Stop this train(4)
ドニはファニアを連れて野営地へ歩いていた。横ではダンケが柔らかい足音を立てている。数歩後ろを歩くファニアとは言葉を交わすことはなく、彼女自身もその必要を感じていないようだった。
しかしその沈黙は決して重苦しいものではなかった。ドニはそう感じている。ファニアはもう逃げ出そうとしたりはしないだろう。
野営場所では、マックスが待っていた。春先に咲く花のような、いい匂いがする。焚き火にかけられたポットがその原因らしかった。ドニのハーブティーとはまた別の茶が入っているのだろうか。
淹れたのはマックス以外にはありえないのだが、彼がこんな香りの茶を淹れるとは、なんだか意外な気がした。使っている茶葉が違うというのもあるが、ここまで香りを引き立たせるには本人の技量が必要だ。長い時間をかけて練習したのだろう、きっと。その様子を想像するとおかしさがこみ上げてくるが、顔には出さないでおく。
「戻ったよ」とドニは声をかけた。
「おう」
少し固い表情で、マックスは片手を上げる。隣で腰縄につながれたマルティンは憮然として瞳を動かすだけだ。
「あー、その、なんだ」とたどたどしくマックスは言葉を繰る。「お前の気持ちも考えずに、変なこと言って悪かった。謝るよ。すまない」
マックスは帽子を取って立ち上がり、深々と頭を下げて謝罪した。それから、ファニアから少し目を外して、毛布をかける。
「着替えてくれ。身体に障るだろう」と言って、マックスはテントへとファニアを促した。
「先に着替えを用意してやれればよかったな。そこまで気が回らなかった」
「いや、まあ、それは、いいん、だけど」
「安心しろ、覗いたりしないから。なんなら両手両足縛り上げて、目隠しをつけたっていい」
本気で言っていることに気づいたファニアは、そんなことしなくていい、と早口で言ってテントの中に引っ込んだ。
黙ってテントから少し離れ、マックスは目をつむって明後日のほうを向く。その横顔には思慮深さが浮かんでいる。それを見て、ドニは思う。やはり彼は、こちらが素の状態なのではないのか、と。皮肉や冗談を述べる姿に違和感があるわけではないのだが、スタスオーグで見せた怒りや、いまの深い謝罪を考えると、そんな気がしてくる。
マックスは自分を偽っている。傭兵でもない、影の兵でもない、もっと別の本性が彼にはあるに違いないのだ。それがなんなのかはやはりわからないが。まさか、本当に騎士とか。騎士が身分を隠して民衆を救う。そんな話が、物語ではよく見られる。
やがて着替えを終えたファニアがテントから顔を出した。するとマックスは即座に立ち上がり、向き直る。そして再び、頭を下げた。
「重ねて謝罪する。すまなかった。許してくれ、なんて言える立場じゃないが――」
「いい、もう気にしてないから」と柔らかい表情で、ファニアは言った。「隠し事をしていたのは事実だしね」
「そう言ってくれると、助かる。お詫びというのもなんだが、腕によりをかけて茶を淹れた。是非飲んでくれ」
マックスはカップを二つ、差し出す。手に取るとほんのりと暖かい。茶が冷めないように、湯を入れて暖めておいたのだろう。そこまでしたのだからさぞかし美味いに違いない。
ドニはそう思いながら、マックスが注ぐがままに茶を受け取った。赤い、茶だった。豊かな香りが鼻腔を通り抜ける。出立のときに家から持ってきたハーブティーとは色も香りもまったく違う。本当に茶なのか、と思うぐらいに。
「いい香りね……」
ほうっと息を吐きながら、ファニアがつぶやいた。
カップの淵に口をつけて、傾ける。熱すぎず、さりとてぬるくもない絶妙な温度の液体が、口内に染みた。茶を飲み下す。口に、喉に、胃袋に春が来たようだ、とドニは思う。わずかな、煩くない苦味や渋味がちょうどよく茶の味を引き立てている。
「嘘。美味しい」
ファニアが声を上げた。
「好みで蜂蜜を入れてもいい」
蜂蜜の瓶を渡しながら、マックスは言った。
「果汁や砂糖を入れる飲み方もあるが、残念ながら手持ちがないんだ。ラッスィーヤじゃ果実の砂糖煮を入れるそうだが、試したことはない」
「これも、ベッドの上で女の人に教えてもらったのかしら」とファニア。
「……いや」マックスはなぜか渋い顔になる。「だいぶ違う。だが、近いな、それは」
遠いのに近いとは、どういうことだろう。ドニはその言葉の意味を図りかねた。そして、その渋面は。考えたくないことなのかもしれない。ファニアも同じように思ったらしく、それ以上の追求はしなかった。
ゆっくりと、茶の香りと味を楽しむ。ついさきほど、山賊をぶち殺したことが嘘だったかのような落ち着いた時間が流れていた。頭に違和感を覚えて、ドニは髪に触れる。かかった返り血が固まっていた。軽く拭いたのだが、残っていたのだ。わかっている、あれは夢でも幻でもない、現実だということは。
「うまかったか」
カップを空にする頃合を見計らったかのように、マックスが聞く。
「誰にでもいいところはあるものよね」とファニアは言った。
「褒めてるのか、それ」
マックスは苦笑した。そのやり取りの中に硬さはなく、ドニは胸を撫で下ろす。
「味もいいし、色もきれいだね。なにより香りだ。なんていう茶なんだ、これは」
「紅茶ね。アルビオンでよく飲まれているお茶よ」
ドニが率直な感想を口にすると、すかさずファニアが解説を入れた。
アルビオン合衆王国のことは、エレクサゴンの北西に浮かぶ島国であり、国王を頂点とした貴族制が敷かれ、王室を含めた五大家と呼ばれる領主がそれぞれの領土を治めている、といった程度のことしかドニは知らない。
「お茶のことはあまり詳しくないから銘柄とか種類まではわからないけど、でも、うん、美味しいわね」
「悪いが、安物だ」とマックス。「スタスオーグで買ったんだが、手が届く中で一番ましなものを選んだつもりだ。ま、気に入ってくれたなら何よりだ」
「安物は余計だよ」
「言わなければいいのに、そんなこと」
「むぅ、そうだったか」
少し苦い顔をするマックスを見て、ファニアが笑った。つられてドニも笑う。
それから、ファニアは自分が翼人であることをマックスに話した。少しばかり緊張していたようだったが、紅茶のせいか、あるいは先にドニに打ち明けていたためか、はっきりと説明することができていた。
もしかしたら彼女は、もしものときには自分の後ろ盾を期待しているのかもしれない、とドニは思った。考えすぎだろうか。しかしそうだとしたら、自分は彼女の重荷を、少なからず背負ってやれている。そうありたかった。
マックスは時折紅茶を啜り、顎の無精髭をなでたりしながら、黙ってファニアの話を聞いていた。茶化すようなことはせず、真剣な表情だった。
話が終わると、マックスは空になったカップを置いた。
「そうか」
わずかな沈黙の後、ファニアは「それだけなの」と拍子抜けした様子で言った。
「他に言いようがない。俺は銃を向けてくる奴以外には鷹揚に接するようにしている。それだけだ」
「つまり……」
「お前を売ったりだとか、そういうことをするつもりはさらさらない」
その声音にも、表情にも、翳りはない。マックスは本気でそう言っていた。
「……ありがと」
呟くように言ったファニアの声は、続くマックスの言葉にかき消された。
「言わなかったか。俺は種族に関わりなく、女の子には優しいんだ……まぁ、どこぞの、初対面で意力攻撃をぶちかましてくるような女とはちょいと距離を置きたいところだが」
「あんた、まだそのこと根に持ってたの」
ファニアの顔が歪む。
「ああ、そういえば思いっきり平手打ちも食らったっけなあ。もう少し慎みを持ったほうがいいんじゃねえかな。いやどこの誰とは言わないが」
「あんた、実はもてないでしょ。みみっちいことをいちいち気にしてる男が、もてるわけがない」
「どうかなあ」
マックスは余裕たっぷりの笑みを見せる。
「どこかの誰かさんにはわからないだろうが、繊細なところに惹かれる女もいるんだぜ」
素早く振り返ったファニアと目が合った。ドニは少し、どきりとする。
「もうちょっとドニを見習いなさいよね」
「えっ、俺」
「ドニのほうが落ち着いてて、おおらかで、よっぽど大人っぽいわよ」
そんなことを言われたのは初めてだ。これで二度目だ、とドニは思う。ファニアはいろんな初めてを自分にくれる。
自分ではまだまだ子供だと思っていたのだが、ファニアはそのように見えていたのか。一度ならず二度も彼女を助けたのだから、印象が好意的に傾くのは当然なのかもしれない。胸の奥がむずがゆくなった。
マックスは肩をすくめて、ファニアに返す。
「ずいぶん仲良くなったもんだな」
「べ、別に仲良くなったとか、そういうわけじゃあなくって、単に事実を言ってるだけよ」
「そういうのを仲良くなった、と言うんだ。ドニ、感想はあるか」
「あー、うん、ええと」
口を動かそうとするのだが、声が出てこない。声は出ても、意味を成さない音の連なりにしかならなかった。言いたいことはいろいろあるはずなのに。ファニア、きみは俺を買いかぶりすぎているんだよ。俺はまだまだ、子供なんだ。
そう言ってやりたいのに、せっかく好意的に見てくれているのだからそれを覆してしまうのも勿体無く感じられてしまい、さらにはそんなことを考える自分が嫌になってくる。軽い自己嫌悪に苛まれる。
ファニアから視線を逸らすと、マックスは薄く、どこか意地悪そうな笑みを見せながら見守っていた。彼だったらなんと答えるのだろうか。ドニはまたすぐにファニアへ目を戻す。なにかを期待するような瞳。他の人はどうでもいい、彼女は、俺の、自分自身の言葉を欲しているのだ。ならば精一杯答えなくてはなるまい。それが自分の責任であり、義務のような気がした。
「まぁ、その、嬉しい、かな」
必死で考えて絞り出した言葉は短く、あっけなかった。それがドニの限界だった。情けない。ドニは恥ずかしく思う。頭の中で熱いものがのた打ち回っている。
しかしこれが自分だという気持ちはあったし、少なくとも嘘は言っていない。満足かというと微妙なところだが、達成感はあった。
「控えめな表現だこと」とマックスが茶化すように言った。
一方、言われた側のファニアはなぜかそっぽを向いていた。どこが悪かったのだろうか、と思ったが、やがて小さな声が聞こえた。
「わたしも悪い気はしなかった、かな」
「ああ、熱いねえ」
わざとらしく手で顔を扇ぎながら、マックスは唇の端を持ち上げていた。ファニアがきっと睨む。
「なによ、文句でもあるの」
「別に。ただ……おい、やめろ。手を上げるな。慎みを覚えろってついさっき言ったばかりだろ。いってえな」
「ま、いいわ。わたしもあなたに聞きたいことがあるし、これで許してあげる」
「どこがいいんだよ、どこが。一方的な理屈だよなあ、まったく」
頬を抑えながらマックスは喚いた。
「あんたのことを聞きたいのよ」
「俺の、なにを」
「本当に、ただの傭兵なのかってこと」
「そうだよ。どこぞの令嬢にでも見えるのかい」
「わたしは自分のことを正直に話したのに、あなただけ本当のことを言わないでおくつもりなの。卑怯じゃないの、それ」
マックスは眉根にしわを寄せて押し黙った。それは彼にも隠し事があるということを意味しているに他ならない。
ドニは畳み掛けるように言った。
「言いたくない、というのはわかる。だけどファニアの言うことももっともだと思う。少しだけでいい、自分のことを話してくれないか」
マックスの素性については、ドニも気になってはいた。といっても、疑問を膨らませたのはファニアによるところが大きいのだが。
どこから来たのか。どこへ行こうとしているのか。あれだけの力を持ちながらなぜ傭兵などやっているのか。そして、なぜ自分の同行を許したのか。
知りたかった。なにより、マックスのほうから話して欲しいと思う。ファニアも自分も胸襟を開いたのだから、マックスにもそうしてもらいたい。それでこそ仲間ではないのか。
やがてマックスは苦笑気味に口を開いた。
「実は、俺はエスパーナ王国の、とある貴族の息子なんだ。いまは家を継ぐために修行の旅をしている」
「嘘だな」
「嘘ね」
ドニとファニアはあっさりと言った。
「なぜわかった」
「あんたみたいな貴族がいるわけないでしょ」とファニアは辛辣な言葉を口にした。
「結構いるんだがなあ……ああ、いや、いるんじゃないかな、いると思う。たぶん」
「まだ話す気になれないんだな」
「ドニ、俺は流れの傭兵で、お前らの味方だ。それでなにか不満があるかい」
「不満なわけじゃない、ただ、知りたいんだ。どうして俺を連れて行こうと思ったんだ。ファニアだって、お前にとって連れて行く理由はないはずだ」
マックスは否定しなかった。
「そうだが」
「なら、どうして。意力が見えるからか、本当に荷物持ちが欲しかっただけなのか」
「この際はっきりさせておく」マックスは宣言するように言い放った。「お前に特殊な力があろうが、ファニアが翼人だろうが、そんなことは一切関係ない。どうでもいいことだ。意力使いであろうとなかろうと、だ。荷物持ちは、確かに欲しかったが、それほど重要なことじゃあない」
ますますわけがわからなくなるドニだった。彼の言葉を信じるなら、自分たちに対して利益を求めていない、少なくとも重視していない、ということになる。ドニはマックスの目を見る。灰色の目を。
視線を絡み合わせたまま、マックスは言った。
「お前を、お前たちを――その犬っころも含めてだが、連れて行こうと思ったのは」かすかな逡巡の後に言葉を継ぐ。「俺の身体は石くれでできているんじゃあない。膚の下にはお前たちと同じ赤い血が流れている。端的に言うと、そういうことだ」
遠まわしで抽象的な言い方だった。正直なところ、言葉の意味を量ることはこれっぽっちもできない。それでも、マックスの視線に込められたものにドニは気づくことができた。
純粋で、真摯な光。尊敬の念だった。マックスは自分を尊敬しているのだ。
なぜ。自分よりずっと強いはずのマックスが自分を尊敬するのだろう。わからないことばかりが増えていく。答えを知っている当人は謎解きをしてくれるつもりはないらしい。いまは、まだ。
胸襟を開いたというのに核心に触れることができなかったファニアの顔は不満げだった。
しかし、疑惑の色はなかった。彼女もマックスを信頼することに決めたようだ。
ダンケは焚き火のそばで伏せていた。彼に会話の内容が理解できているとは思えなかったが、退屈しているようにも見えない。彼は彼なりに聞いていたのだろう。それをどう思ったろうか。マックスは犬のダンケすらも尊敬しているのだ。
唐突に、マルティンがくぐもった唸り声を上げた。何かを言いたそうに身体をゆすっている。
「おっと、こいつのメシがまだだった」
「食べさせる必要はないんじゃないの」ファニアが言った。
「そういうわけにもいかん。捕虜虐待には反対だ。一応」
ひどく面倒くさそうに、気だるげな動きでマックスはマルティンの猿轡を外す。
開口一番、マルティンは皮肉な笑い声を上げた。
「ははっ、ははははははは。素晴らしい、素晴らしいな。種族を超えた友情は。ああ、まったく素晴らしい」
「ありがとよ。素直に謝ればダンケの食いカスぐらいはくれてやるぜ」
マックスの言葉を聞き流し、マルティンは続けた。
「だが、覚えておくがいい。人の、生き物の本質は邪悪だ。自分のためならば他者を犠牲にすることなど厭わない。ましてや、異種族相手となればな。お前たちの美しい仲間意識がいつまで続くか、見ものだな」
嫌なことを言う。またぶん殴ってやろうか。ドニは立ち上がろうとする。その前に重い声音が響いた。
「否定はしない。だが、お前にはわからないかもしれないが、生き物の全てが邪悪で構成されているわけじゃあない。お前のようなクズを引きずり出して正当な罰を与えてやりたい。そう思う奴が、確かにいるんだよ。だからお前はここにいるんだ」
不思議な重さを感じた。説得力、と言い換えることもできる。
言葉が深く沁みた。それは奇妙なまでに自分の思いと重なっていたから。邪悪さを乗り越えた先にあるもの。恐怖や危険の先には、きっと美しいものがあるはずだ。ドニはそう信じている。
それを目にすることができたとき、自分は本当の意味で大人になるのだろう。そんな気がした。
◇
結局、マルティンは水と固いパンだけを与えられた。




