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十八、迫害

「いや、さっきはすまなかったなぁ。まさかアイツが“麗蛇丸”を他人に譲り渡すとは思わなくてな。坊主はそのくらい気に入られたってことか」

 部屋の片隅に置かれた応接用ソファにて、タバコを片手にふんぞり返ったギルドマスター氏が「ガハハッ」と豪快に笑う。

 対面に腰かけた僕はというと、借りてきた猫みたいに委縮していた。

 その理由は、僕の背後でせっせと働くお姉さんの存在。

 長い赤髪から麗しい口元までを大きな布ですっぽりと覆い、ホウキとチリトリの二刀流で奮闘している。僕が「手伝います」と言っても「いいから座ってなさい」とクールに返されてしまう。

 窓を開け、魔石で風を呼び込んで空気の入れ替えが行われたギルドマスター室は……ものすごく汚かった。

 デスクを埋め尽くす書類タワーは、すでに何本かが倒壊。床へぶちまけられた書類の上には、食べ物の空箱などのゴミが無造作に置かれ、タバコの灰が大量にトッピング。壁際には高そうな本が無造作に積まれ、ジェンガのごとく揺れている。

 僕は『シュレディンガー二号』を出動させるべきかと迷ったものの、「目立つなよ!」という隊長の苦々しい顔が浮かんだため自粛。

 ……というか、ギルマス氏が正面に座っているせいで、自然と隊長のことを思い出してしまう。

「それにしても驚きました。まさかギルマスさんが、隊長の“お兄さん”だったなんて」

 その一言に、ギルマス氏は咥えかけの葉巻をポロリと落として。

「……坊主、今、なんて言った?」

「『まさかギルマスさんが、隊長の“お兄さん”だったなんて』と言いましたが……」

「――おい、聞いたかお嬢! 俺はそう見えるらしいぞ!」

 ガバッと立ち上がったギルマス氏が、お姉さんにハグを求めようと突進。強烈な回し蹴りを食らわされる。

 いや、紙一重でかわしたくせに、さも当たったかのように痛がってみせる。

「やっべー、今ので肋骨折れたわー。こりゃ責任持って夜な夜な看病してもらわなきゃなー」

「看病なら貴方の奥さまにしてもらえばよろしいのでは? ……ああ、そういえば先日離縁されたばかりでしたね。確か七人目の奥さまで、年は私より一つ下の十九歳でしたか。『ラブラブ』だとあちこちで吹聴されていたようですが、奥さまの方はそう思われなかったようで。やはり六十の爺より若い男の方が良いと気づいたのでしょう。賢明な判断です」

「グフッ……!」

 立て板に水のごとき言葉の暴力。ほっかむりをパサリと外して微笑むお姉さんの頭上に『YOU WIN!』の文字が見える。

 一方、フルボッコにされたギルマス氏は……足腰が弱った老人のようによろよろとソファへ戻り、僕の方を「チラッ」と見てきた。

 チラッ。

 チラチラッ。

「えっと……ってことは、ギルマスさんは隊長のお兄さんじゃなくて、お父さんでしたか。すごくお若いですね。六十にはとても見えませんし、またすぐにイイヒトが見つかりますよ」

「――おい、聞いたかお嬢! この坊主めちゃめちゃ良い子だぞ!」

「分かってます。だから“誰にも何も言わず”ここへ連れてきたんじゃないですか。それより先ほど渡した書類、まだ目を通されていなかったようですね」

 ふぅ、とため息を吐いたお姉さんは、書類タワーの一番上から数枚の紙束を取り上げて、応接セットのローテーブルへ。

 広げられた五枚の紙は、僕がさっき書いた登録用紙だ。

 それを目にした瞬間……ギルマス氏の顔色が変わった。気の良いオッサンから歴戦の兵士へ。

 刃のごとき鋭い視線が、今度は五枚の紙へとぶつけられる。その姿を真正面から見せつけられて、心臓がドクドクと不穏な音を立てはじめる。

 ……やはり、未成年の家出を疑われているのだろうか?

 だけどこの街において、冒険者は一切の出自を問われないはず。もし「登録できない」と言われたら、そのルールを盾に抵抗しよう。

 なんてことを考えていた僕は……たぶん眼が曇っていたんだと思う。

 ハイスペック過ぎる視力は、ときに違和感をもマスキングしてしまう。僕の鼻がゴブリン臭に気づかなかったみたいに。

「お嬢、どうしてコレが分かった?」

「気づいたのは、単純に私のミスからです。うっかりこちらの書類を渡してしまって……すんなり記入されたことが引っかかったので、念のため“全種類”を試していただきました」

「そうか。なるほどな」

 節くれだった大きな手で、前髪をくしゃりと掻き上げるギルマス氏。射抜くような視線は手元の用紙を離れ、窓のない壁際へとスライドする。

 そこに貼られていたのは、僕がずっと欲しかったアイテム――世界地図。

 タバコのせいですっかり色褪せたその地図には、楕円形の外枠が引かれ、五つの大陸が描かれていた。

 ギルマス氏はその地図を睨みつけながら、低い掠れ声で語る。

「大陸共通語であるメンシス語、中央大陸のアルボス語までは分かる。しかし北のペンナ語、南のウェントス語、そして……」

「西の“ネムス語”ですね」

 口ごもったギルマス氏の台詞は、お姉さんの涼やかな声で補われた。さらに重ねられるギルマス氏の深いため息。

 当然僕は……固まるしかない。地蔵のように。

 ギルマス氏の顔が、隊長の顔と見事にシンクロする。「あれほど目立つなと言ったのに……」と嘆く声が聴こえる。

 ――でもホントに気づかなかったんです! 全く同じ書類にしか見えなかったし!

 と、エア隊長に言い訳してもしょうがない。

 腹をくくった僕は、絶句したままのギルマス氏に思い切って問いかけた。

「あの、もしかして僕のこと、疑ってますか……?」

「疑うとは?」

「神殿の人みたいに、僕が“ネムス人”で、邪竜をけしかけたって……」

 なんらやましいことはないというのに、つい語尾が沈んでしまった。

 しょんぼりと俯いた僕の頭に、大きな手がポンと乗せられる。視線を上げれば、身を乗り出したギルマス氏の笑顔があった。そのままワシワシと頭を撫でられる。

「ギルマスさん……」

「そんな顔するな。頭に苔の生えた神官どもはどうだか知らんが、この北ギルドで――俺の“シマ”でお前さんを虐げるヤツは一人もいない」

「そうよ。五ヶ国語を理解できるなんて素晴らしい人材だわ!」

 二人から励まされ、僕はつい涙目になってしまった。悲しいときより嬉しいときの方が泣きたくなるんだなぁと実感しながら。

 しかし、感動の涙はすぐさま引っ込むことになる。

「……というより、そんなバカげた噂話を撒き散らしているヤツは誰なの? いますぐ私が“粛清”してくるわ!」

「いや、潰すなら神官の方だろう。ヤツらの増長は目に余る。そもそも邪竜を射たのだって神官おかかえの私兵だ。自ら危機を招いておきながら、それを無辜なるネムスの民へ向けるとは言語道断!」

 ――なにこれ、怖い!

 僕のせいで内戦勃発とか、勘弁してください神様!

「ちょ、落ちついてください! 僕は皆さんに誤解されてなければそれでいいんです。あと、僕のために怒ってくれてありがとうございます」

 特にキレたらやばそうなお姉さんに向かって、僕は丁寧に頭を下げておいた。この情報をもたらした人物が“粛清”されたら、あまりにも不憫だ。

 振り上げた拳をしぶしぶ下ろした武闘派の二人は、それでも憤懣やるかたないといった面持ちで語ってくれた。

 東大陸にあたるこの国――メンシスは、他の国に比べて選民意識が高い。

 それは“女神が最初に造った国”という伝説のせいでもあるという。

「アホくさい話なんだが……王族を含めたこの国のお偉いさん方は、たいてい自分のことを女神の子孫だと思っているんだ。金髪碧眼をその証拠としてな。だからそれ以外の容姿をした民を見下そうとする。特に『黒髪黒目』のネムス人は敵視されて……ん? なんでヤツらはそんなにネムス人を目の敵にするんだ?」

「……それは黒という色が『男神』の象徴だからですわ。他国では、女神と男神が結ばれて人が生まれたとされていますが、この国では『人は女神の髪から生まれた』とされています。黒はむしろ、太陽の化身である女神を覆い隠す闇の色であり、邪悪な色とされます」

「そうだったのか……夜が来なけりゃ人はぐっすり眠れねえってのにな。しかしヤツらの勝手な思い込みで、優秀なネムス人がこの街を追われるのは納得いかねぇぞ」

「ええ、同感です。しかし当ギルドで彼を匿うことは難しいかと。この館内でさえ、どこに神殿の目が潜んでいるか分かりません。無論、黒髪黒目というだけで危害を加えることはないでしょうが……“ネムス語”の件が漏れるのはさすがに危険かと」

「いや、分からんな。黒髪黒目というだけで因縁をつけてくる可能性は充分ある。ヤツらは最近ギルドを通さず魔石を掻き集めているし、今や『魔石狩り』の上顧客とも言われているくらいだ。増長した末端が暴走しないとも限らん」

「ですが、彼らの暴走を止めさせる手段が思いつきません。力ずくという手も現実的ではないでしょう。神殿及び女神を唯一神とする貴族、その私兵を合わせますと――」

 ……と、目の前で喧々諤々の議論を繰り広げられて、僕は本気で困ってしまった。

 チキンかもしれないけれど、やっぱり人と戦うのはツライ。

 王子からこの話を聞かされたときは「“粛清”されそうになったら守ってもらえばいいや」なんて軽く流してしまったけれど、リアルに考えるとすごく重たい。

 僕ごときのために争って欲しくない、と思ってしまう。

 相手が悪党ならまだしも、女神教の人たちは基本イイヒトだ。旅人に対して無条件に優しくする姿を僕はちゃんと見てきたし。

 もし彼らが『黒』を見て豹変するというなら、対策は限られる。

 黒を“邪悪な色”と信じている人たちに「そんなことないよ!」と言っても通じない。そして同じ街で仲良く共存していくことも難しい。

 だったら、僕にできることは……。

「やっぱり僕、この髪を別の色に染めようかな……それでなるべく神殿に関わらないように注意します。本当は今すぐ出ていった方がいいと思うけど、やらなきゃいけないことがあるんで、しばらくは冒険者として住まわせてもらいたいんです。その用事が終わったらすぐに他の国へ行きますから」

 残念だけど、しょうがない。

 奴隷や難民や、理不尽な社会格差はどこにでもある。その一つが黒髪黒目だったというだけのこと。

 むしろ中央大陸へ行けば、僕は『男神様』だ。街を歩くだけでリリアちゃんみたいに可愛い女の子が慕ってくれて……。

 ……。

 ……。

 あ、ヤバイ。寂しい。

 まだ出会ってからほんの一日だけど、リリアちゃんは僕にとって大事なひとだ。人の温もりを思い出させてくれた、純粋無垢な女の子。

 他にも、隊長さんたちや、今目の前にいるお姉さんやギルマスさんや、“アリス”や……これからもっと仲良くなりたいひとがいる。

 だけど――仲良くなってどうする?

 所詮僕は『異邦人』だ。

 遅かれ早かれ、別れが来ることは決まっている。その時期が早いほど傷も浅くてすむ。

 その日が来るまで、楽しい思い出をたくさん作ろう。皆が僕のことを覚えていてくれるように……。

 そうだ、旅立つときには“魔術技師”として何か置き土産を残していこう。タライとかシュレディンガーみたいな、街の人たちに喜んでもらえるものを。空を覆う結界装置なんてモノが作れたら最高かもしれない。

 ――よし、決めた。そのルートで行こう!

 と、僕が無理やりポジティブな結論を導き出している間。

 目の前の二人はむっつりと押し黙り、ひたすら悔しげに僕を見つめていた。住民を分け隔てなく守るという立場だけに、理不尽さを消化しきれずにいるんだろう。

 この二人は信頼できると僕は感じた。

 だから大事な『使命』を打ち明けることにした。

「実は僕、この街で探してる人がいるんです。その相手に渡さなきゃいけないものがあって……もし良かったら協力していただけませんか?」

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