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十三、予言

 そのときの僕は、どこか夢を見ているような気分だった。

 一年ぶりに普通のベッドを使ったせいで、うっかり熟睡してしまって明晰夢でも見ているんじゃないか、と。

 目の前に、僕が逢いたいと願っていた“天使”がいる。手を伸ばせば触れられる距離に。

 彼女には言わなきゃいけないことがたくさんあったのに……この遭遇は突然すぎた。考えていた言葉は頭からすっぽり抜けてしまった。

 呆けるばかりの僕に対し、彼女の方は冷静そのもの。

 零れ落ちそうなエメラルドの瞳を細めて、不機嫌そうに僕を睨みつけてくる。陶器のように白い肌をほんのりピンクに染め、小さな唇をツンと尖らせて。まるで尻尾を踏まれた猫みたいに。

 そして、彼女が身にまとった純白の法衣のお腹には、僕の履いているスニーカーの跡がスタンプのようにぺったりと……。

「えっと、あの、踏んじゃってゴメン」

「別にもういいわ。こんなところで寝てた私も悪いんだし」

 ――ホントにその通りだよ! なんでこんなところで寝てるんだッ?

 というベタなツッコミは控えておいた。代わりに「怪我はない?」なんて紳士な台詞が漏れる。

 すると彼女の表情がふっと和らいだ。ほっそりした手でお腹の汚れを払いながら、勝気な笑みを浮かべて。

「平気よ。私こう見えて身体だけは丈夫なの。邪竜に体当たりされても潰されない自信があるわ」

「へー……そりゃ、すごいな……」

 自ずと脳内に昨日の光景がリプレイされる。あの巨大な邪竜に立ち向かう彼女は、確かにスーパーヒーローって感じで頼もしかった。

 それ以前に、この城壁から飛び降りて来たのもスゴイ。

 いったいどれだけ脚力を強化してるんだろう……なんて考えつつ、法衣の裾に隠された足のあたりをジーッと見つめる。

 すると彼女は、コクンと小首を傾げて。

「なによ、この服の中が気になるの?」

「いやっ、そういうわけじゃ……ただちょっと、その中に猫が隠れてるんじゃないかなって……」

 本音をズバリと言い当てられた僕は、動揺のあまりおかしなリアクションをしてしまった。別に邪な気持ちで見ていたわけじゃなく、純粋なアスリート的視線だったのに。

 しかし僕の中途半端なボケは、彼女には通用しなかった。

「ふふっ、おかしいの。猫なんていないわよ。ほら」

 そう言って彼女は、法衣の裾を自ら摘まみあげ――セルフスカートめくり!

「おぅふ……!」

 現れたのは、眩いばかりのおみ足だった。

 コロンとした丸っこい革靴の先には、キュッと引き締まった足首、子持ちししゃものごときふくらはぎ、太すぎず細すぎず均整の取れた太もも……。

 別にこれくらいの長さ、向こうの世界じゃ普通のミニスカートレベルだ。女子の制服なんてもっと短い。

 だけど、それとこれとは別物なんだ!

 スカートめくりは男の浪漫なんだ――!

 ……と叫びたい気持ちをグッと抑えて、速やかに後ろを向く。今見てしまったお宝映像も脳内デリート。僕は根っからの紳士なのだ。

「この格好もなかなか悪くないわね。足がスースーして気持ちいい」

「ダメです! 女の子はそういうことしちゃいけません!」

「あら、その言い方、王都の大巫女様にそっくりだわ。あの方もいつもそうやって私を怒るのよ?」

「誰だって怒るよ! とにかく、服、下ろして!」

「はぁーい」

 本当に分かってくれたのか微妙なイントネーション。僕は恐る恐る振り返り、美脚が元通り布で隠れていることに安堵する。疲労感がドッと押し寄せ、思わずその場にへたり込んでしまう。

「ねぇ、時間があるなら少しお話ししましょ?」

 猫のようにするりと寄り添った彼女が、満面の笑みで問いかける。僕のパーソナルスペースを大きく踏み越えて、肩が触れあうほど近くへ。

 この距離感には覚えがある……リリアちゃんだ。

 たぶん“精霊術師”という存在は、だいたいこんな感じなんだろう。人を疑うことを知らない、子どもの心を持ったまま大人になった女の子。

 一方僕は……完全に穢れていた。さっきからドキドキが止まらない。

 邪な気持ちが彼女へ伝播しないよう、僕はお尻をずりっと横へ動かす。三十センチほどの隙間を作るとようやく鼓動が落ちついてくれた。これでもまだ近い気がするけれど、まあ陽花くらいの距離だと思えば我慢できないこともない。

 しかし……彼女の方は、隙あらば僕に近寄ろうとしてくる。僕の方へ顔を近づけて、真横からまじまじと見つめてくる。

 背中にするんと下ろした緑の髪が、風に吹かれてふわりと舞い上がる。その髪からフローラルな匂いが漂う。

 そして僕の耳元に、甘い吐息混じりの囁きが……。

「そっかぁ……貴方どこかで見たことがあると思ったら、昼間北門にいた子よね?」

「あっ、そうです。その節はお世話になりました!」

「元気そうで良かったわ。たまたま珍しい精霊の気配がしたものだから、神殿を抜け出して行ってみたら、人が溺れてるんだもの。びっくりしちゃった」

 クスクスと笑う彼女に、僕はペコペコ頭を下げる。やはり僕たちが堀から出られたのは彼女のおかげだった。

 ついでに昨日邪竜から助けてもらった件も含めて、二倍丁寧にお礼をしておく。もちろん具体的な内容は伏せたままで。

「それで、今夜はどうしてここへ来たの? 逃げた猫を探しにきたのかしら?」

「……まあ、そんなところ。キミの方はどうしてこんなところで寝てたの? ここはキミの寝室ってこと?」

「うーん……実は違うのよ。探し物をしていたらつい眠ってしまって……親しくしている風の精霊が『ここに来れば見つかる』って言ったから来たんだけれど」

「そうなんだ、僕も手伝おうか?」

「本当? ありがとう!」

 ぱあっと花開くように微笑んだ彼女が、せっかく開けた三十センチのスペースを詰めてきた。

 たぶんそれは、僕への信頼の証みたいなものなんだろう。リリアちゃんみたいに抱きついてこないだけマシだと思って、ありがたく享受しよう……。

 と、僕が諦めのため息を吐いたとき。

「でも、無理はしないで。怖くなったら逃げてね」

 鈴が鳴るような声がワントーン低くなる。月が雲間に隠れるように、彼女の表情がふっと陰りを帯びる。

 僕はすぐにピンと来た。

「えっと、もしかして、キミが探してるのって……魔物?」

「うん……すっごく強いの」

 その呟きは、僕の脳みそに冷水を浴びせかけた。

 ――浮かれている場合じゃない。この街はまた邪竜に襲われる。

 ヤツともう一度対峙することを、僕は覚悟しておかなきゃいけない……。

「そっか……その魔物は、いつ頃ここに来るのかな」

「分からないわ。でも今日は特に精霊が騒いで……絶対にここへ来るって思ったから、神殿を抜け出してきたのよ」

『そんなによく抜け出して大丈夫?』なんて、軽口を叩けるような雰囲気じゃなかった。

 強く握られた拳と、きゅっと真一文字に結ばれた唇から、彼女の決意が伝わってくる。

 僕も荷袋へ手を伸ばし、残りの魔石を確認する。

 今から魔物を狩りに行こうと思っていたけれど、そんな余裕はなさそうだ。“精霊”が予言したなら信じるべきだろう。

 今夜はここで寝ずの番。何事もなければそれで構わない。

 せめて今夜くらいは、リリアちゃんたちがぐっすりと眠れるように――そう願いながら、僕は月明かりの中に目を凝らした。

 ヤツはきっと荒野の先に広がる『霧の壁』の上空から現れる。その瞬間を見逃さないように。そして脳内で邪竜との再戦についてシミュレートする。

 しかし彼女は俯いたまま、門の前に広がる荒野を睨みつけている。探し物は下にあるとでもいうように。

 ……なんとなく、嫌な予感がした。

 一年間のサバイバル生活で培った野生の感が命じるままに、僕は尋ねた。

「あのさ、今さらだけど、探してる魔物って“邪竜”のこと……だよね?」

「え、違うわよ?」

 きょとんと眼を丸くした彼女は、さもあたりまえのように告げる。

「邪竜なんてただの翼が生えたトカゲでしょう? そこまで怖がることはないわ」

「トカゲって……いや、僕は今日来たばかりで実物は見てないんだけど、邪竜はそうとう強いって噂が」

「私が探している魔物は、邪竜なんかとは比べものにならないくらい強いの……あのとき取り逃がしたのは痛恨のミスだったわ」

 彼女曰く――

 その魔物はニンゲンによく似た姿で、非常にすばしこく、一瞬で荒野を駆け抜けて消えてしまったとのこと。

「神殿の人たちは誰も信じてくれなかったけれど、アイツは邪竜を手玉に取っていたの。武器をいっさい使わずに、足だけで戦っていたのよ。アイツが本気で攻めてくれば、この街なんてあっという間に滅ぼされてしまうわ……!」

 ぶるり、と細い肩を震わせる彼女の脇で、僕はぼんやりと月を眺めていた。

 精霊の予言って当たるんだなぁと思いながら。

 ……。

 ……。

 ……どうやら彼女の“探し物”は、今ここにいるみたいです。

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