第三話:急転直下
瓦礫が美空のうえに落ちていく。
稼動するミキサーを早回しで眺めるように、瓦礫が破裂する。土埃を巻き上げ、街並みを霞ませた。
突然、美空の左腕が引きつるように震える。自分の意思にそぐわぬ無理な筋肉の収縮。
激しい痛みに顔をしかめ、女の子を落としかけて、慌てて痺れた左腕で女の子を支えなおす。そこで美空は気づいた。
自分の体が、瓦礫から守られている。
というよりむしろ、磁極が反発するように、瓦礫が美空を避けていた。埃さえも周囲にない。
ぴったり半径一メートルを置いて、瓦礫がうずたかく積み上げられている。
それらを見回して、美空は、険しい形相でうめく。
「なんぞこれ……」
左腕の震えは収まっていた。
尾を引く痛みを透かして眺めるように、美空は左腕を眺める。
そこにあったはずのブレスレットが、赤いラインの装飾が入った腕輪になって、あつらえたように嵌まっている。グローブまではめられていた。
いや、そもそも衣服すべてが、見たこともないものに変化している。手首、肘、胸元、耳元、腰、膝からの足……要所を隠す軽鎧のように、金属質のフレームで覆われている。赤いラインの入った、腕輪と同じデザインだ。
「なんぞ、これ……」
美空はもう一度つぶやいた。
女の子はすでに気を失っている。しっかりと支え、恐る恐る瓦礫を登って逃げる。足元の瓦礫が崩れる、ということはなかった。バランスを保ちながら、なんとか乗り越える。
途端に吹き込んできた埃に喉を擦られ、咳き込んだ。口元を押さえて顔を上げる。
美空の周囲は、一瞬で様変わりしていた。
瓦礫で背後のガードレールがなぎ倒されている。道の先で、パニックからはぐれた人や怪我人を介抱していた警官が、呆気に取られた顔で美空を見ていた。何が起こったのか、分かっている人はいない。
美空の顔が怪訝に歪む。振り返って、信じられないものを目にした。
無人になった歩道を駆け抜けて、車、いや二輪のバイクが美空のいる瓦礫の山に突っ込んでくる。細い車、と呼ぶほうが分かりやすいようなフレームを有する超大型バイクは、前輪を持ち上げてウィリー走行になり、急減速しながら瓦礫に突っ込んだ。ぐしゃり、と前輪を瓦礫に乗せ、傾いた状態で停車する。
美空は体を引いて、逃げることもできず、ただそのバイクを見つめていた。操縦席は風防というより、戦闘機のキャノピーのようなガラスで覆われている。
座っているのは、美空と同じくらいの少女だった。
苦もなく大型バイクを操っている彼女は、今の美空と同じような軽鎧に身を包んでいる。美空は彼女を見て、耳当てが羽のように後ろに飛び出す形状だと初めて気づいた。ただ、鎧に入っているラインは水色だ。
少女は、冷然と美空に目を向けた。
「大丈夫?」
「え、あ、はい」
しどろもどろになった美空にうなずき、ふと腕の中にいる女の子に目を向ける。やはり気を失っているが、幸い怪我をした様子もなく、眠るように目を閉じている。
バイクの少女は表情を微塵も動かさないまま、スロットルをぐいと捻った。モータが高速で空回りするような音を立てる。
「え?」
美空は笑顔が引きつった。
鳥が求愛行動で羽を広げるかのように、左右のフレームがばかりと広がった。その先端が指先を開き、巨大なエンジンを操縦席の下に収めるように背中を伸ばし、タイヤの両足を揃えて立ち上がる。
「えええぇぇ?」
人型ロボットに乗る少女は、凪いだ湖面よりも落ち着いた表情のまま、機械の両手を伸ばして女の子をそっと受け取る。呆気に取られている美空が気づいたときには、気絶したままの女の子は、ロボットの手に委ねられていた。
ロボットは巨大さと異様なバランス感覚で、瓦礫を二歩で下りる。
赤子を扱うような優しく慎重な手つきで、女の子を抱え、卒倒しかけている警官の前までタイヤの両足でスケートのように走って行った。膝を曲げ、彼にその女の子を託した。
警官の手にある女の子を確認した少女は、ロボットを折り畳んでバイクに変形させる。
少女は瓦礫の前まで戻ってきて、バイクのなかから美空を見上げる。相変わらず表情に揺らぎはないが、その瞳は安堵するように緩んでいた。
彼女はハンドルから手を離し、自分の胸元を人差し指で触れる。
「雛菊玲花」
「うぇ?」
返事ではない声にうなずいて、少女……玲花はハンドルに手をかける。美空を見上げたまま、言葉を続けた。
「手伝って」
「はい?」
ウウォンとエンジンの気筒が吼える。そのままバイクは急発進した。
空では未だに雷鳴が響いている。
バイクは建物の壁に向かって一気に速度を増していく。再び前輪を浮かせ、さらに速度を増した。
かくん、と顎を上げるように、バイクの先端が分かれる。
前輪から壁に突っ込んだバイクは、壁を走り、垂直になったとたんに両足を広げて、高々と跳躍する。壁飛び。
「うわあお」
その高さで、バイクは再び飛来した光の破片を受け止めた。空中で衝突した破片は砕け散り、大気が震える。光の破片は易々とビルを砕いたにもかかわらず、反動で宙返りしたバイクは無傷だった。故障どころか、塗装ひとつ削れていない。
美空は飛来した破片をたどるように視線を上げ、顔を凍らせた。警官に叫ぶ。
「逃げて!」
雷鳴が響く。
遠くの人型が、くるくると回りながら墜落して、降ってくる。
警官は泡を食って、女の子を庇ったまま避難していく。それを背に確認し、美空は瓦礫から飛び降りた。口を引き結んで顔を上げる。あるはずのないものの姿をそこに見る。
濁った緑の甲殻らしきものに覆われたそれは、空中で受身を取るように弾み、ビルに四肢をつけて着地した。三メートル近い巨体とは思えないほど機敏で身軽だ。重量もあるらしい。衝撃で天井ごと剥がれて、ひっくり返る。甲殻巨人はふわりと浮かび、放された天井が墜落した。
きゅるり、とタイヤにグリップを効かせ、変形したバイクロボットが美空の前に立つ。
「気をつけて。あれが敵」
「敵?」
甲殻に覆われた顔が、訝しげに美空を覗き込む。海老や蟹のようでありながら、平面な人面のようでもあった。腕にはザリガニだか蟹だかのハサミに似たものが、手甲のように巻きついている。その黒真珠のような双眸が、じろりと美空を写しこんでいた。その人間離れした眼差しに見入られて、美空は悪寒に背を震わせた。
その異形の巨人はひらりと手のひらをもたげる。その手の内に、バレーボール大の輝く光の弾がにじみ出た。
「えっ、あれ」
「逃げて」
玲花のロボットが両手を構えてファイティングポーズを取る。ロボットの両腕からも光があふれていく。
先ほどの、はるか遠くで殴り合っていた鎧と同じような、腕の光。
ハサミ怪人は無造作に光の弾を投げつけ、ロボットが受け止める。その衝撃だけで空気が震え、アスファルトが割れていく。雷鳴のような轟音が世界を打った。
腕で顔を覆いながら、美空はようやくすべてを悟る。
「つまり」
声に反応して、光の弾を打ち消したロボットが肩越しに美空をうかがう。風防越しに玲花の表情が薄い横顔があり、その向こうに浮かぶハサミ怪人が見えている。
「いままでの、全部」
ふう、と息をついて、拳を握る。
「あいつのせいか」
美空は険しく目を細めた。