Anywhere I lay my head
その日ドニは、生まれてはじめて野宿をした。
空が薄暮に染まる頃、マックスが野営に適した場所を探し、薪を集めて火を起こした。
二人は夜の帳が下りてから食事をとった。固パンに淹れたてのハーブティー、それにドニはフィリアンからもらった干し肉をかじった。
きっと彼が仕留めた獲物だろう。この噛み応えは、猪かな。少ししょっぱいけれど、半日近く歩いた体にはありがたい。
闇の向こうから聞こえる虫の鳴き声に混じる、初めて耳にするけれど、どこか懐かしさを惹起させる音楽がそれに拍車をかける。弦楽器とハーモニカ、男性歌手の低く落ち着いた歌声。
焚き火の向こう側に座るマックスは、ハーブティーを一口飲んでカップから口を離し、ふむ、とどこか不満げに息を吐くと今度は一息に飲み干した。
「ハーブティーは嫌いか?」とドニは聞いてみる。
「いいや、悪くない。ただ少し物足りなくてな」
「へぇ」
ドニはマックスについて、料理や飲み物の味については無頓着な人間だと勝手に思い込んでいたが、どうやら違うらしい。
「同じ腹に入れるなら美味いもののほうがいいさ。グルメってわけでもないが」
そう言ってからポットに手を伸ばし、「この味も嫌いじゃあないがな」もう一杯、カップに注ぐ。
まだ日があるうちに、ドニはマックスを質問責めにしていた。主に、彼が身につけているものについて。
外套にたっぷりとつけた物入れ……ポーチには、ドニが予想したとおり、銃の弾倉が入っていた。他にも、虫下し、応急処置用の医療品とさまざまな薬の小瓶、上部にピンが刺さった円筒形のもの(手榴弾というらしい)、栓抜きやらなにやらが眩暈がするくらい内蔵された折畳み式ナイフといった、種々のお役立ち品がぎっしり詰まっていた。
服にポーチをくっつけているのは、銃を使う関係上、両手を可能な限り空けておきたいからだとマックスは教えてくれた。
帽子の上に乗せているのはゴーグルだ。戦闘中に飛んでくる、小さな破片から目を守るための装備。
すっかり暗くなったいまは外しているが、目の辺りにつけていた黒いものはサングラスといった。黒いけど透明で、視界を遮ることはない。
洞窟で取り出した小さな銃は拳銃で、特に円筒形の部品に弾を詰めておくものをリボルバー、いま音楽を垂れ流している金属の箱はラジオという。遠くの人が話しているのが聞こえる魔法の道具。
その他のものも片っ端から聞きまくって、彼はさすがにうんざりしていたが、ドニは知識が増えたことを喜んだ。
モノに対するドニの知識欲は、おおむね満足した。次にその矛先が向かうのは、当然ながら人である。
「ところで、マックスはどこから来たんだ」
そう切り出すと、「昼間の続きか?」と皮肉めいた口ぶりで言ってからマックスはさらりと、「地獄から」
またマックスお得意の冗談かとドニは思ったが、火が浮かび上がらせる彼の表情は遠い故郷を思うそれであり、目はここではないどこかを見ていた。
「冗談、だろ?」
「いいや、本当さ。業火の中で生まれて、血をすすって育った。そう、俺は地獄の怪物なのさ。ガオーッ、どうだ、おっかないだろう」
不意におどけてみせるマックスに、ドニは苦笑した。この態度は故郷についてあまり話したくない、ということだと理解する。
「じゃあ質問を変えよう。行くところがあると言っていたが、どこへ向かっているんだ」
「アルマーニュ共和国との国境の町、とりあえずはそこだ」
マックスはよどみなく答えた。
「そこでいろいろ調達せにゃならん物がある。弾も補充したいしな。重荷だって下ろしたいだろう?」
あのオークどもの巣から持ち帰った銃について、マックスは言っていた。この先ずっと持っていくのは流石に無理だ。
「ここからどれくらいかかる?」
「今日と同じペースで進めば、明日には着くさ」
「どんなところなんだろうな」
「そこそこ栄えている、とは聞いたが。この国はナオネト以外あまりパッとしないんだよな」
「そうなのか?」
「人づてに聞いた話だけどな。そうだな、一番上にナオネトがあるとするだろ?そしたら他の都市はその一段下、じゃあなくて二つぐらい下にある」
「つまり、ナオネトだけが突出してるってことか」
「そう思っていい。エレクサゴンの国土は広いんだがな、その分スカスカなんだよ」
自分の住んでいる国というものを身近に感じたことのないドニにとって、そうした物の見方は新鮮に感じられた。これまで感じていたのは、村であり、家族であり、隣人たちだった。
「ナオネトに行ったことはあるのか?」
その質問で間接的にどこから来たのか探ろうとしたドニだったが、マックスはそんな思惑を見透かしたかのように少し考えて、「いいや、ない」と答えた。
マックスは続けて、「聞いたことがあるのは、綺麗で、そこそこ住みやすいってくらいかな」
「傭兵をやって金がたまったら、そういう場所に落ち着くつもりなのか」
「……まさか!」
「じゃあ」話しているうちに乾いた唇を、新しいハーブティーで潤してからドニは聞いた。
「なんで傭兵なんてやってるんだ?」
これならどうだ、というようにドニは質問の方向を変えた。
「他に生き方を知らなかった。それだけだよ」
「いつごろから傭兵をやっているんだ」
「自分でも分からん。物心ついたときにはすでに傭兵だった」
ならば、家族はどこで何をしているか聞こうとして、ドニはしかしその言葉を口にできなかった。彼はなにかと家族という言葉を口にしていたと思い至ったからだ。
もしかして、マックスは両親となんらかの不幸な理由で別離したのではないかとドニは推し量った。そういう意味では、地獄から来た、というのもあながち冗談ではあるまい。これは踏み入れてはならない領域だ、と思う。彼の家族はすでにこの世にいないのかもしれないのだから。
これ以上、彼の出自について聞くのは無意味に思えた。本人に話す気がないのだし、やぶへびを踏んでしまうのも避けたい。いずれ話してくれる日が来るだろう。
結局彼についてはっきりしたことは、エレクサゴンではない、別の国から来たのだろうということだけで、相変わらず謎だらけだ。
「しっかしお前さん、俺の伝記でも書くつもりか。よくもまあ、あれこれ聞いてくれるよな」
「気分を悪くしたんなら、すまない。謝るよ」
「いい加減飽きてきただけだ」
「じゃあ最後に一つだけ聞いていいかな」
「いいぜ、好みの女のタイプか、それとも靴下を履くのは右からか、左からか、とか?」
「あんたは……魔法使いなのか?」
「……はぁ?」
泡を食ったような顔をするマックスに、ドニは「他にいい例えを思いつかなかったんだ」と言い繕った。
「魔法使いって、あれだろ。ガキ向けの本に出てくる三角帽に白髭蓄えた爺さんみたいなのだろ。俺、まだ二十にもなってないんだぞ」
「いや、年齢とかじゃあなくってさ、靄だよ。あれってどういうからくりなんだ」
「靄?」と鸚鵡返しに言って、マックスは怪訝な顔になる。
「体から出してたじゃないか。青く光る靄を」
「お前なあ、俺をどこかのびっくり人間と勘違いしてるんじゃあないか? 人の体からそんなもんが出るわけないだろ、常識的に考えて」
「うぅん?」
手や足、あるいは体全体を包む青い靄。あの日、ドニは確かにそれを目にしたというのに、マックスはそんなもの出していない、と言う。
自分の見間違いを疑うことは簡単だが、しかしそれはそれで無理がある。
人間が銃で撃たれて傷ひとつつかないなんてことがあるだろうか。素手で巨大なオークの頭蓋骨を粉砕することなど、果たして可能なのだろうか。
それこそ常識的に考えて、ありえないではないか。
となると、可能性は二つに絞られる。マックスは何かを隠しているか、あるいは自分では気づいていない。この二つ。
魔法使いが自分の術理を喜んで開陳するとも思えないから、前者だろう。これもやはり謎のままにしておくほかなさそうだ。
口惜しさとため息を、ドニはハーブティーで押し込んだ。いつかその秘密を聞き出してやるぞ、と景気づけの意味を込めて。
「そういえばさっきの銃の話で思い出した」マックスが後ろ腰に手を回して何かを取り出す。「お前の取り分だ」
マックスの手には、オークの巣で手に入れたと思しき銃が握られていた。彼のライフルの半分程度の長さしかないが、銃口が横に二つ並んでいて、その分強そうだ。
「取り分って?」
「オーク退治の。お前だって危険を冒したんだ。その分の対価だよ」
「対価をもらうような働きはしていない」とドニはきっぱりと言い放つ。
「お堅い奴だな。じゃあ俺からお前への投資、ってことで受け取ってくれないか」
「ええと、すまない。投資って何だ」
ドニはまだ短い人生の中で、そのような言葉を聞いたことがなかった。
「あー、お前が俺にとってより役立つように、物質的な援助をしてやろう、ってことだ」
「なるほど」
「もっと言えば、荷物持ちにくたばってもらっちゃ困るから、自衛手段を用意してやるってこと」
言い方は直截に過ぎるが、それでもドニは、その程度には信頼されているのだな、と前向きに考えることにした。
それに、ちょうど銃なしでは心細いと思っていたところで、マックスからの申し出は願ったり叶ったりでもあった。
ドニの武器といえば、腰に吊るした手斧が一振りに、それから小さなナイフだけで、いかにも頼りない。
だから、何とかして銃を手に入れようと企んでいたが、オーク退治の対価として受け取るのはドニの望むところではなかった。オークを倒したのはマックスなのだから。
しかしマックスにはそんなドニの思惑すらも手に取るように分かるのだろう、投資として差し出したのだ。
「分かった。有難く頂くよ」
ドニは銃を手に取った。木でできた握把はほどよく手になじむ。
こっちが弾だ、と言ってマックスは皮袋を投げてよこした。
「ええと……」
「使い方だな」
「すまない」
「気にすんな。投資だって言っただろ」
そうは言われても、ドニとしてはこんな些細なことも知らなかったのかと思い知らされているようで、忸怩の念が浮かんでくる。
ドニは両手で銃を持って、「まず、どうしたらいいんだ?」
「銃をいじる前に、真っ先にやりそうだから言っておくが、絶対に銃口を覗くなよ。ハンサムな顔が吹っ飛ぶぜ」
「うっ!」
まさに銃口を覗きこむ寸前で、ドニはあわてて顔を離した。
やれやれという風に肩をすくめつつも、マックスは銃の使い方を教え始める。
どのように弾をこめて撃つかを教わり、それから、銃は弾が入っていようといまいと発射可能であることを前提に扱うこと、壊したくないものに向かって銃口を向けないこと、撃つ直前まで引き金に指をかけないこと、撃つ前に標的の後ろに何があるか頭に入れておくことといった、銃を扱う上での最低限のルールをドニは学び、それらを何度も頭の中で、そして実際に声に出して確認した。
銃の威力をなまじっか知っているドニだから、扱いは慎重を期するよう肝に銘じる。
「その銃はいわゆるショットガンだ。こういう」マックスは地面から小石を拾い上げて「小さな鉛玉を一度に何発も飛ばす武器」
その説明を受けて、ドニは皮袋から弾を一発、摘み上げた。それはフィリアンが使っていた銃の弾に似ていた。
「一度に沢山撃てるっていうのは便利そうだな」とドニは思ったことをそのまま口にする。
「そういう面もあるが、射程は短いぞ。おおよそ十五歩以内の目標には有効だが」
「そんなに短いのか」
「それより遠い奴には大した効果は見込めないし、お前じゃまず当たらん。あと、その銃で熊とかの大型の獣を撃つのもやめとけ。怒らせるだけだ」
「つまり、有効なのは十五歩以内の人間大程度の生き物ってところか」
「それで大体あってる。拳銃持ったごろつき程度なら追っ払えるだろ」
手の中の銃を、ドニは改めてじっと見つめる。
「ヤバい時……殺されそうな時以外撃つなよ。特に街中での喧嘩で持ち出すのはやめとけ。相手も銃を抜いて収拾がつかなくなる―――ま、お前さんのナリを見て喧嘩売ってくる奴は少ないと思うがな」
「分かった」
ドニは素直に頷いた。
人間誰しも、新しい道具を得たとなれば意味もなく使いたくなってしまうものだ。しかしこれは玩具ではない、人を殺せる武器なのだ。
「よろしい、素直さは美徳だな」とマックスは満足げに言って立ち上がった。「……そろそろおねむの時間だ」
左手首に巻いた、腕輪のようなものを外してドニに放る。
「交代で番をしよう。その時計……円盤についてる長い針が二週したら起こしてくれ。なにか異変があったら、そのときも起こせ」
言われて、ドニはその時計と呼ばれるものに目を落とした。腕輪に円盤が埋め込まれたような形をしていて、円盤には数字が刻み込まれ、長い針、短い針、細くて長い針が中心から伸びている。顔に近づけて耳を澄ませば、かちり、かちりと針が鼓動のように規則正しく動く音が聞こえた。
「質問はあるか?」
「いいや」とドニはかぶりを振って、「投資してもらったんだからな。恥ずかしい寝言を聞いても、聞かなかったふりをしておくよ」
マックスは苦笑した。「誰の真似だよ、それ」
地べたに毛布を敷いただけの質素な寝床に寝転がって、マックスは目を閉じた。
しばらくすると、起きている間の態度が嘘のような、行儀の良い静かな寝息が聞こえ始める。
こんな環境でもあっさりと眠ってしまうマックスに、ドニは感心した。やはり旅慣れているとこんなものなのだろうか。一人で野宿するときはどうしていたのだろう、とあまりにもどうでもいい疑問が浮かんだ。右半分が眠って、左半分は起きたままにしておくくらいのことはやりそうだ。なんてったって魔法使いなんだからな、こいつは。
誰も見ていないのをいいことに、勝手な妄想を育てて笑みを浮かべ、ついで尻の下の寝床を撫でてみる。寝心地は明らかに悪そうだ。下に草でも敷けば幾分かはましになるだろうが、それだけの量を集めるのは一手間だ。今日のところはこれで眠るしかないが、街についたらこの寝心地を改善するものを買いたいところだ。
焚き火にくべられていた枝が、ぱちりと弾けて火の粉が舞った。炎が揺れる。新しい枝をもう一本、火に放り込む。夜に火を絶やすことがいかに危険か、いくら物を知らないドニでもそれくらいは分かる。
適当な枝で、火元を適当にかき回す。なんでもいいから動かさないと、寂しさに頬を撫でられそうな気がしたから。
村を出てさほど経っていないのに、このざまだ。体はでかいくせに、見掛け倒しもいいところじゃないか。一人で村を出ていたら、数日ともたずに野垂れ死んでいただろう。
とりあえず、今後の目標は? ドニは自問してみる。どんなものであれ、目標があれば、そしてそれを達成しようという意思があれば、少しづつでも前に進んでいけるはずだ。
何はなくとも、野宿生活に慣れることだな。自分自身を納得させるように頷く。
歩くところすべてを道として、頭を横たえるところすべてを枕とする。そんな生活がしばらくは続くのだから。
音量を絞ったラジオの音楽と虫の鳴き声、それに合いの手を入れるように微かに弾けて燃える火を眺め、明日には着くであろう街のことを思いながら夜は更けていった。