手当
お客様を別のスカベンジャーに任せ、道中でゴミ共や働き蜂とすれ違う度に襲われないかと、血と冷や汗を流しつつ道を歩く。だが幸運なことにそこら中に食い物が転がっているおかげで、わざわざ苦労してまで食い物を狩ろうとは思わないらしく、なんとか襲われずに済んでいる。
そして、それからまたしばらく歩き。無事、何事も無く家まで辿り着くことができた。これが普段なら、きっと俺は今頃ゴミ共に襲われて、美味しい肉として食べられていただろう。このコロニーを襲った糞野郎どものおかげだ……元を正せば、すべての元凶は連中にあるのだから、怒り憎しみの念こそ湧いてくるが、感謝の念は微塵もない。
家の前に停めてある修理屋のトラックに手をつき、残り僅かとなった我が家までの距離を歩く。
「あ、おかえり。遅かったじゃない」
玄関の扉に手をかけたところで、聞き慣れた隣人の声が。
「……」
だが、返事をするほどの気力は残ってないので無視して扉を開いて、一歩家の中へ。家に帰れた安心感からか、急に体から力が抜け、ふらりと体が傾く。まるで風に吹かれた小石が転がるように、ゆっくりと視界いっぱいに汚い床が迫る。
「ぐぇっ!」
しかしそこで誰かの手で襟首を掴まれ、重力の誘惑から切り離され、床とのキスは避けられた。が、首が痛い。ものすごく痛い。おかげで新たに加えられたその痛みで、意識は一発で覚醒したが、いきなりやってくれた奴に対しての怒りがこみ上げてくる。
「痛えじゃねえか!」
痛む首を抑えて体を起こし、怒声一発。その返しに平手が一発飛んできて、今度こそ地面とキスをした。
「倒れそうな所を止めてあげたのに、ひどい態度ね」
「怪我人に平手打ちするのも、どうかと思うぞ……」
肩も痛い、首も痛い、おまけにさっきの一発で顔も痛い。人生最悪の日ランキングを更新するほどじゃないが、今日はひどい一日だ。
「怪我人? 怪我人なんてどこに居るのよ」
「お前の目はガラス球か」
服の肩部分が真っ赤になるほど血を流してるのに、それでも気付かないとか……いや、返り血で汚れてるからわからなくもないが。それでも、流れ続けてる血と、付着してから時間が経って凝固した血は見れば違うとわかるだろう。返り血は固まってるが、流れ出ているのはまだ止まってない。
「……ああ、あんた怪我したの?」
「そうだよ。お客様を殺し屋から守った、名誉の負傷だ」
「名誉も何も、足はそれが仕事でしょう。当たり前のことを当たり前にやっても、誰も褒めないわよ」
そんな事は知っているとも。知っているが、そう思わないとやってられない。褒めてもらえればもちろん嬉しいが、褒めてもらえるなんて思ってない。だから、せめて自分だけでも自分の行動を認めたい。そう思って、行動するのは自由だろう。
「まあ、それはともかく。怪我してるなら早く治療した方がいいわよね」
「頼む。自分一人じゃ包帯も巻けんからな」
何だかんだと言っても、こいつが居なければ……信頼できる人間が居なければ、こういう時に困る。こういう状況にならないのが一番いいのだが、治安が良いとは言えないこのコロニーでそんな事を望むのはアホらしい。良い事はまず何も起きないが、殺人強盗放火強姦食人その他色々。悪いことなら毎日どこかしらで何かが起きている。それがこのコロニーなのだし。
ともかく痛みのせいでうまく動かない右腕のせいで苦労しながら上着を脱ぎ、家の中へと踏み込み、シャワールームへ直行する。さっさと傷口を洗って消毒しないと、腐ったら腕を切り取って糞みたいに高い義手を買うはめになる。ただでさえ俺の懐事情には余裕が無いというのに、そこから出費があれば本当に無一文になってしまう。そうなって、合成食料を買う金さえ無くなったら、いよいよ主義を曲げて肉を食わなきゃならんようになる。
「服の上からでもわかってたけど、脱いだらまたまずそうな体ね。もう少し肉つけなさいよ」
シャワー室まで入ってきたアンジーにそう言われ、改めて自分の体を見てみる。思ったのは、極めて平均的。良く言えば無駄がないスリムな肉体、引き締まった肉体。悪く言えばガリガリ。美味しそうか否かという点で考えれば間違いなく否。
しかし、それでいい。美味しそうだから食べさせて、なんて言われる心配もないし。しかしそれよりも。
「傷についてのコメントは無しかよ」
まだ肩から血がだらだらと流れているのに、それについてのコメントは未だ一切なし。
「ああ、傷? 舐めてもいいかしら。血だけは美味しそうだし」
「やめろ馬鹿。手伝わないなら出て行ってくれ」
「冗談よ。ちゃんとするわ」
アンジーが蛇口を捻り、シャワーを流す。一応濾過されて、消毒液がたっぷり添加された衛生的な水が、ホースを通りその先についたシャワーノズルからいくつもの線を描きながら出てくる。彼女はそれを握り、流れ出る水を俺の顔に当ててくる。熱くもなく冷たくもなく。温い。いつも通りだが、不快だ。
「……」
「水の温度はいいみたいね。それじゃ傷にかけるわよ。歯、食いしばりなさい」
「ッ!!」
水をかけられる部分が、急に顔から肩に切り替わり、針で刺されるような痛みに拳を固く握り、歯を食いしばり、目を見開き。全身を強張らせて、その痛みに耐える。
「血が出てるから派手に見えるけど、傷のサイズはそれほどじゃないみたい。拭くわよ」
「ーーー!!」
濡れた布が当てられ、傷口についた汚れを拭き取っていく。その度に、食いしばった歯の隙間から、悲鳴にさえなっていないかすれた吐息が漏れる。視界がさっき顔にかけられた水と涙でぼやけてくる。それでも、これを耐えなければもっとひどい苦痛に悩まされると、そう言い聞かせて、ひたすら耐える。
一回、二回、三回。数える度に、眼から涙がこぼれ落ちていく。みっともない、そんな感情など痛みの濁流の前には砂粒同然。だらしなく涙を流しながら、ひたすら耐える。
「……傷口はこんなもんでいいでしょ」
いったいいつまで続くのか、と考え始めたところで、ふと解放の言葉を耳にした。強ばっていた体から力が抜ける。
「――っ、やっと……終わったか」
息を大きく吐いて、苦痛から解放されたことに安堵する。
「次、止血するわよ」
と思ったら、まだ拷問は終わっていなかった。そりゃおうだ、傷口が綺麗になっても、まだ血は流れている。いつまでも血を流しっぱなしにしているのは不味いし、傷口は塞ぐか抑えるかしないと血は収まらない。もう一度、痛みに耐える必要があるらしい。
ああ、なんてこった。
「嫌ならやめてもいいのよ」
「……すまん。頼む」
そう言われたら、頭を垂れて頼むしか無い。仕方がないから、もう少しだけ耐えるとしよう。
この作品にヒロインとイチャイチャするシーンなんてありません




