第九話:旭日昇天
全天の青の真ん中に、黒くにじむ、流星の炎が見えている。
あれこそ、大気圏に突入しているクラストだ。
それを見つめて、美空は怪訝に眉をひそめる。
「しかし普通、そんなホイホイと気軽に宇宙を行き来できちゃうものかな」
「オリハルコンがある限りはエネルギー、つまり、行き来の燃料を気にしなくていいからね。コントロールギアさえあれば宇宙空間でも活動できるし。実際、今すぐにでも君も行けるよ」
「へえー。ホントに、なんでもできる夢の金属! って感じだなあ……え、誰!?」
のん気に返事をして、ようやく会話になっていたことに気づいた美空は、慌てて視線をめぐらせる。目の前の計器群に一つスピーカーがあり、そこから声が発せられている。
「ゴメン、気づいてなかったかな。改めて、僕は市井星斗。よろしく、美空さん」
機体下方からふわりと浮き上がるように、鎧に乗った星斗の姿が現れた。地形を眺められるほどの高度にあって伸びやかに、鎧武者は軽く手を振る。
その顔はやはり優しげで線が細いが、どこか引き締められて頼りがいがある。
「詩緒奈からよく聞いてるよ。こちらこそよろしく」
返事をして、変な会話だな、と美空は首を傾げた。空の真っ只中でする会話ではない。
水平線が白んで見える高高度で、星斗はなおも美空に声をかける。
「来てもらって悪いんだけど、慣れない状態で戦うのは危険すぎるよ。後方から、支援に徹してくれないかな。僕は前で戦うのが得意な機体だからさ」
刀まで携える鎧武者なのだから、それは白兵戦闘向きだろう。そういえば美空は、自分の機体がどのような武器を持っているかさえ、よく分かっていない。素直に受け入れた。
「分かった。なるべく前に出ないように、援護するよ」
「うん、よろしく」
軽くうなずいて見せて、鎧武者は戦闘機の上に浮いた。くるりと遊ぶように軽やかに横転し、抜刀打ち払い。光の球がガラスの砕け散るようにばら撒かれて落ちていく。
「えっ、うわ」
首を持ち上げた美空は、息を呑んだ。
赤く染まる大気を引き連れて、黒い鉄の塊が槍のように真っ直ぐに降り向かってくる。流星や隕石と呼ぶには、あまりに殺意を表しすぎている。それはもはや天雷だった。
「下がって!」
星斗が叫び、太刀を構えて迎え撃つ。慌てて美空は操縦桿を引き、曲げた。回頭どころか転落して、降下しながら距離を取る。
雷鳴のような音が渡っていく。
美空はベルトに体を押し付けるようにして、全身をねじるように振り返った。
白銀の鎧武者と、黒く背の高い何かが、剣を打ち合わせている。黒い何かは腕や足があり、人型に見えるが、バランスがどこかおかしい。その面もまた野獣のように顎が伸び、凶暴に棘がそそり立っている。ハサミ怪人よりもスマートで、しかし同時に攻撃的な姿だった。
鎧武者をいなすようにして鍔迫り合いを止め、黒の巨人は間合いを広く取った。初めて全身をしっかりと見つめ、美空は咄嗟に竜だ、と感じた。鼻先の潰れた狼のような輪郭を、乱雑に作ったような鱗で覆う。人のそれよりひょろ長い手足は、爪を持ち指を持っている。竜であるならば竜人であるが、竜と呼ぶには鱗がやや大きすぎる。やはり、甲殻でしかない。
その竜人は右手に剣を提げ、左手で考え込むように顎をなぞっている。理知的で、それ以上に人間臭い所作だった。赤い宝石のような無感情な瞳が、美空の機体を捉える。
「ふむ。ヨシマサくんが荒れているから、何かと思えば……”赤”が復活していたとはね」
虚を突かれた。
今このときに、あの竜人が美空を撃墜せんと迫っていたら、間違いなく抵抗できずに叩き落されていただろう。それほど大きな動揺が美空を襲っていた。
「しゃ、しゃべるの? クラストって」
星斗が美空を庇うように、竜人との間に滑り込む。
まるで星斗が動いたことに気づいてすらいないように、竜人はのんびりと考え込んでいる。美空の声を聞いた気配はない。
「まあ別に、増えようが増えまいが、どうでもいいんだけどさ。別段、手こずる相手というわけでなし、こちらのすることが変わるわけでもなし」
「ずいぶん余裕ぶってくれるな、ヤマト」
刀を両手でどっしりと構えた星斗が、低い声でうなるように言う。その言葉に美空は驚いた。爽やかな少年だった星斗が、露骨に殺気立つ。
竜人は今初めて星斗に気がついたかのように顔を上げて、おどけた素振りで両手を広げた。
「うん、余裕だよ。どうせそのシンカーも、何も知らないんでしょう?」
「えっ?」
美空は驚いて間抜けな声を上げる。どうせ、で括られて、何も知らない、と断じられた。
さすがに気を悪くした美空は、口を尖らせる。何も知らないのは、確かに変えようのない事実ではある。しかし見ず知らずのバケモノに、そんなふうに言われる筋合いもないはずだ。
星斗が太刀を構えた。ビームサーベルのような刃が空気に震える。
「美空さんは下がって。僕が行く」
「わ、分かった」
進み出た星斗を見て、竜人は面白そうに顎を上げる。
「ふうん? 一人でやる気かい。ずいぶん余裕ぶってくれるね、セイト?」
「馴れ馴れしく名前で呼ぶな!」
風船が破裂するような音とともに、星斗が爆発的な勢いで加速して竜人に切りかかった。
応ずる竜人はドレスの裾を翻すような動きで、提げていた剣を振り上げてその太刀を受ける。剣戟を受け流し、膝を鎧武者に叩き込んで、蹴り上げた。
勢い余った鎧武者は、もんどりうって宙に投げ出される。いや、投げ飛ばされた。
「柔術……剣で!?」
「まあね。戦闘術って、そういうものだよ」
投げ飛ばした竜人は体を翻し、どこからか圧縮した空気を打ち出して加速した。一瞬で低速巡航していた美空の背後にまで迫る。驚く暇も与えず、ゆったりと持つ長剣を、のんびりとしてさえ見える動きで、しかし必殺の間合いで切り下ろす。
「くっ!」
完全に死角に入った竜人の把握を諦めた。美空は操縦桿をひねるように引き上げて、足踏桿を蹴りこむ。ロールとピッチアップ。空を滑るようにバレルロールし、その頂点で推力を偏向させながら急激な機首上げ、スロットルを一気に開ける。ブレイク。美空の見えない位置で、二太刀目がジェット噴流を舐めていた。
「ぐげげ、うごお」
女の子として敗北気味なうめき声を上げて、無茶苦茶なGに耐える。頭の上で青と白がスライドのように巡っていた。首が捻じ曲がって、ろくに周囲が見えていない。
瓦礫から美空を守った力場が、今は足や肩を絞め殺さんばかりに圧迫している。血流の偏りを防ぐためだろうが、苦しいことに変わりはない。ほとんど目を回しながら勘で動かしていた。
空戦機動で剣戟を回避したアテナを、竜人は楽しそうに目で追う。
「やるね! うぐっ」
空間を一閃する閃光が、竜人の胴に撃ち込まれた。下方、ずっと低空からだ。
やっと体を起こした美空が、竜人の姿を視界に捉える。
「美空! なにやってるの、変形して!」
「詩緒奈。もしかして今のって、詩緒奈の攻撃?」
「うん、そう。”浅黄のアルテミス”は狙撃特化の後方支援機だから」
美空は高度を取ってロールし、背面飛行をする。こめかみが痛むような頭に血が上る感覚。
頭上に広がる鮮やかな藍色の海と霧のような雲のなかに、浅黄は見えない。よほど遠いところから、安全を確保して狙撃をしているのだろう。
「あ、私のは何の機体なの?」
「遊撃、かな。高速接近と一撃離脱。でもどちらかというと白兵戦寄りの装備だよ」
「ふうん。白兵戦かあ」
「そんなことはいいから、早く変形して!」
玲花が通信に割り込んで、会話を交わす緊張感のない美空に叱責した。
「う、ご、ごめん。でも変形って、どうやるの?」
質問で返し、回答を得る前に落雷の轟音が戦闘機を追い抜いていく。
「ほーんと、どう転んでも面倒くさいよね、君たちは」
竜人はのん気な声とは裏腹に、衝撃の隙を狙った星斗の剣戟と何合も打ち合いを交わした。そのたびに引き伸ばしたような雷鳴が響き、大気が衝撃に震えている。
不意に竜人が剣を引いて、その肩口に太刀が叩きつけられた。
「ぐっ」
しかし、苦渋の声を上げたのは星斗のほうだ。竜人は肩と腕で斬撃を受け止めている。
瞬間、剣が三度振るわれたことを見えたものは、いないだろう。オリハルコン装甲ゆえに損傷こそしていないが、鎧武者は複雑に回転しながら落下していく。手足を痺れたように震わせるばかりで、持ち直すことが出来ていない。
「星斗くん!?」
詩緒奈の悲鳴が、美空の通信機を貫く。声に緊張をみなぎらせた玲花がまくし立てる。
「操縦桿にトリガーがあるから、引きながら、ひねって!」
竜人は水を得た魚のように、まさに躍りかかるという勢いで、美空の戦闘機に牙を向ける。そのつま先をかすめるように宙を撃ち抜いた一閃の光は、詩緒奈の狙撃だろう。かわされた。
剣を振りかぶる竜人を他所に、美空はコックピット内に視線を下ろしている。
「ひねるって、あれ? あ、こうか」
操縦桿のトリガーを引き込みながら、ひねる。エンジン音が高まり、ジェット気流の乱れる甲高い爆音がコックピットに響き渡った。
竜人は、手足を伸ばして急減速する”赤のアテナ”をせせら笑い、勝利を叫ぶ。
「貰った!」
「ダメ、あげない」
コブラが鎌首をもたげるように、ぬるりと機首を上げた戦闘機の、キャノピーが滑り落ちた。祈るように組まれていた腕が開き、肘と指を伸ばす。
さらに回転し、空中で逆立ちするような具合で、腕が伸ばされる。
「はあっ?」
驚愕に顎を落とす竜人の、剣を振るう腕を、変形途中の腕が捕まえた。
変形は続く。翼が鯖折りにするようにそり上げられ、エンジンの足が開く。キャノピーを残した機首が機体後部にぐるりと回り、離陸推力であった噴射口を背負う。
「へへ、やっぱり。変形後には腕があると思ったんだ」
傾いた操縦席がキャノピーごとさらに傾いたため、美空は操縦席の中でほとんど直立する状態になる。もっとも今は上下逆さで、体に巻きつくベルトだけを支えにしている。美空は逆流する血で顔を真っ赤に染めながら、強く笑ってみせた。
「さあ! 変形マシン、推参ってね!」