十二、邂逅
思い起こせば、僕は陽花からよく言われていた。
『ユウ君って、ホント要領悪いっていうか、タイミング悪いよね……』
中身はさておき外見だけは美少女な陽花が、男子に告白されるシーンにバッタリ鉢合わせすること、計五回。たまたま訪れた空き教室や、屋上や、図書館や、音楽室や、体育館裏で。
もちろん僕は「わざとじゃないから!」と訴えた。でも邪魔された側としてはたまったもんじゃない。
そのうち周囲には「僕が陽花のことを好きで、あえて告白を邪魔しようとしている」という噂が流れた。どう考えても僕の方が悪いけど、そんな陰険キャラだと思われるのは辛かった。
この運の悪さ、異世界に来てもやはり変わらないらしい。
邪竜の襲撃があった翌日、ネムス語を操る黒髪の男が街を訪れる――この確率はいったい何パーセントなんだ?
キレ者の王子ですら疑ったくらいだ、ネムス嫌いという神官の皆さんなら百パーセント『黒』というジャッジを下すだろう。
だけど……こんなのってない。冤罪もいいところだ。
僕は黒竜と戦った側なんだ。「むしろ貴方がたの仲間です!」と言いたい。
たぶん真実を語ったところで、狼少年扱いされるか、ちょっと妄想癖でヤバイ人に思われるかのどっちかだろうけど。
唯一の目撃者にはゴブリン扱いされている……ダメだ、詰んだ。
「まあ、自力で『白』ってことを証明するしかないか……今からコツコツ実績を積み上げて……」
「おい、どうした坊主? コツコツ積み上げるって……」
――ハッ!
マズイ、動揺し過ぎてぼっち時代の癖である独り言が!
「え、えーと、コツコツ積み上げてきた石垣が、全く役に立たなかったんですよね? それで邪竜とやらはどうなったんですか? そんな恐ろしい魔物がいるなんて、僕全然知らなかったです、いやだなー、こわいなー」
かなり棒読みな感じになってしまったけれど、特にツッコまれることはなかった。
マジメな隊長の頭の中は、邪竜のことでいっぱいのようだ。重厚な城壁にもたれかかり、くすんだブロンドの髪を掻き上げながら重い口調で語る。
「それがな、オレが寝てる間にあっさり倒されちまったんだよ。だから人づてにしか聞いてないんだが……まず邪竜が襲ったのは、この街の西地区にある“旧王都の遺産”だ」
「“旧王都の遺産”?」
「簡単にいえば、新王都へ移った貴族たちの屋敷ってことだな」
それから僕は、この街の現状を簡単に教えてもらった。
城壁に囲まれた広大な敷地の中は、大きく二つのエリアに分かれているという。貴族や商人の暮らす西エリアと、庶民や冒険者の暮らす東エリアに。
そして全住民の悩みの種が、西エリアにある“旧王都の遺産”――いわゆるゴーストタウン。
新王都へ逃げた貴族は『昔から住んでいる大地主』にあたる。彼らはこの街を捨てておきながら、土地を手放すのは惜しがったのか、豪邸をそのまま残していった。
対して庶民の暮らすエリアは、危険な魔物が現れる東門の近く。移民を無条件で受け入れるため、かなり密集して住まわされている。
当然、彼らの不満は募る一方で。
「今回邪竜が燃やしたのは無人の建物のみ、しかも奇跡的に死者も出なかったってことで、市民の中には喜ぶヤツらも……っと、これは聞かなかったことにしてくれよ」
「あ、了解です」
そういう理由なら、街の中が意外と落ちついているというか、ちょっとしたお祭り騒ぎだったのも納得がいく。もし市街地がやられていたら、それこそ焼肉パーティーなんてしてる場合じゃなかっただろうし。
「じゃあ被害は少なかったんですね。良かったです……」
大量の泥水をぶっかけてしまった僕としても、罪悪感が薄れるし……。
と、本気で安堵していた僕の耳に、苦々しい掠れ声が届く。
「偶然と幸運に助けられただけだ。結局オレたちは何もできなかった。全ては女神の愛娘――精霊術師のおかげだ」
――精霊術師。
僕のアンテナが強く反応する。
その存在には、何やら“秘密”の匂いがする……。
銀髪の女性の件もそうだ。彼女の“奇跡”を受けた当事者である僕に対し、詳しい説明は何一つなかった。王子と入れ代わりに現れた神官は、眠っている彼女を無言のまま連れ去ってしまった。たぶん隊長に『口止め』を依頼して。
「すみません、その精霊術師っていったい何者なんですか?」
僕の問いかけに、隊長は「オレも詳しくは分からないんだが」と前置きをした上で、こう答えた。
“穢れなき乙女”が、無垢な心を持ったまま大人になったとき、女神の名のもとに精霊と契約を交わし、強大な力を得るのだ、と――
「……ってことは、リリアちゃんもあのまま育てば精霊術師になれるってことですか? 今日も精霊の姿が視えていたようですし」
「いや、そう簡単にはいかないだろう。幼少期ならまだしも、子どもが産める身体になっても清らかなままっつーのは……いや、これは坊主に話すようなことじゃないな」
……スミマセン、僕の心はすでに穢れているので、言わんとしたことはだいたい分かってしまいました。
「とにかく、精霊術師なんてものはあくまでおとぎ話の中の存在……オレも今までは半信半疑だった。だがこの目で“奇跡の光”を見てようやく分かったんだ。邪竜を倒したのも、怪我人を助けたのも、何もかも精霊の力。人間の魔力なんざ足元にも及ばない……」
静かに目を伏せ、悔しげに呟く隊長。
僕には何も言えなかった。長年この街を守り続けてきた隊長に、下手な慰めなんて逆効果になってしまう……。
不安気に見つめる僕の頭に、ぽんと大きな手のひらが乗せられた。隊長は碧い瞳を細め、どこか吹っ切れたように笑って。
「まあ何にせよ、女神様はまだこの街を見捨てていないってことだ。今日も坊主のおかげで新たに一人『覚醒』したわけだしな。オレたちは“コツコツ”やってくしかないさ」
その言葉に、僕は力強く頷いた。
――うん、コツコツ頑張ろう。
◆
「おー、あれが西門か。ってことは、焼け野原になってるあのエリアが“旧王都の遺産”……隊長が言ってたとおり、かなりの広さだなぁ」
ぼっち時代の癖である独り言を呟きながら、細い一本道をてくてくと歩く。そんな僕の姿を月がぼんやりと照らし出す。
僕は今、第二の城壁の上にいる。隊長に「街の様子を見たい」とねだって、特別に上らせてもらったのだ。
もちろん僕がネムスやらどこかのスパイだとか、そういう疑惑が全くなかったわけじゃないと思う。
でも隊長は知っていた。頼りない月明かりの下、高さ三十メートルもある城壁の上から眺めたところで、たいしたものは見えないって。
だから「夜明け前には戻る」と約束し、城壁ぐるり一周ツアーを許可してもらった。
聖都オリエンスはかなり広く、外周も数十キロはある。僕の脚力なら余裕で回れるとはいえ、後で魔物も狩りたいし、あまりのんびりしている暇はない。すぐさま僕は目的地である西門へやってきた。
隊長には嘘をついてしまったようで申し訳ないけれど、強化された僕の眼は暗視スコープレベル、しかも望遠機能付き。昨日の被害状況は大まかに確認できた。
「なるほど、黒竜があそこを狙った理由がなんとなく分かった気がする……外壁がキラキラして綺麗だもんなぁ」
キラキラの理由は、魔石だ。
貴族の邸宅には、防犯上の理由からか大量の魔石が埋め込まれている。空き家ならなおさら厳重な結界を張っていたことだろう。
そんなところに魔石を使うくらいなら城壁に回せば……と、いつか考えた庶民的発想を引きずりつつ、僕はそのまま道を進んで南エリアへ。
南門は『正門』と呼んでもいいくらい大きかった。物資の運搬が頻繁に行われているんだろう。門の傍には特大の厩舎が備えられている。
北門前にも商業区域があるけれど、やはりこちらとは雰囲気が違う。
貴族御用達のレストランに宝石店、ブティック、その他南方から持ち込まれた特産品などが、きちんとした路面店で売られているようだ。今度直接見にこよう。
「ていうか、たぶん僕が求めるものはここにあるんだろうな。珍しい食べ物とか、甘いお菓子とか」
と呟いたとき、ナイスアイデアを閃いた。
三日後リリアちゃんに会うときに、何かお土産を持っていこう。甘い物をあげればきっと喜ぶに違いない……。
そのためには、まず資金を稼がねばならない。
僕は現在一文無しだ。いただいた口止め料なんて、二、三日宿へ泊まれば無くなってしまう。
「よし、朝になったらすぐ冒険者ギルドへ行こう。それで魔石の買い取りを依頼して、ついでに職員の人にいろいろ聞こう。世界地図が売ってる店と、あと武器と防具と……」
三日分の行動プランを考えながら歩いているうちに、だんだんと城壁の下は薄暗くなっていく。
ランタンの明かりさえ灯せないほど貧しい地域――東門が近づいているのだ。
浮足立った気分は、闇に溶けるように消えていく。
巨大な黒竜の影を探して、僕は夜空を見やった。そこには何もないと分かっていながら。
ぶるりと身体が震えるのは、あの戦いが薄氷の勝利だと分かっているからだ。隊長が言ったとおり、偶然と幸運に助けられただけ。
あの場に“天使”が現れなければ、僕は確実に死んでいた。
「本当なら、ちゃんとお礼を言わなきゃいけなかったんだよな。あんな風に逃げ出すんじゃなくて」
それに彼女は今日も僕を助けてくれた。あの不思議な呪文で銀髪の女性の力を引き出してくれた……そんな気がする。
――たぶん彼女は“精霊術師”だ。
もしそうなら、この街で普通に出会うのは難しいのかもしれない。
彼女が現れるのは、精霊の力を借りなきゃいけないような大事件が起きたときだけ。普段は神殿の奥深くに匿われている。一部の神官や王族にしかその所在は知らされない。
大事な大事な、女神の愛娘。
「だったら神殿に行けば……ってのは無理だよな。せめてこの髪を染め直さなきゃ。でも今さら髪を染めたらよけい怪しまれるかも……」
と、真っ黒な前髪を恨めしく見やりながらぶつぶつ文句を垂れていた僕は、全く気づかなかった。
その道の途中――ちょうど東門の真上に、緑色の物体が転がっていることに。
むぎゅっ。
「うきゃっ!」
「うわッ?」
足の裏に柔らかな感触。耳をつんざく小動物的な悲鳴。
とっさに三メートルほど後方へ飛び退いた僕は、城壁の縁に躓いてそのまま下へ転げ落ちそうになる。
「……ッ、やばい、超マヌケな死に方するとこだった……」
「痛ったぁい……誰よ、人の安眠を邪魔するのは……」
重なる、二つの声。
重なる、視線。
僕はそのとき――“天使”に出会った。