故障
ランク持ちから逃げ切ってからしばらく。
「一難去ってまた一難……かぁ」
現在絶賛お困り中である。
「整備してないからだよ」
「そのおかげでここまで逃げられたんだが……まあその通りだな」
まさか、生存不能地域のどまんなかでアースの膝関節部分が故障するなんて想定外にも程がある。肘や肩関節ならまだよかったが、膝関節が故障するのはキツイ。まさしく致命的と言える問題だ。生存不能地域でアースが故障したら身動きがとれなくなって、その後の選択肢は野生動物に襲われて死ぬか、アースのバッテリーが切れて一歩も動けなくなり、餓死するかの二択しか無い。
それを回避するにはアースという防護服を脱ぎ捨て修理を行う必要があるが、汚染された環境に防護服無しで出て行くなど、生身の人間の自分にとっては自殺行為でしかない。ガスマスクがあるおかげで呼吸系からの放射性物質の侵入は防げるが、空間に漂う放射線による外部被曝は防げない。外にいる時間だけ寿命が年単位で縮まるのだ。できることならそんなところに出たくない。
がしかし、このままではどちらにせよ死を待つだけ。このガキに応急修理ができるとは思えないし、結局自分でやるしか無い。
「頭へゴネてもう一人くらい連れてくりゃよかった。畜生」
意を決して、アースの正面装甲を開く。汚染された大気が操作用の空間に入り込み、ガリガリガリガリと旧式のガイガーカウンターが不快な音を立てる。この音を聞く度に自分の寿命が削り取られていく気がして気分が悪くなる。いや、実際に目には見えない、放射線という死神の鎌によって寿命を削り取られていっているのだが。一秒外に居る間に何日分の寿命が縮むのか、心なしかもう気分が悪くなってきた。
それはともかく、今は一秒でも速くこのアースを修理して一秒でも寿命を削られる時間を短くしなければならない。焦ってはだめだ、冷静に、確実に、スピーディに! そう自分に言い聞かせ、アースから降りて汚れた大地を両足で踏みしめ、急いでアースの後ろ側へと回りこむ。それからバックパックの留め金を外して、工具箱を取り出す。電動のドライバと、レンチ。コードをアースのバッテリーにつないで電力を確保し、故障部分を覆う装甲板のネジをドライバで外していく。外したネジは落とさないように片手で握り。
早く、正確に。それだけを意識する。一秒でも修理が長引けばそれだけ寿命が縮むのだと自分に言い聞かせ、寿命を報酬に自分を奮いたたせる。
装甲を止める四つのネジを外して、さらに鉄板を外すと、おびただしい数のコードと人工筋肉が覗く。その隙間に手を突っ込んで、隙間を開く。するとどうだろう、鋼鉄でできた丸い関節に、まるで谷のように大きな亀裂が入っているではないか。これでは動けないはずだ。おそらくは整備不良と注油不足、そしてゲートを出るときの急な動き。あれが止めになって罅が入ったか。しかし亀裂で済んでいてまだ助かったと思うべきだろう。これならなんとか歩く程度には修理できる。真っ二つに割れていたら応急処置もクソもないところだった。
電動ドライバのコードを外し、今度は工具箱から取り出した銃の形に似た溶接用の機械に繋ぐ。それからそのグリップに低温で融解する金属のチップの入ったカートリッジを入れて……少し待つと、機械の銃口に当たる部分が高熱を出し始めた。それを亀裂に押し付けて引き金を引くと、溶けた金属チップが亀裂に注入され、亀裂を塞いでいった。これでとりあえずは動けるだろう。カートリッジを抜いて、銃身内に残った溶けた金属もトリガーを引いて押出し、次もまた使えるようにする。
これであとは装甲を閉じれば応急処置は終了。さっさと外した装甲を元の場所に付け直して、ネジでしっかり固定する。
しかしこれはあくまでも応急処置なので、それほど長くは持たない。多分、少なくともミュータントの集落までは持つだろう。これでひとまず問題は解決した……と思うので、バックパックに工具をしまってアースに乗り込み装甲を閉じてから機体のスキャンを開始する。これで膝が赤色のエラーでなく黄色のエラーになっていてくれればもう動ける。
「セルフチェック開始」
『システムチェック開始。エラー、右膝関節の強度が低下しています。ただちに部品を交換してください』
エラーチェック。モニターに表示される文字の色は黄色。処置前は赤色だったから、これでもう動けるはずだ。
「はい了解……と」
アースの中で一度深呼吸をして、ドクンドクンと騒がしく鳴る心臓を落ち着かせる。もう大丈夫、もうここは安全だと自分に言い聞かせて、心も身体も落ち着かせる。
……OK、落ち着いた。
「歩行時のプログラムをパターン2に変更。左右バランスを右3左7に。再起動」
「もう終わった?」
「ああ、おかげで寿命が何年か縮まった。全く畜生だ」
「あんたもミュータントに生まれればよかったのにね。そうすれば、わざわざそんな機械に乗って動く必要もなかったのに」
「俺もそうなりたかったが。生まれはどうしようもないからなぁ」
ただミュータントにもミュータントなりの苦労や悩みがあるはずなので、もし自分がミュータントに生まれていれば、普通の人間に生まれたかった、と思うのだろう。どういった理由からその思いを抱くかは、俺はミュータントではないのでわからないが、多分そうなるだろうということだけはわかる。風船が弾ける前の世界の諺では、隣のシバフは青く見える、というのがある。シバフというものを図鑑以外で見たことがないので実際どういう場面かは想像できないが、『何でも他人のものは良く見えるものである』という意味らしい。だから彼らもまた俺達旧人類に対し、『自分たちもああいう風ならいいのに』と何かしら羨望を持つはず。
『再起動完了しました』
「ガキ、動くからちょっと離れろ」
「はいはい」
思考を中断。立ち上がり、一歩前へ。左右バランスを変更したせいでぐらりと大きく揺れるが、転倒はしない。ギシリと嫌な音もしたが、一応歩ける。あとは集落にあるはずのアース用パーツと交換してもらえば問題は完全に解決する……が、それでもパーツの交換には時間がかかる。もし無ければ、コロニーの連中に頼んでパーツを配達してもらうことになるが、そうなるとおそらく帰るのは明後日か、最悪三日後になるだろう。できれば日帰りしたかったのだがどうにも無理そうだ。
「こりゃ集落についたらコロニーに連絡しないとまずいな」
頭は多分日帰りできると考えて話をしていたのだと思う。それでその日のうちに帰ってこないとなれば心配するだろう。何かあったのではないか、道中で襲われたのではないか――というのは単なる俺の理想であって。頭はそんなに優しくない。むしろその真逆だ。
俺が帰らなかったとしても、せいぜい「ああ、あいつが死んだのか。結局期待はずれだったな。予想通りだが。仕方ない、別のやつを向かわせよう。ついでに持ち主のいなくなったあいつの家は別のやつに使わせよう」位にしか思わないだろう。無駄な手間をかけさせないために、帰るべき我が家を他人の物にしないために。連絡はしなければならない。
幸い周りに野生動物のような、動く反応はない。また調子が悪くならない内に、あるいは野生動物に襲われる前に、はやく集落へとたどり着きたいものだ。