第108話 腕
量産型のアースから降りて、拳銃を手に持ちながら、目的地……大型ショッピングモール、の廃墟を再利用した市場へと足を運ぶ。
駐車場を速足で進んでいると、後ろからエーヴィヒがぱたぱたと追いかけてくる。歩幅が合わないのに一人急いて行けばそうもなるか、とペースを落としてやると、すぐに横に並んだ。
彼女は一瞬申し訳なさそうにうつむいた後、すぐに顔を上げ辺りを見回し始める。珍しいものを探しているわけではない、片目を亡くした俺のために、奇襲を警戒しているのだ。
死角をカバーしてくれるのはありがたいが、やはり落ち着かない。かといって離れられれば、不意を突かれたときに動けない。今になって死ぬのは怖くないが、さすがに買い物中に襲われて死ぬ、なんて間抜けな死に方は嫌だなと。
鉄板で補強されたドアを押し開いて建物内に入ったら、拳銃は一度ホルスターに戻し、空いた手でマスクを外す。深呼吸。
臭い空気が肺を満たしたら、吐き出す。
「今日は何を買うんですか」
「食い物と、包帯と、薬」
今日ここへ来たのは、そういった日用品の買い出しのため。しばらく家を空けていた最中に停電でもあったのか、冷蔵庫の中身が軒並み傷んでいたのと。鎮痛剤も切れていたし。買ってこないとそういう生活に必要な消耗品がほとんどない、というちょっとした惨事が起きていた。
歩く度に振動で傷は痛むし、相変わらず空気は臭い。おかげで気分は最悪。
今馬鹿に絡まれたりしたらさらに悪化するだろう。
よそ見しながら歩いていれば、目の前に大きな枯れ木が突っ立っていて。気付かずにぶつかってしまった。
ああ、これは絡まれても俺が悪いな。
すまない、と口に出そうとした瞬間に、エーヴィヒが銃を抜く。制止する間もなかった。
「失せなさい」
「うっ……」
少しだけたじろぎ、命令された通りに立ち去って行った。これは楽だが、危険だ。下手に嫌悪を煽れば、元々襲われる可能性が高いのに、それがさらに増す。
食品コーナーにやってきた。いつも通り、味をつけていない合成食品をエーヴィヒに頼んで籠に入れてもらう。一度にたくさん入れられたので、体のバランスを損なって転び、間抜けな顔を見せてしまった
「……大丈夫ですか?」
「慣れるまで時間が必要だな」
差し伸べられた手を握り、引き上げられる。
「すまんが、荷物は持ってもらえないか」
「ええ。私はあなたの目であり、腕でもありますから」
彼女は信用できる。それが今の評価だ。最初は警戒していたが、もうその必要はない。長い期間をかけてつけた評価。
主人からの命令に忠実に従う。あの糞野郎が死ねと言われれば、その場で自分の頭をぶち抜くだろう。ご主人様から俺の手となれ目となれと命じられたのだ、邪険に扱わなければ寝首を書かれることもない。せいぜいいいように使ってやろう。
「少し重いですね」
「そりゃ、その体格ならな」
エーヴィヒの体は小さい。同年代の子供と比べれば、肉付きはいい方だが、それでも年相応。何キロもある荷物を持ち続けるのは辛いだろう。
だが持たせる。なにせ彼女は自身の腕なのだから、嫌という権利はない。自分の体の一部が、生理反応でもないのに意思に従わないのはおかしな話だ。
人から見れば、子供に荷物を持たせて自分は楽をするクズに思われるかもしれない。思われたところで、害がないならどうでもいい。
「こんなもんだろ。次は包帯と痛み止めだな」
「鎮痛剤の継続使用は、依存症を起こす危険があるので推奨しかねます。生活の質向上のため、とおっしゃるなら止めはしませんが」
腕をぷるぷると震わせながら気を使ってくれる。実は優しいのかもしれないな、こいつ。
「ふむ」
あらゆる現実の苦しみから目を逸らし、逃げ出して、薬により与えられる快楽に溺れて、今まで散々殺しまくってきたゴミ共の同類になり果てる。ああ、それも悪くない。今までずっと苦しんできたのに、最期くらいは幸せになってもいいではないか。
「いけませんよ。次のスカベンジャーのトップが、薬で頭をダメになどしては」
「そんな面倒ごとを引き受けるつもりはない。トーマスにでも任せるつもりだ」
隻腕隻眼のトップだなんて、迫力はあるかもしれないが、ただのザコでしかない。ならば部下に舐められるだけ。確かな実績と、部下に刃向かう気を起こさせないカリスマもしくは実力が、トップの座には欠かせない。
で、俺にあるものといえば実績だけで、カリスマも実力もどちらもない。トーマスの方がよほど適任だと思うが。さて、頭は何を考えて俺を指名したのやら。
「中毒にならん程度にしか使わん」
それはさておき。指摘されたというのに、あちら側へ堕ちるというのも少し癪だ。
「そうですか。それならいいです」
しかし俺も随分と弱くなってしまったものだな。過去の敵にさえ心配されるなんて。