買い物2
ついこの前も訪れたばかりの市場。昨日今日で何が変わるはずもなく、いつもどおり活気のない市場に足を踏み入れる。しばらく寄ることはないだろうと思っていたのだが、その予定は白紙となり。今その紙には、羽として活動するのに必要な物が、アンジーの汚い文字でびっしりと書き込まれている。
全く人生何が起こるかわからないものだ。つい一週間前までは、仕事を朝から晩まで一定の時間こなし、家に帰って糞不味い合成食料を食って、シャワーを浴びて寝るというルーチンで行動していたが。今となってはそれも崩れ、完全にこの先どうなるかわからない。まるで工業地帯の道路のように靄がかかって、先にあるものが見えなくなっている。
そうなった原因はわかっている。あのミュータントのガキだ。確かアンリ、だったか。あいつのせいで歯車が狂った。決まりきっていた進路がズレて、全く知らない道に迷い込んでしまった。おかげでしばらくは退屈と無縁な生活をおくることになりそうだ。感謝しなければ。
「まずは、準備だな」
ズレた道から元の道に戻れるのはいつになるかわからない。ひょっとしたら二度と戻れないかもしれない。だからわからないなりにできる事をしておく。例えば消費した弾薬を、消費した量よりも多めに買って、武器もストックを作っておくとか。
まあそれは後回しでもいい。とりあえずは破損したブレードの弁償と、銃身を半分ぶった切られた機銃の購入。あとはメモに書いてある品物の購入か。
誰も歩いていない通りの真ん中を進み、メモに書いてある物が置いてある店に行く。
「いらっしゃい……おう? 足の奴が来るとは珍しいな。何の御用で」
他の店と同じく薄汚れた店内に入ると、店主が腕章を見てそう言った。
「今度羽に転属することになったから、その準備に来た。メモに書いてるものを売ってくれ」
息苦しいマスクを外して、眼にかかった髪を撫で上げてから口を開く。店の中もなかなか空気が臭いが、マスクを外したら全く息ができなくなる外に比べれば、息が出来るだけマシというもの。
カウンターの前まで進んで、出てきた店主にメモを手渡す。
「転属ねぇ……刺激を求めてってんなら考えなおす事をオススメするぜ。コロニーの外に出ても退屈なだけだって、連中はよく愚痴ってる。そりゃあ最初は刺激があるかもしれねえが、多分慣れたら中と変わらない」
「いや、逆だ。退屈を求めて外に出る」
「退屈ゥ? あんた変わりもんだな」
「刺激を与えられ過ぎたら、逆に退屈が欲しくなるもんだ」
退屈を謳歌している連中が聞けば、なんて贅沢なと思われることだろう。実際その自覚はある。例えるなら毎日美味しくて安全な自然食品のご馳走を食べている支配階級の奴らが、ご馳走は食べ飽きたから合成食料を食べてみたい、と言うようなものだし。自分にとっては愚痴のつもりでも聞く方からすれば腹の立つ嫌味にしか聞こえないだろう。
「ああ、あんたが噂の……まあ贅沢なことで。飽きるほどの刺激を是非とも分けてもらいたいぜ」
「分けられるもんなら分けてやりたいよ。それで、あるのかないのか。売るのか売らないのか」
事前に計算して、これだけあれば足りるだろうという額を持ってきてある。それをカウンターに叩き付けてやると、店主は少し顔を緩ませた。多少の嫉妬を抱いても、金を目にすればそれも消え去り笑顔に変わる。清々しいほどの態度の変わり様。さすがは商売人。
「客が欲しがるものを店に置いてて、客は金を持っててそれを買いたいと言う。それで売らなきゃ店じゃない。ちょっと待ってな」
店主が芝居がかった口調で話してカウンターから出て来ると、壁に作られた棚から商品を取って来てカウンターに置き、また棚の前に行って商品を取ってくるという行動を繰り返し。どんどん商品がカウンターの上に雑に並べられていく。
「各汚染度に応じた防護服とマスクのフィルター各一セットに、アースの予備バッテリーが一つ。これは身体にたまった汚染物質の中和剤一ヶ月分。沢山飲んでも効き目は変わらんから注意しろ。あとはその他色々で……こんだけの額になる」
「こりゃまた結構な額で……」
電子計算機に表示された金額を見て頬が引きつる。計算通りの額ではあるが、やはり想定と目にするのとでは全く違う。今日の買い物を終えたら、一度財産の殆どを使い切ることになってしまう。コロニーの中で暮らすのなら、しばらく苦しい生活が続くだろう。
まあ、これから俺が働くのは外だしあまり気にしなくてもいいことだ。一度使い切ると言っても戦利品である程度は回収できるし。もしかすると今日の出費分も取り返せるかもしれない。
「先に言っとくが値引きはしねえぞ」
「わかってる。店が考えて設定した適当な値段を支払うのが、客の礼儀ってもんだろ」
「結構。じゃあこれが釣りだ」
先にカウンターに置いた金から、電卓に表示された金額を差し引いたであろう額が返される。一応釣りがキッチリ合っているかどうかを確認して、懐にしまう。足りなければ銃で脅して値引きさせてやろうと思っていたが、残念ながらその必要はなかった。全くつまらない。結構なことだ。
「商品はどうする、このまま持って帰るか、家に送るか」
「修理屋の店に運んでおいてくれ。この後も買い物するし、全部はバイクに積めない」
修理屋にあの競技用アースを売るときにどうしても一度は家に来てもらう必要がある。実物を見なけりゃ値段のつけようもないだろうし、買い取った後に運ばなきゃならないから、トラックで来るはずだ。その時ついでに買った物を家に運んでもらう。そうすれば俺が楽でいい。
どうせあのケチ野郎のことだからタダで運べと言ったら渋るだろうが、その時は小銭を出せばやってくれるだろう。ギブアンドテイクだ。
「あいよ」
「それじゃ、これで失礼」
前髪を上げたままガスマスクを隙間が無くなるように付け直し、店の入口まで戻る。
「またのお越しを~」
ドアノブを回して扉を開くと、いつもの光景。マスク越しにも汚れた臭い空気が香る。慣れたものだ。
その後は弾薬と借りたまま折ってしまったブレードを買って。その買った分も修理屋に持っていくように頼んで。最後に修理屋に寄って、今日の用事は終わりになる。
が、やはり一番時間がかかりそうなのは修理屋だ。ケチだから傷とか穴とかを難癖つけて値切ってくるに違いない。それをいかに抑えこむかで、赤字を回収できるかどうかが変わってくる。ここからがまた面倒なところだ。
修理屋のドアを引いて、中へと入る。薄暗い店内には誰も居ない。
「客だぞハゲ! 出てこい!」
鍵は開いていたし、店の奥にいるのだろうと思って声を張り上げる。あいつには散々搾り取られたからつい「ハゲ」という言葉が出てしまったが、そもそも髪が無いのが悪い。カツラでも偽物でもいいから髪があったらハゲなんて言われないのに、髪が一本もなく頭をツルツルと光らせているからそう呼ばれるんだ。つまり俺は悪くない。
「俺をハゲ呼ばわりすんのはどこのどいつだ!」
すると案の定、店の奥から頭を真っ赤にして片手にレンチを握りしめた修理屋が現れた。
「客だっつったろ。しかしそんなに頭真っ赤にしてどうした。ペンキでも被ったか?」
「てめえか。頭叩き割って同じように赤くしてやろうか、糞野郎」
こちらにレンチを向けて、一歩ずつ、その身体に見合った力強さで床を踏みしめながら近寄ってくる。殴られるかと思って内心怯えながら、頑張って顔に出さずに立っていると、レンチが鼻の先につくくらいまで近寄ってようやく止まってくれた。気が短いから怒りに任せてレンチで殴られるかと思ったが、そこまで短絡的じゃないようだ。
ま、殴られたとしても挑発した俺が悪いから何も文句は言えんのだが。
「落ち着いて、まずはその物騒なものを降ろせ。頭の血管切れてぶっ倒れるぞ」
「その声、てめえクロードか。何しに来やがった」
「いい話を持ってきた。噂は聞いてるだろ?」
「ああ聞いてるぜ。上から送られてきた奴と派手に殺しあったんだってな。ってことはまたてめえの機体の修理か? なら今度こそ十倍だ」
「俺の機体の修理は必要ない」
今度は、俺がこいつから毟り取る番だ。が、まあそこまでひどい値段で売りつけるつもりはない。腕一本でひどい金額を毟り取られたのは俺がこいつの事を怒らせたのもあるし、それについては自業自得ということで納得している。あくまでも適正価格で取引をするつもりだ。それでも腕一本とアース丸々一機とじゃ価値もかなり違ってくるが。
「じゃあなんだ」
「回りくどいのは好きじゃないから単刀直入に聞こう。ほとんど修理の必要なく動く、支配階級の作った競技用アース丸ごと一体、いくらで買う?」
「……」
「どうだ、頭も冷えるだろ」
少しの間、沈黙。真っ赤だった頭から少しずつ色が引いていき、最後には白い輝きを取り戻した。
「ああ、とびっきり脳みそが冷えたぜ。氷水ぶっかけられたみたいだ」
声からも先ほどの怒り狂った様子は完全に消え失せ、落ち着きを取り戻している。これでまともに話ができるだろう。
「もしお前の言うことが本当なら、それなりの値段で買わせてもらう。ただし、もしもスクラップを売りつけようって腹なら」
「脳みそかち割るぞってか? 大丈夫だ。脇に一個穴が空いてるだけで機能障害は起こしてない。穴に鉄板かぶせて溶接すればそのまま使える」
「何にしろ、値段をつけるのは現物を見てからだ。んじゃあ早速見に行かせてもらおうか」
「あ、少し待った。今日ちょいと買い物をしてな、俺のバイクじゃとても運べない量になってるから、お前のトラックに積んで持ってきてくれよ」
「俺は修理屋だ。運び屋になった覚えはねえぞ」
「小銭やるから。な、頼む」
今日買い物をして余った金額を渡す。送料としては妥当どころか少し過剰だが、ここで少し機嫌を良くしておいてもらって高く買ってもらえれば。そんな打算を持ってのことだが、相手もそこまで単純じゃないだろう。さっきもハゲって言って怒らせたし。まあその慰謝料も兼ねての額なら、安くもなく高くもなく。妥当なところじゃないだろうか。
「……仕方ねえな。今回限りだ」
「ありがとよ。それじゃ俺は先に帰って待ってる」
さて、あとは家に帰って値段の交渉をするだけ。どれだけ安かろうと、ここ最近の出費を埋められるくらいの値段はつくだろう。これにて買い物は終了。先に家に帰って荷物の到着を待つとしよう。




