Far road to lord/S.T.A.L.K.E.R(2)
ポドラスキ地方最大の都市にして領都、ビアリストーク。その中心部に建つのは領主の住むブラニツキ宮殿だ。大通りに面した正門は堂々かつ繊細で、淡く照らされたその姿は都市の美しさをより一層際立たせていた。
本来、領主に宮殿を持つことは許されていないのだが、グラボフスカ家が王家と由縁を持つことと、旧世界時代より存続している同宮殿を解体することも惜しい、ということで例外的に認められている。もっとも、現時点では領主は存在せず、いまは使用人や領地運営に必要な人員だけが残っている程度だ。
「いい夜ですね」
誰に言うでもなく、夜空を見上げながら男が呟いた。一面の星空に満月が浮かんでいる。男の身長はウィ・ノナの成人男性の平均よりも高く、手足はすらりと伸びていた。どちらかといえば華奢な方だが、痩せぎすというわけでもない。年齢は二十代半ばごろだろう。腰まで伸びた細く艶やかな銀髪が夜の風に揺れている。色白の肌にすっきりとした頬、そして切れ長の瞳と長い睫と、エルフの象徴である長い耳。男は美形と呼ばれるに相応しい容貌を持っていた。
男は赤地に金の刺繍が入った、裾の長い服を纏っていた。見るからに高級品で、それだけで彼が貴族かそれに近い者と分るだろう。左右の腰に、緩く反った片刃の剣を一本ずつ提げている。
男は宮殿にほど近い場所にある、屋敷のバルコニーにいた。三階の窓から突き出したそこからは、領都の夜景がよく見える。宮殿の近くは貴族用の区画となっており、あちこちに意力で作られた灯りが点っている。エルフ貴族の文化を象徴するような光景だった。
「さて、そろそろ来る頃ですが……おや」
夜だというのに一羽の鳥が男の元へ飛んできていた。胸の前に腕をかざすと、それに乗る。鳥の足には小さな筒が括り付けられていた。男が筒を取ると、鳥はすぐに飛び立って夜の闇に消えた。
筒の中に入っていた紙を男はしばしの間眺めていたが、やがて踵を返し屋敷の中へ入っていく。
赤い絨毯が敷かれ、煌びやかな内装を施された廊下を歩いていると、巡回中であろう二人組の兵士がいた。ポドラスキ領軍の制服ではなく、ギルドに認められた傭兵の制服を着ている。イレナの私兵だ。彼らは男の姿を認めると敬礼した。傭兵でもギルドに所属する者ならばその程度の礼儀は弁えている。
男は返礼し、兵士に尋ねた。
「イレナ様はいまどちらに」
「はっ、ただいま食堂にて夕食をとっておられます」
エルフの傭兵が律儀な口調で答える。
「ご苦労」
兵士たちの横を抜け、男は食堂へ向かう。
階段を降り一階の食堂前に辿りつくと、扉の両脇を守る傭兵たちが無表情なまま男に敬礼した。
「イレナ様、よろしいですか」
男が言った。
「許すわ。入りなさい」
男が手を伸ばす前に、傭兵が代わりに扉を開けた。
広い部屋の中、純白のテーブルクロスが敷かれた長く大きな食卓の片端に置かれたただ一つの椅子に、極彩色の衣装を着た女が座っていた。長い金髪を縦に巻いた、険のある顔立ち。高く尖った鼻の下にある薄めの唇には派手な色の口紅を引いている。鋭く釣り上がった目が彼女の性格を示していた。
その女は、貴族擁護委員の中でも特に悪名高い、『血塗れ』イレナであった。
その傍らには表情を殺した給仕たちが立っていた。扉脇にいた傭兵といい、雇主である彼女は表情を表に出さない者を選んでいるようだった。
食卓のほぼ中央に置かれた燭台が白い光を放っている。燃えているのは蝋燭の火ではなく、意力で作られたものだ。風が吹こうと、水を被ろうと消えることはない。天井から吊るされたシャンデリアも同じ原理で食堂を照らしている。
眩いほどの明かりの下、一人で食事を続けていたイレナの視線が、男の方を向いた。彼女は食器を置いてから口を開いた。
「何の用かしら、ウルリック。食事中にやってくるとは、相応の理由なのでしょうね」
ウルリックの名を聞いた時、給仕たちの表情が揺らいだ。ある者は緊張を、ある者は羨望を薄く浮かべる。ウィ・ノナでも最強と言われる騎士の名は、彼らの間にも伝わっていた。まだ若い女性の給仕などは熱のこもった視線を投げかけている。
恭しく礼をしてから、ウルリックは言った。
「はっ、畏れながらご報告申し上げます。ですが、その前に」
ウルリックが給仕たちを見回した。その意図を察して、イレナは「食事はもういいわ。下がりなさい」と声をかけた。給仕たちは粛々と退室する。食堂にはウルリックとイレナだけが残った。
「それで、報告とは」
「トゥロスルに送った刺客たちが、エリーゼ側の護衛戦力の反撃を受け全滅しました。日中のことです。後詰めとして派遣しておいた鉄蹄傭兵団一個中隊の壊滅も確認されました」
イレナの領主候補としての対抗馬、エリーゼの暗殺についてウルリックは話していた。屋敷の要所には意力による防音処理が施されているため、盗み聞きの心配はほとんどない。
ふん、と不快そうにイレナは鼻を鳴らした。
「護衛戦力の規模はどの程度かしら。それから、どこの諸侯がよこしたのかまでわかるかしら」
「対象の護衛は人間が四人とオークが一人。それに犬が一匹とのことです。背後関係まではわかりませんが、おそらく前領主、ミハウと懇意にしていた者が護衛を送ったと思われます」
イレナが眉を顰めた。
「人間、ですって。間違いないの」
「報告ではそうなっております。ウィ・ノナ国外から傭兵を呼び出したのでしょう。この結果からすると、相手はアデプト級かそれに近い意力使いのようですが」
ウィ・ノナにおいては人間もオークも、外からやってきたのでない限りすべて奴隷となっている。建国当時、奴隷種族であったエルフが当時の支配種族である人間を打倒し、奴隷に落としてから現在まで変わらない習慣だった。オークの方は人間が支配していた時からずっと奴隷のままだ。
眉間のしわが深くなる。イレナの表情は暗殺が失敗したことか、あるいは優越種であるエルフが劣等種に倒されたことへのものなのか。
だがどういうわけか、ウルリックはイレナの顔を慈しむような、愛でるような穏やかな面持ちで見つめていた。
「すぐに増派の騎士を送りなさい。傭兵ももっと集めるのよっ。いくらかかってもいい。中隊で駄目なら大隊、いえ聯隊規模の兵力で攻めるのよっ」
怒りを露わにして、イレナは目を剥いて叫んだ。顔に赤みがさす。
宥めるような声音でウルリックが応えた。
「騎士はともかくとして、それだけの規模の傭兵を投入することには賛成いたしかねます」
「何を言っているのっ。あいつが、あの小娘が罷り間違ってビアリストークにやってきたらどうなるかわかっているの。会議の場では私に勝ち目はないのよっ」
何らかの事情で領主が不在となった場合、宰相、領内の貴族と司教による会議が開かれ、領主候補の中から正当な領主を選ぶよう法で定められている。王家の血で領主候補となることには成功したイレナだったが、対するエリーゼは前領主の一人娘で、意力使いときている。
一方のイレナは残虐な貴族擁護委員で、マンデインだ。ミハウとは遠縁の親戚同士になるが、直系の前には意味をなさない。だから、会議ではなく力でけりをつけてしまいたいのだ。
色を成すイレナに、ウルリックは静かに告げた。
「イレナ様、もしそれだけの兵力を投入した場合、エリーゼ側を支援している者も動かざるを得なくなります。その意味で今回投入した戦力はぎりぎりの線にあります。これを超えてしまえば、ポドラスキ領周辺の諸侯も警戒の念を抱くでしょう。そこからウィ・ノナ全域を巻き込む内戦に……あるいは、機に乗じてラッスィーヤが攻めてくる可能性すらあります。どうか、ご再考ください」
家臣としての分を弁えつつ、諭すようにウルリックは説明した。それを受けてイレナは落ち着いたかに見えたが、怒りは完全に収まってはいないようで、こめかみに青筋が今にも浮き出そうになっている。
イレナは深く息を吐いた。頭痛がするのか、額を揉みながら次の言葉を紡いだ。
「……そうね、領主になっても、国が滅んでは意味がないわ。でもそこまで言うからには代案があるのでしょうね」
「現場を監視していた『白』が面白い人材を見つけた、と言っております。それをコルノのあたりでぶつけるつもりだそうです。ま、こちらも保険として騎士を派遣するのが無難かと思います。相手が少数なら、こちらも少数精鋭でいくべきでしょう」
「ふ……ん……『白』が、ね」
また眉根にしわを寄せながらイレナが呟くように言った。ただし、この表情の変化は怒りによるものではないようだった。逡巡するような面持ちになっている。
「気に入らないわ」
やがてイレナは決然と言い放った。
「なにが、ですか」
ウルリックが聞く。ころころ変わる主人の態度に、彼は全く動じる姿を見せていない。
「あれだって意力使いでしょう。ならばなぜ、刺客や傭兵と一緒に攻撃に移らなかったの。白い仮面などつけて、何を考えているのかわからないわ。気味が悪いったらない」
「彼は騎士としてイレナ様と契約しているわけではありませんから、仕方がないことかと存じ上げます。彼の性格上、直接戦闘に関わるような契約は結ぶとも思えませんが。それに意力使いといえどできることとできないことがありますから」
ウィ・ノナでは主人と家臣……特に騎士は個々の契約で結びついているのが普通だ。その契約についても騎士個人で内容が異なることも多い。残虐行為には加担しないだとか、戦利品の取り分はこれぐらいだ、とか。主人と騎士が合意しなければ主従は成立しないし、それができたとしても契約が守られなければ縁を切ればいいだけの話だ。
ともかく、家臣でもない『白』がイレナの命令に従う必要はなく、それを求めるのも筋違いなのだ、とウルリックは指摘しているのだった。
「ずいぶんあれの肩を持つのね」
不機嫌そうにイレナが言った。
「古い友人ですので」ウルリックが苦笑いする。「彼のことはお嫌いですか」
「……嫌いよ」イレナは言った。「あなたを紹介してくれたことには感謝しているけれど、素顔を明かそうともしないし、私を……貴族などなんとも思っていないような気もする」
ウルリックの苦笑が楽しむような薄い笑みに変わった。
「そういう性分なのですよ。彼に代わり、この場でお詫び申し上げます」
詫びると言った彼の顔には謝罪の色は全くなかった。イレナはどう思ったのか、テーブルに頬杖をついてため息を吐いた。
「まあ、私は彼とは違ってあなたの騎士ですから。契約は果たしますよ」とウルリックがにこやかに言った。
「あなたが、行くの」
「それでよければ」
「いえ、まだ駄目よ。あなたはしばらく、私の身辺警護のまま待機なさい。エリーゼ側が暗殺者を送ってくるかもしれない」
急に神経質そうな表情を見せて、イレナは自分の肩を抱いた。大きな宝石のついた指輪をはめたその手先が震えている。怯えを瞳に湛えながら、彼女の息遣いが次第に荒くなっていった。目頭には涙が浮いていた。
「行かないで、ウルリック」
縋るような声音に、ウルリックは主人の手を取って応じた。
「仰せのままに、我が主人」
イレナが身体を動かした。ウルリックに身体を預けようとする。が、彼の方が先に動いた。手を離し、すいと身を引く。
「あ……」
不満げなイレナの様子を気に留めることもなく、ウルリックはまたにこやかな笑みを浮かべて見せた。何もなかったとでもいうように。
「では、こちらから派遣する騎士を選定しましょう。私に任せてもらって構いませんか」
「……許すわ」
椅子に深く座り直したイレナの目は昏かった。
「いまから指示を出したとして、コルノには間に合わないでしょうね。馬を使ったとしてもコルノの南、マウィ・プウォークかウォムザあたりで阻止することになるでしょう」
今後の方針について、ウルリックが事務的な説明を始めた。
「細事は全てあなたに任せるわ。もう下がりなさい」
疲れ切った声でイレナは命じた。ウルリックは最初にそうしたように、また恭しく礼をする。
「仰せのままに」
真紅の裾を翻し、ウルリックは優雅な仕草で食堂から出ていく。
扉を閉め、通路を歩きながらウルリックはその美貌に笑みを浮かべていた。
「彼はいいアクターを選んでくれた。本当に」
表情を変えぬまま、窓の外を見る。意力の光に照らされて、庭の様子がおぼろげに見えていた。ちらちらと動く光は巡回中の傭兵たちだ。
「ですがまだ試験は終わりではありません。彼の方でも追加のアクターを手に入れたようですしね。彼らが今回の刺客を倒すことができたら……」
独りごちるウルリックの顔が、喜悦に歪んだ。
「その時は改めて、私も衣装を選ばせてもらいましょう。ふふ、ふふふふふ」
目を見開き、口の端を大きく釣り上げた、不気味な笑み。整った顔つきが悪魔のそれに変わっていた。
誰にも見られることなく、ただ一人、ウルリックは笑っていた。
ひとしきり笑い終えると、ウルリックは別室へと向かう。屋敷の東館に位置する、騎士の居室だ。イレナは自らの護衛のため、屋敷にも騎士を住まわせていた。一番の寵愛を受けるウルリックのみが本館二階に別の個室を宛がわれている。
ウルリックがドアを叩いた。
「エミニク、いますか」
「開いてるぜ」
部屋の中から野太い声がした。ドアを開けると強烈な酒と肉の匂いが漂ってきて、思わずウルリックはその端正な顔を歪める。が、それは一瞬のことで、すぐにもとの表情を取り戻した。美しい騎士の顔を。
「なんだ、ウルリック。俺様に何か用か」
エミニクと呼ばれた男は、ウルリックとは対照的に野性味溢れる偉丈夫だった。背丈はウルリックよりもさらに大きく、おおよそ騎士らしからぬ大雑把な服を着た姿は、どちらかといえば平民の肉体労働者のように見えなくもない。肌の色さえなければ、オークと見紛う者もいるかもしれない。それでも、彼の長い耳は、自身が生粋のエルフであることを主張していた。
彼の前に置かれた丸テーブルの上には、骨付きの肉と透明な蒸留酒が乗っていた。エルフでも酒を嗜む者はいるが、彼が口にしているのは蒸留を繰り返した特別に強い酒だ。本来なら割るべきそれを、彼はそのまま飲んでいるのだ。
また、元来、エルフは肉をさほど好まない。これほど豪快に肉を食べるエルフはエミニクぐらいのものだろう。エルフは肉を食べないわけではないが、多くのエルフの味覚に合わないことと、宗教的理由によって穢れていないとされている動物を、定められた方法で屠殺、調理したものしか口にしてはならないことになっている。
よって、一般的に、エルフは野菜や魚を好んで食すのだが、それがウィ・ノナ国外でエルフが蔑称……ルートイーターで呼ばれる一因となっている。
「用がなければ来ませんよ」
どこか辟易とした様子でウルリックが言った。
「ふん、そうか、そうだろうな……お嬢様が俺に行けとでも言ったのかい」
骨付き肉にかぶりつきながら、エミニクが言った。
丁寧に話すウルリックに対して、エミニクは粗野な言葉遣いを隠そうともしなかった。それは騎士からすれば当然の対応だ。彼とウルリックは同じ主人に仕えているだけで、その間に上下関係というものはない。
だから、エミニクがウルリックを敬う必要性はどこにもなく、いいところ、主人からの命令伝達人ぐらいにしか思っていない。王国最強の騎士に対しても彼はそのように接していたし、他の騎士たちも程度の差はあれど似たようなものだった。
「その通りです。放った刺客は全て返り討ちにされました。目標は明日にでもトゥロスルを離れ、コルノに向かうでしょう。あなたにはその南のマウィ・プウォークで目標の捕捉と迎撃を任せたいのですが」
「俺だけか」
蒸留酒を飲みながらエミニクが聞いた。息は酒臭いが酔っているようには見えない。
「いえ、レシェック、ジガ、それにクラウスにも声をかけますよ。第一陣を壊滅させたのですから、これだけの戦力は必要かと」
ウルリックが挙げた騎士たちは、イレナの部下の中でも上位の戦闘力を有する、いずれもアデプト級意力使いだった。
「ふぅん、それだけいりゃあ、なんとかなるかもな。いいだろう、出発はいつにする」
肉をすべて平らげてしまったエミニクは、筋肉が浮いた腕を動かして骨を皿の上に無造作に戻した。
「すでに足止めの別働隊がコルノで待機していますから、明朝で十分間に合うでしょう」
「わかった。ところで、その別働隊というのはどこのどいつだ。またぞろ傭兵団でも雇ったのかい」
「『白』が現地で面白い人材を見つけたようですよ」
「『白』、か……けっ。気に食わねえな」
面倒くさいとでもいうように、エミニクは残りの酒を瓶から直接喇叭飲みにした。ごつい喉仏が動いている。飲み干してから彼は深い息を吐く。
「奴もお前も、なにが目的でイレナ様についているのかよくわからん。最強の騎士だか何だか知らんが、けったいなことこの上ないぜ」
「ふぅむ、そうですか」悪態を涼しい顔で受け止めながら、ウルリックが言った。「では、あなたはどのような目的でイレナ様の配下となったのですか」
「金だよ。それから、強い奴とやるためだ。貴族ってのはとかく敵が多いからな、その下についてりゃ、何の奇も衒いもなく騎士相手にやりあえるってもんだ」
エミニクが獰猛な瞳をウルリックに向けた。
「で、あんたはどうなんだ」
「そうですね、半分はあなたと同じように、強い相手と戦う機会を欲して、ですね。ああ、いまここであなたとやりあうつもりはありませんから、勘違いなさいませんよう。同じ主人に仕えている間は、仲良くしましょう」
優男然とした口調でウルリックが言う。顔には微笑を湛えたままだ。
「ちっ、つまらんな」腰の剣に手を伸ばしかけて、エミニクが呟いた。「それで、もう半分は何なんだ」
「私はこの世で最も価値あるものを見たいのですよ」
ウルリックの微笑が、冷気を帯びていた。
「……なんだ、それは。どういう意味だ」
「お好きなように捉えてくださって結構。では、迎撃の件、よろしくお願いしますよ。……ご武運を」
冷たい笑みを張りつかせながら部屋から出ていくウルリックを、エミニクは本物のドラゴンでも見てしまったかのように、慄然としながら見送っていた。




