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十七、対面

「じゃあコレ登録用紙ね。私はちょっと“別の作業”してるから、よろしく」

「えっと、この項目全部書くんですか?」

「あー……適当で、いいわよ。最低、名前だけ……もちろん、偽名でも、いいわ」

 こっちへ背を向けて書類棚を漁っていたお姉さんが、くぐもった声で答える。カウンターに見切れてしまうその下からは、ガサゴソと紙袋が擦れるような不自然な音が。

 なるほど、“別の作業”とは貢物を消化することか。

「そんなに急がなくてもおやつは逃げないのに」

「――逃げるわ! せっかく温かいのに、熱が逃げるでしょ!」

 そう叫ぶや、丸椅子の上でくるんと半身を捻るお姉さん。すっかり開き直ったのか、こっちを向いたまま次の二つをポイポイと同時に投入。

 白くて柔らかそうなほっぺたが、リスの頬袋みたいにぷっくりふくらむ。もぐもぐするたびに涼やかな瞳が細められ、最後はとろんと蕩けてしまう。綺麗な人だけにそのギャップが可愛らしい。

 しかし、お姉さんの幸せはそこがピークだった。

 さっきの叫び声はカウンターの奥に筒抜けだったようで、お姉さんと同じ藍色のロングワンピースを着た女性たちが、わらわらと集まってきた。窓ガラス越し、彼女たちに『おすそわけ』をねだられて、僕は素直に頷く。

「あっ、ちょっと待ちなさいよ! それは私のっ!」

 じたばた暴れるお姉さんの手から容赦なく紙袋が奪われ、一分後には空っぽになって戻ってきた。涙目になるお姉さんからサッと目をそらし、僕は黙々と登録用紙に記入。

 慣れない羽ペンとインクを使い、歪なミミズ文字をつるつると綴っていく。チート翻訳機能は書く方にも適用されるから、特に頭を使うこともなくあっさり完成。

 とりあえず、名前は『ユウ』とだけ書いておいた。あとは年齢を『十六』、家族を『なし』、戦闘スタイルを『剣、弓』と。

 今まで戦った敵だとか、使える魔術だとか、そういう微妙な項目は空白にしておく。

 普通の冒険者なら、自分の実力を少しでも高く見積もらせようと、大げさなことを書きまくるらしい。そうやって積極的にアピールして、運良くギルド職員に名前を覚えてもらえれば、外の掲示板には貼られない特別な任務を依頼されたりするのだとか。

 でも僕の場合、それが逆効果というか……兵舎を立つ前に、隊長たちから厳しく言い含められてしまった。

「冒険者登録することは構わない。だが絶対に“目立つような真似”はするなよ!」

 ……もうけっこう目立ってしまった気がする。主にドーナツ作戦のせいで。

 まあお姉さんのファンにちょっと睨まれたところで、それほど問題はないというか、本気で恨まれたりはしないだろうけれど……。

 実際問題、僕の立場はかなり危うい。

 特に『魔石狩り』など本物の悪党にとっては、魔石なんかよりよほどオイシイ獲物だ。

 ヤツらは今まで、奪った魔石をお金に換えてきた。普通の冒険者のふりをしてギルドへ売ったり、または貴族や武器商人に直接買い取らせたり。

 もし僕の存在が知られたら――魔術技師を手に入れたなら、たぶん『夢のような便利グッズ』を次々と作らせ、付加価値をつけて売りさばこうとする。貴族や商人や、下手をすれば他国まで触手を伸ばして。

 結果、これまでとは次元の違う『犯罪組織』が生まれてしまう……隊長はそんなことを危惧していた。

 もちろん僕は「こう見えてそこそこ強いから大丈夫ですよ」と主張したけれど、「もしお前の親しい相手を人質にされたらどうする?」と切り返されて、目が覚めた。

 万が一そんなことが起きたら――悪党どもが僕をいいなりにするために、リリアちゃんや“アリス”に危害を加えるようなことがあったら……。

 ――全員、皆殺しにする。

 興奮も激情も伴わず、僕は当たり前のようにそう考えてしまった。敵が魔物以下のクズならしょうがないと。

 そんな自分が、正直ちょっと怖かった。

 まあニンゲンと戦うなんて想像したくもないし、いざそうなったら多少は手加減するかもしれないけど……なるべく避けて通りたいルートだ。出る杭は打たれるなら、頭を低くして生きて行くしかない。

 隊長たちも、できる限り僕を守ると約束してくれた。

 本来ならしっかり護衛をつけたいところだけれど、公務員の身では難しいのと、そういう特別な行動がより僕を目立たせてしまうのはヤブヘビだから、付かず離れずの距離で見守ってくれるとのこと。

 たぶん今も、ギルドの外に非番の兵士がぼーっと立っているに違いない。隊長は心配性っぽいし二、三人いるのかも?

 ……魔術技師って、意外とメンドクサイ。

 一つの国に定住せずふらふらしていたという先人の気持ちがよく分かる。

 でもこの力で僕は生き抜いてきたんだし、この街でやるべきこともあるから、逃げ出すわけにはいかない。それに、また邪竜が現れたときのために腕は磨けるだけ磨いておかなきゃ。

「あ、お姉さん、コレ書けましたよ」

「ああ、そう……って、あ」

 窓ガラスの下の隙間から登録用紙を差し込むと、空っぽの紙袋をなでなでしていたお姉さんがピシッと固まった。

 それからいそいそと、もう一枚の用紙を差し出す。

「悪いけど、こっちの紙にも同じこと書いてくれるかしら」

「はい」

「これも」

「はい」

「もう一枚」

「はぁ」

「これで最後よ」

「了解です」

 ……と、同じ登録用紙に同じことを五回も書かされた。

 お姉さんは渡された五枚分の紙を見比べながら、うーんうーんと唸り続ける。

 よもやドーナツのせいで血糖値が上がって、脳みそがちょっと蕩けてしまったのでは……なんて失礼なことを考えたとき。

「少しそこで待っていなさい」

 突然すっくと立ち上がったお姉さんは、『相談中』の札を『審議中』に変更すると、カウンターの奥へ消えてしまった。

 無人になったガラス窓の奥には、キンと張り詰めた空気が漂っている。

 もしかすると、何かマズイことを書いてしまったのかもしれない。例えば十六という年齢は未成年だからダメだとか、家出を疑われているとか……。

 不安を覚えつつ大人しく待っていると、突然ギルドのホール全体がざわついた。

 いったい何事かと衝立から顔を覗かせると――ホールの奥に、女神のごとき麗しい女性の姿が。

「あ、お姉さん……ホント綺麗だなぁ。八頭身だし、それに……」

 むちゃくちゃ色っぽい。

 受付嬢の制服は、街を歩いている女性とは比べ物にならないくらい硬派なデザインだ。

 首筋から足首までを包む詰襟のロングワンピースは、ボタンや刺繍などの飾り気がない藍一色。ウエストを腰紐で結んでいるわけでもないし、ボディラインはきっちり隠されている。

 それなのに、匂い立つような色香を感じる。紳士な僕にとっては目の保養……いや、目の毒だ。

 お姉さんは男たちの熱い眼差しなど歯牙にもかけず、『こっち見んな』という黒いオーラを周囲へ放ちながら、スタスタと一直線に僕の元へ。

 夜行性の獣のごときその歩き方に、僕のアンテナがビリッと反応する。

 お姉さんは綺麗なだけじゃなく、かなり腕が立つようだ。まあそうでなきゃ、北エリアの荒くれ者を相手にできないんだろう。それこそストーカーに襲われたりしたら危ないし。

「待たせたわね。今から二階へ行くわよ。付いて来なさい」

 有無を言わせぬ口調で命じられ、僕は小首を傾げつつ後を追う。思ったよりも複雑な通路をぐるぐると歩き回らされる。

 途中までは工場見学する生徒みたいな感覚だったけれど、だんだん不安が募っていく。

 薄い結界の膜を越えた先にある階段を上り、さらに通路を進んで中央へ。その先には、隠された『三階フロア』へ繋がる階段があった。

 白くかすむほどに分厚い結界の膜の前で、お姉さんは初めてこっちを振り返った。そしてポケットから取り出したカードキーのようなものをかざし、柔らかに微笑んで。

「心配しないで、私に任せて?」

 初めて耳にする優しげな声と、やわらかな微笑。

 ぽーっと呆ける僕の手を握って、お姉さんはするりと膜の中へ。引っ張られる形で僕も膜を通過し――

「……ッ!」

「ごめんなさい、少し我慢して。この手を絶対に離さないで」

 強い責任感を滲ませたお姉さんの声に、僕は頷き返す。

 一歩進むたびに結界の力が強まっていくのが分かる。カードキーに埋め込まれた魔石で中和しなければ、身体がバラバラになってしまいそうな圧力だ。

 ただし、このセキュリティシステムにはまだ改善の余地がある。通路の上下左右、三メートル置きに魔石が埋め込んであるけれど、それだと魔石に触れている部分だけが脆くなってしまう。

 もし僕なら、魔石の力を壁全体へ均一に行きわたらせて……と、いかにも“魔術技師”っぽいことを考えながら進んでいくと。

「着いたわよ。よく頑張ったわね」

 立派な一枚板の扉の前で、温かな手が不意に離れた。僕はリリアちゃんの手が離れたときのことを思い出す。

 街へ来てから丸一日が経つというのに、まだまだ人恋しさは解消されていないようだ。

 寂しさが顔に出てしまったのか、お姉さんは困ったように微笑んで、僕の頭を優しく撫でてくれた。完璧子ども扱いだけどしょうがない。お姉さんの方が年上だし、僕より背も高いし。

 でも僕だってこの一年で五センチも伸びたんだ。来年にはお姉さんを追い越してみせる。

 そしていつかは、この扉の縁に頭をぶつけるくらいに……!

 と、二メートル以上ある扉の上部を睨みつけながら、僕が決意を新たにしていると。

「そんなに緊張しなくても平気よ。昔はそうとうな腕前だったらしいけれど、今は引退した単なるオッサンだから。まあ実際顔は怖いし怒らせるとうるさいから、なるべく嘘はつかないことね」

 ……えっと、何のことでしょう?

 と、疑問を口に出すまでもなく僕は察した。

 今睨みつけていた扉の上部に、一枚のプレートがかかっている。

 そこに記された文字は――『ギルドマスター室』。

「えっ、えっと、なんで僕が」

「さ、行くわよ。男の子なんだし、ちょっと怒鳴られたくらいで泣いちゃだめだからね」

 僕に拒否権などなく、重厚な扉はあっさりと開かれた。

 室内は十畳ほどのスペース。カーテンが閉められているため全体が薄暗く、灰色の靄に包まれている。これはタバコの煙だ。

 もくもくと立ち上るその煙に顔をしかめていると、お姉さんが「ゲホンゴホン!」と大げさな咳をした。

「っと、悪りぃなお嬢。今窓開けるわ」

「私がここへ来ることは分かっていたはずですが、なぜ事前に準備しておくことができないんでしょう……ああ、脳筋だからですね」

 ――やっぱ怖い! ギルマスよりお姉さんの方が怖いよ!

 怯える僕を尻目に、高層ビル街のごとく書類が積まれたデスクの向こうからは「ハハッ、そりゃそうだ」というあっけらかんとした声が漏れる。タバコのせいで喉をやられているのか、かなりハスキーな声だ。

 デスクから立ち上がったその男は、背後にある黒いカーテンを開き、重たげな窓枠を掴んで軽々と上へ持ち上げた。

 一気に流れ込む、清涼な風と眩い光。僕の網膜は白一色に埋め尽くされる。

 その光が落ちついたとき――

「……えっ?」

 窓辺にもたれかかる男の姿に、僕は見覚えがあった。

 くすんだブロンズの髪と碧い瞳。日に焼けてシワが刻まれた精悍な面立ちに、鍛え上げられた体躯。

 引退したオッサンだなんてとんでもない。簡素なチュニックの上からでも、鍛錬を怠っていないことがよく分かる。

 彼がもう少し若くて、頬に傷さえあれば……。

「――貴様、なぜその剣を持っている……?」

 ギラリ、と輝く刃のごとき眼光。

 彼の視線は、僕が腰に差した細身の剣へ向かう。反射的に僕はその柄を握り締める。

 ――気を抜けばやられる。

 初の対人戦を覚悟した僕の耳に、絶対零度の声が届いた。

「……ギルドマスター、この子に何かしようものなら、貴方の大事な下半身が一生機能しなくなると思ってくださいね?」

 ニッコリと微笑む美女を前に、ギルドマスター氏は「ゴメンナサイ」と頭を下げた。

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