代償
66部
鼻につく、妙な異臭に目を覚ます。続いて自覚したのは、猛烈な左目の痛み。
「……!」
痛みに顔がひきつって声が出せない。痛む左目に手で触れる。触れたのは皮膚ではなく、濡れた布の感触。手を離し、右目を開いて見てみれば、真っ赤な血が手のひらについていた。
「あ、起きた」
声に反応して顔を上げる。車内の壁に背中を預けて座るアンジーが居た。白い髪が少し黄ばんでいるように見えるのは、気のせいだろうか。
いやそれよりも。とにかく目が痛い。
「鎮痛剤、持ってないか」
「無いわよ」
「……マジか」
また目を押さえてため息をつく。
「ところで、左目がものすごく痛むんだが。どうなってるか教えてくれ」
「無いわよ」
「……無い。てのはどういう意味だ」
「どうもこうも、そのままの意味。何故っていう意味での質問なら、左目に装甲の破片が突き刺さってたから、そのまま摘出した」
……アースの中に居る時。気を失う寸前には、痛みは感じてなかったが。戦闘中の興奮状態で脳内麻薬が大量に出ていれば痛みを感じない、大幅に軽減されて気付かないのも不思議じゃないか。
「それから私が食べたの」
「今度は頭が痛くなってきた」
潰れてたから摘出するのはまあわかる。だが、それを食うのはどうなんだ。一応友人の体の一部だろうに。
「糞共の精液よりは美味しかったわ」
「OK、わかった。その臭い口を今すぐ閉じろ」
変な臭いがすると思ったら、こいつの髪が黄ばんでると思ったら、そういう事か。
「聞いてよ。あんたが来るまでずっとクソ共に代わる代わる犯されてたのよ。下手くそなくせに、こっちのこと全く考えずに腰振ってるだけで。尻までやられたし、ホント最悪だったわ。子供ができない体だからまだいいけど……だから潰れた目玉一つ食べるくらい許してよ」
人の話を聞かないやつだ。喋るな、と言っているだろうに。少しだけ離れているのに臭い息が鼻につく。いや、そもそもこの密閉された装甲車の中だ、少しの時間があれば、すぐに臭いが充満する。喋っても、喋らなくても、臭いの発生源がここに居れば同じか。
「早くコロニーに帰ってシャワーを浴びたいわ」
「勝手にしろ。で、他の連中は」
そう聞くと、アンジーは一瞬だけ迷い、表情を曇らせて答えた。こいつがこんなに暗い顔をするとは、なんとも珍しい。つまりそういう事か。
「運転手と、代表者のトーマス。あとは性処理用に私一人だけが残されたわ。銃で背中を押されて、汚染地帯のどまんなかに生身で放り出されてね」
なるほど。結果論ではあるが、俺の予感と行動は正しく、味方の敵討になったらしい。しかし生身で汚染地帯に放り出すとは、ずいぶんと酷いことをする。銃で撃ち殺すほうが一瞬で死ねる分だけまだ慈悲があるんじゃないかろうか。
さて、それだけ聞いて一つだけ気になった事がある。
「その精液臭い口をあと一回だけ開くのを許可するから、質問に答えろ。トーマスはどこだ」
「女の捕虜相手に、私がやられたことをそのままやり返すように頼んだから、今はよろしくやってる最中じゃないかしら。整備車両に居るわ」
右の頬を殴られたら、左の頬を差し出せという聖書の言葉は、「左の頬を差し出せ」の部分を線で消され、変わりに「相手の脳天を銃でぶち抜け」と書きなおされているようなこの世界。そのまま返すのは、随分とお優しいことだ。
「わかった。少し覗いてみよう……」
機体のバックパックに、鎮痛剤が入ってた。かもしれない。
「片目がないんだから、気をつけて歩きなさいよ」
「痛みで意識だけはハッキリしてる。大丈夫だ」
揺れる車内。壁に手をつきながら立ち上がる。目覚める前と違う、左半分の潰れた視界。激痛と違和感と不快感。車が揺れ、目眩がそれに重なって、床に膝をつく。
「本当に? 肩くらいならタダで貸すわよ」
「臭いからいい」
改めて立ち上がり、壁を伝って扉を目指す。それから車両間をつなぐ扉に手をかけようとして、空振り。片目がないから距離感をつかめないのか。もう一度手を伸ばして扉を開き、次の車両に移る。空気の匂いが、鉄と油の臭いに変わる。精液臭いよりかはずっとマシだ。
「よう。起きたか、ヒーロー」
左側から声が。顔をそちらに向けると、壁に目隠しされ、口かせ、手かせ足かせをはめられた女と。もう一人、顔にひどい痣を作っているトーマスが居た。
「調子はどうだ」
「目は痛いし頭は痛いし。それでも生きてるから最高だ。ところで、まだお楽しみはしてないみたいだが」
もう既に手を付けているものだと思ったが、それにしては女の方に着衣の乱れがない。臭いもしない。
「一番は命の恩人に譲るぜ」
そういうことなら、と普段なら提案に乗っただろうが、今はそんな気分じゃない。潰れた目玉が痛むのに、どうして激しい運動をしなきゃならんのか。
傍に佇むアースのバックパックを開き、鎮痛剤がないかを漁りながら返事をする。
「そんな気分じゃないが、とりあえず喋れるようにしてやれ。情報を吐かせる……クソ、無い。高くても買っときゃよかった」
「仕事熱心だな。いいぜ」
トーマスが女に触れ、目隠しと口かせを外そうとすると、女が激しく暴れだす。しかしトーマスが一発腹を殴ると、途端におとなしくなった。
そして枷を限定的に外されると、なかなか見ない綺麗な顔つきが現れた。これを前にして性欲を抑えるのは、なかなか厳しい物だったろうに。トーマスもよく耐えたものだ。
「この屑共め」
「捕虜のくせに強気だねえ」
「全くだ」
立場がわかってないのか、わかった上で言ってるのか。
「そこの片目!」
「なんだ、質問はまだしてないぞ。あとうるさい、喋るならもう少し静かにしろ。傷に響く」
「お前があの黒い機体のパイロットか!」
本当に、どいつもこいつも人の言うことを聞かないアンジーは喋るなというのに喋るし、こいつは静かにしろというのに静かにしない。
黙って近寄って、腹に一発蹴りを入れる。つま先が肉に沈む。
「うっ……!」
「そうだが。どうした」
「……よくも、よくも私の恋人を……」
苦しそうに。憎らしそうに、言葉を吐き出す。どうやら俺が殺した連中の中に恋人が居たらしい。知ったことじゃないな。
「んなこと言ったら、お前らも俺の仲間殺して。おまけに俺の目玉潰してくれただろう。恨みっこなしだ」
こちらの意見を言うと、返ってきたのは聞くに堪えない罵声のシャワー。傷に響く。
「トーマス」
「どうした」
「黙らせろ」
「あいよ」
腹にもう一発蹴りが入る。呼吸が止まれば罵声も止まる。実に簡単な発想だ。
「……」
二度も腹を蹴られたのに、視線からは力が全く失われていない。罵倒の内容はさっきとあまり変わらない。仲間を殺した糞野郎。それはこっちも、相手も同じだが、立場が違う。俺達は勝者で、こいつらは敗者。ゴミ共よりもマシな扱いをしてやる気はない。情報を聞き出して、失った左目と、仲間立ちの分痛めつけるのは確定だ。
「そうそう。忘れない内に言っとくが、そいつ、お前の左目を潰した張本人だ。どうする? 手始めに目玉一ついっとくか?」
「痛みでショック死されても困る。まずは情報だ。とりあえず、コロニーの位置、襲ってきた理由、骨董品をどこで手に入れたか、残っている戦力。その他気になることがあったら聞き出してくれ。方法は任せる。その後は……好きなように楽しめ」
「お前はヤラなくていいのか?」
「目と頭が痛くてそれどころじゃない」
「じゃあ、先に失礼」
こちらをまだ睨んでいる女に、ゴミを見るような視線を向けてから、前の車両に戻る。痛いのは我慢して寝よう。きっと二三日すれば、痛みも引くだろう。
勝利の代償は目玉一つ




