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For the greatest journey(3)

 森の中は静かだった。樹木の葉が微風に揺れる音ばかりが耳に届く。人の気配はまったく感じられない。


 村を出たマックスがまずはじめたのは、オークの巣を突き止めることだった。行方不明者もそこにいるに違いない。生きていようと、死んでいようと。


 片膝をつき、地面を注視してオークの通過した痕跡を探す。オークたちは自分たちが追跡の対象となることは露とも考えていないらしく、すぐに見つかった。


 跡を辿ってしばらく歩くと、狩りの現場を見つけた。木の幹に血がべったりと付着している。漂う血の匂いに、マックスは小さく眉をひそめた後、そこで足を止め、現場を深く調べ始めた。


 静かに目蓋を閉じて、マックスは鼻から空気を吸い込んだ。何度か小さく鼻を鳴らしてから、目を開けた。


 行方不明になった人数から、マックスは目標となるオーク・クランの数に当たりをつけていた。三十匹かそこらへんだ。オークの胃袋は多少の腐敗には耐えうるから、食料は取れるときに取っておく傾向がある。だから、十分な食料を得ても狩を続けることは、間々あった。


 マックスは現場を離れた。


 オークについてマックスが気に入っている点は、彼らの無思慮なところだった。駆け出しの山賊だってもう少し後始末に気を使う。おかげで、オークたちの巣を探し出すのに大して時間はかからなさそうだった。


 足跡を探し、進み、また探す。そのうちに、痕跡を見つける頻度が高くなってきた。確実に近づいている。マックスは遭遇に備えて、低い姿勢のまま背中のライフルを下ろして、安全装置を外した。


 さあ、もういいだろう。マックスは振り向いた。


「あんた、どこまでついてくるんだ?」


 返事はない。


「とっくにバレてるよ。おとなしく出てきてくれ。何もしないから」


 茂みが音を立てて動くと、その後ろから村人……ドニがばつの悪そうな顔で現れた。


「いつから気づいてたんだ?」

「最初から」しれっとマックスは答えた。「村を出てすぐ、気付いたよ。追い返してもよかったが、面倒だから放っておいた。そのうち帰るだろ、ってな。それで、何しに来た」

「俺に手伝わせてくれないか」

 ドニの言葉はマックスには想定の範囲内だったらしく、鼻白んだ様子で「そんなことだろうと思った」

「俺、こう見えても村じゃ一番腕っ節が強いんだ」

「いや、それは見れば分かる」

「役に立てると思うよ」

「具体的には?」


 そこでドニは答えることができなくなってしまった。力は強いが、取っ組み合いの喧嘩なんてしたこともない。ましてや殺し合いなど。


「何も考えてないんだな」マックスはため息をついて、「悪いことは言わないからさっさと帰りな」

「嫌だ」ドニは頑として譲らない。「自分の村が危ないのに、じっと待っているだけなんてできない」

「そりゃ殊勝なこった」

「なあ、お願いだ。一緒に行ってもいいだろ。邪魔はしないから」

「もう十分邪魔立てしてくれてるんだけどな。いいか、俺は自分の面倒は自分で見られる。お前はどうだ?オークに襲われて、自分の身を守れるか?」

「武器ならある」


 ドニは一振りの薪割り用の手斧を翳して見せた。マックスは毒気を抜かれたような顔をして、額に手のひらを当てた。


「用意がいいっつーか……強情な奴だな」

「それに、もう村からだいぶ離れてしまった。いまさら引き返せない」

「そうだよな。お前をぶちのめして村へ連れて帰ってたら、日が暮れちまう」


 本気なのか冗談なのか、さりげなく過激な言葉を口にするマックスに、ドニは身じろぎした。傭兵というやつは皆こうなのだろうか、それともマックスが特別なのだろうか。


「真面目な話をするが、帰るなら今のうちだぞ」と帽子の上から頭を掻きながら、マックスは言った。「奴らの巣にかなり近づいている。はっきり言ってこれ以上はかなりヤバい」


 オークの巣が近い。たった一言で、ドニの全身に緊張が走った。


「怖いだろう?」


 嘲弄するような言い方ではなく、重い声でマックスは続けた。


「誰もお前を馬鹿にしやしないよ。ここまでついてきただけ、大したもんだ。お前より年上のやつは一杯いるのに、他には誰一人来てないしな」


 さっきまでついてくるなと言っておきながら、今度は大したものだと言う。新手の冗談にしか聞こえないが、しかしマックスの口元から判断するに、彼は至って真剣だ。


「信じる、信じないは別として、あんたのために言ってるんだぜ。……まさか行方不明者に家族がいるのか?」

「いいや」ドニは静かに答えた。

「じゃあ何がお前をそうさせる?安っぽい正義感か?それとも、いなくなったっていう女か?」

 ドニはわずかに言い淀んでから、「さっきも言っただろう。村のためだ。見ず知らずの人に問題を丸投げするなんて、俺は嫌だ」


 マックスはドニを値踏みするように、じっと見つめた。


「帰る気はないんだな?」

「何度も言わせないでくれ」


 やや強い口調で、ドニは言った。それが虚勢に他ならないことは、自分でも気付いている。


 頼むから、これ以上話を引き伸ばさないでくれ。本当は負けてしまいそうなんだ。前に進まないと、倒れてしまいそうなんだ。怖くってたまらないけれど、ここで引き返したら俺は負け犬になってしまう。それだけは、絶対に嫌だ。


「俺の仕事はあんたのお守りじゃあない」マックスは諭すように言った。「だからお前に何かあっても助けたりはしない。それから、邪魔だけはするな。そんなことしたら、オークの巣のど真ん中だろうと殴り倒すからな。それでよかったら、勝手にしろ」

「……ありがとう」


 耐え切れた。ドニは心から安堵した。


「あと、勝手に死ぬのもなしだ。お前の死体を誰が村まで運ぶんだ? お前の家族になんて言えばいい? くたばるんなら村に帰ってからにしろ」


 ドニが頷くと、マックスは背を向けた。


 無言のまま、二人は進んだ。マックスの後をついていくドニは、彼が歩くとき、ほとんど足音がしないことに気がついた。それでいて速度はまったく落ちていない。


 いったいどんな魔法を使っているのか、是非とも聞いてみたいドニだったが、マックスの背中は言外にそれを拒んでいた。おしゃべりなら後にしてくれ、と。

 聞きあぐねていることは、もう一つ。村人が殺されたであろう現場を彼が調べているときに、ドニが見てしまったもの。ほんの数瞬のことだが、確かにマックスの鼻が、青白い靄がかかったように光ったのだ。あれは一体なんなのだろう?


 少し進むと、マックスの速度が目に見えて落ちた。彼はすでに感じているのだ、オークの存在を。マックスが振り返って口元に人差し指を当てるのを見て、ドニはそう確信した。


 マックスが屈むのを見て、ドニもそれに従った。そろりそろりと、枝を踏まないように気をつけながら足を動かしていると、マックスは動きを止め、拳を突き上げた。ドニもその場で固まる。


 マックスの手が服についた小物入れの一つに伸び、小さなナイフを取り出した。投擲姿勢に移行する。右腕が例の青白く光る靄に包まれ始めた。肺腑が大きく膨らみ、口から空気を吸い込む音が漏れ聞こえた。瞬きするほどの間に、ナイフが手から離れる。間髪いれずに、左手に準備していたもう一本のナイフを右手で掴み、放った。


 投擲が終わると靄は霧散し、無言のままマックスは立ち上がった。同じように腰を上げたドニは、オークの巣と思しき洞窟の前に、二匹のオークの姿を認めた。いずれも地に倒れ伏し、首からナイフを生やして死んでいた。断末魔は聞こえなかったから、ほぼ即死に違いなかった。


 洞窟は、丘のように緩やかに盛り上がった地面に、ぽっかりと口を空けていた。巨漢ぞろいのオークでも無理なく通れる広さがあり、地下へ向かって続いているようだ。


 気づけば、すでにマックスは茂みを抜け出し、洞窟のすぐそばにいた。その淵に体をへばりつかせて内部の様子を窺っている。中からオークが飛び出してくる気配がないと分かると、それでも視線は洞窟に向けたまま、オークの死体からナイフを回収した。


 そして手に持っていたライフルを背中に回し肩からナイフを抜いて、右腰に吊られていた何かを革製の包みから引っ張り出した。ライフルの引き金のようなものがついている。まさか、銃なのか。ドニはあんなに小さな銃を見たことがない。


 振り返ってマックスはドニに一瞥くれた。準備はいいか、と言うように。


 家から持ってきた手斧を胸の前に掲げて、ドニは首を縦に動かした。


「もう一度言うぞ」マックスは囁くように言った。「俺の仕事はお前を守ることじゃない。中に入ったら声を出すな。音も立てるな。生き残りを見つけても助けようなんて思うなよ。それは俺の仕事だ」

「わかった」

「俺にぴったりくっついて、絶対に離れるな。俺の背後を見張って、動きがあったら肩を叩いて知らせろ」

「知らせる前に襲われたら?」

「逃げろ。お前は自分のことを最優先に考えればいい」

「わかったよ……それより気になってたんだけど」

「何だ。トイレにでも行きたいのか?」

「名前をまだ言ってなかった。ドニだ」

「これはこれはご丁寧に、ありがとさん。よろしく頼むぜ、ドニ」


 冗談めかした皮肉を口にすると、マックスは帽子の上に載せた透明な何かに手をかけ、目の辺りへ引き下げる。そして首に巻いていた布を持ち上げて、口元を隠した。もはやマックスの顔はほとんど露出していない。


 ドニとマックスは洞窟の中へ降りていった。中は薄暗く、ひんやりと仄かに冷たい空気で満ちていた。


 それに気をとられて足を止めたドニを気遣うことなく、マックスは慎重に、しかし素早く進んでいく。


 まだ暗闇に目が慣れていないドニは、ついていくのがやっとだ。足元すらおぼつかないこの環境で、マックスはどうやって周囲を把握しているのだろう。そう思っていると、彼の目に微かな青白い靄がかかっているのに気づいた。


 入り口から通路をしばらく下っていくと、やがて足元の地面は平坦になっていった。その頃になると外からの光はまったく遮断されていたが、洞窟の壁面にところどころこびりついた、苔とも茸ともつかないぼんやりと発光する植物の助けによって、ある程度の視界は確保されていた。


 洞窟の前でしたように、マックスが拳を上げる。通路の前方は大きく曲がっていて、植物が発する光が地面におぼろな影を落としている。土を踏む音とゆらゆら動く影。マックスは洞窟の岩肌に背中をあわせて待ち構える。


 通路の角からオークが現れるや否や、マックスはオークの首を掴み、地面へうつ伏せに引き倒す。背中から心臓を一突きにすると、オークは幾度かの痙攣の後に白目を剥いて動かなくなった。


 マックスは淡々とナイフについた血を拭い、オークの死体を地面に転がるに任せた。また様子を窺う。耳と目に、また靄がかかる。次に口元を覆っていた布を引き下げて手袋も外し、指を口に突っ込んで宙に翳した。人差し指が光を帯び始める。


 これまでの観察で、ドニはその光が実際に体から放射されているものではないと気づいていた。というのも、光りはすれど周囲が明るくなってはいないからで、壁に照り返したりもしない。もしかしたら、これは自分が見ている幻なのではないかと疑うこともできた。


 しかし、幻にしては一貫性がありすぎるのもまた、事実だった。


 数秒間、マックスは何かを探るようにしていたが、やがて指先から靄が晴れると、手袋をつけ、顔を隠した。


 角を曲がって、奥へと進んでいく。途中の小屋ほど広さを持った場所で、なにやら話し込んでいた―――ドニには獣の鳴き声にしか聞こえなかったが、オークを二匹、マックスは入り口でやったのと同じように、ナイフを投げて殺した。


 そこからさらに奥へと続く通路の先からは、壁の植物が放つものとは明らかに異質な、朱色の光が漏れていた。


 通路の影からマックスの背中越しに覗き込んで、ドニは思わず息を飲んだ。そこは洞窟の中とは思えないほど広い空間になっていた。高さは教会の尖塔ほどではないが、面積で言えば、村で一番大きな家が庭ごと二つ、丸ごと収まってしまいそうだ。


 部屋の中には10匹ほどのオークが、洞窟の中だというのに焚き火を囲んでいた。武器を手にした者、おかしな色の液体を木製の粗末なカップで呷る者、談笑(そう見えなくもない)に興じている者と様々で、火はそんなオークたちを照らし出し、洞窟の壁に影を浮かび上がらせている。


 オークたちの中には、恐ろしいことに銃を担いだ者もいた。フィリアンの持っていたものよりも粗末で、手入れは行き届いていなさそうだが、十分な脅威になるであろうことは察しがついた。


 マックスは壁にあいたトンネルを指で示した。小声で「あのトンネルを一つ、調べてくる。お前はここを動くな。オークが近づいてくるようだったら、すぐに隠れろ」


 ドニが頷くのを見ると、マックスは天然の柱の裏に素早く身を滑り込ませた。オークたちは彼の動きにまったく気づいていない。マックスは音もなくトンネルの向こうへ消えていった。


 残されたドニは、岩陰に隠れてオークを観察した。焚き火の明かりはドニのところまで届いておらず、下手に動いたり音を出したりしなければ気づかれることはなさそうだ。


 森で見たときよりもずっと近い距離に、複数のオークがうごめいている。


 あのオークたちは、何を話し、何を考えているのだろう? オークたちを見つめながら、ドニはそんなことを考えていた。今日の狩りの成果を話し合っているのか? 誰某の肉は美味かったとでも言っているのだろうか?


 ぐいと憎悪の水位が上がるのを自覚していると、左手の隧道から獣の吠える様な声が聞こえて、声が出そうになる口を押さえながらそちらに視線を走らせた。ずしずしと足音を響かせて、満足そうな顔のオークがそこから出てくると、待っていたかのように別のオークが入れ替わる。


 あの先に何があるのだろう? 出てきたオークの顔つきから、オークたちにとっての娯楽に相当するものがあるのではないかとドニは察した。オークのことを、少なくともいま目にしているクランについては、殺して、食って、寝るだけの生活を送っているものだと信じていたが、環境さえ整っていればオークは文化的な生活を営むことができるのだから、何かの拍子で娯楽という概念を獲得することは不思議ではない。


 火を囲むオークと、件の隧道に視線を行き来させてから、ドニは隧道に至る経路を見極めようとした。あの奥にある、オークにとっての娯楽とやらを見たくなったのだ。マックスから与えられた警句は、すでに頭の中から吹き飛んでいた。


 壁伝いに進んでいけば、見つからずにすみそうだとドニは判断した。大きな岩がいくつか、オークたちの視線を遮るように鎮座している。


 そう気づいたときには、ドニの足は動いていた。屈んだまま、忍び足で岩陰にもぐりこむ。


 そこでドニの心臓は、すでに早鐘のごとく鳴っていた。鼓動がオークに聞こえてしまいそうで、意味のないことと知りつつもドニは胸を手で押さえ、静かに息を整えようとした。


 次の岩までの距離はほとんどない。ドニは首尾よく、目的地へと近づいていき、そしてあることに気づいた。隧道から、オークたちの間に、視線を遮るものは何もないということに。


 どうするべきか、ドニは思案する。ここまで来ておいて、みすみす逃げ帰るというのか。しかしこのまま進めば、まず間違いなくオークたちに見つかってしまう。留まることもできそうにない。隧道側からは丸見えなのだから、先ほどのオークが戻ってきたら、そこで終わりだ。


 進退窮まったドニへの救いの手は、意外なところからやってきた。


 からりと、小石の転がる音が洞窟に響いた。オークたちの動きが止まる。へまを踏んだのかとドニは肝を冷やしたが、音は別の方向から聞こえたらしく、オークたちの視線は明後日の方を向いている。


 一匹のオークが、音の正体を探ろうと、ドニとは正反対の方の岩陰に歩み寄っていった。わずか三歩ほどの距離にまでオークが近づいたとき、そこから小さな何かが飛び出した。


 それは、餌を求めて迷い込んだ、野鼠だった。


 オークは逃げようとする野鼠をひょいとつまみあげると、口を大きく広げてそのまま踊り食いにした。


 それを好機と見たドニは、思い切って隧道へと進入した。岩の出っ張りに身を潜め、来た道を振り返った。察知された様子はなかった。


 ドニは奥へと向き直った。耳を澄ませば、オークの鳴き声ががわずかに聞こえる。


 この先にいったい何があるのだろう?好奇心に導かれるまま、歩を進める。通路の奥からも火によるものだろう、確かな明かりが見えた。

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