第95話
待
た
せ
た
な
「……寝れん」
堅いベッドの寝心地はあまり……いや、最悪といっても差支えないほど劣悪な物だった。つい二日前まではこのベッドで問題なく眠れていたのに、今では背中に当たるスプリングが固すぎると感じてしまい、とてもここで睡眠をとろうとは思わなかった。
やはり、ご主人さまのところのベッドで寝るべきではなかった。一度あの心地よさを体験しては、もうこんな粗大ごみではねつけない。
劣悪な質の品しか手に入らない貧乏人が、金持ちの高級品の味を知ってはいけなかったのだ。あのベッドがとてもとても、恋しくて恋しくて……コロニーの中ではあんな高級品はどこに行っても置いてない。いくら金を積んでも手に入れられないのが、非常につらい。しかしご主人様の犬になれば……なり下がれば、毎日あのベッドで眠れるのだが、それはプライドが許さない。持っていても何の役にも立たないプライドなどいっそ捨ててしまえばどれだけ生きやすくなるだろう。簡単に捨てられないから、こうして苦労しているのだが。
「ほぅ……」
蒸留水を一口飲んで、一息つく。眠りたくても眠れないなら仕方がない、起きて仕事でもしておこうと、ガレージへ降りる階段の戸を開く。これから先、乗ることはあまりないだろうが、アースと武器の手入れはしておこう。整備はしておいて損するものでもない。
と、階段に足をかけたとき。ズン、と腹の底に響く、重い音がした。治安の悪化から夜間は工場の運転を控えているため、コロニーの中はいつもよりも遥かに静か。そんな中で、大口径火器の発砲音はよく響く。
「また面倒ごとか」
うんざりしながらひとりごちる。ガレージに降りる足を返し、床で眠っているエーヴィヒの毛布を剥ぐ。真っ白な少女が、俺の荒ぶる心境と対照的に、とても穏やかな寝息を立てて丸まっていた。一瞬起こすのをためらうほどだったが、ため息を一つ吐いて、軽く踏み転がして起床を促す。
「ふぁぁあ……ねむみ……一体なんですか?」
「仕事だ。支度しろ」
「……さっきの銃声ですか? 珍しくもないような気がしますが」
「アースの銃声だ。なんかあったんだろう」
人間同士の撃ち合いならよほど大規模にならない限り出ていったりしない。めんどくさい。そんなよくあることに一々出てたら体がいくつあっても足りん。だが、アースとなると話は別だ。アースの武装が使用されるような状況なんて、そうそう起きるもんじゃない。そうそう起きてたらたまったもんじゃない。
「それは珍しいですね」
「だろう?」
ガスマスクと防護服を投げて渡し、自分も同じように外出の装備を整えたら、階段を下りて地下ガレージへ。壁のスイッチで照明をつけて、自分の機体に駆け寄る。
「武装は対アース用。ランチャーは使うな。流れ弾で瓦礫を増やしたら片付ける連中に文句言われる」
「私はいつも通りで出ますね」
「おう、そうだな」
そして、いつも通り出撃前の機体チェック。アースの肩部装甲を開いてコンピュータをつなぎスキャンを開始。緑色の文字の羅列が風に吹かれる塵のように、だばーと流れていき、最終的に異常なしの表示が出る。問題なく出撃可能なので、端末を閉じ、バッテリーにつながるケーブルも外しカバーをかける。
全面装甲を開いて、背中から落ちるように乗り込み、そでを通して電源を入れる。クッションが空気を取り入れて膨らみ、装甲が自動で閉じ、メインカメラの映像が映る。
右足を出して、左足を出して、反応に遅れはない。壁にかけたライフルとブレード、シールドの三点セットを拾ったら、ガレージのシャッターを開く。もし戦闘になれば、片目の欠損は大きな不利となる。そこは不安だが、仕事をしなくていい理由にはならない。
頭の言っていたとおり、死人や腕や足の吹っ飛んだ奴らも居る中で、俺がなくしたのは目玉一つ。まだ軽い方だ。歩くのも、飯を食うのも、問題なくできる。それすらできなくなった人間に比べれば、軽い傷。この程度で済んだのは幸運だろう。
「さて、目的地はどこだ」
外に出たら通信を受信し、どこで何が起きているのかを確認しようと試みる。酔っぱらったスカベンジャー同士の喧嘩なら今すぐにガレージに戻って、アースの電源を落としてそのまま寝たいところだ。
「もしもーし、でかい銃声がしたが、何があった」
『研究所からミュータントがアースをダッシュして逃走。三番道路を北進中との情報あり。アースは武装している、警戒しろ』
三番道路と言えば、俺たちの住処につながる道路。ネズミがわざわざ袋に飛び込んでくるのなら、迎えに行く手間も省ける。
「あいあい……ん?」
センサーが接近する熱源をとらえる。数は一。
「目標補足。随分お早い到着だな」
道に出たら敵に向けて盾を構え、やる気かどうか、通信回線を開いているかどうかは知らないが、通信を求める。
「そこのミュータント。今すぐ回れ右しておうち(研究所)に帰りな。痛い目じゃ済まさんぞ」
脱走したミュータントには心当たりがある。二度ほど命を助けて、三度目は変態共に高値で売りつけたあの……名前は忘れたが、威勢のいいガキ。変態共の慰み者になって嫌になって逃げだす気持ちはわかるが、こっちに逃げてきたからには捕らえさせてもらう。
『その声……お前だな、私をあいつらに売ったのは! 私の家族を殺したのは!』
「……」
これはめんどくさいことになったと、眉をひそめる。声に含まれる殺意は、それが冗談ではなく真剣に俺への憎しみが込められている。殺したのは自分の身の安全のためと言ったところで納得はしてくれないだろうし。いや困った。止めるには殺すのが一番手っ取り早いが。
「殺していいか?」
『機体もミュータントも貴重な研究材料だ。無傷でとは言わないが、できれば機体は破壊せず、パイロットも生け捕りにしてくれ。報酬は多めに出す』
「了解。できれば、でいいな」
生け捕りにするなら、あっちよりも先にやることがある。
「エーヴィヒ、聞いたな。殺すんじゃないぞ」
『交戦して殺さないのは、ご主人様の命令に背くことになります……』
「じゃあ引っ込んでろ」。
『ご武運を』
「ガキにやられるほど弱かねえよ」
通信を斬り、正面からくる敵に集中する。武装はライフル、ブレード、ランチャー、あとは見えないが……たぶんレーザーブレード。ミュータントの集落で見た骨董品たちには全て装備されていたし、あの機体にも装備されているとみていいだろう。
一番注意しなければならないのはそれ。一撃で逆転もありうる。油断したらやられる。ここまで来てそんなあほな死に方はごめんだ。
本当にお待たせして申し訳ありません。腹切らないしお詫びもしませんがお許しください。