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Wish you were here

 アルビオン合衆王国アントリウム領を治めるスペンサー・ハーバート・メイフィールドの一人娘、シェリー・グレイス・メイフィールドはここのところ不機嫌だった。おかげで、家庭教師の授業にも身が入らない。瀟洒な椅子に腰掛け、深くため息をつく。自室の壁にかけられた姿見に映る、憮然とした自分の顔を見てどうにもいけないと思う。


「エリス、お茶を入れて頂戴」

「はい、畏まりました」


 そばに控えていた侍女のエリス・A・J・イバニェスは、テーブルの上に手際よくティーカップと茶菓子を並べた。既に準備していたらしく、心の内が見透かされているようでシェリーは恥ずかしくなった。が、それも長くは続かない。エリス相手にいまさらなにを恥ずかしがるのかと思い直す。彼女は侍女である以前に、気の置けない友人なのだから。


 エリスは一部の淀みもなく、昇る湯気が自らの眼鏡がかからぬよう計算された完璧な所作でポットを傾け、馥郁とした紅い液体をカップへ注いでいく。完璧な行動が完璧な結果を生むのならば、彼女の淹れる茶もまた完璧なのだろうとシェリーは思う。いつものように。芳醇な香りがささくれ立った気持ちを落ち着かせていく。


 茶を淹れ終わり、一礼して下がろうとするエリスを引きとめる。不思議そうに黒い瞳を向ける彼女に、シェリーは「まだ終わっていないわよ」と言った。なにか至らぬことがあったのだろうか、と思案するように首をかしげる様はまるで小動物のように愛らしい。言えばそんなことはありませんと本気で否定するだろうから、いつも黙っているのだが。


「あなたの分がまだよ、エリス。もう一杯注いで、席につく。それがあなたの仕事」

「畏まりました、シェリー様」


 微笑んで、エリスは茶を用意する。茶をたしなむことは合衆王国では当たり前のことだが、とりわけ、シェリーはエリスと飲むお茶が大好きだった。彼女との付き合いは、もう十年近くになる。


 エリスを侍女として抜擢したのは二年前のことだ。諸侯の娘は、十六歳になったら侍女を自分で選ばねばならない。由縁のある……つまり貴族の女性が補職されるのが普通なのだが、その日が来る前に、自分の侍女はエリス以外にありえないと決めていた。彼女とは同じように学び、同じ物を食べ、同じ時間を生きてきた。まるで妹のように。ちょっと控えめなところもあるけれど、そこがまたいい。ことあるごとに自分を支えてくれた彼女に、これからも力になって欲しかった。


 それまで召使の手伝いをしていた平民の娘が侍女になるということは大変なことなのだが、そこは貴族らしくないと評判のメイフィールド家当主である。むしろ喜ばしいことだと言って、エリスを侍女につけることを認めた。彼女に貴族並の教育を与えるよう指示したのは、他でもないスペンサーだ。こうなることを見越していたのかまではシェリーにはわからなかったが、自分の願いが聞き入れられて、嬉しかった。


 そんなエリスは、シェリーと向かい合ってカップに唇をつけている。召使のお仕着せでなければ平民とは思えないほど洗練された物腰だった。侍女は主人ほど華美なものでなければ自由に着飾る権利を持っているが、エリスはずっとこの地味なお仕着せを使っている。気になったシェリーが聞いたところ、豪華な服は持っていないし、そんなものを着たら仕事に差し障るということだった。


 もう一度カップを口に運ぼうとするが、紅く透き通った液体の表面に"彼"の顔が映っているような気がして、シェリーは胸が締めつけられるように感じた。昔のように、自分とエリス、そして彼の三人でゆっくりと過ごせたら、どんなに素晴らしいことか。


 彼こそがシェリーの不機嫌の原因だった。昨日、自分が名目上の指揮官を勤める領都警護聯隊を視察したとき、彼はそこにいなかった。訓練に励む姿を見たかったのに、一体どういうことか聯隊長代理に尋ねてもわからないという。南部に赴任したときはそうではなかった。だから手紙も書くことができた。返事が来たときはたいそう喜んだものだし、その後、彼が戦傷勲章を受章することになったときは真っ先に駆けつけもした。


「彼のことを考えてらっしゃるのですか」とエリスが静かに言った。

「なんでわかるの」

「そのような顔をしておりました」


 エリスには隠し事はできないのは先刻承知だが、それ以上に、自分は考えていることが顔に出やすいのではないかとシェリーは疑った。


「心配ですか」

「それは、まあ、もちろん。仕事が仕事だし」

「お気持ちはよくわかりますが、信じて待つのも大事かと思います。なにより、自分のせいで浮かない顔をさせてしまったと知れば、彼もやりきれないでしょう」


 一瞬だけエリスの顔に翳りが差すのを、シェリーは見逃さなかった。内心では彼女も彼を心配しているらしい。


「そう、かな」

「きっとそうです。それでも気分が落ち着かないようでしたら、明日は馬にでも乗ってみたらいかがですか。ここのところ外に出る機会も限られていましたし」


 シェリーの趣味は乗馬だ。馬の背中にまたがり、原っぱを思うままに駆ける疾走感は何物にも代えがたい。それもよさそうね、とシェリーは答える。


「では、そのように手配させていただきます」

「もちろん、あなたも一緒にね、エリス」

「それは……いえ、お供させていただきます」

「まだ馬は苦手なのね」

「はい、あんなに大きい生き物はやっぱり少し、怖いです」

「あんなに可愛いのに。その点では犬や猫とそう変わらないわよ」

「シェリー様がそう仰るのでしたら、はい、その通りです。好きになろうと努力してみます」


 まだ子供の頃、三人で馬に乗ったときを思い出す。彼もおっかなびっくりしていたっけ。外で遊ぶよりも本を読むのが好きな少年だった。


 しかしあの日の彼は違った。シェリーの手をとって跪き「命ある限りお仕え致します」と誓ったその瞳には爛々とした意思の光が宿っていた。それから三年後には、アントリウム、いや合衆王国でも選り抜きの戦士になっていた。


 いま、彼はどこで何をしているのだろう。シェリーには軍事がよく分からないが、危険な任務についているであろうことは想像がつく。聯隊長代理すら知らない秘密の任務。


 どんなものであれ、無事に帰ってきて欲しい。私の、大事な人。そう思いながら、シェリーは焼き菓子を口に入れた。

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