薬
謹慎を言い渡されて、三日目の朝。いつも通りの時間に起きたはいいものの、やたらと体が重い。一日中家に引きこもっているから体がなまり始めているせいだろうか。それだけならいいのだが、そうでないなら困ったことになる。
コロニーの一般寿命からすれば少し早いが、誰のところにもいつか平等にやってくる『お迎え』というものだ。そうでない事を祈りながら、ベッド兼ソファから転がり落ちるように床へ降りる。足元が覚束ないまま、赤子が初めて二本の足で立ち上がるように、ゆっくりと重力に逆らって立ち上がる。
「いかんな」
一人呟く。これはひょっとすると、ひょっとするかもしれない。確かにここ最近無茶をし続けているのは確かだが、まさかこんなに急に来るとは思わなかった。いやしかし、思い返しても見ればそれほど急というわけでも。むしろ遅い方か。汚染地帯に出かけた回数も多い、お客様の集落へ出かけた時の故障、死都に出かけた時の戦闘でのストレス。このコロニーで敵を迎撃して、被弾した時のショック。トドメにお客様を迎える時にエーヴィヒを止めて、その時受けた傷。家に辿り着くまで処置の一つもできなかったから、汚染物質は体内に入り放題。普段なら何とも無いような事でも、疲労が蓄積しているところにそれが来れば、調子を崩すのも当然か。
壁に寄りかかりながら、なんとか冷蔵庫の前まで辿り着く。しかしそこで限界が来たようで、足から力が抜けて倒れこんでしまった。
「朝から何事ですか」
音に反応して起きてきたエーヴィヒが、俺を見下すように傍に立つ。
「何かありました?」
「ちょっと足が滑っただけだ」
平気なフリをして立とうとする。しかし足に力が入らず、また転けるという無様な姿を晒す。
「滑るような床ではないと思いますが」
反論の余地もない。
「それにしてもひどい顔ですね。いつも醜い顔だとは思っていましたが、今日はいつにも増してひどいです」
「顔の造詣は生まれつきだから仕方ないとして。顔色が悪いのはお前のせいだ」
原因の原因をたどっていけば、その殆どがこいつに行き当たる。
「そうですか」
「そうだよ」
今度は壁ではなく冷蔵庫にもたれかかり、必死で手を伸ばして冷蔵庫の扉を開き、合成食料を取り出して、腹に入れる。相変わらずゲロみたいに不味い。まるで毒だ。体調の悪さも相まって、いつも以上の吐き気が襲うが、栄養はしっかり取らなければ良くなるものも良くならない。必死で我慢する。
「死にそうですか?」
「お前が人の心配をするなんてな。気持ち悪い」
「心配しているわけではありません。死んでくださるのなら、その分私の仕事も終わりますから」
予想通りすぎる返答に思わず苦笑する。栄養も摂ったことだし、治るまではソファで横になっていよう。足では立てないので、這いずって、服で床を拭きながらソファまで戻る。
「手、貸しましょうか」
「いらん」
差し伸べられる手を無視して、寝床にやっとの思いで辿り着いた。床とソファのほんの少しの高低差を苦労して上り、そのまま横になる。
「しかし、本当にどうしたんです?」
悪意の全く感じられない純粋な疑問。それを言うのが、こうなった原因を作った本人というのがまた腹が立つ。
「色々不運が重なって体調を崩した。そうとしか言えんな。最悪はこのまま死ぬかね」
不愉快な気分と一緒に、言葉を吐き捨てる。悪いことは悪いタイミングで起こるもの。来るとわかっていれば避けられるが、わからないから困る。わかっていてもどうしようもない時もあるが。今回のは後者。わかっていたとしても、どうしようもない。
「あなたは一度しか無い命なのに、よくあれだけの修羅場を生き残れましたね」
「だからこそだ」
死んだらそこでおしまい。だからこそ必死で生きようとする。そうやって必死で戦って、必死で生き延びたのに、その後すぐに病に倒れるとは。なんと酷い仕打ちだろう。
「あなたはどうして生きるんですか?」
「死ぬのが怖いからだよ」
これと言って生きる理由はない。ただ死にたくないだけで生きている。他の誰だってそうだろ
う、それの何が悪いのか。何も悪くない。
「私も最初はそうでした」
こいつの都合は知らないし、死に続けることの苦しさなんて知りたくもない。そもそも俺とこいつは、生まれも立場も違うのだし、比べるのは意味が無い。
「それでどうした」
「そこまで苦しんで生きる意味はあるんですか?」
「……」
またよくわからない質問だ。生きることに意味が必要なのか。
だが、言われてから改めて考えてみる。果たして俺が生きていることに意味があるのかと。毎日やっていることと言えばコロニー内での治安維持活動くらいだし。それはただ仕事だからやってるだけで。特に生きる意味と言えることでもない。かといって他に思いつくかと言われればそうでもない。つまり。
「無いな」
だが死にたくもない。自分で言うのも何だが、なかなか面倒な人間だ。それももうすぐ死ぬかもしれないが。
「無いんですか」
不思議そうな顔をして言われるが、無いものは無い。
その後もしばらく意味のない会話を繰り返して、時間が過ぎる。そして気がつけば、俺の目を真っ赤な瞳が覗くほどの距離にエーヴィヒが近づいてきていた。白い髪が顔にかかる。
「あなたに死なれたら、ご主人様の遊び道具が無くなってしまいます。それは困るので、あなたにはまだ生きていてもらわないといけません」
「どういう意味だ」
「あなたの生きる意味です」
胸をドン、と強く殴られる。突然の痛みと衝撃に顔を歪めると、目の前にある顔が楽しそうに微笑んだ。
「てめえ、何のつもりだ!」
理不尽な暴力に対する怒りで、彼女の顔を殴り飛ばすと、見た目相応に軽い彼女は簡単に吹き飛んだ。怒りに息を荒くしながら彼女を睨む。その手には何か見慣れない、筒のようなものが握られている。
「何しやがった」
鼻と口から血を流しながら、ふらふらと立ち上がる彼女に強い口調で尋ねる。今まで大人しくしていたと思ったら、いきなり妙なことをしでかす。やはり今までの格好は油断させるための演技だったのか。だとすると、俺はまんまとそれに引っかかった間抜けということになる。
ほんの少しだけ、自尊心が傷つけられた。
「人助けですよ」
「人助けで人を殴る必要がどこにある」
「放射能汚染を除去する薬のようなものを打ちました。体調はこれでよくなるはずです。別に殴る必要はありませんでしたが、それは日頃の恨みということで」
恨みを持ってるのはむしろこっちの方なんだが。
「恨みって、誰のせいでこうなってると思ってる」
その思いを込めて文句を言ってやるが、いつもと何一つ変わらない表情で受け流された。実に気に食わない。
「私は自分の仕事をしているだけですから。私は仕事であなたを殺そうとして、あなたは仕事の一貫で私を殺してるんです。いいじゃないですか」
「お互い様か」
そう言われてみれば。俺は仕事でやってるから恨むなとは言っているが、実際こいつも立場が逆なだけで同じく仕事をしているだけ。それでこいつを恨むのは、矛盾しているような気が。というか間違いなく矛盾している。
……まあいいか、人間なんて矛盾してなんぼだ。
「お互い様という割には、いつも私が殺されてばかりですから。偶には殺されてくれませんか」
「勘弁してくれ」
「はい。勘弁してあげます」
本当に勘弁してくれるのか。こいつは懐が広いのか、狭いのか。よくわからんやつだ。
新作に手を取られて、こちらの質が落ちているような気がしてならない。書き方も、縦書ソフト使うようになってから微妙に変わってるような気がするし。いけませんなあ、こんなことでは。




