二十二、奇行
夕方になると、街はいっそう賑わいを増した。
北門へと続く石畳の道には露店がずらりと並び、威勢の良い掛け声とともに香ばしい匂いが漂ってくる。人とすれ違うたびに肩がぶつかりそうになるほどの混雑具合だ。
まさに僕が望んでいた、『生きている街』の風景が目の前に広がっている。
なのに、僕の心は沈んだままだった。
ギルドを出た直後は「ぼっち上等、食い倒れツアーだ!」くらい思っていたくせに……やっぱり一人は寂しい。
街を歩くのも、ご飯を食べるのも、誰かと一緒の方が何倍も楽しい。
その相手がアリスだったら、なおさら――
「いや、さすがにそれは無理だよな。今日みたいに“半透明”になったって、人とぶつかったら姿が視えちゃうし、ご飯だって……あの身体でも食べられるのかな?」
もし可能だとしても、傍から見たらオカルトだ。透明人間だと思われて大騒動間違いなし。
そんなことをイメージして、僕はクスッと笑った。
しかし、一秒後には再びアリスの幻影に囚われる。笑顔に満ち溢れる人々の中、僕は一人深い思考の海に沈む。
「“精霊術師”って、いったいなんなんだろうな……」
光や風を味方につけて、自由自在に空を駆ける。凶悪な魔物をも軽々と討伐する。きっと神殿でも不思議な力で病人たちを救っているんだろう。
その素顔は――僕が見たかぎり、ごく普通の女の子だ。
ただし精神面はものすごく幼い。男の僕に気安く肌を晒して、柔らかな身体を寄せてくる。しかも、女神の髪から子どもが生まれるなんて本気で信じている。
もし僕がアリスの保護者なら、街へなんて出したくないと思うかもしれない。そのまっさらな心を守るべく、神殿の奥深くに閉じ込めて、綺麗なものだけを見せて――
「……だけど、そんなのオカシイよな」
だってアリスは“お人形”じゃない。奇跡を起こしてくれる便利な道具でもない。
なのに、周囲の大人からそうなるようにコントロールされている。
アリスにとって、怒りや憎しみや嫉妬や……人間が当たり前に抱く負の感情は、すべて『穢れ』になってしまうんだろうか?
どんなに理不尽なことがあっても、無理やりポジティブな解釈をして笑うんだろうか?
……だとしたら、アリスが可哀想だ。
なんとかその役目から解放してあげられないか、と考えかけた僕の頭に、一人の女性の姿が浮かんだ。
昨日出会った銀髪の精霊術師。僕が“覚醒”させてしまった相手。
鎖に繋がれ、打ちひしがれる彼女の幻影は、僕に向かって恨み言を吐いた。
『――どんなに逃げても必ず追手が現れる。これは逃れられない運命なのよ』
ドクン、と心臓が不穏な音を立てる。これは僕の勝手な妄想だというのに、胸が引き裂かれそうなほど痛む。
気づけば僕の指は、胸の中心へと触れていた。くすんだ銀の指輪のある位置へ。
そして軽く目を伏せ、心の中で一つの誓いを立てる。
「大丈夫。キミが望むなら……“アリス”が望むなら、僕がどこへでも逃がしてあげるから」
◆
アリスたちのことを悶々と考えながら石畳の道を歩いているうちに、目の前には強固な城壁が迫っていた。
北ギルドからここまで、普通の人の歩く速度で一時間ほど。途中には民家もあるし、軽く休憩できるような茶屋もある。バス代わりの乗り合い馬車も定期的に走っている。
「危ないのは早朝の時間帯だけみたいだし、やっぱり『護衛』は丁重にお断りしよう……あ、護衛さんにお土産買うの忘れた! ……まいっか。どうせ明日は南エリアに行くつもりだし、せっかくなら珍しい物を入手してこようかな」
なんて独りごちつつ兵舎のある横道へ入ると、大柄な男性の姿が視えた。
遠目にもその人物が心配性だってことがよく分かる。そわそわと落ちつきなく歩きまわり、夕焼け空を見上げてはため息を連発している。
「――隊長さん! 待っててくれたんですか?」
今朝も似たような台詞を言ったな、と思いつつ、僕は隊長の元へ駆け寄った。隊長の方も、餌を待ちかねたワンコのような顔で僕の元へダッシュ。
そして頭のてっぺんからつま先までを、舐めるように見回して。
「ああ、無事だったようだな……良かった」
そう言って僕の頭をわしわしと撫でる。若干鬱陶しいけれど、精霊さんとの貴重なふれあいタイムだし、邪魔するのも無粋だと思って我慢する。
精霊の癒やしパワーを受け、隊長のメンタルが落ちついたのを見計らって、僕は本題に斬り込んだ。
「今日はご心配おかけしちゃってスミマセン。わざわざ護衛の方を“六人も”つけてくださって、ありがとうございました。でも明日からは要りませんので」
「いや、七人だ」
「へっ?」
「一人は中間報告で先に戻ってきた。あとは鳩も飛ばした。とにかく坊主の行動は逐一報告させた」
……堂々たるストーカー宣言だった。
隊長の目の下には、昨日より濃いクマがくっきりと浮かんでいる。きっと報告が届くたびに飛び起きていたんだろう。
「え、えっと、いったいなぜそのようなことを……?」
「そりゃ貴重な魔術技師だから、と言いたいところだが……坊主の行く先が問題だった。てっきり南ギルドへたらい回しされるかと思っていたんだが、まさかあの“アリス愛好家”の――ヘンタイクソジジイのアジトへ乗り込むとは……!」
ギリッ、と強く奥歯を噛み締める隊長。太く凛々しい眉は極限まで寄せられ、握られた拳はぷるぷると震えている。まさしく悪鬼のごとき表情だ。
「隊長さん、お父さんのこと嫌いなんですね……」
ていうか“アリス愛好家”って……。
この場合のアリスは『幼女』のことなのか、それとも『生娘』のことなのか。いや両方かもしれん。なんせ六十の爺が十九の嫁だし。
「アジトの中でどんな会話をしたかは想像がつく。どうせ坊主もヤツの“武勇伝”を聞かされたんだろう? ヤツは魔術と剣技だけが取り柄の、邪な欲望にまみれた最低な男だ!」
「はぁ……」
「それにしても、オレは坊主のことを侮っていたようだな。北ギルドの門番――“邪竜の炎のごとき毒を吐く”と噂の恐ろしい受付嬢を『黄金色の菓子』で懐柔し、さらには『黒煙の地獄』と呼ばれる北ギルド最上階へ進むとは……そこへ小一時間も閉じ込められていたと聞いて、オレは生きた心地がしなかったぞ!」
「あー……ちょっと待ってください。いろいろ大げさっていうか、別に僕は閉じ込められてたわけじゃ」
「しかも、地獄から解放された後は、あたかも悪霊に取り憑かれたかのようにふらふらと街を彷徨い、常に怪しい独り言を呟き続けていたというじゃないか!」
「……あ」
そうだ、すっかり忘れていた。
僕がアリスと会っている間も、護衛の皆さんは近くにいたんだ。
“エア美少女”とのドキドキな初デートは、他人からするとただの怪しい独り芝居……。
……。
……。
「ああ、そんな顔をしないでくれ。坊主の気持ちはよく分かる。オレもヤツから『後妻』を紹介されるたびに、口から魂が抜けかけたんだ。あのヘンタイ野郎、オレが密かに気に入っていた娘ばかりを狙いやがって……絶対に許さんッ!」
と、口から炎を吐きそうなほど怒り狂う隊長。
完全に私怨が入っているけれど、さすがにこれはギルマス氏が悪いというか、隊長に女運が無さすぎるというか……。
できればそっちに気を取られて、僕の奇行を忘れてくれたらありがたいです……。




