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For the greatest journey(5)

 マックスとドニはすでに薄暗くなった道を通って村へ戻った。


 村へ帰ってすぐフルールを家族に引き渡した。生きたまま帰ってくることを半ば諦めていた彼女の両親は、マックスの手をとって「ありがとうございます、ありがとうございます」と呪文のように繰り返した。


 マックスは黙ってそれを聞いていた。まったくの無傷とはいかず、彼女の心には大きな傷が残ってしまった。それでも両親は、マックスに深く感謝した。彼女は間違いなく、愛されていた。


 それからマックスは、村長の元へ向かった。


「約束どおり、オークどもを皆殺しにしてきた」


 そう告げるマックスを村長は少し疑ったようだが、黒いオークからもぎ取ってきた巨大な牙と、同行したドニの証言を信じた。


 オークの巣の場所を教え、そこにはまだオークの死体が多数転がっているから、明日にでも処理すること。フルール以外の生存者はいなかったこと。犠牲者の遺体もあるがひどい状態になっていて、村に持ち帰ることも遺族に見せるのも難しいから、かわりに遺品を持ち帰ったこと。遺体を回収して葬儀を上げるか、棺桶に遺品を入れるかは神父や遺族と話し合って決めること、といった、後処理にまつわるあれこれを伝えた後、報酬について話が及んだ。


「その件なのですが……」どこか困惑したように村長が言う。「まさか本当に、いや失礼しました。その、言いにくいことなのですが、まだ準備ができていないのです。明日には用意できると思うのですが」


 要するに、本当にやり遂げるとは思っていなかったのだろう。ところどころ歯切れの悪い言葉で濁す村長は、滑稽に見えた。


「構わない」とマックスはそっけなく言った。「今日はこの村に泊まる。宿を借りれる場所はあるか」


「はい、マックス様がお助けになったフルールの家は、酒場のついでに、旅人に宿を提供しております」


 フルールの両親は、一人娘の命の恩人に快く部屋を提供した。


 酒場でマックスと別れ、家族が心配しているかもしれないと思ってドニは家に帰ったのだが、そこでひどい目にあった。


 マックスとオーク退治に同行したことが知れると、ドニの父は激怒した。鉄拳まで飛んできた。父親に殴られるのは久しぶりだ、とじんじん痛む頬をさすって、ドニは思った。


 長い説教が終わると、ドニは黙って家を出た。外で頭を冷やすのだろう、と思った父親は何も言わなかった。


 月明かりと申し訳程度の松明の火が照らす小暗い道を、ドニは酒場に向かって歩いた。


「フィリアン?」


 酒場の入り口に、フィリアンが所在なさげにたたずんでいた。


「あ、ああ、ドニか」


 完全に不意打ちだったらしく、フィリアンは少しうろたえた。


「ここへはフルールの様子を見に?」

「……そうだよ。せめて顔だけでも見れればと思ったけれど、親に止められた」


 洞窟での出来事は、年頃の少女には辛いものだったろう。いま彼女に必要なのは、傷を癒すための時間だ。


「そういうお前は何しに来たんだ?やっぱりフルールが気になるのか?」

「いいや」


 フルールのことは心配ではあるけれど、それはドニが容喙すべきことではないし、仮にそうしたところで、何の力にもなれないことはよく分かっている。


「じゃあ?」

「傭兵に……マックスに会いに来た」

「あいつに?」

「彼に頼みがあるんだ」

「まさか、弟子入りか何かか?お前も傭兵をやろうって?」

「違う、そういうんじゃあない」


 否定するドニをどう思ったのか、フィリアンはふうっと息を吐いてから夜空を仰いだ。


「ドニは、すごいよな」


 耳を疑った。どういう風の吹き回しか訝っていると、フィリアンは言葉を続けた。


「オーク退治についていったんだろ? 俺にはあんな怪物に向かっていくなんて、とても無理だよ」

「なにを言ってるんだ。最初は俺を押しのけて、一人でも行くって息巻いてたじゃないか」

 フィリアンは頭を垂れて、「そうだよ、あの時は、あの時だけは、な」

「あの時は冷静じゃなかった、と?」

「その通りだ。フルールが帰ってきてないと聞いて、頭に血が上ってたんだな。あの傭兵が来て、それでやっと落ち着いた。落ち着いて、傭兵がオークを皆殺しに行くと言ったとき、それをどう思ったか分かるか?」


 ドニは小さく首を振った。


「嬉しかったんだよ。安堵した、と言ってもいい。やった、俺はあの化け物どもと戦わなくてすむんだ。そう思った。笑えるだろ? あんだけ調子のいいこと言っておいてさ、結局俺は臆病者だったんだ」


 フィリアンは自嘲しながら滔々と語り続ける。


「臆病者だけならまだいい。それに加えて俺は、卑怯者だったんだ。フルールが帰ってこなくても、それは俺の責任じゃあない。万が一のことがあったら、あの傭兵を憎めばいい。あいつのせいだって憎んで、そしてのうのうと人生を謳歌すればいい」

 そこまで言ってからフィリアンはドニの顔を見て、「軽蔑するか?」

「そんなこと、できるわけないだろ」


 誰にだってできやしない。俺にも、いや、俺にはフィリアンを軽蔑する資格なんてない。


 今回の件で、ドニは自分が救いようのない人間だと、はっきりと気づいてしまったから。マックスに何故ついてくるのか、と問われたとき、ドニははっきりと嘘をついた。村のためだ、と。嘘だ、大嘘だ、ただのおためごかしで、自己欺瞞だ。


 ドニを動かしたのは、単純な好奇心だった。


 一人逸るフィリアンに村に留まるよう言ったが、それは彼を心配したからだけではなく、自分もそうするべきだと思っていたからで、いまでもそれが賢い選択だったと思っている。


 しかし、あの見慣れない格好の傭兵が、ドニの心を変えてしまった。


 どのような技術で、どのような道具で、あの恐ろしい連中を倒すのかドニは見てみたくなってしまったのだ。


 ついでに、彼についていけばオークがどんな生活を送っているか、間近で見られるかもしれないと考えると、もう止められなかった。


 森でオークを見たときから、その兆候は感じていた。あの時は、義務という武器を携えた恐怖が勝者になった。マックスが来てからは、探究心が主導権を奪い返した。二つの相反する感情が支配権を奪い合う小さな土地の住民。それがドニという人間だ。フィリアンを笑うことなどできるはずもない。


「お前ならそう言うと思ったよ」とフィリアン。

「じゃあ、なんで聞いた」

「なんでだろうな。安心したかったんだろうな、単に」

「……今日は大変なことが起こりすぎた。そのせいで疲れてるんだろう、もう帰って休んだらどうだ」

「親父みたいなこと言うな、お前」

「俺はつい先ほど、親父に殴られたとこだけどな」

「最初の質問に戻るけど、傭兵に会って、どうするつもりだ?」

「俺も、あの男と一緒に旅に出る」

「やっぱりお前も傭兵に―――」

「いいや、違う。そういうのじゃあなくて、俺はずっと旅に出たかったんだ。マックスが来たのがいい切欠だと思った……それだけだよ」


 自分の夢のことは誰にも話したことがない。家族すらも知らないだろう。


「本気なのか?」

「今を逃したら、きっと俺はこの村から一生出られない。そんな気がする」

「そうか……」


 フィリアンが寂しそうに目を伏せる気配がドニに伝わった。


「これから、マックスと話をつけにいく。彼と一緒にいければいいが、駄目だと言われたら一人でも村を出るつもりだ」

「いつ?」

「多分、明日にでも」

「そのときには、見送りにいくよ……俺はもう家に戻る」

「ああ、おやすみ」


 ドニは家に向かうフィリアンの背中を目で追った。

 見送りはできることならしないで欲しかった。そんなことをされるような身分ではない、と後ろめたい気持ちがドニの中にはあった。しかしああ言われた以上、断るわけにもいかなかった。


 フィリアンが闇に消えると、ドニは後悔した。彼は自分の弱さを曝け出したというのに、自分の矮小さを伝えることもせずに、そのまま行かせてしまった。


 本当は言うべきだった。俺は好奇心に振り回されるままに動き、いざ危険がやってくれば縮こまってしまう、どうしようもない奴なんだと。


 そしてふと、フィリアンが聞きたかったのはその言葉だったのではないかと思い至った。


 しかしドニには、どうしてもフィリアンを追いかけることができなかった。いまさらそんなことをしても手遅れだと思ったし、それに、あの傭兵が寝てしまう前に話をつけなければならない。


 ドニは意を決して、酒場の扉を開けた。


 フルールの母が、カウンターで顔を上げた。ドニと目が合う。その目は真っ赤に腫れていた。


「ドニ……こんな時間に訪ねていただいて悪いけど、まだフルールは誰とも会いたくないって」

「いえ、その、マックスに用があってきたんです」とドニは答えた。

「まあ……そうなの。あの人は二階の奥の部屋にいるわ」


 つい先ほどまで泣いていたのだろう。裏返りそうな声を宥めながら言うのが、ドニにも分かった。


「ありがとうございます」


 ドニが階段に足をかけたところで、フルールの母から改めて声をかけられた。


「ねぇ、ドニ。あなたもあの傭兵と一緒に、オークをやっつけに行ったのよね」

「……はい」振り返って、ドニは答えた。

「あなたにもお礼を言わなくっちゃね……ありがとう、本当に、ありがとう」

「当然の、ことを、した、までです」


 感謝の言葉が、ドニにはつらかった。唇が震える。

 俺はオークをもっとよく見たくってマックスについていったんです。

 正義感とかそういう格好いいもののためではありません。

 知りたいという気持ちが、俺のすべてです。

 あなたの娘さんのことはついで程度に考えていました。

 開き直って、そう言ってしまえればどんなに楽だろうか。そして実際、そのように行動できたとしたら。


 その思いは胸にしまったまま、マックスの部屋へと向かう。


 ドアの前に立つと、反対側から何か話すような声が聞こえる。他に誰かいるのだろうか。疑問に思いながら、ドニはノックした。


「どうぞ」


 扉を開けると、マックスは椅子に座ってライフルを弄っていた。テーブルには大小さまざまな部品が並べられている。銃を整備しているらしかった。


 部屋に入る前に聞いた声の主はいなかった。また魔法だろうか。


「よお、ドニ、だったかな。また村長か誰かが来たかと思った」


 そう話しながらも、マックスは手を止めない。慣れた手つきで部品を点検し、汚れをふき取っていく。


「あんたに、話があるんだ」

「そこに突っ立ってるのもなんだし、座ったらどうだ」


 訝るような顔をしながらも、マックスは向かいの椅子を勧めた。ドニは部屋の扉を閉めて、椅子に腰掛ける。


「なんかよぉ」マックスはぼやくように言った。「部屋に入れてから言うのもなんだがよぉ、スッゲエ嫌な予感がするんだよな」

「大丈夫だ、悪い話じゃあない」

「そりゃ俺が決めることだ。まあ、話だけは聞くよ」

「ありがとう。簡単なお願いなんだ、その……」ドニは深く息を吸い込んで、「あんたの旅に「駄目だ」いってくれ「帰れ」?」

 わずかな間をおいてから、ドニは「え?」と聞き返した。

「駄目だって言ったんだよ、この田吾作ッ!」マックスは銃を叩きつけるようにテーブルに置いた。「あの時と同じ目をして、あの時と同じことを言いやがる」

「一人旅になにかこだわりでもあるのか?」

 ドニが聞くと、マックスは憮然としつつも少し考えてから「そういうのじゃあないが、ただ身軽なのがいいんだ」

「だったらいいだろ。お願いだ、連れて行ってくれよ。何でもするからさ」

「駄目だね! 見たところ図体ばかりでかくって、旅もしたことなさそうじゃあないか。そんな奴を連れて行って俺が得する理由が、一つでもあったら教えてくれよ」

「何でもする。荷物持ちでも、使い走りでも、なんでも」


 身を乗り出して、いまにも掴みかからん勢いでドニが言うと、マックスは小さく眉根を寄せてぴたりと動きを止めた。


「荷物持ち、だと? いまそう言ったのか?」


 いきなり雰囲気を変えたマックスにたじろぎながらも、「あ、ああ。そう言った」とドニは頷いた。


「間違いないな?」

「間違いない」

「荷物をなくしたりしないな? あろうことか、列車から落っことすなんてこともしないな?」

「するはずがない」


 ドニは列車というものが何なのか分からなかったが、勢いで頷いた。そもそもマックスからして、有無を言わせぬ勢いで聞いてくるのだ。


「くそ、魅力的な提案だな……」


 マックスは横を向き、口元に手を当てて考え始めた。ドニにはわけがわからない。荷物持ちがそんなに大事なことなのだろうか。


「力仕事は得意なんだよな?」と向き直ってマックスが聞く。

「見ての通りだ」


 ドニは腕をぐいと曲げて力瘤を作った。畑仕事や、近所の村人の手伝いで培われた筋肉は伊達ではない。


「能力は問題なさそうだな……でも、うぅむ」

 マックスは懊悩している。唸りながら顔を上に向けて、下に向けて、そしてまた正面を見た。


「……雇うのは無理だぞ。路銀もそんなに余裕はない」

「いらない。そこは自分で何とかする」


 当然のことながら、ドニは具体的な案を持っていなかった。それなりの街なら、小さな仕事を見つけて日銭を稼ぐことはできるだろう。その程度の考えだった。


「野垂れ死にそうになっても助けないぞ」

「自分の面倒くらいは、自分で見る」

「俺には行かなきゃならんところがある。だから観光気分ってわけにはいかないぜ」

「外に出れるだけで十分だ」

「……旅の途中で、野盗やら怪物やらに襲われることもあるぞ。それでもいいのか?」


 ドニは少しだけ息を止めて、つばを飲み込んだ。


「……大丈夫だ」

「お前、パパとママは?」

「どういう意味だ」

「お前の家族は、村を出ることを知ってるのか、って聞いてるんだ」

「……まだ、言ってない」


 彼らは朝が来ると太陽が顔を出すのと同じように、ドニが村で一生を過ごすと信じているに違いない。


「だったら、ちゃんと話をつけてこいよ。人攫いだと思われたらかなわん」

「じゃあ、ついていってもいいのか」

「教会の前で待っててやるから、好きにしろ。来なかったら置いていくから、そのつもりでな」






 家に戻ったドニは先ほど猛烈に叱られたというのに、父と母に旅に出たい旨を伝えた。


 椅子に腰掛けた父は腕を組んだまま黙ってドニの話を聞こうとしていたが、その横に立つ母は「何を言っているの、ドニ」と眉を吊り上げた。

「村を出るですって?」

 金切り声を上げる母を制して、父は「いつかそう言うと思っていた」と呟くように言った。

「なんで知っているの」

「外の世界について書かれた本を持っているだろう。何冊も。お前のことなら、何でも分かるさ」

「ねえ、ドニ」母が言う。「何か不満でもあるの?この村が嫌なの?」

「母さん」と父は窘めるように言った。「そういうわけじゃあないというのは、分かるだろう。ドニは外の世界を見たいんだ。私たちに問題があるとか、田舎は嫌だとか、そういうのとは無関係だ」

「でも」

「母さんには分からないかもしれないが、男とはそういうものなんだ。ときに安定した生活を捨ててでも、見たいものや、やりたいものに手を出してしまう。それは誰にも止められんよ」

「外の世界には危険が一杯なのよ。考え直して、ドニ。村から出て行ってもいいことなんてないわ」


 ドニはかぶりを振った。


「オークたちをやっつけに行ったとき、危ない目にはあったでしょう。怖かったでしょう。それでもまだ足りないって言うの?」


 母の言うとおり、洞窟の中でドニは死の足音を聞いた。足がすくむほどの恐怖に身を切り刻まれた。


 しかしその先にこそ、自分が求めているものがあるとドニは知ってしまった。夢をかなえるためには、それらを乗り越える必要があるのだ、と。


「ドニ、生きて帰ってくる自信はあるか?」

「……わからない」

「それもそうだな」父は椅子に座りなおして、「ただ、生きて帰ってきて欲しい、と思う。私も、母さんも、ジョアンもきっとそうだろう。お前のことが心配なんだ」

「え?」


 父の言い方に含めるものを感じて、ドニは顔を上げた。


「明日には出発するのだろう。荷物をまとめたらすぐに休みなさい。お金も、そう多くはないが用意してやろう」

「あなた!」


 母が声を荒げた。隣の部屋にいたジョアンが扉の隙間から様子を窺ったが、すぐに引っ込んだ。


「ドニはきっと、騙されてるのよ。あの、傭兵に。だから―――」

「母さん、やめなさい。彼は村の恩人だぞ。そんな言い方をするべきではない」

「……そうね、言い方が悪かったわ。でも、ドニ、本当にあなたが自分でそうしたいと決めたの?」

「そうだよ、母さん。俺は、俺自身の意思で、この村を出たいんだ」


 ドニが言うと、父は満足そうに頷いた。


「お前はもう十八になる。そんなお前が、どんなものであれ、自分で道を選び取ったことが嬉しいんだ。お前は私の、息子なのだから」


 父は続ける。


「私も昔はそうだった。結局、私は夢をあきらめたが後悔はしていない……でなきゃあ、お前はここにいないんだからな」


 父は顔をくしゃくしゃにして笑った。


 てっきり猛反対されると思っていたドニは、拍子抜けしてしまった。意識せず持ち上げていた肩が、がっくりと下がった。


 母は不満そうだったが、ドニに代わって父がやり込めてくれた。


 それからドニは、旅の準備に取り掛かった。袋に火打石、水筒、ナイフ、蝋燭、その他諸々、外を出るにあたって役立ちそうなものを詰め込む。読み古した本も忘れずに入れた。悩んだ末に手斧も持っていくことにする。外の世界にはおそらく、興奮や感動よりも多くの危険が待ち受けていることだろうから。


 ドニが準備を終えた頃には、夜はすっかり更けていた。もう寝る時間だ。


 次にここで夜を明かすのは、いつになるのだろう。そんな感傷に浸りながら、ドニはベッドに身を横たえた。


 眠りはすぐにやってきた。



 荷物袋を掴んで家を出ようとすると、すでに家族全員が起きていた。


「行くのか?」と父。

「うん。教会の前で待ち合わせなんだ」


 見送りとして、そこまでついていくと父は言った。袋を肩に担いで。

 玄関を出て、教会へ向かう。

 そこにはマックスとフィリアンがいた。


「おぉ、来たか」


 フィリアンはドニに向けて小さく手を振る。もう片方の手には、スコップを持っていた。


「お前のダチだろ、こいつ」とマックス。「まさか一緒に行くとか言い出さないよな」

「さっきも言っただろう」フィリアンはマックスを見て、「見送りにきただけだ。あんたのところにいれば、ドニが来るだろうと思ってな」

「本当に来るとは思ってなかった」とドニ。

「俺が嘘ついたこと、いままであるか?」

「たくさんある、ような気がする」

「言ったな!」


 フィリアンは稚気を含ませて笑った。


「ところで、そのスコップは」

「これか」フィリアンはスコップをひょいと持ち上げ、「洞窟の後片付けだ。死体を埋葬してやらなくちゃ」


 昨日はどこか思いつめたような顔をしていたフィリアンだったが、いまはそのような雰囲気は見られない。空元気かもしれないが、ともかく、友人が笑顔で見送ってくれるというのは、ドニには嬉しかった。見送りはいらないと思っていたのに。


「そっちはお前の家族か」ドニの後ろを見ながら、マックスが言う。

「はい、ドニの父です。息子をよろしくお願いします」

「ご丁寧に、どうも」マックスは帽子を軽く持ち上げて返礼した。


 母とジョアンは、マックスには何も言わず、胡散臭そうな目で見ていたが、無理もないことだろう。


「ドニ」父は担いでいた袋をドニによこした。「当座の食料と、お金が入っている。大事に使うんだぞ」

「ありがとう、父さん」

「俺も、うちで作った干し肉だ。寂しくなったら、これ食って村のことを思い出してくれよ」


 フィリアンが差し出した包みを受け取って心の水位が上がるのを感じた。溢れてしまったら決心が消えてしまいそうで、ドニは懸命に耐えた。


「……ありがとう。大切に食べるよ」

「兄ちゃん、本当に行っちゃうの?」

「そうだよ、ジョアン。大丈夫、ちゃんと帰ってくるから。それまで、父さんと一緒に家のことを頼むぞ」


 ジョアンはこっくりと頷いた。


「ドニ、無理はしないでね。辛くなったらいつでも戻ってきていいのよ」

「うん。ありがとう」


 手をとる母に、ドニはその手を軽く握り返した。


「お別れの挨拶はもういいか?」とマックス。


 母とドニは別れを惜しむようにゆっくりと手を解いた。


「ああ」

「ちょいと野暮用を―――」

「おお、マックスさま」


 向こうから、神父と村長、そして村の雑貨屋の主人が駆け寄ってきた。村長の手には皮袋が二つ握られている。雑貨屋の主人はというと、大きな背嚢を背負っていた。


「待ち人来る、かな」


マックスは村長を、というよりは報酬を待っていたようだった。


「はい」軽く息を整えてから、村長は皮袋をマックスに差し出した。「マックスさまが要求した報酬には含まれておりませんでしたが、この村からのほんの気持ちでございます。どうかお受け取りください」


 マックスがそれを手に取ると、今度は雑貨屋の主人が背嚢を下ろしてマックスに差し出した。


「こちらは報酬の品でございます。食料、水、その他、申し付けられたものはすべて入っております。確認なさいますか」

「そうさせてもらう」


 マックスは背嚢を開けて中を検めた。

 その様を見て、ドニは意外に思った。この荷物のために、マックスはオークを皆殺しにしたのか。あれだけの数をやっつける対価としては安すぎる。


「……問題なさそうだな。助かったよ」

「お礼などとんでもございません」

「ところで、俺のほうからもあんたに渡すものがあるんだ……これだ」


 足元に無造作に置いていた、銃の入った袋から三丁だけ抜き出して、マックスはまだ銃が入った袋を村長に突き出した。


「やるよ。街まで持っていって売ろうと思ったが、かさばりすぎる。行商人が来たときに売ってもいいし、あんたらで使ってもいい。弾も一緒に入ってる」

「は―――」


 村長は目をぱちくりさせたが、マックスは意に介せず、渡された皮袋を開け、そこからある程度の金を抜き取り、今度は神父にそれを放った。


「これは教会に寄付だ。死んだ村人の葬儀に金がかかるだろうし、遺族のために使ってもいい。好きにしてくれて構わない」

「よろしいのですか」

「後悔するかもしれんが、先の話だろうな」


 銃がどれだけの値段で売れるのかは分からないが、村長と神父の反応を見るに、マックスが手にした金額と同等、あるいはそれ以上になるのではないか。


 マックスは背嚢からロープを引っ張り出して、自分の取り分の銃を縛ってまとめた。


「ほれ。早速お前の出番だぜ、荷物持ち」


 渡された銃の束を、ドニは肩に担いだ。銃は少し重かったが、担いで歩く分には問題なさそうだ。


「さて、そろそろ行くか」


 マックスは村長たちに背中を向けた。ドニもそれを追うように一歩を踏み出す。


「ドニ、元気でな」とフィリアン。

「がんばれよ、ドニ」父はしっかりとした口調でそう言った。

「体には気をつけるのよ」母の目には涙がたっぷりとたまって、今にも零れ落ちそうだ。

「兄ちゃん、俺、兄ちゃんが戻ってくるのずっと待ってるからね」手をぶんぶんと振って、ジョアン。


 まだうっすらと朝霧が残る道を歩き、村のへりまで来たところで、ドニは振り返った。自分が育った村をよく見ておきたかった。外の人間からすればただの寂れた村であることには違いないが、ドニにとっては唯一無二の、故郷なのだ。


 生まれ育った家、幼い頃に走り回った道、読み書きを習った教会、夜になると大人たちがささやかながらも景気よく酒を酌み交わした酒場。そこに住む人たちと、そして自分自身の思い出。


 それらは渾然となって、ドニの胸中に染み渡った。自分を育ててくれた故郷への感謝、そこを離れることの寂しさと、そして、一つまみの罪悪感と一緒に。


 なぜかドニは村を裏切ったような気がしたが、小さく頭を振ってそれを振り払う。


 俺は村を裏切るわけじゃあないんだ。旅が終わったら、俺が帰ってくる場所はここ以外にはないのだから。


 戻ってきた暁には、フィリアンにあの時自分が思ったことを伝えよう、家族には旅先で手に入れたお土産でも渡していろいろ語り合おう。そのときには、フルールも昔のように、とはいかないかもしれないが、いくばくか元気を取り戻してくれれば、それに勝る喜びはない。


 漠然とした外の世界を見るための旅に、明確な目的が付け加わった。必ずこの村に戻ってくること。旅の最終目的地が自分の故郷とは皮肉めいていたが、ドニにはそれ以外に思いつかなかった。


「忘れ物か?」振り返って、マックスが聞く。

「いや、行こう」


 ドニはマックスについてまた歩き始め、そして村を出た。

 差し当たって、マックスにいろいろな話を聞いてみたいとドニは思った。旅をしながら傭兵をやっていたというのだから、外の世界のことに詳しいに違いない。他にも、どこから来たのか、どこへ行くのか、なぜ傭兵をやっているのか……聞きたいことは沢山ある。


 だけど焦る必要はないとドニは知っていた。聞く時間はたっぷりある。きっと、長い旅になるだろうから。











「ところでさ、マックス」

「なんだよ、ドニ」

「なんか違和感があると思ったら……袋!」

「は?」

「袋について何も思わないのか?」

「意味が分からん。何が言いたいんだ」

「袋を見るのは初めてなんだろ?感想は?」

「お前は何を言っているんだ。袋くらい知ってるよ」

「え、ええ?……そういえば、洞窟で袋を作ってたっけ」

「俺を何だと思ってたんだ」

「だ、騙したのかっ!うそつきっ!」

「……連れてくるんじゃなかったって思わせる才能は一級品だよ、お前。商売にしたらどうだ」

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