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The train kept a rollin'

 ラジオが流れている。ニュース、というやつだ。


 素通しになった小さな窓の向こうで景色が水平に流れていく。たまに揺れるが、危険を感じるほどではない。


 いま、ドニは列車に乗っている。乗り心地はあまりよくない。もともと人が乗るための車両ではない。とはいえ、無料で乗せてもらっているのだから文句は言えない。そこでなにをしているかというと、目的地に着くまでの時間を使って、ラジオを教材にファニアとアルマーニュ語の勉強をしていた。


 マルティンを捕獲し、駅長の手下であるドワーフに引き渡したのが昨日のことだ。それからシュダーガートで一泊して、その間も勉強はした。おかげでラジオがなにを言っているか、大体聞き取ることができるようになっていた。


「ウィ・ノナとラッスィーヤ帝国間の緊張は高まるばかりで、武力衝突が起こった場合のアルマーニュへの影響が懸念されている……」


 ラジオの言葉を、ドニはエレクサゴン語でなぞる。ファニアが頷く。


「そう、よくできました。飲み込みが早いじゃない」

「まだ文法と発音がだいぶ怪しいと思う」

「相手が言っていることがわかれば、片言でもそれなりに通じるわよ。少なくとも日常会話程度なら問題ないわ」


 そう言われると、嬉しくなる。勉強にも力が入るものだ。


 ドニは直接腰を下ろした、むき出しの硬い床の上で車内を見回した。貨物車だった。座席などはなく、薄く錆が浮いた金属製の内壁が四方を覆っている。その片隅に檻が置かれていた。人間用の檻だ。中には両手を縛られ、猿轡をかまされたマルティンが蹲っている。たまにくぐもった声を上げて飛び上がり、檻の天井に頭を打ちつけたりしていたが自殺の意図はなさそうなので放置している。鈍い音が耳障りだったが、我慢した。


 依頼の最終段階、マルティンのドワーフ自治領への護送。自治領へさえ着けば、あとはドワーフやアルマーニュの正規軍が首都ベアリーンまで彼を送り届けるだろう。駅長が書いた紹介状で、自治領の有力者から謝礼も出る。


 そして、ドニは自分の右手首を見て、それからファニアの首元に視線を移す。冷たい輝きを放つ腕輪と、首輪。爆弾だ。これも外すことができるだろう。そう願いたかった。ほとんど慣れてしまっているが、ふとしたことで爆弾の存在を思い出すと、やはり身が硬くなる。こんなもの、早く外して自由になりたいところだ。きっと彼女もそう考えているのだろう、とドニは思う。


 檻の横で、マックスは壁に寄りかかっていた。サングラスで覆われた彼の瞳がなにを映しているのか、ドニにはわからない。


 マルティンと向かい合うように座っているのはダンケだ。捕獲作戦に協力してくれた犬。彼は主人の仇を討ってくれたドニたちに恩義を感じているのか、ずっとついてきていて、いまもマルティンを監視するかのように座っている。


 ダンケという名前は、意外なことにマックスがつけた。ファニアが「あなたにしてはいいネーミングセンスね」と言って、それで採用になった。呼べばすぐに振り向いたから、彼は新しい名前を受け入れたようだった。


 仲間が一人、いや一匹増えたことをドニはとりあえず喜んだ。一番喜んだのは犬好きであろうファニアだった。しきりに手を出してはダンケの頭をなでたりしていた。おそろしく嬉しそうな顔で。


 不意に、マックスが身体を起こした。隣の車両へ続くドアに手をかける。


「どうした」とドニが聞く。

「少し寝る。このジジィがいるとうるさくてかなわない。それに、俺がいるといろいろ邪魔だろう」


 疲れているのだろうか、とドニは思う。ファニアもそう思ったのか、いつもの軽口に反応するようなことはしない。


「隣にいるから、何かあったら起こせ。添い寝したかったらご自由に」


 マックスは車両から出ていく。ドアが閉まる。


「あいつのこと、どう思ってる?」と、少しの間を挟んでファニアが聞いた。

「どうって……頼れるというか、いろんなことを知ってる。悪い奴じゃないってのはファニアもわかるだろ」


 そういえば、スタスオーグで彼女はマックスのことを怪しいものを見るような目つきで見ていたな、とドニは思い出す。しかし彼は、格安の報酬で村を救ってくれた。ファニアはそれを知らないのだから、そうした反応はもっともなのかもしれない。自分が人を信じすぎなのかも。


「信用していないのか」とドニは聞き返す。

「そういうわけじゃない。少なくとも、後ろから撃ってきたり、あなたを解剖して意力が見える秘密を探ろうとしたりはしないと思う。その程度には信じてるわよ。でも、なんか引っかかるのよね」

「どの辺りが」

「射撃も上手い、意力もアデプト級、じゃあなんでそんな人が影の兵でもなく、正規軍でもなく、流れの傭兵をやっているのか、ってとこ。あれだけの腕があったら、どこの国でも引く手数多よ」

「他に生き方を知らない、って言ってたけど」

「仮にそうだとしても、ただの傭兵が複数の言語を喋れるものかしら。いろんな場所を旅してきたからっていったらそれまでだけど。あと、旧世界についてもそこそこ知ってるみたいだったし。うん、やっぱりおかしい」


 ファニアは自分の言葉に自分で頷いている。肩にかかった赤い髪が揺れる。


「そうかもしれないけど……ところでファニア、質問していいかな」

「どうぞ」

「解剖って、なに」

「えーっと」ファニアは面食らった表情になる。「切り刻んで、中身を調べる、って言ったらいいかな」


 自分の目に刃物を突き立てられるのを想像して、ドニはぞっとした。


「そんなことして、意力が見える理由がわかるのか」

「私にだってそこまではわからないわよ。でも意力を研究している人は、意力使いの死体を切り刻んだりしてるって話よ」

「嫌な話だな」


 村を襲ったオークのことを思い出す。幾人かの村人は彼らの手にかかり、解体され、食料にされた。


「そうね、わたしも自分の身体がばらばらにされるなんて、いい気分はしない。死んだ後であっても。研究のためには仕方がないっていうのもわかるけどね」

「そういう人たちは、何のために意力を研究しているんだ」

「意力のことって、まだよくわかってないのよ。謎が多いと期待っていうのは膨らむもので、意力には無限の可能性が秘められている、と考えている人も少なくないの。力を強めたり、手を触れずに物を動かしたりっていうのは、意力の側面に過ぎないという考え方が主流なの。一神教会の一派なんて、意力は神から与えられし力だなんて真面目に主張してたのよ。オークの意力覚醒者がいることを知って取り下げたけど」

「うっ、あいつらの中にも意力が使えるのがいるのか」

「街オークだけよ。野生のオークにはさすがにいないわ」


 ドニは胸を撫で下ろす。オークのことはあまり好きになれそうにない。苦手意識がべったりくっついてしまっている。こういう考えも差別になるんだろうか。理性的なオークとは普通に接しようと考えているが、いざそのときになったらちゃんとできるだろうか。


 と、そこでドニはふと気になったことを聞いてみる。


「ファニアはさ、いつごろから意力使いになったの」

「え、わたし? えーっとね、ロムルスの北、エレクサゴンの国境の山岳地帯でのことなんだけど、そこを通ったとき、景色がよかったから、その、思い切り叫んでみたの。山彦が聞こえるかな、って。そしたらドーンってなって、これが噂に聞く意力なのかなあ、って」

「……それだけ?」

「そう、それだけ」


 そんなことでいいのか。命の危険に晒されて意力に覚醒したドニは、ファニアもきっとそうなのだろうと予想していたのだが、そうではなかったのだ。トレジャーハンターとしての冒険譚も聞けるかもしれないと思っていたのに。拍子抜けだ。いや、それを彼女に言っても仕方がないのはわかっている。


「意力に覚醒する条件って、なんなんだろうな」

「人それぞれじゃないの」

「そうかな」

「そうよ」

「俺には意力が見えるけど」

「もしかしたら、それにもなにか、ちゃんとした意味があるのかもね」


 ファニアは言いながら、窓を見上げた。何かに気づいたのか、素通しの窓に顔を近づけて外を見る。


「あら、飛竜よ。こんなところで珍しい」


 はしゃぐような声に反応して、ドニも窓の外に眼を向ける。遠くの空に、翼を広げた飛竜が見えた。人を好んで獲物にする種類もあるそうだが、距離をとって見る限りでは、そこまでの獰猛さを感じなかった。青空を背景に滑空している。初めて目にした飛竜は、美しいというよりも、うらやましいという感情が強かった。空を自由に飛べたらきっと楽しいんだろうな、とドニは思う。


 小さな窓の前で飛竜を眺めているファニアの横顔に視線を移す。吹き込んでくる風に赤い髪が踊る。まるで咲き乱れる花のようだ。柔らかそうな頬に、ほっそりとした顎の線が美しい。ドニはつい見とれてしまう。


 列車は時折揺れながらも、ドワーフ自治領への道を走り続けている。自分とファニアを繋ぐのは、旧世界の腕輪爆弾だ。これがなかったらきっと彼女と一緒に旅をすることもなかったのだろう。そう考えると、なんだか不思議な気がする。どこで人の繋がりができるのか、わからない。


 そんな彼女との旅も、もうすぐ終わる。ドワーフ自治領で爆弾を外すことができたら、彼女と行動を共にする理由もなくなるのだ。厄介な飾りを外せることは嬉しいはずなのに、ドニは寂しさを感じていた。離れたくない、と思っている自分に気づき、しかしそれを認めるのが恥ずかしくて、当然伝えることもできず、再び飛竜へと目を戻して別のことを考えようとする。


 意力が見える、ということはどういうことだろう。自分はいま飛竜を見ている。見る、というのはどういうことだろう。そこから思考を出発させる。


 何かを見るためには、それがそこに存在しなくてはならない。存在しないものを見ることはできない。当然の論理だ。


 本当にそうなのだろうか。自分にあるのは感覚だけであって、存在そのものを知覚しているわけではないという理屈も成り立つのではなかろうか。考えていくと、それを否定するものはなにもないことにドニは気づいた。存在そのものがあろうとなかろうと、感覚さえあればそこに存在すると思い込むことはできるのだ。


 存在するのは感覚だけなのか。


 そんな馬鹿なことって、あるか。いや、でも、もしかしたら……。


 知らず知らずのうちに、ドニの手がファニアの髪に伸びていく。そこに存在するのだと、確かめるように。無意味な試みだとわかっていても、そうせずにはいられなかった。


 ファニアが不思議そうな顔でドニを見返す。


「どうしたの」


 ドニは慌てて手を引っ込める。


「いや、なんでもない」

「変なの」


 屈託なく笑うファニアの顔を見ながら、ドニはまた考える。


 なんであんなことを思いついたのだろう。意力のことを考えていたはずなのに。


 そしてふと、思いつく。仮に自分の感覚が世界を生じさせているのなら、自分の感覚が変われば、世界のほうも変わるのではないか、と。


 突飛な思いつきだが、このことは少しだけ、覚えておこうと思った。



 夢を見た。父と母が出てくる夢だ。


 夢の中で、これは夢だと気づく。おかしな話だが、何度も同じ夢を見てきたから、これは夢なのだと、そう思う。


 いや、正確には過去の記憶を夢という形で追体験しているのだ。


 夢の中の自分は、幼く、無力で陰気な少年だった。かつての自分自身。外で遊ぶより、引きこもりがちで本を読むのが好きだった。両親はそれでいいと思っていたのだろうか、お前は将来、学者になるのかもな、と言われたことを思い出す。


 父は逞しい人だった。街の消防官として働いていて、現場に一番にたどり着き、取り残された子供を命がけで助けたこともあった。それで感謝状を贈られたそうだが、本人はそのことを決して自慢したりはしなかった。ただ子供が助かったことを素直に喜ぶような人だった。


 母は優しかった。料理が得意で、その中でもシチューが一番美味しかったように思える。野菜はほどよい柔らかさになるまで煮込まれていて、鶏肉が入っていて、まろやかな牛乳の味がするそれを、子供のころは楽しみにしていた。


 だが逞しい父の姿を見ることも、暖かい母のシチューを味わうことも、もう二度とない。


 なぜなら二人とも死んでしまったから。自分の目の前で。


 夢の中の光景を眺めている。男が二人、突然家へ押し入ってきて自分は飛び跳ねる。男たちを押しとめようとした父の背中から、血が絡んだ刃が生えた。荒々しく剣を引き抜き、男は父を床へ蹴倒す。血溜まりが広がっていく。


 悲鳴を上げて駆け寄る母に、もう一人の男が拳銃を発砲した。母は胸から血を流し、自分へ手を伸ばしながら弱弱しく、逃げなさい、と言う。次の瞬間、頭が弾ける。飛び散った生暖かい血が頬にかかる。破壊された母の顔からは、いかなる感情も読み取ることはできない。爆ぜた傷口から赤黒い肉が見えるだけだ。


 赤と薄桃色の色彩を見ながら、助けなければ、と思うのだが、もう遅い。二人とも致命傷だし、それにこれは、夢なのだ。何をしても無意味だ。


 一方、過去の自分は突然の出来事に凍り付いていた。あの頃の自分は本当にただの子供だったのだから仕方がない。そう自身の過去を俯瞰する。


 と、まだ息があった父が、男の足首をつかんだ。男は父を見下ろし、剣を振り下ろす。血飛沫。父は呻き声を上げて動かなくなる。


 細く息を吸う。瞬間、自分は、いや、過去の自分は、テーブルから花瓶を取って男に踊りかかっていた。腹の底から叫びながら、頭めがけて思い切り振り下ろす。鈍い音と鋭い音が重なり合う。首がおかしな方向に捻じ曲がり、男はくたりと倒れる。


 即座にもう一人へ飛びかかる。男の銃が火を吹く。銃弾が頬をかすめて血が滲む。痛くない。夢なのだから当然だ。そんなことを思っている間に、過去の自分は男の顔面を殴りつけていた。子供の細腕から繰り出された拳は、一撃で鼻をへし折った。二発目で片方の目が潰れた。三発目で頭蓋骨が陥没した。


 しばらく殴り続けて男が死んでいることに気づくと、過去の自分は両親の死体を振り返った。もう動かない、血まみれの死体を。


 隣の家から悲鳴が聞こえくる。慌てて家を飛び出る。手に奪った剣を持って。


 街が、燃えていた。空が夕焼けのように赤い。立ち並ぶ民家から火の手が上がっている。道路には両親と同じような死体がいくつか転がっているのが見えた。あちこちから聞こえる破裂音は銃声だ。悲鳴や、怒号や、断末魔の叫びがそれに混じる。


 過去の自分は隣の家へ向かう。玄関は開いていた。中へ飛び込む。そこではまさに、自分の家で起こったことが繰り返されていた。殺される親と、真っ青な顔でそれを見ている少女。眼鏡の下の瞳が震えていた。


 奪った剣を、男たちに向かって振り上げる。子供が持つには重く大きな剣だったが、軽々と持ち上がった。自分が意力に覚醒したのはこのときだ、と今ならわかる。


 力任せに振り下ろした剣が、母親を手にかけた男の頭を割る。首辺りまで刃が減り込み、頭頂部から傷に沿って頭が二つに分かれていく。唖然とするもう一人に剣を横殴りに叩きつける。鈍い刃が肋骨を砕いて内臓をかき回していく。男が口から血を吐き、崩れ落ちる。


 少女に向き直る。無傷だった。目の前で両親を殺された衝撃は大きかっただろうが、そのときの自分は慰めの言葉を持っていなかった。ただ、ここにいてはいけないと思い、だから手を差し出した。


 両親の死体から視線を外し、少女は少し震えながら、自分の手を取る。そして家を後にした。二人で、郊外へと駆けていく。


 故郷の街を治めていた小貴族が、私兵と士官を抱きこんで叛乱を起こしたのだと知ったのは、ずいぶん後になってからのことだった。


 なんでこんな夢を見るのだろう。何度も何度も、同じ夢ばかり見る。誰かに無理やり見せられているのでは、という気すらしてくる。見ているのでなければ見せられている。誰に。わかっている。自分自身に、だ。


 自分は、あの日の出来事が気になっているのだ。


 あの事件がなければ、いまの自分は存在しなかったろう。現在を否定する気はない。自分には守るべきものがある。帰りたい場所がある。好きな人も、いる。


 強くなったのは、自分を救ってくれた人たちに恩返しがしたかったからだ。その思いはいまのところ、叶えられている。両親が見たらどう思うだろう。立派になったと言うのか、あるいは人を傷つける仕事はよくない、と悲しげな目を向けるかもしれない。彼女のように。


 それでも、思う。もしあの日あの時に戻れたとしたら、自分は両親を救えるのだろうか。大事なものを取り戻すことができるのだろうか。父と一緒に、母が作ったシチューをまた味わうことができるのだろうか。


 ずっとそのことが、心の中で引っかかっている。

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