い月のように冷たく響いた。弱者の命を奪うことに慣れ切った、傲慢な捕食者の声。
それでも、罪悪感のようなものは一切浮かばない。
ウサギの耳を掴んでずるずると引きずりながら、僕は道なき道を進む。闇の向こうにそびえ立つ『死の霧』を目指して。
今夜は一日ぶりの狩りだ。身体もなまっているし、油断は死を招くと分かっている。
それなのに、心は一つの出来事に囚われたままだった。気づけば“アリス”のことを考えてしまう。
「しかし、関係ないっつっても、実際どーすりゃいいんだろーな……」
夕方から続いた隊長とのナイショ話は、僕にとって想定外の方向へ動いた。
『ギルマス氏に僕が“魔術技師”だってことを教えてもいいか?』という確認のためのミーティングだったはずが、アリスの重大な“秘密”を知らされることになり……僕の計画も大幅な修正を余儀なくされた。
――この街で“秘密”を知る者はほとんどいない。王子と枢機卿、そして隊長の三名のみ。
隊長はあくまで公務員であり、なおかつ国王からの信頼も厚い人物だということで、枢機卿を通じて特別に知らされたとのこと。アリスがこの街へやってくるときは、馬車の検問を担当したのだとか。
「とても名誉ある仕事だった」と隊長は自慢げに語っていたけれど。
……その馬車の中には、本当にアリスがいたんだろうか?
あのおてんばなアリスが、狭い箱の中で大人しくしていたとは思えない。半透明の姿でこっそり外へ出て、優雅に空を飛びながらやってきたんじゃなかろうか。
王都の大神殿という『箱庭の中』から飛び出したアリスの、好奇心いっぱいに輝くエメラルドの瞳がありありとイメージできて、僕はクスッと笑ってしまった。
アリスのことを考えるだけで、僕の心はポカポカと温まる。
だけど“もう一人のアリス”のことを想うと、氷のように冷めていく。
隊長は、僕の人探しについてきっぱりと告げた。
「――やめておけ。それこそ藪から蛇をつつきだすことになるぞ」
精霊術師の秘密はこの国でもトップシークレット。もしほじくり返そうとすれば、神殿だけでなく王族や貴族をも刺激することになるから、と。
真摯な眼差しでそう諭され、僕は言葉を失った。
確かに僕はこの国の王族について何も知らない。アリスの父親にあたる人物が何代前の王様なのか、まだ生きているのか、アリスに兄弟はいたのか、そもそも家族と親しくしていたのか……。
大事なお姫様が生贄として捧げられたことについて、彼らがいったいどう思っているのか――
考えたところで答えが見つかるはずがない。僕は「少し気持ちを整理してみます」と告げて、逃げるように城壁の外へ出た。
Fランクの僕が危険なソロプレイをすることに対し、隊長はそうとう渋い顔をしたものの、北門からあまり離れないことと、“覚醒”した麗蛇丸を持っていくことを条件に許可してくれた。
またこっそり護衛を向けられるかなと思ったけれど、さすがにそれは業務の範囲から外れ過ぎていたんだろう。フィールドへは誰も付いてこなかった。
というより、隊長はちゃんと分かっているんだと思う。僕にとって本当の敵が誰なのかを。
「魔物なんかより、ニンゲンの方がよっぽど残酷だもんな……」
魔物は徒党を組むことも策略を仕掛けることもない。己の身体ひとつで真っ直ぐに立ち向かってくる。
それに比べてニンゲンは……貴重な魔術技師だとか黒髪のネムス人だとか、それっぽい理屈をくっつけて、何の落ち度もない僕を害そうとする。
それでも僕にはまだ『それっぽい理屈』があるからしょうがない。一番残酷なのは、可憐な姫君に重たい足枷を繋いで、死の街へ置き去りにしてしまうヤツらだ。
「やっぱり僕は諦めたくない。僕が真実を知ってしまったことも含めて、全てが“アリスの導き”だと思うから」
つまり――次の目的地は、王都だ。
◆
どさり、と鈍い音を立てながら大木のごとき巨躯が倒れる。衝撃は地響きとなって乾いた大地を揺らす。
足元へ横倒しになった獲物――以前は氷の魔術を使わざるを得ないほど苦戦していた巨大トカゲは、茶褐色の尾をしぶとく動かしていたものの、最後はくぐもった呻き声をあげて絶命した。
僕は血に濡れた拳を振るい、顔に浴びた返り血をチュニックの袖で適当に拭う。
準備運動も兼ねて、しばらく拳と足だけで戦ってみようと決めたところ、ほんの一時間ほどで倒した獲物の数は十を越えた。
今までになくハイペースな展開に、僕は首を傾げる。
「魔物の数が多すぎる……ていうか、この霧の場所、こんなに近くなかったよな?」
聖都オリエンスの人々が怯え続けてきた『死の霧』は、確実にその威力を増しているようだ。大量の魔物を引き連れて、じわじわと荒野を侵食していく。
この霧を止める術は、今のところ全く思い浮かばない。
いくら魔物を倒したとしても焼け石に水というか、倒した魔物は『再生』している気がする。その仕組みを探ってシステムを壊さない限り、戦いは永遠に終わらない。
魔石というエネルギーを得られることや、冒険者にとって大事な収入源になるというメリットを差っ引いても、さすがにキツすぎる。
一目散に逃げ出した王族や貴族たちは、ある意味正しい。
逆に、現状を知っていながらこの街へ集まってくる人たちは――それこそ生贄みたいなものなのかもしれない。
そんなことをぼんやりと考えていたとき、僕の聴覚がぴくんと反応した。
「グルルルルルゥ……ッ」
霧の向こうから忍び寄る、荒々しい息遣いと獰猛な唸り声。これは強敵の気配だ。
「ついにお前の出番だぞ……麗蛇丸」
腰に差した細身の剣を抜き放つと、その刀身は喜びを示すかのようにギラリと輝いた。
隊長にとっては軽すぎる剣も僕にはちょうどいい。今までの相棒とは違い、空気抵抗を受けることもなくスピードを殺すこともない。
譲り受けた直後、木の枝を試し切りしただけでその切れ味に惚れ込んだくらいだ。さらに魔石で“覚醒”させたとなれば、いったいどれほどの力になるのか。
未知なる強者と対峙する、切羽詰まった状況だというのに、僕はどこかワクワクしていた。
そして霧の中に小山のごときシルエットが浮かび上がり、唸り声が鼓膜を打ち鳴らしたとき――僕の魂は驚愕に震えた。
「ッ、邪竜――?」
まさか、と息を呑む余裕すらなかった。
とっさに横っ飛びした僕の残像を追うように、黒く太い“鞭”が振り抜かれる。硬い鱗の先が頬をかすめ、つうっと血が流れる。
そういえば、数千という戦いの中でも顔に傷を負ったことはなかったなとか、このまま傷を放置すれば隊長みたいに威厳が出るかなとか、本当にどうでも良いことを考えながら……僕は右へ左へと縦横無尽に繰り出される強靭な鞭を避け続けた。
ただ避けるだけでは能がない。僕は自分の立ち位置を少しずつ霧から遠ざけていく。
月を覆っていた雲は風に千切れ――敵の全貌が露わになる。
「邪竜、じゃない……だけど強い、っていうか“黒い”……?」
月光を受けてキラキラと輝く鱗の色は、今までの大トカゲとは明らかに違う、漆黒。僕という虫けらを見下ろす冷ややかな双眸は、深紅。
体長は二十メートル近く。いや、尾の先までを含めれば三十メートルか。城壁をも突き破りかねないほど重たげな体躯。それを支える二本の足には鋭い爪が生え、身じろぎするだけで大地を深く抉る。
しかし、その身体に翼はない。
代わりに生えているのは逞しい二本の腕。当然ナイフのごとき爪を持ち、尾と交互に振り回してくる。ときには四つ足になって突進もする。コイツのことは、地竜とでも呼ぶべきか。
もう一点、邪竜との大きな違いは――炎を吐かないこと。
これは僕にとって、ラッキーでもアンラッキーでもある。手元に剣がある以上、敵が口を開けばそこを弱点として狙うべきところだが、ヤツは炎を吐くどころか噛みつき攻撃さえしてこない。
邪竜より攻撃力は弱い、だが防御力は確実に高い。
空を飛ばず炎も吐かない分、溜めこんだ魔力は全て身体能力の強化へと回される。鱗の強度が高まるのはもちろん、その奥にある鋼のごとき筋肉へも作用する。
つまり、邪竜より硬くて速い!
鋭い鞭となって襲いくる尾や、薙ぎ払われた腕を紙一重でかわしたと思った瞬間、身体のどこかから血が噴き出す。ピリッとした痛みが後からやってくる。
このまま逃げ回っているだけじゃ、少しずつ血を失い動きが鈍くなることは確実。
しかし、素早さでいえば僕だって負けてはいない。
地竜の方も、なかなか当たらない攻撃に苛立ちを隠せないようだ。口の端を微かに持ち上げ、巨大な牙を見せつけながら低い唸り声をあげる。
「さて……そろそろ攻撃パターンは見切ったし、反撃と行くか」
手にした麗蛇丸を月へと掲げ、僕は静かに息をついた。丹田へと力を込めつつ敵を真っ直ぐ見据える。
握り締めた柄には、魔石の欠片が埋め込まれている。
いつもなら魔石を手にし、自分の体内を通過させる形で魔力を武器へと移していた。その工程が省けるだけで、肉体への負担はそうとう軽くなる。
「さあ、来いよ」
邪竜との戦いではお互い満身創痍だった。でも今は違う。邪魔な城壁もなく、守るべきニンゲンもいない。
どこか崇高な、一騎打ちに挑む騎士のような気分だった。もしかしたら僕は微笑んでさえいたかもしれない。
怒りの咆哮とともに繰り出された鞭の尾へ向けて、僕は麗蛇丸を突きつけた。
ただ、それだけだった。腕を振り下ろす必要さえなかった。
「グギャルルルァァァ――ッ!」
霧に潜む魔物や、木陰で眠りにつく獣たち、そして城壁の向こうに隠れたニンゲンたち……生きとし生ける全ての存在が震えるほどの、絶叫。
その一秒後、ズズッ、と地竜の身体が傾いた。というか、二重にぶれた。
息を吸うことすら忘れて見入る中、巨大な岩山のごとき巨躯が二つに分かれていく。血肉が醜く飛び散ることもない、美しいまでの――“一刀両断”。
「えっ……なんで……?」
僕は目の前に掲げっぱなしの麗蛇丸と、その向こうで『二枚おろし』にされた地竜を交互に見つめる。
血糊をまとい、てらてらと輝く麗蛇丸の先から、月明かりより淡い“何か”が放たれている。それは可視光線とは違う、しかし地竜の身体を確実に引き裂いたもの。
「これってもしかして、レーザービームみたいなヤツ? いや、ファンタジーの世界観的には、『光の魔剣』とでも表現するべきか……」
そもそも麗蛇丸の刀身は一メートル弱。僕としてはあの尾に傷をつけるか、あわよくば斬り落とせたらラッキーくらいに思っていたのに。
まさか一撃で、身体ごと真っ二つとか……。
「この剣、マジつえぇぇぇ――!」
……。
……。
……さっき隊長と約束した『手合わせ』は絶対にキャンセルしよう、と僕は思った。




