十六、懐柔
「ふーん……ここが“悪名高い”北エリアの冒険者ギルドか。思ってたより小奇麗だな。それに文化レベルもまあまあ高そうだ」
失礼すぎる僕の呟きが、賑やかな雑踏の中に呑み込まれていく。
時間はちょうどお昼前。目抜き通りから一本外れたこの道もなかなかの賑わいだ。
住民たちは『勝手知ったる我が町』といった感じで、迷いのない足取りで路地裏へ消えていく。たぶんその先には隠れ家的レストランがあるんだろう。
入り組んだ路地の先には、レストラン以外にも僕の興味をそそるモノがある。剣や盾のマークが描かれた看板やら、軒先に小道具を並べた雑貨店などなど。
しかし、よそ見をしている場合じゃない。
目の前にどーんと立ちはだかる赤茶けたレンガ造りの建物――ここが僕の目的地。
「……それにしても、デカイな」
北門の兵舎もデカかったけれど、その三倍はあるだろうか。
二階建てとはいえ、一フロアが五メートル近くあるからけっこうな高さだ。のっぺりとした外壁の横幅は百メートル以上。外敵の侵入を防ぐためか窓は小さく、頑丈な格子が嵌められている。
この建物、威圧感はあるものの、人を拒絶しているわけじゃない。
シンメトリーな外観の中央にある両開きの鉄扉は完全に開かれているし、明かり取りの小窓も多いため、内部までちゃんと光が差し込んでいる。
雰囲気を薄暗くさせているのは、その中で蠢くニンゲンだった。
僕が観察していた数分の間にも、屈強な男たちが次々と建物へ吸い込まれていく。重たげな鎧を脱ぐこともせず、血と暴力の臭いをまとわりつかせたまま。
住民はそれをあたりまえの光景として受け入れているのか、特に反応を示さない。せいぜい彼らの邪魔にならないよう道の端っこを歩くくらいだ。
僕だけが一人、おのぼりさん状態。
ただ、あからさまにきょろきょろと周囲を見渡したり、「へー」とか「ほー」とか大きな声をあげるようなことはしない。
もう“安全な時間帯”になったとはいえ、この建物は犯罪者の巣窟でもあるのだ。気を抜くわけにはいかないと、僕は隊長から譲り受けた細身の剣――麗蛇丸に手を添える。
必要とあらば、この剣をニンゲン相手に振るわなければならない……そう覚悟しながら僕は門をくぐった。
――広大な聖都オリエンスの街には、冒険者ギルドと呼ばれる建物がいくつかある。
東門が閉鎖されているため、現在稼働しているのは北、南、西、中央の四ヶ所。それぞれに異なるギルドマスターが存在し、独自のルールで運営しているとのこと。
各ギルドの役割は、もちろん冒険者の管理だ。
戦える人材を集め、魔物の討伐を依頼し、適切な報酬を与える。
ただし中央支部だけは少々毛色が違うらしい。神殿がらみの特殊な依頼が多く、また怪我人の治療や葬儀など副次的な問題が持ち込まれるという。
そしてここから先が、僕にとって大事な情報。
――夜明け直後のギルド付近は、荒れる。
それは血の気が多い冒険者たちが集うから、というだけじゃない。
自力で魔物を倒す力はないくせに『魔石』というお宝は欲しがる……そんな中途半端な冒険者崩れが徒党を組んで、強盗まがいのことをしでかすらしい。
通称、魔石狩り。
ソイツらがもっとも頻繁に出没するのが、この北エリアだった。
北門の先に現れる魔物は、東から流れてくる霧の影響か、他のエリアより総じてレベルが高い。より純度の高い魔石を得るべく、腕に覚えのある冒険者は迷わず北門を選ぶ。
そこに現れる『ハイエナ』が、魔石狩りだ。
強敵へ果敢に立ち向かい、くたくたになってギルドへの帰路を歩む冒険者は、まさしくオイシイ獲物。路地が多い下町という地の利もあいまって、魔石狩りの被害は着々と増えつつあるという。
そんな悪党どもに対して、街の警備兵はどんな対策を立てているかというと……ぶっちゃけ、何もしていなかった。
それにもちゃんとした理由がある。
警備兵の中でも腕が立つ人材は、まず門番として登用される。冒険者を送り出すために開かれた城門から、万が一にも魔物が入り込まないように。または一般市民や旅人が魔物に襲われたときにすぐ飛び出せるように。
特に北門の守護神である隊長は、国中の兵士のトップともいえる実力者とのこと。
それほど責任ある仕事を任されていたせいで婚期を逃した……という言い訳についてはちょっと眉唾だけれど、実力そのものは疑う余地なし。
一方、門番以外の兵士たちはというと……普通に市民を護っていた。いわゆる『街のお巡りさん』として。
移民が増え続ける中、雑多な下町エリアのお巡りさんはとても忙しいらしい。
「ただでさえ人手が足りないのに、冒険者のいざこざになど関わっていられない。下手に首を突っ込むとこっちが怪我をさせられる。彼らを管理する『冒険者ギルド』がなんとかするべきだ!」
……という意見にも、まあ納得できる。
一方、冒険者ギルド側からしても反論はあるらしい。
実力至上主義という“キレイごと”を掲げて――どんな犯罪歴があろうが不問にして、荒くれ者たちを丸ごと受け入れているのは、全てお上の決めたこと。
性根が腐ったままの犯罪者が、より楽な稼ぎ方へ流れたとしても、それはギルドのせいじゃない、と……。
そうして責任の押し付け合いをした結果、両者の言い分は一致した。
「冒険者による揉めごとは、冒険者同士で解決するように」
別の言い方をすれば、こんな感じになる。
「冒険者なら強盗くらい自力で撃退しろや! こっちは魔石だけもらえりゃいいんだよ!」
……その言い分にも、僕はある程度納得できてしまった。
ただし、この街へ来たばかりの新米冒険者には、特別なケアが施される。
みすみす悪者の餌食にさせられるのは可哀想だから、まずは門番の口からその情報を教えてあげて、最長三日は公共の宿舎に匿って、ついでに一番治安の良い『南ギルド』へ送り届けてあげる、らしい。
アルボスの人たちも、今頃は乗り合い馬車に揺られていることだろう。そして魔石狩りの説明とともに『いのちをだいじに』作戦を伝授されて……。
きっと、がっかりしているはず。
魔物に対し一丸となって戦うべきこの街で、なぜわざわざニンゲン同士が争わなきゃいけないのか、と……。
少なくとも僕はそう思った。
幸い僕は優しい人たちに出会えたけれど、もし第一村人が『魔石狩り』の連中だったら、たぶん泣いていた。号泣しながら霧の中へダッシュしていた。
そして今、現在進行形にて僕は……ちょっと泣きたくなっていた。
「……だからね、悪いけどアンタみたいな“初心者”はお呼びじゃないの。その先の大通りに乗り合い馬車の停留所があるから、そこから『南ギルド』へ行ってくれない?」
ニッコリ、と魅力的な笑顔でそう告げたのは、北ギルド一階隅のカウンターに座っているお姉さん。
ギルドの受付嬢には美人が多いという物語のセオリーどおり、僕の担当さんもスーパーモデルみたいな美女だった。
年は二十歳くらい。長い赤髪を後ろでひとくくりに結わえているから、涼やかな美貌がよく際立つ。ふっくらとした唇と目元の泣きぼくろがセクシーだ。
ただ……若干、口は悪い、かも?
まあ大事な情報はちゃんと伝えてくれたし、この「しっしっ」とひとを追い払うような手つきも、ひ弱なお坊ちゃん風に見える僕のことを慮ってくれたということで。
僕は浮かびかけた涙をグッと堪え、ポーカーフェイスで切り返す。
「えっと、その話は門番の皆さんからも伺いました。それを聞いた上で、僕は北ギルドのお世話になりに来たんです」
「あのね、建前では『冒険者登録にはどこのギルドを使ってもいい』とされてるけれど、実際は“派閥”があるの。結局アンタみたいなひよっこが戦うのは南門で、魔石を持ち込むのも南でしょう? 受付業務をやらされるだけこっちが損なの。だいたい『移民』はひとまとめにして南へ連れていかれるはずなのに、なぜこんなところを一人でうろうろしてるわけ? 北の門番は何やってたのよ。アイツらホント脳筋なんだから……」
頑丈な壁とガラス窓で仕切られたカウンターの向こうで、はぁぁぁ……と深いため息を吐くお姉さん。
屈強な男たちをこの調子でいなしているとしたら、ある意味大物というか、ちょっと尊敬に値する。
ていうか『脳筋』なんてスラングをよく訳せたなぁとか、僕のせいで隊長たちがさらにモテなくなったら可哀想だなぁ、なんてのん気なことを考えていると。
「――よぅ、兄ちゃん、話は聞かせてもらったぜ」
ドスのきいた声とともに、ムキムキマッチョな大男が首を突っ込んできた。
他の窓口が開いているのにあえてここへ来るってことは、このお姉さんのことが好きなのか、もしくは罵られたいというドMキャラか。
「すみません、僕はまだ話をしてるんですが」
「ひ弱なお坊ちゃんはとっとと南へ行けって言われたんだろう? ほれ、退いた退いた」
丸太のように太い腕でグイッと押しやられ、僕はたたらを踏む。踏ん張って抵抗しても良かったけれど、こんなことで意地を張ってもしょうがない。
笑顔で「お先にどうぞ」と告げた僕に、何やら奇妙なものを見るような眼をする大男。たぶん『ひ弱なお坊ちゃん』が涙目にでもなると思ったんだろう。
しかし、涙目になったのは彼の方。
大男はやけにあっさり用件を終えた。依頼内容がどうのこうのと言っていたけれど、単にお姉さんと会話したかっただけらしい。最後は「アンタ邪魔、帰れ」と告げられ、肩を落としながら引っ込んだ。
そんなやりとりに聞き耳を立てつつ、僕は注意深く周囲を探ってみた。
魔石の査定が行われるという朝の時間帯と違って、今の館内はかなりゆるい雰囲気だ。集まってくる男たちも、壁に貼られた依頼書を眺めたり、仲間と情報交換をしたりといった感じで。
こうして受付嬢を口説くというのも、彼らの立派なルーチンワークらしい。仕事の相談は半数くらいで、あとは大男みたいに要領を得ないクソみたいな世間話ばかり。
どうせ口説くなら、風呂に入ってこざっぱりして、花とかお菓子なんかを持ってくればいいのに……。
……。
……。
「よし、僕もその作戦でいこう」
念のため僕は、襟元をくんくんしてみる。
シュレディンガーを引き渡した後、もう一度不思議なタライ風呂に入ってきたから、清潔感は問題ないはず。
それから僕はギルドの外へ出て、一本向こうの大通りへ。
しばらくうろうろした後、通行人の中からなるべく優しそうでお金持ちっぽいマダムを捕まえて、近くのお菓子屋さんを紹介してもらった。
北エリアを小旅行中のマダム曰く、南の商業区域へ行けば『ブランド菓子』が手に入るけれど、北エリアでもそれなりの甘味が売られているとのこと。丁寧にも店の前まで連れて行っていただき、僕は鈴カステラみたいな一口大のドーナツを手に入れることができた。
マダム的には「それなり」という評価でも、やはりお菓子は高級品。
昨日もらった“口止め料”の半分が消えてしまったけれど、まあしょうがない。僕も一口味見して幸せな気分にさせてもらったし。
揚げたてほかほかのドーナツを抱えて、僕はさっきのお姉さんの元へ。
ちょうどお昼休憩が終わった後だったのか、窓口の椅子へ腰かけて『受付中』の札を出したところに滑り込む。
「あれ……アンタまだここにいたの? 何してんのよ。さっさと馬車に乗らないと日が暮れるわよ」
「えっと、実はお姉さんに渡したいものがあって……」
買い物を終えるまではクールにこなしたものの、やはり面と向かって貢物をするという行為は恥ずかしい。
というか、こんな経験は生まれて初めてだ。
今まで誕生日やらクリスマスやらと、幾つものイベントをこなしてきたはずなのに、僕がプレゼントをあげた相手は母親と陽花のみ。もちろん、バレンタインに見知らぬ女子からチョコをもらったこともない。陽花がくれたのは百円の板チョコだった。
……。
……。
……ヤバイ、意識したらますます緊張してきた!
「なに? なんだか良い匂いがするわね」
そう言ってお姉さんが鼻先をくんくんさせてくれなければ、僕はダッシュで逃げだしていた。泣きながら北門へ戻って、隊長たちにこのドーナツを貢いでいた。
僕は『目の前にいるのは猫。かつおぶしを前にした猫』と心の中で呪文を唱えながら、熱々の紙袋をガラス窓の隙間へ突っ込んだ。
「――これ、お姉さんにあげます! だから僕の話を聞いてください!」
やった!
言った!
バクバクする心臓を抑えながら、ガラスの向こうを見つめていると……。
うっすらと頬を染めたお姉さんは、ぷいっと横を向いてしまった。そして『受付中』の札を『相談中』にチェンジ。
「べ、べつにこんなモノで釣られたわけじゃないんだからね! 勘違いしないでよね!」
……あ、デレた。