百九、楽園(中)
※本日二話目の更新分です。(近日中にもう一話更新するとおもわれます……)
クロさんの祈りを見届けた後、僕たちは再び洞窟の奥へと歩みを進めた。
ニアさんや精霊たちを害さないようにと、粉々に砕いた結界の鎖――その欠片を踏み越えた先は、熟練の冒険者であるクロさんが危険地帯と判断したエリア。
普通のニンゲンにとっては冥府にも等しい場所だ。
しかし、警戒しまくっていたクロさんも、ちょっとビビってたっぽい王子も、百メートルほど進んだところで安堵の息を吐いた。進むごとに道は細く、岩肌は荒れていくものの、やはり魔物の気配は感じられない。
安心すると同時に気が抜けてしまったのか、クロさんはふらふらと覚束ない足取りになり、パーティの最後尾へ。
そんなクロさんに同情的な眼差しを向けた王子は、優しく肩を抱いて……ではなく、ガシッと腕を掴んでぐいぐいと引っ張りながら進む。
二人の姿は、まさにご主人様と飼い犬。
すっかりオレ様モードになった王子は、うつろな目をしたクロさんに「あくしろよオラオラ」と冷たい言葉をかける。クロさんの方は「薬……薬をください……」と若干いかがわしい感じでおねだりを。
パーティのリーダーである僕は、皆の真ん中に陣取った。前後を交互に見やり、どっちも離れすぎないようにと気を使う。
それにしても、王子と目が合うたびにニヤリと笑いかけてくるのが鬱陶しい。「もうお前の企みは分かってるぞ」とでも言いたげなその視線を、僕は心のバリアでシャットアウト。
……この『計画』は安易に口に出しちゃいけない。百パーセントの確信を得なければ。
あいまいな理想を語ってぬか喜びさせて、後から「やっぱり無理でした」と言うのは僕のポリシーに反する。
全部話すのは“あの場所”に着いてからだ。
今のところ冒険は順調に進んでいるものの、ここはまだ折り返し地点の手前。気を抜くには早すぎる……。
そうして王子からの催促を華麗にスルーし、黙々と歩いていると。
「――ユウ様、ご覧ください! あそこに湖が!」
二十メートルほど先を進んでいたニアさんが、歓喜の声を上げた。
狭く先細っていた洞窟の道が、突然大蛇のごとくぐにゃりと曲がり、急な下り坂に変わる。
冥府へ降りていくかのようなその道の先に現れたのは――ぽっかりとあいた空間。階段の踊り場というにはあまりにも広すぎる、ドーム球場が収まりそうなほど巨大な空間だ。
そして、足を踏み入れなくても分かる。そこには凍てつく闇と氷点下の冷気が満ちている……。
思わず立ち竦む王子に対し、薬が効いてきたクロさんが「ここがカルディア洞窟の最奥地。別名“邪竜の胃の腑”と呼ばれています」と冷静に説明を。
なるほど、確かに食道から胃にたどり着いたって感じがするなと、僕が一人うなずいていると。
テンション上がりすぎで壊れたジェットコースターと化した水龍が、青白い光をまき散らしながら“胃の腑”を突き進み、勢い余って“胃液”の中へ――
バシャンッ!
「ニアさんッ!」
「おい、ニア!」
「危ない!」
激しい水しぶきを立てて、深く暗い水底へダイブした水龍とニアさん。それを認識した瞬間、僕は転がるように坂道を下っていた。
そしてわずか三秒後、暗くぬめる地底湖の岸についたところで両足は強制ストップ!
カッと見開いた両目は、水中をぐるぐる動き回る二匹の姿をしっかりキャッチ!
「あ、生きてる……ていうか、めちゃめちゃ楽しそう」
青く輝く湖の中、踊るように泳ぎ回る水龍と、その背中にしがみついて銀髪を靡かせる人魚のごときニアさんは、神殿に描かれた壁画のように幻想的……なんだけど。
ハイスペックすぎるこの両目に映ったニアさんの姿は、どうにも無邪気すぎる。人魚というより、スキューバダイビングでイルカを発見して興奮しまくる女子大生みたいだ。
あと水の中に飛び込めなくて、水面すれすれに浮かんだままうろうろするランちゃんがちょっと寂しそうだなぁと思っていると。
「――ニアッ!」
怒涛の勢いで駆け込んできた王子が、僕のすぐ脇を通り過ぎた。僕はその上着の襟元をキャッチ!
「――ぐへッ!」
「ニアさんは大丈夫ですよ、王子」
「……ッ、だが、あいつら水に落ちたままで……」
「あの中で楽しそうに遊んでますよ。たぶんこの場所は、二人にとっての“楽園”だと思うんで、少し好きにさせてあげましょう」
「そうか……」
ニンゲンにしてはありえない速度で“胃の腑”へ転がり込み、その勢いのまま水の中へ飛び込まんとしていた王子も、僕の発言にホッと胸を撫で下ろした。
そして一秒後、ひざまで水に浸かっていることに今さら気づき「冷てっ!」と叫ぶ。王子は絶対隠れシスコンだ。
一方、王子の斜め後ろに滑り込んできたクロさんは、波立つ水面を凝視したまま微動だにしない。吐き出した息が白くなるほどの寒さの中、端正な横顔を苦悩に歪め、小さく首を横に振り続ける。
長くカルディア洞窟攻略の最前線にいた上、この場所で大事な誰かを失っているだけに、僕の言葉が信じられないんだろう。
僕は労わりの気持ちを込めて、そっと囁いた。
「クロさん、本当に大丈夫ですよ」
「いや……ここには恐ろしい魔物が……」
クロさんはゴシゴシと何度も目を擦った後、首をねじ曲げて地底湖の周囲へと視線を彷徨わせた。
冷たい水に浸った革靴の先から、ぬるりと湿った岩肌、幾千もの氷柱が垂れ下がる高い天井、そして未だ闇に包まれたままの湖の対岸へ。
「本当に……魔物はいない、のか……?」
白昼夢を見ているかのような淡い呟きに、僕はきっぱりと答える。
「いえ、いると思います。少なくとも一ヶ月前にはいましたから」
「えっ?」
「すげーでかい海蛇が出ますよね、ここ。奴らかなりしぶといし、邪竜なんかより狡賢いから、たぶん神気を嫌って海に逃げたんじゃないかなと」
「……ごめん、意味がよく分からない。ここから海へ逃げるって、いったいどうやって」
「僕もちゃんと確認したわけじゃないんですけど、たぶんこの地底湖は外海まで繋がってるんだと思います」
「それはおかしいよ、ユウ君。そんな調査結果は聞いたことがない」
「じゃあ繋がったのはごく最近のことかもしれません。だから急に強い魔物が現れたのかも」
「――ほぅ、それは面白い話だな」
唐突にカットインしてきたのは王子だ。
じゃぶじゃぶした足を魔術で乾かし、地面に座り込んで靴下を履きなおしていた王子は、僕を上目遣いに見上げながら皮肉げに笑った。
颯爽と立ち上がり、薄汚れた上着とズボンの埃をぱんぱんと払い、弛んだタイを締め直せば、そこにいるのは一人の真面目な研究者。
「広大な東大陸の中央にある湖に、外海の魔物が侵入する……なぜそんな発想が生まれたのか非常に興味深い。できれば魔術技師の独自言語ではなく、俺たちにも分かるよう簡潔に説明してもらいたい」
「えっと……長くなりそうですが、横道に逸れないよう善処します。そもそも瘴気は光に弱いんですけど、もう一つ弱いものがあると思うんです。もちろん王子たちもご存知だとは思いますが」
「なんだ、神気か?」
「いえ、僕的に“神気”は光と同じカテゴリに入ります。時間が惜しいんで言っちゃいますけど、答えは“乾燥”です」
「まあそうだな。瘴気は水気の多い場所に溜まるからこそ、水の精霊が厭われてきたわけだ」
「実際水の精霊はまったく悪くないというか、水の瘴気を払うからむしろ貴重な存在なんですけど、精霊が見えない人たちからすると差が分かりにくいんでしょうね。水というだけで一緒くたに怖がられてしまうのも仕方ないことかもしれません。あと聖都オリエンスの街の東側に必ず作られる砂地って、死の霧への対策なんですよね? 先人の知恵ってホント素晴らしいと思います」
と、なるべく余計なことは言わないよう慎重に言葉を選んだ、はずが。
「おいおいちょっと待て。本当にお前は……危ういな」
「なんですか、いきなり」
「喋るとすぐにボロが出る。根が素直なのはいいことだが、くれぐれも会話する相手には注意を……まあいい、話を続けてくれ」
呆れ顔の王子に首を傾げてみせた後、僕はなるべくシンプルに解説した。未来樹の一歩手前で死にかけてからの帰り道、さほど賢くない文系頭で必死に考えた仮説を。
――そもそも瘴気は水にくっついて動く。
だからこそ濃厚な瘴気は霧となり、その霧を止めるためのささやかな抵抗として、聖都の住人は街の東側を砂地に変えてきたわけだ。
でも、この世界の人々が理解できるのはそこまで。
僕の脳裏には、目に見えない酸素や水素、そして“天気図”が浮かぶ。瘴気を含んだ空気が、空と大地をゆっくりと循環する映像が見える。
ただし、その循環には“えこひいき”が発生する。
科学では説明できない不思議な力――神力や魔力のせいで。
僕はその秘密を知りたい。
おぞましい因習からアリスを解き放つためのヒントが、そこにあると思うから――
グワッと気合が入った僕の心は、打ち立てた仮説をそのまま吐き出してしまう。
「これはあくまで仮説ですが……死の霧は、未来樹によって生み出されたのではないかと考えてます」
「――ッ?」
息を飲んだのは王子だけじゃなかった。その背後にいるクロさんまでもが瞠目し、僕を食い入るように見つめている。
爆弾発言を自覚した僕は慌てて釈明を。
「あっ、でもこの話は僕の直感なので、これ以上の突っ込みはご容赦を……」
「馬鹿なことを言うな! これが突っ込まずにいられるか!」
思わず声を荒げる王子。音の波が湖の底まで届いたのか、水龍とニアさんがそろりと湖面に顔を出す。
「ホントすみません、今の話は丸ごと忘れてください……」
「忘れてやってもかまわないが、そんな突拍子も無い仮説を立てるからには、それなりの根拠があったんだろ? 試しに言ってみろ」
「ハイ……僕は未来樹のことを何も知りません。ただハッキリ分かってるのは、死の霧が未来樹を中心に、同心円状に発生してるってことだけなんです」
「「……」」
「未来樹に拒まれたときなんとなくそう思って、試しに大陸横断しながら死の霧の側面を辿ってみたんですけど、東から西に向かって綺麗に婉曲していて、未来樹からの距離も一定で――」
「「……」」
「――ってわけです。あの、お二人とも、聞いてます?」
「「……」」
……。
……。
……またもや魂が抜けかけた二人の、半開きになった口の中へ、僕はあの薬を放り込んだ。
※前言撤回です。前中後の三話になりましたすみません……。「ウレロ」の件につきましては、今夜の活動報告にてご報告いたします。(すぐに知りたいという方は作者のツイッターをご覧くださいませ)




