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十、演者

 旅の途中、僕は何度か『飛行魔術』を試みた。

 もちろん魔石貯金を崩したわけじゃなく、ノルマより多く魔石が獲れた日にせいぜい一個か二個を使って。

 結果は、全て失敗。

 高くジャンプすることはできても、ふわっと浮くことはどうしてもできない。風を操って上昇気流を生み出したところで、僕の身体をスカッと素通りしていくだけ。

 どうせジャンプで距離を伸ばすなら、脚の筋力を強化した方が効率的だとすぐに気づき、試すことさえしなくなった。

 ――人間が空を飛ぶことは不可能。

 その常識が、目の前で崩れていく。僕自身の身体で。

 ほとんど傾斜のない堀の石垣が、ゆるゆると下へずれていく。背中に釣り針が刺さっていて、くるくるとリールを巻かれているようなスピードだ。

 チラッと背後を窺ったところで針も糸も視えない。やはり物理的に持ち上げられているわけではないらしい。視えるのはキラキラ輝く光の礫のみ。

 僕は首を捻じ曲げて、空を見上げる。三十メートルほど先にある城壁の頂を。

 しかしそこには誰もいなかった。エメラルドの瞳の天使はすでに消えていた。

 ……僕は考えるのをやめた。

 軽く目を伏せ、四度目の“奇跡”を静かに受け止めていると、ゆっくりと上昇していた身体が不意に止まった。堀を越えたのだ。

 元居た橋の上にぽすんと下ろされる。足の力がカクンと抜けてその場にへたり込む。

 忘れていた重力が一気に戻ってくる。

 泥水を吸った制服と荷袋がずっしりと重たい。何より腕の中に抱えたままの女性が……。

 光の礫は、彼女の身体にもまとわりついていた。

 濡れて肌に張り付いた銀の髪も、痛々しい青痣も、薄汚れたワンピースも、忌々しい鎖も……全てを掻き消してしまうような優しい光に包まれ、彼女は穏やかな眠りについていた。鼓動も呼吸も安定しているようでホッとする。

 できるなら、このまま柔らかなベッドへ連れて行ってあげたいけれど。

 ――その前に、やらなきゃいけないことがある。

 僕は腕の中の彼女をそっと下ろし、覚悟を決めて立ち上がった。そして周囲をぐるりと見渡す。遠巻きにこっちを見つめる人々の姿を。

 日常的に魔術が使われているとはいえ、さすがにこの現象は想定外だったのだろう。ありえない“奇跡”を見せつけられ、凍りつくギャラリーたち。その中にはアルボスの人たちだけでなく、門番の兵士や奴隷商人、騒動の元凶である王子も含まれる。

 王子のことはひとまずスルーし、僕はこの中で一番の実力者――隊長をロックオン。

「あのー、“捨てられた荷物”を拾ったんですけど、僕が貰ってもいいですかね?」

 ……。

 ……。

 ……おかしい。返事がない。

 隊長さんの瞳には明らかな怯えが浮かんでいる。まるで得体のしれない化け物を見るかのように瞠目し、ひくひくと頬を引きつらせる。

 その背後に立つ門番の兵士たちも、僕と目が合うや「ヒッ!」と叫んで後ずさる。優しかったアルボスの人たちも、震えながら肩を寄せ合って……。

 彼らの中で動じていないのは、ただ一人。

「うわぁ、よーせーさんだー!」

 不意に放たれた、小さな女の子の声。

 民族衣装っぽい華やかな刺繍が入ったワンピース姿の女の子が、ギャラリーの輪の中から飛び出し、そのまま僕の元へダッシュ!

「よーせーさーんっ!」

 ドスッ、と僕の腰に飛び付く……かと思いきや、リリアちゃんのハートを射とめたのは別の人物だった。

 それは僕の足元に横たわり、すやすやと眠る銀髪の女性。

「よーせーさん、キレイ! ちっちゃい! かわいい!」

 銀髪を一房手に取り、すりすりと頬ずりするリリアちゃん。きっとあの瞳には可憐な『妖精さん』が映っているんだろう。心の汚れた僕には視えない。他のギャラリーと同じくぽかーん状態だ。

 三秒後、ユリアさんが必死の形相で飛んでくる。無邪気すぎる愛娘を抱きとめて「ゴメンナサイゴメンナサイ」とエンドレス謝罪。

 ……いや、謝られても彼女は寝てますし。

 っていうか、このカオスな状況はいったいどうすれば――

 助けを求めて再度周囲を見渡すと……嫌な人物と目が合ってしまった。

 バカ王子だ。

 僕は呆けたままの隊長さんにチラチラと視線を送る。「助けて!」と訴える。

 まだ僕は『拾得物の所有権』についてちゃんと確認していない。「やっぱり荷物を返せ」とごねられたらどうしよう。ぶっちぎって逃げるにしても、彼女からキチンと了承を得てないし……。

 ぐるぐると考える間にも、長いリーチで颯爽と歩み寄ってくる王子。

 僕は速やかに立ち位置を変える。眠っている彼女およびユリアさんとリリアちゃんを背に庇うポジションへ。

 しかし、王子の視線が麗しい女性たちへ向かうことはなく……。

「ハハッ、これは面白いことになってきたな」

 なぜか、僕一人をロックオン!

 さすがは腐っても王子だ。睨まれるとめちゃめちゃ怖い。強者のオーラがハンパない。

 勝手に後ずさりしたがる身体を根性で抑えつけ、僕は王子と真正面から対峙した。

 僕より頭一つ分は背が高い王子は、軽く小首を傾げるや、腰を屈めて視線を合わせてくる。その態度が子ども扱いのようで腹立たしい。

 キツく睨み返してやると、王子は形良い唇を愉しげに歪め、僕の濡れた前髪に触れて。

「黒、か……まさかこんな場所に“ノックスの民”が現れるとはね」

「夜の民?」

 オウム返しに問いかけると、王子は一瞬大きく目を見開いた。

 そして今までのおふざけを完全に封印し――僕の耳元へ唇を寄せ、氷のように冷たい呟きを落とす。

「ネムス語を理解する、か……貴様、何者だ?」

 ……ヤバイ、なんか墓穴掘った!

 ここはライトノベルの常套手段、「え、なんだって?」の鈍感魔術で切り抜け……るのはさすがに無理っぽい。

 王子の表情は真剣そのものだ。

 皆に見せていたのはかりそめの姿……そう感じた。今の王子はさっきまでとは別人のようだ。少なくとも、大災害の渦中に遊び惚け、戯れに一人の女性を殺そうとした無能な男とはとうてい思えない。

 だから言い訳は一切通じない。何を言ってもバッドエンドになる。

 しょうがなく、僕は一つの手段を選んだ。

 困ったときはこれしかない――

「貴方こそ、なぜネムス語を理解するんですか? この国の王族だというのに」

 秘儀、質問返し!

 “物知り博士キャラ”のスイッチが入った僕も、我ながら別人だった。

 飄々とした態度を崩さず、髪に触れていた王子の手をさりげなく振り払う。こっちには何も後ろ暗いことはないんだぞ、というようにニッコリと微笑んでみせる。

 実際、僕は何一つ悪いことはしていない。

 訳も分からずこの世界へ飛ばされて、必死になって生き抜いて、ついでに困っている人を助けようとしただけだ!

 揺るぎない眼差しを受け、傲慢な王者の瞳に微かな戸惑いが浮かぶ。そして視線がスッと脇へ流れる。そのしぐさ一つで『この会話を誰かに聞かれてはならない』と考えていることが分かる。

 たぶん“ネムス語”というのは、この国で禁じられた言葉なんだろう。

 僕も不用意に使わないようにしたい……のはやまやまだけど、チート翻訳機能を制御できる気がしない。遠い島国から旅をする途中、“ネムス語”を習う機会があった、ということにしておこう。

 とにかく、今片付けるべき宿題はこれじゃない。

「この件はひとまず保留にしませんか。お互い痛くない腹を探り合うのも不毛ですし」

「……ッ、分かった」

 僕の提案にしぶしぶといった面持ちで頷いた王子は、最後に負け犬の遠吠えっぽい一言をぼそりと。

「その黒髪、神殿のヤツらには見つからないようにしておけよ。運が悪けりゃ“粛清”されるぞ」

 ――粛清ッ?

 不吉な予言に震えあがった僕は、思わず王子の腕を掴んでしまう。

「えっと、今のはどういう意味で……」

「さあな。それくらい自分で考えろ」

 余裕しゃくしゃくな笑みを取り戻した王子は、追い縋る僕をサクッと振り払って銀髪の女性の元へ。フリーズしていたユリアさんが、リリアちゃんを抱えて脱兎のごとく逃げていく。

 ズボンが汚れるのも構わず片膝をついた王子は、感情の消えた透明な眼差しを彼女へと落とした。

 なんとなく、王子が彼女に危害を加えることはもうないだろうと感じた僕は、一歩引いた位置でその言動を見守る。

「やはり、命を賭さなければ覚醒しないか……“精霊術師”とはめんどうなものだ」

「精霊術師……?」

 今度の疑問には、王子もちゃんと答えてくれた。

 僕だけじゃなく、背後にいた門番の兵士や奴隷商人たちにも聴こえるように。

「ああ。紛い物ではない銀糸の髪……光の精霊と契約した証だ。しかし精霊を使役するにはこの娘、自我が強すぎた。自らの欲望にしがみつく限り、精霊の声は届かない。それどころか精霊の力を恐れて逃げようとする。……長い間この娘の行方を“裏”から探させていたわけだが」

 そこで一旦言葉を切り、王子は優雅な所作で立ち上がった。そして射抜くような眼差しを一点へ向ける。

 彼女を探し出したという、奴隷商人へ。

「純潔を奪わずに匿ったところまでは褒めてやろう。しかし痛めつけたのはいただけない。“覚醒”を促すのに肉体への暴力は逆効果だということすら分からず、いたずらに年月を重ねさせ、勝手に不良品とみなして“俗物”へ売却しようとした。その罪は……これからゆっくりと償ってもらおう」

 謡うように澱みなく紡がれる台詞は、まさしく映画のワンシーンのよう。

 悪徳商人はがっくりと崩れ落ち、すぐさま兵士たちに捕えられた。

 だけど今度ばかりは、単純に「ざまあみろ」とも言い切れない。俗物のフリをして騙した王子が怖すぎる。

 それに、気になることがもう一つ。

「あの……もしかして、さっき彼女を堀に突き落としたのって……わざと、です?」

「誰かが助けると思ったからな。そうすればこの娘も自覚するだろう。自分のせいで“善意の第三者”が死ぬことになるくらいなら、精霊に頼った方がマシだと」

 まあお前みたいなガキンチョが飛び込むとは思わなかったけどな、と皮肉気に笑って、僕の頭をわしわしと撫で回す。あたかも陽花が「いいこいいこ」するみたいに。

 ……怖い。怖すぎる。

 一連の流れで、彼女が受けた絶望は計り知れない。

 精霊の力が怖くて逃げ出して、奴隷商人に捕まって、虐待されて、ヘンタイ貴族に買われて……平民への昇格という希望を見せつけられた直後の、ドボン……。

 そりゃ精霊に縋りたくもなるだろう。僕みたいな『ガキンチョ』よりよっぽど頼りになりそうだし。

「つまり、さっき僕たちが浮かんだのは、彼女の契約した精霊のおかげってことなんですね……」

 てっきり“天使”が助けてくれたんだとばかり思っていたのに。でも天使はすぐに消えてしまったし……。

 俯いてぶつぶつ言う僕のことを何か誤解したのか、苦笑を浮かべた王子が僕の肩をポンと叩いて。

「残念だったな。覚醒した精霊術師の“所有権”は神殿に移る。いくら命懸けで助けるくらいこの娘に惚れてても、お前の物にはならな」

「――惚れてません!」

「まあ詫びといっちゃなんだが、他の女を何人か見繕ってや」

「――要りません!」

 全力で否定し、はぁはぁと荒い息をつく。不敬罪で逮捕されてもおかしくないくらいの態度にも、王子はニヤニヤと笑うばかり。

 とにかく、この王子がそうとうやっかいな人物だってことはよく分かった。

 いくら情報通のお偉いさんでも――アリスのことや『異世界人』のことを知っている可能性があるとしても、なるべく関わりたくない……。

 そんなことを考えつつ、一歩二歩と後ずさり始めたとき。

 第二の城門の方から、バタバタという乱雑な足音が響いた。そして白馬に乗ったいかつい顔の老人が現れるや、橋の真ん中へひらりと降り立つ。

 年の割に軽快な身のこなし、まさに“老騎士”といった風格だ。

「――いったい何をなさっているんです、殿下ッ!」

「ああ、爺か……またうるさいヤツに捕まったなぁ」

 さっきまでの鋭い眼光は一瞬で消え失せ、再び昼行燈キャラに戻った王子は、お目付役らしき老騎士に首根っこを掴まれてあっさり退場。

 その後、アルボス難民グループは隊長から正式な謝罪を受けた。『今回の件は口外しない』という念書を書き、口止め料としていくらかのお金と衣類や食料を分けてもらった。

 夜空に白い月が昇る頃、ようやく僕らは街の中へ入ることを許されたのだった。

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