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Stop this train(3)

 月明かりも届かない林の中を、ドニは駆ける。ファニアと初めて会ったときもこんな風に走っていたなと思い出す。人の金を取るような嫌な奴だと思ったものだが、いまは正反対の理由で走っている。


 たまにぶっきらぼうな物言いをしたり、それなのに素直なところを見せたり、励ましてもくれた。だから、大事な仲間だと胸を張って言える。


 腕輪爆弾はまだ警告音を発し続けている。振動はなかったから、離されてはいない、ということだろう。迷わない。ただ全力で自分の道を行くだけだ。


 仲間の役に、立ちたい。腕輪爆弾の脅威ではなく、自分の強い感情がドニを動かしていた。


 木々の間をすり抜けながら、ドニは視線を巡らせる。暗い。マックスがやるように視力を強化すればもっとよく見えるのかもしれないが、そこまで意力に習熟していない。後悔は後だ。地面を蹴りつけ、飛ぶように走る。


 手首が震えた。音が高くなる。まさか、見失ったのか。不安がドニの心中を蝕む。追いかけてきたつもりが、少しづつ方向がずれていったのかも。首を振って周りを見る。


 闇の向こうに、赤い輝きが見えた。火ではないと一目でわかる。磨き上げた宝石のように透き通った、鮮やかな紅色だ。


 ファニアの意力だ。見間違えるはずがない。


 そう思った瞬間、銃声がした。ドニは咄嗟に伏せる。こちらを狙ったものではなかったらしく、弾は飛んでこない。銃声は続いている。一度に五、六発連射しているのだ。視界が利かない夜では弾の浪費でしかない。


 数十発の射撃の後、弾が切れたのか銃声がぴたりとやんだ。代わりに、波濤のような意力攻撃が発せられるのが見えた。


 明らかに戦闘中だ。ドニの身体が一気に強張った。それでも、だからこそ、行かなくては。


 点のようだった輝きが徐々に人の輪郭を成していく。近い。もうすぐそこだ。腕輪爆弾の警告音は止まっていたが、ドニは気にもかけない。


 輝きが、揺らいだ。蝋燭の灯火が風に吹かれるように。そして、ファニアは、倒れた。


 自分の顔がとてつもない恐怖に歪むのを感じながら、ドニは速度を上げる。右手に斧を、左手にショットガンを握る。ファニアの周囲に人影が複数、山賊か。相手が誰だろうと知ったことか。


「うおおおおぉぉぉぉぉっ」


 肺を震わせながら、ドニは人影たちに躍りかかった。


 みすぼらしい恰好に、伸ばし放題の髭。やはり山賊だった。怒号に怯んだ隙を衝き、手近な一人に斧を振り下ろす。黄金色の意力を纏った鉄の刃が肩口から入り、鎖骨をあっさり断ち切って胸まで届いた。噴き出した血が髪にかかる。


 さらにもう一人に向かってショットガンの引き金を絞る。至近距離の射撃だった。吐き出された散弾の全てが頭部に集中する。頭が卵のように弾ける。割れた頭蓋骨から脳の一部が飛び出した。


「うおっ、なんだてめえはっ」


 奇襲を免れた山賊が怒鳴りながら拳銃を向けてくる。撃たれる、意力障壁で防げるか、と思ったそのときだった。追いかけてきたのだろう、ダンケが鋭く吠えながら山賊に体当たりを食らわせた。拳銃が、宙を舞う。それとほぼ同時にショットガンが火を吹いた。山賊の胸が爆ぜる。


 敵はもう一人いた。ファニアに馬乗りになっている男。呆然とドニを見つめている。


 男の手は、ファニアの衣服にかかっていた。乱れた服の隙間から、柔肌が闇の中に薄く浮かび上がっている。


 脳裏に、洞窟でオークに組み伏せられていたフルールの姿が閃いた。


「た、助け――」


 我に帰った山賊が情けない声を上げた。


「断るっ」


 憤怒の形相でドニは斧を叩きつける。山賊の頭が真っ二つになった。左右に割れた頭部から脳みそがずるりと零れ、濡れた音を立てて地面に落ちた。それとほぼ同時に山賊の身体がくずおれた。


 他に敵の気配はなかった。沸き立った血潮がまだドニの中で渦巻いているが、辺りは静謐さに支配されている。


 ドニは荒くなった息を整えながら、ファニアを見やった。服を手で押さえて見返すファニアの顔には、怯えと、恐れと、驚きが塗りたくられていた。しかしその中に、ほんのひとかけらの、喜びが見えた、気がした。それがなにを意味するのか、ドニにはまだわからない。


 幾度かしゃくりあげてから、ファニアは口を開いた。


「どうして、追いかけてきたの」

「この辺は危ない。連れ戻しに来た」

「……それ、だけ?」


 まるで何かを探るような言い方だった。なにを言うべきで、なにを言うべきではないのか。ドニは慎重に言葉を選ぼうとする。一つ間違えれば、彼女はまた逃げ出してしまいそうな気がする。


 その時だった。ドニはファニアの肩越しに意外なものを見てしまう。暗闇の中でもわかるくらい白く、小さな、細い翼を。彼女がこれまで隠していたことを、ドニは理解した。


 ファニアは翼人だったのだ。


「その、翼は」

「見ての通りよ」


 ファニアは精一杯強がっている。痛ましいほどに。


「わたしは、翼人。文句でもあるの」

「いや、文句は、ない、けど」

「じゃあ、なによ。言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ」

「責めるわけじゃないけど、どうしてそのことを、いままで黙っていた」


 頭を垂れてファニアは押し黙った。迷いと緊張が、夜の空気を通して伝わってくる。そしてそれはドニにも伝染していた。


「話したくないのなら、それでもいいけど――」


 ドニが譲歩の姿勢を見せたところで、ファニアはゆっくりと顔を上げながら口を動かした。


「……怖かった」

「え?」

「本当は、怖かったの。初めて会ったときから、ずっと」


 それはどういう意味なのだろう。なにが、怖かったのか。確かに自分の身体は大きいし、威圧感はあるかもしれない。しかしそれとこれとは無関係のはずだ。そう思いながらドニは次の言葉を待った。


「信じたかった」


 そんな言葉が、ファニアの口から零れた。


「でも、また裏切られたらどうしようって、そんなことばかりを考えてた」

「また?」


 目に溜まった涙を拭いて、ファニアは頷く。


「ロムルスから出てきたときにね、最初に、仲間を探したの。トレジャーハンターの仕事は魅力的で素晴らしいものだって思っていたけど、それと同じくらい危険だってことも知ってたから。男女二人ずつ、人間も、グラスランナーも、ドワーフもいるトレジャーハンターの寄り合いを見つけて、頼んだら快く仲間に入れてくれたわ」


 ためらいながらも努めて声を絞り出す彼女の様子を、ドニは黙って見守っている。まるで自分の心の中に溜まったものを吐き出そうとしているかのようだ。ならば自分にできることは、全てを聞いてやることだけだろう。


 ファニアは続ける。


「憧れだったの。旅先で出会った仲間と苦楽を共にして、いろんなものを乗り越えていけたらどんなに素敵なことだろうって。子供の頃よく読んだ、冒険ものの御伽話にもそんなことが書いてあって、わたしはそれを信じて疑わなかった。ああ、わたしにもちゃんと、素晴らしいものを得られる機会が、用意されていて、神様は、ちゃんと、いるんだな、って。だけど……」


 声が次第にかすれてくる。自分は彼女に辛い過去を思い出させようとしているのではないか、という思いがよぎったが、ドニは止めなかった。暗くて表情はよく見えないが、ファニアも止めるつもりはなさそうだった。


「最初は、いい人たちだって思ってた。だから、信頼されたくって、自分が翼人だってことを明かしたけど、その日の夜に、聞いちゃったの。その人たちが、わたしを見世物だか、奴隷商人だかに売り飛ばす算段を立ててるのを。そんなことしなさそうな人たちだったのに、でも、顔にはすごく、気持ち悪い笑みが浮かんでて、もうなにがなんだかわからなくなって、逃げようとしたら追いかけてきて、撃ってきて、本気でわたしにひどいことをするつもりなんだって、それでわかって……気づいたら、わたしは一人になってた」


「それから?」とドニは軽く水を向ける。

「一人だった」ファニアは繰り返すように言った。「ずっと、一人だった。他人が怖かった。また同じようなことになったらと思うと、新しく仲間を作る気にもなれなかった。ロムルスに帰ることも考えたけど、家で同然で飛び出してきちゃった手前、それもできなくって、だから仕方なく、一人で続けることにしたの。旧世界の遺物を探す旅は、心細くって、寂しくって、何度も何度も、どうしてこうなっちゃったんだろうって考えてた。そんなことを思っていると、だんだん心が荒んできて、そこで――」

「俺たちに会った、と」


 ファニアは、そこで一度言葉を切って、また続けた。


「衛兵に突き出されるんじゃ、とか、それよりもっとひどい目に遭わされるんじゃないかとか思ったりもしたけど、あなたたちはわたしを受け入れてくれた。それは、嬉しかった。だけど、もしわたしが翼人だってわかったら、手のひらを返すかもしれないなんて思って」


 深く息を吐く気配。


 そしてファニアは、言った。


「信じたかった。でも、裏切られたくはなかった。一緒に旅をして、話をして、それであなたたちのことは信頼できるかもしれない、と思った。でも、もしかしたら、そうじゃないかもしれない。そんなことがぐるぐる回って、結局、本当のことを言う勇気もなくって、そういう風に考える自分が嫌になった。そんな自分を認めるのが、怖かった」


 首を動かして、複雑な表情でファニアは自分の翼を見やる。


「どうすればよかったんだろう。これから、どうすればいいんだろう。人間のふりをしていたのに、隠していたのに。裏切られたくなかったのに、裏切っていたのはわたしだったなんて……変だよ、ね」


 そんな事情があったとは、ドニは想像もしていなかった。彼女の強気な態度は、精一杯の自己防衛だったのだろう。いま目の前にいるのは、寄る辺なく身を震わせる、無防備な一人の少女に過ぎない。


 自分は、ファニアになにをしてやれるのか。どんな言葉をかければいいというのか。頭の中に残っていた殺戮の余韻は、すでに茫漠と広がり溶けてしまっている。代わりに沸き起こる、強烈なもどかしさ。


 どうにかしたい、しかし、どうすればいいかわからない。もっと大人になりたいと思う。そうすれば、気の利いた言葉が出てくるのだろうか。まだ自分は子供なのだとドニは思い知った。自分は、いつ大人になるのだろう。どうすればなれるのだろう。


 そして、気づいた。大人とは、気づいたらなっているものではないのだ、と。なりたくてなるものなのだ。どうすればなれるのか、なんてわかりきったことではないか。


「こんなもの、なければよかった――」

「そんなことは、ないよ」


 意を決して、ドニは口を開いた。


「俺もマックスも、ひどいことなんて、しないよ。それに、その翼も含めてファニアなんだし、自分の一部を否定するのは、悲しいことなんじゃないかな」

「……そう?」

「そうだよ」


 ドニは思ったままのことを口にする。


「俺はその翼、真っ白で、きれいだと思うけどな」


 意外な言葉だったのか、ファニアは目を丸くした。


「本当に、そう思う?」

「本当だ」

「嘘じゃあない、よね」

「嘘なわけあるか」

「……信じて、いいの」

「信じてくれ。いや、信じなくていい。信じるな。信じろ」

「なにそれ」

「特に意味は、ない。勢いで言っただけだ」


 口元を手で隠し、ファニアは潤んだ目で吹き出すという器用なことをやってのけた。


「あなた、そんなことも言うのね。初めて知った」


 本当に勢いだけで言っただけに、そういう反応を返されるとかえって恥ずかしい、とドニは思う。羞恥心をかみ殺して真面目な表情を保つのは、つらかった。しかし嫌ではない。心地よい、不思議な緊張感があった。


「機嫌は直ったか」


 ドニがそう聞くと、ファニアは目を瞬かせた。涙が緩んだ頬の上を滑り落ちていく。形のいい唇は、はっきりと笑みを作っていた。


「まあ、それなりに」

「よかった」

「とりあえず、あなたと、それからついでに、マックスのことも信じてみようって気にはなったわ」


 マックスはついで、か。彼に対する扱いは少しひどいような気もしたが、しかし自分が特別扱いされているように思えて、ドニは嬉しかった。マックスには悪いが、そもそも彼の発言が引き金なのだから。そんなことを考える自分が少し嫌になるが、マックスはいちいちそんなことで腹を立てたりはすまい。口では文句を垂れるかもしれないが、本気で怒ることはないだろう。


 山賊たちの死体が、すぐそばに転がっていた。散弾に貫かれたもの、斧で頭を割られたもの。自分がやったことだ。


 殺人は残酷な行為だ。そして自分は今日、生まれて初めて、望んで人を殺した。殺したくて、殺したのだ。人間は残酷で邪悪な存在であり、自分自身もその一人なのだ。それを認めた上で、まだ前に進んでいける。ドニは恐れを感じなかった。


 ファニアを振り返る。ドニは、これからなにがあっても彼女のことは忘れまい、と決めた。たとえ別れることになったとしても、せめて一緒に歩む時間だけは大切にしたい。そう思った。


「じゃあ、戻ろうか」


 不安げに見ていたダンケがファニアに近寄って頬をぺろりと舐めた。くすぐったい、と言いながら、ファニアはダンケの頭を撫でる。


「……うん」


 少しためらいがちに、ファニアはドニの手を取った。細く、柔らかな、指。確かなぬくもりが、そこにはあった。

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