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リアリスフィア ~竜は孤高の花を望む~  作者: AQ(三田たたみ)


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22/111

二十一、精霊

 今日の聖都オリエンスは、雲ひとつない快晴。北エリアの商業区域も、買い物に訪れる市民たちで大賑わいだ。

 活気に溢れる大通りから少し南へ逸れると、馬車の通らないのどかな遊歩道がある。小川のせせらぎがあり、街路樹が涼しい木陰をつくるその道では、街の喧騒に疲れた人々が思い思いにくつろいでいる。

 光と風と緑に包まれた穏やかな小道を、僕はのんびりと歩いていた。右腕から伝わる熱のせいで頬を火照らせながら。

 ――災い転じて福となす。

 ギルマス氏の大人げない悪戯に引っかかり、はからずもアリスを“召喚”してしまった僕は……めちゃめちゃ幸せだった。

 天使みたいに可愛い女の子と、腕を組んで歩いている。このシチュエーションだけで、止まった鼻血が吹き出しそうになる。

 これは僕にとって、人生初デートだ!

 他の人には視えない“エア美少女”だろうが関係ない。僕には視えてるし触れてるし会話だって成り立つし!

 ……いや、会話については意外と成り立っていない部分もあるかもしれない。

「それじゃ、ユウは私を呼んだわけじゃなくて『小さい女の子』のことを話していただけなのね?」

「うーん……そう言われると微妙なんだけど、とりあえず『アリス』って言葉が人の名前以外にも使われるってことを教わってたんだ。いろんな意味があるってことを」

「いろんな意味?」

「えーと、今言ったみたいに『小さい女の子』だとか、あとは、その……『生娘』とか」

「生娘ってなに?」

「へっ?」

 半透明なアリスの瞳が、不思議そうにパチクリと瞬きする。つられて僕もパチクリと。

 ……ヤバイ。なんだか地雷を踏んだ気がする。

 これっていわゆる“保健体育”的なジャンルというか、一歩間違えれば清純なアリスの心を穢してしまうことになるのでは……。

 とろんと蕩けていた僕の脳みそは一気にフル稼働。十六年の人生で培った紳士力を発揮し、適切な言葉を選び出す。

「その……生娘っていうのは、まだ結婚していなくて、子どもをつくろうとしていない女の人のこと、かな」

「どういうこと? 子どもは人がつくるものじゃなくて、空から降ってくるものでしょう?」

「へっ?」

「あら、ユウは知らないの? 子どもっていうのは、女神様が髪を切ったときに空から降りてくるのよ。それを拾った人が『お母さん』になるの」

 さも当たり前のように告げ、ニッコリと微笑むアリス。僕の背筋を冷や汗がつうっと伝う。

 こんなときは――さりげなくスルーすべし! ついでに話題をあさっての方向へぶん投げる!

「そ、そーなんだ? 知らなかったなぁ……あっそうだ! 髪の毛っていえば、僕この髪を染めようと思うんだけど」

「えっ!」

 ふわふわとした軽い足取りで隣を歩いていたアリスが、突然ぴょんと跳ねた。僕の腕から手を離した瞬間、その姿は視界から消えてしまう。

 しかし、不安を覚える間もなく彼女は戻ってきた……おかしなポジションに。

 ――アリスが、なぜか僕の上に乗っている。いわゆる『肩車』のスタイルで。

 ずるずると長い法衣の裾は大胆にたくしあげられ、首まわりには柔らかい太ももがぎゅむっと押し付けられる。そして丸い膝小僧とししゃものごときふくらはぎが、目の前ににょきっと。

 ……ああ、なんという天国。

 幸せすぎて眩暈を覚えるけれど、ここで倒れるわけにはいかない。半透明なくせに意外と重量のあるアリスの身体を支えるべく、僕は両足をしっかり踏ん張る。

 そして一秒でも長くこのご褒美タイムを続――いや、今すぐ解消せねば。僕は紳士だし!

「あ、あの、アリスさん、この体勢はちょっと」

「どうして髪を染めるなんていうの? この髪すっごくキレイで、私大好きなのに!」

 なでなでなでなで……。

 くんかくんかくんか……。

「はぁ、ユウの髪ってすごく良い匂い。これはアレね、王都の大神殿に生えてる大きな楡の木の根っ子の匂いだわ!」

「木の根っ子……うん、この髪を気に入ってくれたのは分かったから、一旦降りてくれるかな。僕の鼻の粘膜がそろそろ限界なんだ」

 紳士な僕の訴えに、アリスはしぶしぶといった感じで従ってくれた。両肩の重みはふっと消え、再び右腕に温もりが移る。

 と同時に、貧弱な僕の腰がついに砕けた。ふらりとよろめいて道端の芝生にへたり込む。僕の動きに引っ張られ、風船みたいにふわりとくっついてきたアリスが右隣りへ。

 そのポジションに落ち着いてからも、アリスは僕の髪に夢中だ。

 ほっそりとした指先を伸ばして、後ろ髪を光に透かすみたいに持ち上げてはパラリと放す。お気に入りの玩具で遊ぶ仔猫みたいに無邪気に。

「僕の髪、そんなに気に入ったの?」

「ええ、最高よ。月明かりの下でもキレイだったけれど、太陽の下でもステキ……」

 うっとりとした口調で呟き、しだいに目がとろんとしていくアリス。もしや僕の髪は猫にとっての“またたび”みたいなものなんだろうか。

 髪がまたたび……うん、意味が分からない。

 いずれにせよ、今後は毎日のシャンプーを欠かすまい。いつアリスを召喚してしまうか分からないし。

「それにしても意外だったなぁ。てっきりアリスはこの髪を嫌ってるかと思ったのに」

「えっ、どうして?」

「だってこの色は“男神様”の色なんだろ?」

「オガミサマ、ってなに?」

「へっ?」

 もしやこれは、チート翻訳機能の綻びだろうか。アリスに教わった『アリス』が翻訳されなかったように、『男神様』も『オガミサマ』という文字列として伝わったとか……?

 なんて分析はひとまず後回し。

「オガミサマは、男の神様のことだよ」

 と、よりシンプルな言い回しでハッキリ告げたところで、アリスの表情に嫌悪感のようなものは浮かばない。

 てっきり「黒は不吉な色だ」とか悪評を刷り込まれていると思ったのに……いや、貴重な“精霊術師”に、薄汚い悪口を吹き込むようなヤツはさすがにいないか。それこそ綺麗な心を穢してしまうし。

 僕もネガティブな言い方をしないように気をつけなくちゃ。

「えーと、この国の神殿ではあまり広まってないんだけど、他の大陸に行くとそういう神様がいるらしいんだよね。黒髪黒目をした男の神様が」

「へぇ、そうなんだ!」

 好奇心旺盛なアリスの興味が、髪の毛から僕のトークへとスライドする。今にも唇が触れそうなほどに顔を近寄せて、横顔をまじまじと見つめられて……うん、天国です。

 たっぷり十秒後、甘い吐息混じりの囁きが僕の耳朶をくすぐった。

「そっかぁ、ユウは男神様に似てるのね。だったらなおさら髪を染めるなんておかしいわ。ユウの親しい人たちもそう思うはずよ。だって皆この髪を触りたがるでしょう?」

 さも当たり前のように言われて、僕は首を傾げる。

 そういえば、皆なぜか僕の頭を撫でてくる。それは単に僕が子ども扱いされてるのかとばかり思っていたけれど。

「皆が僕の髪を触るのって、何か理由があるの?」

「うーん……これ教えてもいいのかなぁ。いい? もう教えちゃうね?」

 と、僕の後頭部に向かって話しかけた後、アリスはさらりと告げた。

「ユウの黒髪には“精霊”がついてるのよ」

「……へ?」

「月の光の精霊。とても珍しいの。私も一度しか出会ったことがないわ。王都の大神殿に生えてる大きな楡の木の根っ子の影に隠れていたのよ」

「木の根っ子……へ、へぇー。そんな珍しい精霊が、どうして僕の髪に……」

「ごめんなさい、私にも分からないわ。だって訊こうとしても、目が合うだけで隠れちゃうんだもの。恥ずかしがり屋さんで可愛いなぁ」

 なでなでなで……。

 困惑する僕を置き去りに、再び黒髪をもてあそび始めるアリス。

 眩しげに細められた透明な瞳や、嬉しそうに綻ぶ口元を見ているだけで、心が洗われるようだ。

 できるなら、アリスの願いを叶えてあげたいけれど――

「しかし困ったな……この髪を染めなきゃ、うかつに神殿へ近づけないのに」

 という僕の呟きこそが、相当うかつだった。

 猫にまたたび状態だったアリスがぴくんと反応する。そして今までになく厳しい眼差しで僕を見やって。

「どうして? 王都でもこの街でも、神殿には怪我や病気で困っている人がたくさん来るのよ。その人たちの髪の色なんて、私は一度も気にしたことがないわ」

 ……ヤバイ。また地雷を踏んだっぽい。

 きっと神殿側は、アリスに与える情報をコントロールしている。男神の存在すら隠ぺいしたくらいだ、ネムス人が迫害されてるってことはタブーなんだろう。

 だとしたら、僕が勝手に『チクる』わけにはいかない。

「えーと、僕も人づてに聞いただけだし、不確かな話だからそのまま信じないで欲しいんだけど……この国の神殿の人たちは、男神様のことがちょっと苦手らしいんだ。男神様に似た黒髪の人間のことも……。でも、僕の方も気にしすぎてたのかも。アリスの言うとおり、この髪は染めないでおくことにするよ。ところでアリスはいつも神殿で何を――」

 と、僕が精一杯気を使いまくってフォロー&話題逸らしを仕掛けたところ。

「ごめんなさい、私ちょっとやることを思い出したから、帰らなきゃ」

「えっ、もう?」

 僕の右肩に手を乗せ、重力を感じさせない動きで立ち上がったアリスは、どこか切なげな笑みを浮かべた。

「また会いにくるわ。ううん……今度はユウが遊びにきて?」

「……あ、うん」

 試されているのかもしれない――漠然とそう思った。無垢なアリスに“計算”なんてものは働かないはずなのに。

 戸惑う僕の横髪に細い指先が触れる。その指はするりと滑り落ち、僕の頬へ。

 一瞬だけ、アリスは『擬態』を解いた。

 みずみずしい白磁の肌に、深い森を思わせる緑の髪、折れそうなほど細い身体。

 アリスは煌めくエメラルドの瞳を真っ直ぐに僕へと向けて。

「そんな顔をしないで。またね、ユウ」

 僕の耳元でそう囁くと、アリスは光の中へ消えてしまった。まるで今ここに居たことが幻だったように。

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