十九、魔力
アリスという言葉は、僕にとって特別なものだった。俗物とはかけ離れた神聖なもの。
それは“二人のアリス”の姿が思い浮かぶせいかもしれない。
だから安易に口にしちゃいけない気がして……いざ声に出すとき、僕は自然と神様に祈るように胸の前で手を組み合わせていた。
「僕が探しているのは――“アリス”という女の子の、身内の方なんです」
そう告げた瞬間、ギルドマスター室には静寂が降りた。
「……は?」
「……え?」
ぽかーんと、狐につままれたような顔をする二人。
虐げられる『ネムス人』な僕にめいっぱい同情してくれて、真剣に耳を傾けてくれていたはずなのに、なんだか妙なリアクションだ。
滑舌が悪かったのかと思い、僕はもう一度ハッキリと、よりシンプルな言い回しで告げた。
「僕は“アリス”の家族を探してるんです」
「あー、ちょっと待て、坊主。それじゃあまりにも……ブフッ!」
「どうしよう、ここは笑っちゃいけないところよね? だけどすごく可笑しいわ……ふふっ」
……めっさ笑われた。超俗物な感じで。
さらにギルマス氏は、ニヤニヤといやらしげな笑みを浮かべて。
「なぁ、坊主。試しにこう言ってくれよ。『僕はアリスが大好きです』って」
「え、えっ? 僕は、アリスが大好き、です……?」
意味が分からないながらも、僕は素直に従った。
当然頭の中には、緑の髪の天使が浮かぶ。なんだかエア告白をさせられている感じで、めちゃめちゃ恥ずかしい。
しかし、ギルマス氏は納得いかんとばかりに腕組みをして。
「うーん、まだヌルいなぁ。こっちの方がいいか。『僕はもうアリスのことしか愛せません』って言ってみろ」
「うう……僕はもう、アリスのことしか愛せません……ッ!」
涙目でそう告げると、ギルマス氏は再びブハッと吹いた。
そしてお姉さんは、なぜか僕の隣に移動してよしよしと頭をなでてくれた。同情五割増しという感じで。
この羞恥プレイの理由はいったい何なのかというと――
「えっ、“アリス”って、人の名前じゃないんですか?」
「ああ。いくつか解釈はあるが、俺が使うのはだいたい『生娘』って意味だな」
「……それはギルドマスターの中の常識でしょう。一般的には『小さな女の子全般』を指しますね」
生娘、もしくは小さな女の子全般。
つまり、僕がさっき言わされたのは……。
「大丈夫、俺も“アリス”が大好物だ。俺の妻になった女は全員そうだったからな。ついでにいうと、このお姉さんも未だに“アリス”って噂が……」
「――今すぐ死にますか。それとも前妻たちに殺されたいですか」
と、目の前で殺人事件が発生しようとしているのに、僕は口から魂が飛び出たままで。
……思い起こせば昔から、この手のいたずらにはよく引っかかっていた。「ピザピザピザ」とか「かもめかもめかちんかちん」とか。
でもそれはせいぜい小学生くらいの話。まさかこの年になって……いや、今のはどう考えてもギルマス氏が悪い気がする。彼の精神年齢は小学生レベルだ。サイテーだ。
妥当な結論を導き出した頃、リアルの方でも決着がついていた。
仁王立ちするお姉さんに向かって「ゴメンナサイ」と頭を下げるギルマス氏。この光景を見るのは二度目だけれど、妙にしっくりくる。もしかしたら『真のギルドマスター』はお姉さんの方なのかもしれない。
僕はギルマス氏ではなくお姉さんの方を向いて、話を再開。
「すみません、僕の言い方が悪かったってことは分かりました。結局“アリス”というキーワードで人探しをするのは無理なんですね?」
「そうね。『アリスの家族』というだけじゃ、小さい女の子がいる家庭全部ってことになっちゃうし。他に何か手掛かりはないの?」
真摯な眼差しでそう訊かれて、僕は迷った。
全てを打ち明けることはまだできない。
指輪を見せたり『罪人の街』のことを告げれば、自ずと僕が『死の霧』の向こうから来たことが証明されてしまう。たぶんそれはすごく常識外れなことだ。せっかくの信頼関係を失いかねない。
だけど、良い方法が一つある。
僕は『魔術技師』であり、特別な装置を使って指輪を手に入れた……そんな説明をすることは可能だろう。
とにかく一度隊長に相談してみよう。お父さんに会ったってことも報告したいし。
「申し訳ありませんが、僕の方で情報を整理し直してみます。また後日この話を聞いていただいていいですか?」
「ええ、いいわよ」
それから意外と忙しいギルマス氏のスケジュール調整をしてもらい、明後日の午後にあらためて時間を取ってもらうことになった。その日の夕方リリアちゃんたちと待ち合わせだしちょうどいい。
すっかり一仕事終えた気分になった僕が「ではよろしくお願いします」と言って立ち上がろうとしたとき。
「ちょっと待って。まだ肝心なことが済んでないわ」
「へっ?」
「冒険者登録よ。……ギルドマスター、彼の新規登録を許可していただけますか?」
「ああ、もちろん。ただし“余計な四枚”は処分しておこう」
そう言って、ギルマス氏はニヤリと笑った。
そしてテーブルに置かれたままの登録用紙から、レア言語の四枚分を持ち上げて――
「呼び出せ、遥かな月と共に
此処にも届き繋がる爆ぜた火よ」
パチッ、とギルマス氏の指先から火花が散った。まるでライターを点けるように、赤々とした炎が立ち上る。
それに触れた四枚の紙はめらめらと燃えあがり、ついには消し炭と化した。
「うわ……スゴイ……!」
「相変わらず“炎の魔術”だけは完璧ですね、ギルドマスター」
僕とお姉さんから贈られた称賛の言葉に、すっかり自信を取り戻したギルマス氏がエヘンと胸を張る。
僕はハイスペックな視力を使って、その太い指をじっと見つめた。
……別に魔石が埋め込まれているわけじゃない。指輪もつけていない。
それ以前に、さっきの炎は不思議な色合いだった。魔石を使って生み出す炎とは違う、意思を持つような揺らめき。
ギルマス氏は“精霊術師”じゃないはずなのに、まるで指先に炎の精霊が現れたみたいに……。
「ん? なんだ、坊主。本物の魔術を見るのは初めてか」
「えっ、魔術って、ホンモノとニセモノがあるんですか?」
「いや、どっちも本物ではあるんだが……人が持つ魔力と、魔石の魔力は質が違うからな。同じ炎を生み出すにしても、自分の魔力を使った方がより効果的だ。なんせ詠唱一つで思うように炎が操れる」
その分疲れるけどな、と言ってガハハッと笑うギルマス氏。僕は感嘆の息をつくばかり。
「そっかぁ、魔物みたいに人も魔力を持ってるんですね」
「そりゃそうだ。ちょっと喉が渇いたときに水を出すくらい、そこらのガキにだってできる」
「マジですか! わざわざ魔物を倒して魔石を手に入れなくても、キレイな水が飲めるんだ……」
「いや、そんな当たり前のことを驚かれても……つーか、魔物の魔石なんて庶民には手の届かないお宝だろ。普通に生活する分には、自分の魔力を使う方がよっぽど楽だ」
「なるほど、料理とか掃除には自分の魔力を使えばいいんですね。確かに魔石は高価だって聞いてたし、他の人たちはどうしてるのかなって思ってたんです。それにしても、魔石を使わないで火や水が出せるなんてスゴイなぁ。僕も頑張ればできるかな……」
さっきのギルマスさんはすごくカッコ良かった。『詠唱』とともに発動する自らの魔術だなんて、それでこそ本物の魔術師って感じがする。
ワクワクしながら自分の手のひらを見つめていると……ギルマス氏とお姉さんは何やら残念なものを見るように僕を眺めて。
「お嬢、コイツはものすごいお坊ちゃんみたいだな。世の中のこと何も分かってねぇ……」
「ええ、きっと五ヶ国語も一般教養として教わったのでしょうね。貴重な魔石を料理や掃除に使えるくらいですからね……」
それから世間知らずのお坊ちゃんである僕は、この世界の魔術事情を簡単にレクチャーされた。
早くて三歳、遅くとも思春期までには、ほぼ全ての人間に『魔力』が生まれる。ただし体力と同じで、人の持つ魔力にも個人差があるらしい。ギルマス氏のように大量の魔力に溢れた人物もいれば、水を一口分出すのが精一杯という人もいる。
そのため魔力が少ない人は、やはり魔石によって補うことになり……。
「この街じゃ、普通の魔石はほぼ結界強化に回される。市民が使える魔石はほとんどない。だから人間の魔力を利用する」
ギルマス氏は、ズボンのポケットから小さな石ころを取り出した。これは僕にもよく見覚えがある、魔力が切れてしまった後の魔石だ。
「この『魔鉱石』に魔力を移して魔石に変えるってわけだ。魔物相手には太刀打ちできんが、料理や掃除くらいなら充分使える……ほら、こうやって」
「おおー!」
それはまさに、出来の良いマジックのよう。
灰色だった石ころは、ギルマス氏が握り締めただけで赤く染まった。
普通の魔石に比べて透明度も低いし、二、三回炎を出したら終わってしまいそうだけれど、それでもスゴイ。魔力の注入さえすれば何度でも使えるというし、めちゃめちゃエコロジーだ。
というか……そんなことも知らなかった僕がヤバイ。世間知らずのお坊ちゃんすぎる。
人探しの前に、この世界の常識をマスターするところから始めた方がいいかもしれない……。
ふはぁぁぁっ、と深いため息をつくと、お姉さんがポンと肩を叩いて。
「疲れてるところ悪いけれど、今から同じことをやってもらうわ。冒険者登録に必要だから」
お姉さんから灰色の丸い石を一粒渡され、僕はまじまじとそれを見つめた。
ビー玉くらいのサイズで表面はきちんと磨かれている。よく見ると『北ギルド』のマークが入っていて、なかなか芸が細かいというか、ちょっとオシャレだ。
「この魔鉱石に体内の魔力を注ぎ込んでみて。仕上がった石の色と純度を見て、あなたの冒険者ランクを決定するから」
――冒険者ランク、キター!
ファンタジーのお約束ともいえるその単語に、僕のテンションは急上昇。ソファの上でそわそわしながら詳しい説明を聞く。
お姉さんの解説によると――
色、透明度ともに最高級だと『SSランク』。これは普通の魔石と同等クラスになり、今までお目にかかったことはないとのこと。
その次が『Sランク』。弱い魔物並。ここに若かりし頃のギルマス氏が入るという。さすがですお爺様。
さらにその先、『A、B、C、D、E』の五段階にランク分けされる。僕くらいの少年はだいたい『E』で、まれに『D』が出るらしい。
ただし、隊長は僕と同い年のときに冒険者登録し、いきなり『A』を叩きだしたとのこと。やはり血は争えない。
「じゃあ、その石を右手で握り締めて、ゆっくりと魔力を移動させて。急に動かすと『魔術酔い』になるから気をつけて。左手の先から、心臓を通って右手の方へ……」
催眠術師みたいなお姉さんの言葉に合わせて、僕は『魔力』の流れをイメージする。右手がだんだんぽかぽかと温かくなっていく。
その途中で、ハタと気づいた。
……これ、全力出していいんだろうか?
もしやり過ぎて、この石が真っ赤になったらマズイ。ここは多少手加減して、Aランク以下に抑えておいた方がいいかもしれない。
なんせ僕は、邪竜を手玉にとった伝説のゴブリン……フフフ……。
「はい、ちょっと見せて。……んんー、まだまだね。もう一回!」
「あ、ハイ」
「もういいかしら? ……うーん、あまり上手く魔力が動いてないみたいね。でもこれも慣れの問題だから、もう一回」
「ハイ……」
「ああ、そんなに力を入れたら貴方の血管が破裂するわよ。でもまあこれくらい力を入れれば……あら、まだみたいねぇ」
というやりとりを繰り返すこと、約十分。
「――もう一回! もう一回だけやります!」
「やめてちょうだい、これ以上やると貴方倒れちゃうわ!」
「いやだ! 僕ちゃんと魔力あるって、ホントはすっごい強いんだって、絶対証明してみせるッ!」
右の手のひらが真っ赤になり、鼻から血を吹くほど頑張った僕は、最終的にギルマス氏よりドクターストップ。
そして、出された診断の結果は。
「――Fだな」
「え、ふ……?」
「Fランクだ。魔力に目覚めていない幼児レベル。冒険者ギルドとして魔物討伐の依頼は出せん」
「そ、そんな……」
「まあ安心しろ。街の外に出ない軽作業の依頼は受けられるからな。それでコツコツ実績を積みながら魔力の鍛錬をしていけば、いずれEランクに……なれるといいな」
ポンッ。
同情八割増しの悲しげな笑顔で、ギルマス氏が僕の肩を叩いた。横にいたお姉さんも「まずは引っ越しのお手伝いなんてどう?」と気を使ってくれる。
……。
……。
……うそだ、ぼくはちょーつよいんだ……こんなのぜったいおかしいよ……。
※作中の詠唱にはいつもの仕掛けがあります。(解答は活動報告にて)




