第八話:堅甲利兵
「リインフォ……あの光みたいなのを出すやつですか」
「そのようなものだ。詩緒奈くん、案内してあげてくれ」
「分かりました。玲花ちゃんは先に行ってて。美空、ついて来て」
「うん。え、階段?」
詩緒奈に引きずられるように、奥の壁際にある非常口の扉に飛び込んだ。背後では玲花が口を引き結んで、エレベータに乗り込んでいる。窓もない、狭く急なコンクリートむき出しの階段が伸びている。詩緒奈は振り返りもせずに駆け上がっていた。美空も慌てて追う。
「”赤のアテナ”は地下の格納庫にはないの。最上部にあるランチャーデッキに配置されてる」
「あ、赤? アテナ?」
「リインフォースデバイスの名前。私のは”浅黄のアルテミス”っていうふうに」
そんな名前だったのか、アルテミス、確かになんか車っぽい。そんなことを考えながら美空は階段を蹴る。狭苦しい非常階段の踊り場を登りにくそうに曲がっていく。着装しっぱなしのコントロールギアのおかげか、足が鈍ることはなかった。
三階ほど登ると、階段が終わった。
「はい、ここ!」
ランチャーデッキは、天井がない。
湾曲した鉄骨の梁に支えられた、ドーム球場のような天井が左右に分割されて展開している。突き抜けた空が白く霞み、潮風に揺らいでいる。潮の匂いと、打ちしぶく波の音。
構造をむき出しにした、立体駐車場にも似ている簡素で無骨な四方の壁面を眺め回す。
窓に類する、外の景色が見えるものはなかった。建物の中に一つも。
美空は困惑を顔に浮かべる。
「海?」
「そう。海の真ん中。それであれが、リインフォースデバイス”赤のアテナ”だよ」
展示発表される新車のような台に据え置かれている、VTOL航空機。スマートな形状の前進翼機で、挑発的に赤いラインの塗装を日光に輝かせている。
「って、待って!? 私戦闘機なんて乗れないよ! てか乗れるわけないじゃん!?」
「大丈夫、なんとかなるよ。昔、戦闘機ゲームやってたじゃない。似たようなものだよ」
「そんな乱暴な話があるかぁっ!」
美空は悲鳴を上げる。ゲームのほうだって、イージーモードしかクリアできなかったのだ。
なぜバイク、車ときて戦闘機なのか。自転車あたりなら、美空だって堂々と乗りこなすことが出来たのに。そこまで考えて、美空はもう一つの推測に思い至った。
「もしかして、これも変形するの?」
「するよ。もうガシャコンガシャコンやるよ」
応える詩緒奈は、情け容赦なく乗せる気のようで、キャノピーを開いている。手招きされ、美空は嫌々ながら脚立を登って、操縦席を覗き込んだ。
映画で見るような椅子型のシートはなく、代わりに、後ろに傾いたバイクのシートに近い形状のものが置かれている。操縦桿はずいぶんと低い位置に、二本あった。
正面にはタクシーの無線機や運賃メーターなどの装備を複雑にしたようなもの、おそらくは計器が無数並んでいる。当然美空には読み方どころか、どれが何の計器なのかも分からない。
「何やってるの、早く乗って」
詩緒奈は突き飛ばすように急かす。焦っているようだった。
ぐ、と息を詰めた美空は、思い切って乗り込む。シートにまたがると、外の景色がよく見えて、異様に高く見えた。転んで落ちたら、それだけで骨を行きそうだ。
それにしても、シート下の高さが低すぎて、股下の置き場が悪い。中途半端な膝の曲がりで、変な感じに腹筋に負担が掛かっていた。足の姿勢を探しながら、美空は詩緒奈に愚痴を漏らす。
「戦闘機って、墜落したら普通に死ぬでしょ」
「そのときは脱出すればいいんだよ。脱出装置これね」
空いた脚立に乗った詩緒奈は、シートの下に隠すように置かれたひも付きのレバーを示す。ちょうど今美空が足で隠しているところだ。
「操縦桿はこれ、両手で操作するんだって。で、乗り方はそうじゃなくて、うつ伏せになるの。そのシートにお腹を乗せるように」
「え、うつ伏せ?」
少し下がって、シートにお腹を乗せてみる。足を伸ばすと、軽く膝を曲げるようなちょうどの角度で足置きがある。踵に足踏桿があった。腕も、肘をゆるく曲げてちょうど操縦桿を握ることが出来て、お腹が苦しいこと以外はかなり楽な姿勢だ。
低い位置に頭がある割りに視界は確保されている。あれだ、と美空は思い出した。ちょうど、シャチフロートに抱きついて、水面をゆったり泳ぎながら見回してる感じ。
じゃり、と音が鳴って、腰の上部、ちょうどくびれの辺りに何かが擦れた。首をひねって見下ろすと、美空の胴部にシートベルトに類似したものが巻きついている。
「それじゃあ、あとは頑張ってね」
「え?」
首を逸らして見上げると、すでに詩緒奈の姿はそこにない。キャノピーがゆっくりと下りてきている。美空の顔が引きつった。
「ちょ、ちょっと。離陸の方法すら分からないんだけ、ああァ痛いッ!?」
操縦桿から電流が走った。引きつるような痛みに、指の第二関節が反り上がって痙攣する。腰にシートベルトがきつく食い込んだ。激痛を発している腕が痺れて操縦桿から離せない。
涙が浮かんだところで、始まりと同じく唐突に電流は引いていく。
まただ、と美空はひりつくような痛みを残す腕を撫でながら、思った。
「コントロールギアが起動したときと、同じ痛み……」
ふ、と息をついた。お腹が圧迫されて苦しい。
ちょうど半円形に広がる、二本の操縦桿と無数の計器を見た。
足に力を入れて、操縦桿をそろそろと握る。
今度は、痺れない。
「よし」
肘と膝に力を入れて、体重を分散するように乗る。お腹がかなり楽になった。どうせ加速すればそのGがすべて足に行く。
顔を上げて、キャノピーから見える空を見上げた。それを見て、少し、自嘲するように笑う。
「……自分がすべきだ、と感じてしまったら、諦めて絶対に突き進め。それがどんなに辛い道でも。それが、人生で一番多く笑う秘訣だ……。ホンット、お母さんはカッコいいなあ」
美空は肩をすくめて、すでに誰もいないランチャーデッキを眺める。天井との境目に並べられた照明が、重なり合う影を床に落としている。
誰もいないことを確認して、美空は、苦笑を浮かべたまま口を動かす。
「少し、怖いな」
でも、と真っ直ぐ前を見た。操縦桿を握り締める。掃除機の駆動音のような情けない音が、音高く響き始めた。機体が風に煽られて揺れる。
「守らなきゃ、って! 思っちゃったんだから、仕方がない!」
破れかぶれのヤケクソだった。
操縦は、よく見ればなんてこともない。スロットルと書かれているレバーに、ホイール式のレバーがついていて、推力偏向を制御できるようになっている。今は垂下に向けられているので、いじる必要はなかった。低速航空モードに設定されていて、スロットルを開けても速度が足りなければ、自動で揚力を補うように出来ている。要は、スロットルを開けるだけでいい。
美空はスロットルを握るようにひねった。戦闘機は爆発的な排気音を轟かせて、ばたばたと震えながらランディングギアの足をそっと床から離す。生まれたての小鹿を思わせる戦闘機は、垂直に浮き上がり、その体をドームの上から覗かせていく。
海の真ん中だ。港のある内海の真ん中に、ランチャーデッキは置かれている。
不安定な垂直上昇から、そろそろと機体を前進させる。
足下にあるランチャーデッキは機体の陰に隠れ、ただ遠くに行くほど黒い青さを増していく海と、それを撫ぜていく波だけが流れていく。ランディングギアを本体に畳む。
翼に気流が巻きつくように唸り、少しずつ機体の重さが和らいでいった。
「よっし! 行けぇ!」
美空は吼え、足元より後ろで機体のノズルが唸った。ぐんと踵に力が入り、美空の体がずり下がる。操縦桿を握り締める力は強く、機体は空気を切るように空を走る。
臨界点を突破した。揚力をつかんだ機体は、軽々と、枯葉よりも軽く空に舞い上がっていく。
美空の顔は、勇ましい満面の笑みを刻んでいた。
機首が目指すは、空の彼方。