百六、議論
「「カルディア洞窟?」」
声を揃え、オウム返しに問いかける王子とクロさん。
僕はにっこりと微笑んで、首を縦に振る。
「詳しくは、現地に着いてからってことで。それより僕が聞きたいのはお二人の話です。僕の考えた『計画』が王子たちの目的とズレてないか、ちゃんと確認しておきたいんで……」
そうして始まった緊急ミーティング。
走る密室と化した馬車の中に、重々しい王子の声が響く。
「新たな国を立ち上げるにあたり、最初の選択肢は二つある……この地に残るか、捨てるかだ」
貴重な時間を有効活用するべく、僕は聞き役に徹する。
議論を誘導するのはクロさんだ。
賢いクロさんは、何年も前から王子と集めてきた膨大なデータをコンパクトにまとめて、さほど政治に詳しくない僕にも分かるように伝えてくれた。
突き詰めると、二人の主張はいたってシンプルだった。
自由だとか平等だとか、どれほど高い理想を掲げたところで意味がない。
新たな国に必要なのは、人々がそこに住みたいと思えるような――魅力的な土地。
そもそも、聖都オリエンスにこれだけ移民が集まったのも、戦争により疲弊した人々にとってここが魅力的に映ったからだ。アルボスの人たちも「人間同士で殺し合うくらいなら魔物と戦った方がマシ」と言っていたし。
でも、彼らも実際に戦ってみて分かったはず。
死の霧の生みだす魔物は、人間の軍隊を凌駕するほど恐ろしいってことを……。
「クロ、一つ確認させてくれ。その後『聖者』はどうなった? 北の連中は死の霧に対抗できるようになったのか?」
「そうですね……霧から現れるAランクの魔物を倒す、という意味でなら、辛うじて対抗できています。ただし『聖者の歌声』は霧を一時的に押し返すことができても、消し去ることはできません。このままではジリ貧かと」
「ならば、この街を捨てるしかないな」
そこで二人は、示し合わせたように深いため息を吐いた。
本当はこの街に愛着がある。できれば捨てたくない。そんな声なき声が聴こえるようだ。
「……北の隊長やギルドマスターは、この街が霧に呑まれる日まで戦い続けると豪語していますが、その声に踊らされるのはごく一握り。冒険者でも移民でもない一般市民は、もうとっくに逃げ出す算段をしていますよ」
力ない呟きを落とし、クロさんはゆらりと視線を泳がせた。
窓を閉じてあるため外の景色は見えないものの、その向こうがどうなっているかは僕にも見当がついた。
すれ違う馬車が少ない。そろそろ夕方のかきいれ時だというのに、市場の喧騒が聴こえない。
あんなにも活気に満ちていた南エリアから、人が消えつつある。
冒険者や商人はゴールドラッシュに賑わう北エリアへ。南のギルドマスターに煽られた女神信徒は中央へ。
そして、それなりに財力があり、先見の明もある一般市民は、この街を捨てて王都や海洋都市へ旅立った。
「残されるのは、貧しい職人や身寄りのない子どもたちばかり。今はまだ善良な商人に支えられていますが、彼らの生活環境は少しずつ悪化している……それに“偽の腕輪”をつけた連中が空き家を荒らしはじめているし、このあたりもいずれスラム化することでしょう」
苦しげなかすれ声が、クロさんの本心を伝えてくれた。
クロさんが救いたい対象は、恋人のオリーブさんだけじゃない。妹であるローズさんも含め、馴染みの商人や職人たちはクロさんにとって身内も同然。
今ここにいる四人の中で、『新たな国』を誰よりも強く望んでいるのは、クロさんなんだ……。
僕が今さら気づいたその想いは、王子もちゃんと理解していたようだ。俯いてしまったクロさんの肩を叩き、揺るぎない強者の眼差しを向けながら告げる。
「自力で逃げられるヤツのことは放っておけばいい。神殿の連中には自粛を促すことしかできないが、手練の騎士を巡回させれば多少の抑止力にはなるだろう。あと貧しい住人には支援物資を用意しよう」
「そうですね……いや、そうじゃないんだ。彼らに必要なのは、物じゃなくて」
――希望。
クロさんが解き放った言霊は、僕の心を強く揺さぶった。
工場エリアの外れにある小さな工房に、ローズさんが掲げていた大きな看板……『世界一の宝飾品工房』という言葉は、まさに彼らの希望そのものだった。
バジルやノエルたちだって、貧しくとも希望を持って生きていた。
はたして僕の『計画』は、希望の光になれるんだろうか……?
◆
人気の少ない静かな街を、馬車はひた走る。
僕らの議論も終わりへ向かって加速していく。
「この街を捨てるとして、どこへ移るのか……ここでも選択肢は二つある。東大陸の中に留まるか、他の大陸へ行くか」
王子曰く、真っ先に王都へ逃げた貴族たちを巻き込んでごり押しすれば、大陸内に別の土地を得ることは可能とのこと。
ただし、新たな土地も死の霧への最前線に用意される。今までの“遷都”のように。
そのエリアを『国』として認めさせたとしても、王都の住民にとっては痛くもかゆくもない。辺境に小さな自治区ができたのと変わらない。
つまり、根本的な解決にはならないということだ。
かといって、死の霧とは遠く離れたエリアに『新たな国』をつくるというのも難しい。
死の霧から遠ざかれば、次は人間同士の争いが待っている。
結局この国は、移民たちを便利な防波堤としか考えていない。移民が死の霧に背を向けて逃げ出そうとするなら、それは『反乱』と認識され、この国は内乱状態に陥る。
「それじゃ、他の大陸へ行くしかないってことですか?」
どうにも黙っていられなくなった僕が尋ねると、王子は迷いを見せつつも小さく頷いて。
「もちろん、それも簡単な話じゃない。攻略しやすいのは隣の中央大陸だが、未だ戦火のくすぶるあの土地へ分け入るには圧倒的な武力が要るし、元々その土地から逃げてきた移民にとっては抵抗もあるだろう」
「では、中央大陸以外の場所だったら?」
「そっちも一朝一夕にはいかない。とにかく、先住民の理解を得ずに無理やり押しかけるのは避けたい。別にこっちは“侵略”したいわけじゃないんだからな。となると、相応の根回しが――金と時間が必要になる」
その先は、クロさんにバトンタッチ。
南大陸生まれのクロさんは、指折り数えながら『他大陸への移住』についての問題点を分かりやすく語ってくれた。
まずこの世界には、電話みたいな便利な道具がない。
他大陸で土地を余らせているお偉いさんを見つけて交渉を始めるまで、手紙を携えた使者が行ったり来たりするとしたら、どれだけ時間がかかるかわからない。
それに、外海にはAランクの魔獣がごろごろいる。だから船に乗るのはすごくお金がかかるし、使者の乗った船が沈没して交渉リセット、なんてことも大いにありうる。
あとは気候も違う。南大陸はクソ暑いし、北大陸はクソ寒い。
当然食べ物も違うし、言語も通じるか微妙……と、ネガティブになるような情報ばかりがずらりと並んだところで、馬車の振動が変わった。どうやら南門を抜けたらしい。
斜め前でぐったりしているニアさんを気遣い、僕は少しだけ透明化の魔術を緩めた。この魔術は普通の人にも緊張を強いるものなのか、王子とクロさんもホッと息を吐く。
「とまあ、死ぬほど大変ではあるが、ここまではなんとかなる……いや、俺がなんとかする」
若干投げやりな感じで言い放つと、王子はポケットから取り出したお宝の真珠を一粒飲み込んだ。
途端に猫背になっていた背筋がシャキッとする。貴重なお宝も、王子にとっては単なる栄養ドリンク状態だ。
怪訝な顔をするクロさんの口にもそれを放り込んだ後、王子はため息混じりに呟いた。
「今上がった課題は、金と時間さえかければ解決できる。だが最大の問題は……」
「――信仰、ですね」
僕が答えを先回りしてやると、王子は薄い唇の端をかすかに持ち上げた。
この国において神殿の役割は大きい。医療や教育、冠婚葬祭など、人の暮らしにまつわるさまざまな公共サービスを一手に引き受けている。
なにより大事なのは、目に見えない人々の心――信仰心。
それは生きる意味であり、アイデンティティだ。
遷都を繰り返してきた聖都オリエンスが、少しずつ街並みを劣化させながらも神殿だけは立派なまま維持したのがその証拠。
「他大陸への“遷都”をすることになったとしても、この街の神官はついてこないだろう。むしろついて来ても困るがな。よその大陸に乗り込んで女神一神教の国を立ち上げるなど、それこそ喧嘩を売りに行くようなもんだ」
「いっそ移民だけ連れていけばいいんじゃないですか? あとは『宗旨替え』を必要条件にするとか」
「そいつは最後の手段だ。その前にやれることはやっておきたい。例えば神官の中でも発言力のある“お偉いさん”を寝返らせる、とかな」
「あー、なるほど。だから王子は『枢機卿の腰ぎんちゃく』って言われてたんですね」
「……おい、いったい誰がそんなことを」
「それで、枢機卿の攻略に失敗したから、次は精霊術師に目をつけた、と」
「……失敗と言われるのは癪だが、結果的にはそういうことになるんだろう。まあ俺としては枢機卿から『こっちの行動には干渉しない』という言質を取り付けただけで御の字だ。ところで俺のことを腰ぎんちゃくと言ったのは誰だ?」
「教えたらどうするんですか?」
「殺す」
「では黙秘します。それで今は、聖者と呼ばれるマルコさんに広告塔になってもらおうと企んでるんですね?」
「……ああそうだ。彼は死の霧の脅威を遠ざけ、武力にも財力にもなる大量の魔石をもたらした救世主。彼が言うことなら無条件に信じるし、彼が行くところにならどこでもついていくという市民は少なくない」
……おお、マルコさんにモテ期到来!
なんて、どうでもいいことを考えてる場合じゃない。
僕は居住まいを正し、王子の目をまっすぐ見つめながら結論を告げた。
「王子の考えはだいたい分かりました。まず取り組むのは、この大陸内での『消極的な遷都』。死の霧から距離を置いて時間を稼ぎつつ、聖者を利用して国としての新たなルールを浸透させていく……『宗旨替え』に対する女神教信徒の心理的障壁を取り除き、宗教的対立が起こらないという条件をクリアした上で、他大陸と交渉。条件のよい土地が見つかりしだいこの大陸を脱出、って感じですね」
「そこまで簡略化されると、なんだか陳腐に聞こえるな……」
「そんなことないですよ。僕はてっきり『中央大陸へ乗り込んで天下を取る!』なんて言うんじゃないかと思ってましたから」
「その案も捨てたわけじゃないが、いかんせんこっちには戦力が少なすぎる。それに俺自身、人殺しをするくらいなら魔獣を殺した方がマシだと思っちまう性質だからなぁ」
やたらとぶっきらぼうな口調になった王子が、キリッとした騎士服の詰襟を緩め、首にかかっていたシルバーのチェーンを無造作に引っ張った。
コロンと転がり出たのは、西ギルドのマークが刻まれた魔鉱石。
冒険者なら誰もが憧れる、宝石のごときその色は――
「ッ、Aランク……!」
「何を驚いてるんだ? 俺がAならお前はSSSってとこだろう?」
「……そ、そうですね。そのとおりです。ぼくはSです。性格も隠れSだし」
と、心底どうでもいい個人情報を暴露しかけたところで、タイミングよく馬車が止まった。ようやく目的地についたのだ。
南ギルドから見捨てられ、人が訪れなくなった廃墟――カルディア洞窟の入り口へ。




