第五話:天地開闢
都合二人の視線に晒されたまま、いつまでも突っ立っているわけにも行かない。美空は女子高生の乗る車にしぶしぶ乗り込んだ。
ドアを閉めて、そこにきちんとシートベルトまで付いていることに気づく。騙されたような顔をしながらしっかりとシートベルトを締めた。
「これ、ロボットなんだよね」
「そうだよ。シートの下に肘が入ってて、後部座席につま先があるの、分かる?」
「うわあい……」
美空は切なげに笑った。現実性が目の前でどんどん崩れ去っていく。
フロントガラスの向こうでは、バイクが先導して走り始めている。それを追って、蹴散らされた車の残骸を縫って走り始める。その手つきといい目配せといい、やけに熟練していることに気づいて、美空はげんなりした。
「美空、なにか危ない目にあった?」
「え?」
「それ着てるじゃない。ブレスレットは休眠状態のキーでね、危険が迫ると自動起動で着装して、防衛機能を働かせるの」
「あー、この格好か。いや、瓦礫が降ってきてさ」
「大丈夫だった?」
「うん、おかげさまで。私が庇ってた女の子も守れたみたいだし」
「そっか」
安心したように詩緒奈は微笑んでいる。交わされるあまりにも奇異な会話に、美空は頭を抱えた。その手に嵌まっているグローブを見て、ようやく根本的な疑問に気がつく。
湾岸エリアに出る玲花を追って、ハンドルを切る詩緒奈に尋ねる。
「なんか異様に馴染んでたんだけど、そういえば、この鎧みたいなのはなに?」
「オルハリコンのコントロールギア、って言って分かるわけないよね。要するに、すごい力を秘めた鎧、って思っておけば大丈夫。馴染むのは、備わっている機能みたいなものだから、気にしなくていいよ」
「なにそれ……。あ、さっきの怪人ハサミ怪人。あれは?」
「敵、かな。地球侵略を目論む悪の組織ってとこ。本当は侵略っていうこととも違うんだけど」
へえ、と返事する美空の顔が強張っている。非現実的が飽和して、もう驚けなくなっていた。
「もしかして詩緒奈、それに前の玲花ちゃんも、あとあの男の子」
「星斗くんね。市井星斗くん」
さらりと訂正を求めて、詩緒奈はなんでもない素振りでハンドルを切る。地下駐車場らしき斜面の雑居ビルに向かい、段差を乗り越えて車が滑り込んでいく。車内がふっと暗くなり、電灯の明かりが乾いた影を落とす。
「……って、星斗!? 星斗って、詩緒奈の彼氏の!?」
美空は飛び跳ねるように詩緒奈を振り向いた。大声出さないでよ、と詩緒奈は照れている。
ポカンとして美空はその横顔を見つめた。常々話題になっていた詩緒奈の彼氏、星斗くん。それがロボット戦士の一員だったらしい。まさか、そんな方向で日常が迫るとは。開けっ放しの口から吐息が漏れる。
「はぇー……え、あれ? じゃあ、もしかして度々デートに行ってたのって」
「そう。ホントはこれ着て度々出撃してたの」
「わあーお。じゃかなりの頻度でこれ着て戦ってるんだ。あの敵? みたいなのと」
「そう。彼らは手段を選ばないから」
美空はどっと疲れた顔で、顔を覆った。指の間から見えるフロントガラスの向こうの景色は、地下駐車場ではなく長いトンネルのようだった。一定間隔で設置された暖色の照明で、前を走る玲花のバイクが点滅するように光を反射している。
こんなところにトンネルが通っていた覚えはない。どうせ地下秘密基地でもあるのだろう。
「……なんたらギアが日夜地球を守るヒーローで、詩緒奈がその一員で、巨人みたいな化け物と戦ってて」
「負け越して後がなくなった、ってわけ」
「そう負け越して……えっ負けてんの!?」
詩緒奈はどこか虚しそうな顔でうなずいた。
「超負けてる。最終防衛ライン突破されて、地上が攻撃に晒されちゃった」
「Ah……aw……」
妙に英語風な驚愕を表して、美空は意味もなく両手を上下させる。混乱している。
しかし、同時に納得も胸に落ちていた。
あんな怪人が現れていたなら、ニュースや騒ぎになっているはずだ。人の口には戸は立てられない。だいたい、毎度あんなに被害を出しながら戦っていたら、詩緒奈たちだって正義として見られるかどうか。
ふと美空は顔を上げた。トンネルの先にまばゆい白光が輝いている。トンネルの出口だ。
詩緒奈の車がその格納庫に入る。
伽藍のような高い天井が長く広がっていて、何かの展示場のような強い照明で照らされる。船舶のドックや飛行機のハンガーのような、駐機と整備、修理改修を行う設備を揃えていた。
駐機場所を区切るように、凹型に足場や機材で囲われたスペースが並ぶ。詩緒奈はその中のひとつに車を滑り込ませた。
「はい、到着。司令室まで上がろうか」
「……なんか、漫画か映画の世界に入ったみたい」
当然のように受け入れかけた自分に疲れを見せて、美空は頭を抱える。
詩緒奈は同情するように深くうなずいた。
「たぶん、狙ってるんじゃないかな」
やっぱりか、と美空は笑った。
車から降りた途端、じゃしぃ、と裁断用の大きなハサミを鳴らしたような音が響いた。
「え、なに?」
腰を浮かしかけた中途半端な姿勢で、美空は目をぱちくりさせる。その顔をもう一枚。
玲花が顔にカメラを当てて、黒光りするレンズを美空に向けている。一眼レフで美空が車から降りた瞬間を激写していた。
玲花の後ろにはバイクが停めてある。隣のスペースに入っていたらしい。
車を回り込んだ詩緒奈が、当然のようにカメラを構えている玲花の姿を見つけて笑う。
「あはは、またやってる。玲花ちゃん、写真が趣味なんだよ」
「趣味」
玲花が肯定するように繰り返し、ようやくレンズを美空から外した。美空はなぜかしていた緊張を解いて、やっと立ち上がる。いきなりカメラを向けられる経験はあまりない。
そこに隣に来た詩緒奈が、美空の腕を取って嬉しそうにピースサインを玲花に向けた。玲花はうなずいて、応じるようにカメラを構えながら後ろに下がって、美空と詩緒奈をフレームに収め、がつりと背中をバイクにぶつけてつんのめった。
「ちょっと。え、大丈夫?」
「へ、平気」
すかさずカメラを構えた玲花はシャッターを切る。そしてまた、驚いて半歩足を出して手を伸ばしかけた微妙な姿勢の美空が、世界の記録に刻まれた。
ぱっと手を放した詩緒奈は、にっこりと笑顔を輝かせて美空の手を引く。
「じゃ、司令室に行こっか。星斗くんも待ってるよ」
「あー、うん、はい。そうだね」
写真を確認するか、抗議するか、抹消するか迷った末、美空は釣られるように詩緒奈に従った。格納庫の後ろに設置された円筒形エレベータのボタンを押す。点滅する階表示を見て、待ち時間に妙な現実感をかみ締めた。
ふと、隣に立つ玲花に顔を向ける。神妙な表情を浮かべる玲花は、待ち時間を綿密に計算しているようにも見えるし、まだかなーと無邪気に考えているようにも見えるし、今晩の献立を夢想しているようにも見える。
「雛菊、さんだよね?」
「そう。雛菊玲花。玲花でいい」
声をかけた美空を見返して、玲花は几帳面に名前を繰り返した。落ち着いた深い色合いの瞳は、美空を冷徹に値踏みしているようにも見えるし、素直に次の言葉を待っているようにも見えるし、今晩の献立に嫌いな食べ物が出ないかどうか心配しているようにも見える。
「じゃあ、玲花。私は榛木美空、私も美空でいいよ。よろしくね」
「よろしく、美空」
そのお辞儀を見て、ちょっと遠回りしたな、と考えながら、美空は本題を切り出した。
「それで、玲花も、あのナントカギアを着て敵と戦ってるの?」
「コントロールギアのことなら、そう」
しっかりと訂正した上で、あっさりと玲花はうなずいてみせる。あれだけバイクロボットを乗り回して、実は無関係です、と言い出すはずもない。
詩緒奈が体を折って笑顔を割り込ませた。
「玲花は私より前から戦ってた、先輩なんだよ。ちなみに同い年」
「あ、そうなんだ。高校は一緒じゃないよね。どこに通ってるの?」
「通ってない」
それが趣味を語ることと等価であるかのように、玲花は表情を見せないまま淡々と告げる。
「私、宇宙生まれだから」
ティロン、と場違いに明るい音色をあげて、エレベータの扉が開く。