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鋼鉄の夢  -Iron Dream-  作者: からす
第二章 明日への逃避
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目覚め

 これまでの人生で最高の目覚め。それは昔切望していた、無汚染区域での目覚めによってもたらされた。本当は泊まる予定などなかったのだが、ご主人様を説得したはいいが、その後話につき合わされて気づけば夜中。家に帰るには少々危険な時間帯で、しかも泊って行けと強く言われたものだから仕方なく……奴の言うことに従うのは癪だが、少し興味はあったので、あまり乗り気ではないながらも本当に仕方なく泊まることにしたのだ。

「おはようございます。ご気分はいかがでしょうか」

 シーツを除けて、起き上がって一番に目に入ったのは、真っ白な部屋と同じく、白い髪と肌を持つエーヴィヒだった。場所と気分以外はいつも通りの朝。

「このベッド持って帰っちゃダメか」

 開口一番に、なんともみっともない要求をする。それほどまでにこのベッドが気に入ってしまった。もうこのベッドなしでは眠れない、というほどではないが次からは目覚めるたびにこのベッドのことを思い出すだろう。柔らかく体を受け止め、しかし適度に反発のあるクッション。寝返りを打っても転げ落ちることのない幅の広さ。清潔に干されたシーツ。これに比べたらあのボロボロのソファなんてただの粗大ごみだ。いや実際、羽が拾ってきたごみなのだが。

「お気に召されたようで何よりですが、それはご主人様に聞いてください」

 奴とはできるだけ顔を合わせたくないが、快適な眠りのためならば必要な経費として割り切れる。人はタダの会話と思うかもしれないが、決してタダではないのだ。貴重なエネルギーを消費して声を出す、貴重な時間を消費して不快な思いをする。だが、その程度の対価でいくら金を積んでも手に入らない貴重な品を手に入れられる可能性があるのなら、割り切るべきだ。死ぬ思いをして手に入れたブレードと違い、こちらは別に死ぬようなリスクを背負わずともいいのだし。ただ少し不快な思いをするだけ。

「朝食はどうしますか。もしも必要なら用意させていただきますが」

「んー……」

 朝食。食事と聞くと、以前こいつが「あんな物を食べるならこっち(合成食糧)のほうがマシ」と言っていたのを思い出す。下よりも食べられるものが豊富にあるくせに、合成食糧よりマシという時点で色々察してしまうので、気はあまり乗らない。答え合わせをしてみたいという気持ちも、皆無ではないのだが。

「いや、折角の誘いを申し訳ないんだが、遠慮しておく。下手にこっちの上等な味を知ったら、下の飯を食えなくなって餓死しちまう」

「そうですか。では、ご主人様に伝えておきます。また少ししたら戻りますから、準備をしておいてくださいね」

「オーケー。つっても顔を洗って寝癖を直して着替えるくらいだ。五分といらんから待ってろ」

 ベッドから降りて、用意されたサンダルを履き、ワックスがけされた床を歩いて洗面台に向かう。鏡の中の自分は、らしくないと思うほど爽快な顔をしており、眼の下の隈も少しだけ薄れたように見える。良質な睡眠は、これほど体に影響を与えるらしい。少し驚いた。

 蛇口の下に手を差し伸べると、混じりっ気のない透明な水が流れ出てきた。消毒用の薬品を大量にぶち込んで白っぽい色がついた汚染区の水とは違い、純粋な色だ。きっとこのまま飲んでも問題ないのだろう。両手を器にしてためた水をそのまま顔にかけ、軽くこすって、横にかけてあるタオルで顔を拭く。寝癖は、目立つほどのものはついていないからいいだろう。

「そういや、俺の服はどこにある」

「ここに」

 エーヴィヒがベッドの横に置いた袋を指さす。歩み寄り、袋を開けて確認すると、中には確かに昨日着ていた服が入っていた。ガスを浴び続け、鼻を突くような臭いが染みついていたはずの、防護服を兼ねた外套と、その中に着る軽装。そして生活に必要なガスマスク。

「ほう……」

 臭いは取れ、汚れもしっかり落ちている。ガスマスクのレンズも研磨したのか、それとも交換したのか、傷もなく透明に。これはいくら気に入らない相手でも評価しなければなるまい。奴にとってこの施しが、道端に落ちている小石を拾うくらい些細な事であっても、俺は認めよう。

「エーヴィヒ、着替えるから外に出てくれるか」

「今更、下着を見られるくらいのことを気にするのですか?」

「せっかく清潔な服を着て気分がよくなったのに、汚物が目の前にあったら嫌だろう?」

「一応体は清潔にしているのですが」

 とても不服そうな顔で見つめられても、罪悪感は一切湧かない。

「気分の問題だ」

「そうですか。では堂々と居座らせていただきます」

「……そうか」

 非常に残念だが、居座るなら仕方ない。排除しよう。服と一緒に入っていた拳銃を手に取り、スライドを引き、ホールドオープンにしてチャンバーが空なのも確認。銃を軽く振って妙な感覚がしないかを確認。弾薬の入ったマガジンを差し込み、スライドを戻し、セイフティを解除。そして銃口をエーヴィヒに向けると、彼女はすでに部屋の外。無駄弾を使わずに済んだとセイフティをかけ、ベッドに置く。


 さて、着替えよう。綺麗に選択された服を手に取る。軽く、柔らかい。大気に混じる油を吸い、重量が増し、樹脂を固めたものか何かと勘違いしそうになる服は捨てられて、同じ形の新しい服に交換されたのかと思うほどの上質さ。しかし新品でなく間違いなく、ここに来るときに着ていたものという証拠もちゃんとある。ご丁寧なことに、擦り切れ、穴の開いていた部分も当て布をされ綺麗に補修されていたからだ。今まで見たことも聞いたこともないレベルのサービスに、少しだけ怖くなってしまった。

 とりあえず寝間着を脱いで着替え、同じくきれいに洗浄されたホルスターを腰に巻き、拳銃を差して、ナイフも持って。上から外套を着てと。鏡を見れば、一応しゃんとした恰好にはなった。一つ眼球があるべきところに、大穴が空いていることさえ除けば。

「包帯か、眼帯がほしいな」

 改めて袋を眺める。さすがにこれ以上のものは入っていない。ガスマスクさえあれば塵は防げるから問題ないといえば問題ない。単に見た目の問題だし、ご主人が気にするとは思わない。だからそれは汚染区に戻ってからでもいいだろう。

「エーヴィヒ。もう入っていいぞ」

「はい。失礼します」

「すまんな、汚物は言い過ぎだった」

「……頭がおかしくなったんですか?」

「人が反省してるのになんだその言い方は」

「いえ、今まで優しくされたことなど一度もなかったもので」

 ……気分がいいからと少し優しくしてやろうと思ったらこれだ。しょうがない、こいつにはこれからも今まで通りの態度を取ろう。

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