第109話 岐路
買い物を終えて、無事帰宅。アースに乗っていればカタワであっても馬鹿が寄ってくることもなく、やはり身を守るためにはわかりやすい力を見せつけるのが一番だ、と確信した一日であった。
とりあえず何もせずにだらだらと過ごす。「片手では本も読めんな」とぼやく。
「では、片手でもできる娯楽を探しては」
「例えば」
すかさず聞き返す。提案するからには何かあるのだろう、と期待してのことだ。
「私を抱くとか」
「却下だ」
腕がもげたばかりで傷もふさがり切ってもないのに、激しい運動なんてできるか、というわけで当然こうなる。久々に聞いた冗談に肩をすくめる。まったく、冗談も面白いものなら歓迎なんだが、こうもつまらないと反応に困る。もしも本気ならさらに困る。
「わたしが上になってもいいですよ」
「はぁ、それも却下……一体何が目的なんだ、お前」
どちらにせよ困るので、真意がどこにあるのかと尋ねてみる。
「ご友人がなくなられたので、気が滅入っていらっしゃると思い、私にできることは無いかと考え導き出した答えです。裏はありませんよ」
「嘘つけ」
コイツの事は信用できるが、今の言葉は信用できない。
この世界で、何の対価も求めず他人に奉仕するなど、ありえない事だからだ。今こうして、ろくに対価も求めずに俺の腕として働いているのも、何かしらの考えがあってのことと間違いない。その上体まで差し出そうと言うのだ、訝しむなという方が無理な話。
では、何を求めているのか。富ではない。食料でもない。生活でもない。
支配階級の側の人間が、コロニーでの貨幣を求める理由がない。
生活もそう。清浄な空気と、汚染されていない食料が十分な量手に入る無汚染区から、こんな劣悪な環境に引っ越すメリットなんて何一つありやしない。
であれば、求めるものは俺自身にあると考えられる。だが、何を求めているのかまではわからん。
こんな傷だらけの、戦力としても、労働力としても一人前以下にならない人間に。
以前言っていた、席を譲るという話なら、それについては断ってあるし、その意思は今も変わらない。なにが悲しくて自ら進んで地獄より苦しい場所へ飛び込まなければならないのか。
「本当の事を言ってみろ」
「嘘は言っていません」
「じゃあ、隠していること。話してないことはあるか」
「……」
いつもの無表情は一切崩す事なく、沈黙だけが雄弁に物語る。
「正直に吐け。否定も肯定もしない」
何があっても動じないつもりで尋問を行う。
「鋭いですね。どうしてわかったんですか」
無表情に、無感情。ここまで無機質だといっそ機械とさえ思えてしまうが、彼女は人間だ。機械の一部に組み込まれた、人間。ため息を一つ。
「この世界に善人は居ない……何度か言っただろう」
「ええ、言われましたね。確りと記憶に残っています」
「言ってみろ」
「……はい。私を殺していただきたいのです」
どんなとんでもない要求が飛び出てくるのかと思えば、なんだその程度の事か。今までに何度も何度も殺されてきて、どうして今更そんなことを頼むのか。
だが、そうしてくれというのならそうしてやろう。トリガーを引くだけ、たやすいことだ。銃を手に取り、安全装置を外して、彼女に向ける。部屋の掃除は後で本人にやらせればいい。
「そういう意味ではなくて」
「こういう意味じゃないならどういう意味だ」
カチリ、と安全装置を戻して銃をしまう。この簡単な方法でないというのなら、少し面倒ごとの予感がする。
「私が生き返るからくりは以前お話ししたことがあると思います……そのからくり、記憶の転写装置と、保存されている記憶を物理的に破壊して、ようやく私は、本当の死を迎えられるのです」
「そういうことか」
データのバックアップを壊し、データ移送用の媒体も壊してしまえば、いくら空き容量があっても復元はできない。その後こいつを殺せば、二度とエーヴィヒが生き返ることは無い。
「めんどくさい。俺はやらんぞ」
だが、面倒だ。
「そういうと思いました。しかし、あなた方スカベンジャーにとってもこれは大きなチャンスです。ご主人様の持つ戦力は極めて小さくなり、あなた方に質、量、ともに大きく劣っています。こんなことは、百年以上生きてきてはじめての事態。これを逃す手はないと思いますが」
「断る」
「……そう、ですか」
どうして残り少ない寿命を、他人のために使わなければならないのか。残り少ないからこそ他人のために使おう、とはこの世界の誰も言うまい。
俺はここで緩やかな死を迎えたい。他の誰よりもコロニーのために尽力した自信があるからこそ、休みたいのだ。できれば死ぬまで休業したいとさえ願っている。
「私の死は、ご主人様の死にもつながります。同じ記憶媒体を使用しているので」
「確かに好かん奴ではあるが、もうどうでもいいな」
今になってから始末するというのは、あまりに労力に対して得られる利益が釣り合わない。
それに、アレを取り除いたところで待っているのはまた争いだ。スカベンジャー同士で、汚染されていない土地、ご主人様が秘匿してた戦前の技術をめぐっての殺し合いが始まるのが目に見えている。
残り少ない人類、仲よくしろとまでは言わない。だが、身内同士で殺し合いをする必要まではないはずだ。というか、その場面を見たくない。
「あなたの頭さんが、ご主人様に成り代わればいいんです」
「俺は断る、と言ったんだ。承諾する前提で話を勧めるな、アホ」
「いいえ。かならずハイと言わせます。さもないと発電所を壊します」
「……」
それは困る。電気がなくなれば、工場が停止してしまう。工場が止まれば、あらゆる物資の生産・供給が途絶える。この世界で、旧い人類が生きていくために必要な合成食糧がなくなれば、人は人を食らわなければ生きていけなくなる。当然だ、他に食べるものといえば、コロニーの外に居る野生動物以外になくなるのだから。だが、外に出るにはアースが必要。アースを動かすには電力が必要。つまり、そういうことだ。穏やかな余生を過ごすどころではなくなる。
ただ、あそこは常に鼠一匹とおさないほどの厳重な警備を敷いてある。が、アースが特攻してきたらさすがに止められない。あるいは、ご主人様の命令だ、と言われれば大半のスカベンジャーは「はいわかりました」の二つ返事で通すだろう。
忘れがちだが、支配階級というのは名前の通り支配者であり、逆らってはいけないものなのだ、本来は。
戦前の技術を完全に近い状態で保存し、コロニーの命である発電所のメンテナンスを行える唯一の人間。
「私を殺してくださるのなら、その動かし方も教えます」
「一つ質問だ。そんな話を、なぜ俺に振る」
「あなたにしかできないこと。この機を逃せば、次の機会は二度とめぐってこないからです」
「成功率は」
「生還を望まなければ、それなりに。望めば低く。しかし、もとより死人同然の体、ここは一つ、私のために散らしてください」
「死人同然……その通りだが」
他人のために命を使え、というのはどうにも好かない表現だ。
今まで命令を受け、実行してきて、結果的に他者を利することはあっても、根底にあるのは常に自分のため。という利己的な考え。今回の頼みは、一切自分の利にはならない。
参加するにあたってメリットは一切なく、デメリットを回避するのみ。それこそがメリットと考えられなくもないが、得るものは何もない。
「本当に俺以外に居ないのか」
「ほかの候補者はトーマスさんのみ。しかし彼とは接点がありません。よって、頼めるのはあなただけです」
「あいつか」
確かに優秀で、無汚染区域への移住権まで与えられているが、何を考えているのかいまだに自宅から離れていない。先に死んだアンジーが関わっているのか。彼女のことを話す表情は、いつもに比べて明らかに陰っていたし。
どんな関係だったかを詮索する気はない。気にはなるが、親友の傷口を切開してまで知りたいことでもない。
それはともかく、あんな状態のトーマスが参加するとは……
「よう、話は聞かせてもらったぜ。殴り込みなら俺も混ぜてくれ」
「……道ずれが増えたぞ。よかったな」
「これは予想外、です」
俺も予想していなかった。こっちから誘いに行く手間と、説得の手間が省けたのはいいが、驚きは隠せない。
「天国に居る恋人に、土産話の一つもないと寂しいだろう」
「天国じゃなくて、地獄だろう。俺たちの行き着く先は」
「ここ以上の地獄なんてどこにもねえよ、死後にもな。てことは、天国だろ」
「……まあ、そうだな」
死こそ救い。そう唱えるものも少なからずいる。俺自身、近い考えも持っている。ただそれほどいいものではなく、このまま生き続けるよりはマシ程度のものだ。
「やるか? 俺はいつでもカチコミに行けるぞ」
「準備しないとな……明日一日で足りるか」
ご主人様にもらった高性能の機体は片腕だけぶっ壊れているが、それだけどうにかすればあとは使える。ただ銃器は全て捨ててきてしまったから、それの調達をしなければいけない。
「やってくれるのですね」
「仕方ないだろ、英雄が電気止められて飢え死になんて、惨めすぎて全く笑えん」
片腕がなくても。まあ、トーマスが居ればなんとかなるだろう。きっと。